手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
ライスちゃんの夏の初戦、秋の目標としてボクたちが定めたのは、中山レース場で行われるスプリンターズステークスである。
あえて1200mという短距離路線を選んだのには、実はそこまで大きな意味はない。ただ単純に、中央の秋シーズンにおいて一番最初に開催されるGⅠレースだからである。神戸新聞杯などの菊花賞のステップレースよりGⅠのほうがいいだろうという判断をしただけだ。
ボクのブートキャンプによって研ぎ澄まされた彼女の肉体は、すでにいつ実戦に投入してもいいレベルで仕上がっていた。ライスちゃんの目標的にも、開催される一番早いGⅠレースにぶつけて勝利をもぎ取った方が良いという判断だ。
だが、そのたまたま一番最初だったGⅠレースの出走メンバーは、素晴らしい顔ぶれが揃うことになった。
春にNHKマイルカップをデバフで蹂躙し、現時点でクラシック世代の短距離・マイル路線で一番有名となっているライスちゃん。
その彼女を迎え撃つ同世代のライバルとして、まずは春の桜花賞を制した天才少女、ニシノフラワーさんがいる。さらに、現在はまだ重賞を勝っただけのウマ娘だが、その規格外のスピードから、将来は間違いなく短距離有力ウマ娘となると関係者の間で名高い、サクラバクシンオーさんといった同期たちが名を連ねていた。
恐ろしいのは同世代だけではない。シニアクラスからは、春の安田記念を勝利したヤマニンゼファーさん。そして、マイルチャンピオンシップを勝ち、その破天荒な走りとペース配分で幾多のレースを破壊してきたダイタクヘリオスさんなど、歴戦の熟練短距離ウマ娘たちがこぞって参戦を表明してきたのだ。
世代を超えたスピードの怪物たちが一堂に会する、まさに短距離路線のドリームマッチ。
ファンの熱狂は最高潮に達しているが、トレーナーであるボクにとって、一番の問題はこのバケモノたちを相手に、どういう戦術をとるかであるが、これが難しい。
例えば、展開の中で一番の鍵となる先頭は誰がとるかという展開予想からして、すでに難解を極めていた。
バクシンオーさんやヘリオスさんは、先頭をとる逃げの脚質が有名だ。だが、彼女たちはただ無策で暴走しているわけではない。どちらのウマ娘も、レースのペースや相手の出方によっては、2番手や3番手、場合によってはもっと後ろに控えてしっかりと折り合うことができる、極めて頭脳派な逃げウマ娘なのだ。スタートから何も考えずに爆走して最後まで先頭を走れば1番になれるとかいう、どこかの先頭民族とはわけが違う賢いウマ娘たちなのである。
一方で、フラワーさんやゼファーさんも前目につける先行策が得意なので、ゲートの出方や周りの牽制次第では、場合によっては彼女たちがハナを切って逃げの形になるかもしれない。
確実に言えるのは、後方に控えるような消極的なウマ娘は有力なウマ娘の中には一人もいないということくらいだ。
たった1200m、時間にして1分と少しで終わる究極の電撃戦なのに、誰がどういうポジションを取り、どういう展開を作るのかが、ひどく予想が難しかった。
「ねえ、トレーナーさん。それならライス、次はどう走ればいいの?」
トレーナー室のソファで、ライスちゃんがココアを飲みながら首をかしげた。
NHKマイルカップの時のように、事前に相手の動きを完全にシミュレートして、秒単位でデバフスキルを起動させるような完ぺきなレースプランを作るのは、今回のメンバーではかなり難しい。
また、ライスちゃんの最大の武器である『範囲デバフのばらまき』も、今回はかなり警戒されているだろう。特に、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたシニアクラスの歴戦のメンバーなんかは、レース中に飛んでくるデバフの1つや2つは、もはやすれ違いざまの会釈みたいなものだ。彼女たちが少しの視界の揺さぶりやスタミナ奪取でパニックを起こし、対応できないということは考えにくい。
もちろん、シニア勢の耐性すら上回るほどの致死量のデバフを集中してばらまくという選択肢もないわけではないが……それではライスちゃん自身のスタミナと集中力も大きく削られてしまう。
「そうだね……今回は、全く違う作戦をとることにしよう」
「ちがうさくせん?」
「うん。ライスちゃんには今回、魔法使いじゃなくて、純粋なステイヤーに戻ってもらうよ」
ボクが告げたその極端な戦術に、ライスちゃんは目を丸くしたが、ボクの意図を説明すると、すぐに「わかった。ライス、やってみる!」と力強く頷いてくれた。
そして迎えた、秋の中山レース場。スプリンターズステークス当日。
秋晴れの空の下、大観衆の視線が集中するパドックに、ウマ娘たちが次々と姿を現した。
単勝オッズで1番人気に推されていたのは、ほかならぬライスシャワーだった。
春のNHKマイルカップでの衝撃的な勝利に加え、日々の配信活動で見せる愛らしい姿と、レースでの圧倒的な強さとのギャップが、多くのファンを魅了してやまない。パドックの周囲には、青いバラを描いた横断幕がかかり、観客席からは彼女の名前を呼ぶ熱狂的な声援が絶え間なく降り注いでいる。
ライスちゃんは、腰に短剣を差したあの青と黒のフリルドレス風の勝負服に身を包み、堂々とした足取りで周回していた。
観客から声がかかるたびに、ふわりと優雅に手を振り、アイドルのように愛想よく微笑んでいる。だが、ボクにはわかっていた。その愛らしい笑顔の奥にある、淀みないエゴイズムの光を。彼女の瞳は、「ここにいる全員がライスの魔法を引き立てるための脇役なんだ」とでも言わんばかりの、無自覚で残酷な自信に満ち溢れていた。
そんな1番人気を追うライバルたちの気迫も、凄まじいものがあった。
バクシンオーさんは、全身から「驀進!」という文字が具現化して見えそうなほどの圧倒的なスピードのオーラを放ち、リズミカルにパドックを闊歩している。ヘリオスさんは「ウェーイ!」と陽気に観客を煽っているが、その瞳の奥には一瞬の隙も見逃さない勝負師の冷たい光が宿っていた。
ゼファーさんは自然体で風と一体化しているかのように静かに歩みを進め、ニシノフラワーさんは小柄で可憐な外見に似合わない、恐ろしく研ぎ澄まされた鋭い雰囲気を全身に纏っている。
誰が勝ってもおかしくない。誰が先頭を奪っても不思議ではない。
パドックの時点ですでに、ウマ娘たちの間で見えない火花が散り、激しい心理戦が始まっていた。
ファンファーレが鳴り響き、大歓声の中で16人のスプリンターたちがゲートに収まる。
中山レース場の1200mコース。外回りの第2コーナー奥からスタートし、第3コーナーまでは緩やかな下り坂が続く。そこで勢いをつけて第四コーナーを回り、最後に待ち受ける急坂を駆け上がるという、スピードとパワー、そして一瞬の判断力がすべてを分ける電撃戦の舞台だ。
──カコンッ!
乾いた音と共に、ゲートが開いた。
さすがは一瞬のスタートが命取りになる短距離のGⅠレース。16人のウマ娘たちは、誰一人としてスタートを送れることなく、まるで定規で引いたように横一線にターフへと飛び出した。
このレベルの猛者たちの中に、スタートの出遅れをカバーできる猶予など一秒たりとも存在しない。全員が、己のベストポジションを確保するために最初の数歩に全神経を集中させる。
その、極限の緊迫感の中で。
ライスシャワーだけが、『盤石の構え』と『コンセントレーション』のスキルを完璧なタイミングで噛み合わせ、横一線の集団からほんのわずか、頭一つ分だけ前にスッと抜け出した。
バクシンオーさんやヘリオスさんが「まずはハナを主張しようか、それとも様子を見ようか」と1秒に満たない間の駆け引きの思考を巡らせた、まさにその瞬間の隙を突いた見事な飛び出し。
そして、先頭に立ったライスちゃんは、そのままアクセルを床まで踏み抜き、全力で走り出したのだ。
通常、1200mという短距離戦であっても、最初のスタートダッシュでポジションを決めた後は、中盤でほんの少しだけ息を入れてスタミナを温存し、最後の直線でもう一度トップスピードに点火するための爆発力を溜めるのが鉄則である。最初から最後まで最高速度で走り続けられる生物など、この世に存在しないからだ。
だが、ボクがライスちゃんに与えた作戦は、極めて簡単で、極めて非常識なものだった。『1200mの超ロングスパート』である。
ライスちゃんの肉体の本質、彼女の最大の特性は何かと言われれば、それは『3600mを余裕で走り切れる、無尽蔵のスタミナを持ったステイヤー』であるということだ。
それでいて、彼女はボクの減量によって極限まで体重を削ぎ落としているため、身体の『軽さ』からくるスピードも、スプリンターにそこまで劣らないレベルに達している。
「いいかい、ライスちゃん。ステイヤーの持つ膨大なスタミナタンクのすべてを、たった1200mという距離に一点集中してつぎ込むんだ。道中で息を入れる必要はない。スタートからゴールまでの約67秒間、一度もペースを落とさずひたすら全力で疾走し続けるんだよ」
それが、ボクの授けた解答だった。
最初からトップギアに入れ、ゴール板を駆け抜けるまでそのトップスピードを一瞬たりとも落とさない狂気の逃げ切り戦術。
最初、猛烈なスピードで飛び出てそのまま突っ走っていくライスちゃんの姿に、背後の一流スプリンターたちは一瞬だけあっけにとられた。
「あんなオーバーペースで飛ばせば、最後の直線の中山名物の急坂で必ず脚が止まる」「自滅する気か」と、歴戦の猛者であればあるほど、自身の持つレースのセオリーと常識に囚われ、彼女を追いかける対応がコンマ数秒遅れたのだ。
だが、その『一瞬の迷い』と『対応の遅れ』こそが、この超短期決戦においては取り返しのつかない致命傷となる。
緩やかな下り坂でさらに勢いを増しなばら第三コーナーを回ったライスちゃんが、後続にリードを保ったまま第4コーナーを回る。
コーナーの最内をトップスピードのままきれいに回ると、大歓声に包まれる最後の直線に飛び込んだ。。
ここでようやく、ライスちゃんの脚が全く止まる気配がないことに気づいた後続集団が、慌てて殺気立って追いかけ始めた。
「逃げる逃げる! ライスシャワー、全くスピードが落ちない! その後ろをヤマニンゼファーが懸命に追いかける! さらに外からニシノフラワーがものすごい末脚で飛んでくる!」
実況が絶叫する中、中山の急坂に差し掛かった。
さすがのライスちゃんも、最初から全力で飛ばし続けてきた代償として、ここでほんのわずかに脚色が重くなる。
その後ろから、スタミナを温存していたヤマニンゼファーさんとニシノフラワーさんが、怒涛の勢いで迫ってくる。短距離のスペシャリストたちが見せる、全身の筋肉が弾け飛ぶような凄まじい瞬発力。
何バ身あった差が、坂を登り切る頃には1バ身、半バ身と急速に縮まっていく。
だが、ライスちゃんは止まらない。
ステイヤーとして鍛え上げられた強靭な心肺機能と、悲鳴を上げる筋肉を無理やり動かし続ける根性が、彼女の細い体をゴールへと押し出していく。
残り50m。ヤマニンゼファーさんの荒々しい息遣いが、ライスちゃんのすぐ耳元まで迫る。
残り10m。ニシノフラワーさんが大外から強襲し、三人がほぼ横一線に並ぶ。
「いけぇぇぇぇっ! ライスちゃ────ん!!」
スタンドの最前列で、ボクは声を枯らして叫んだ。
ライスちゃんは、歯を食いしばり、腰の短剣の飾りがちぎれんばかりの力強い踏み込みで、最後にぐんと首を前に突き出した。
三人がほとんど同時にゴール板を駆け抜けた。
スタジアムが静まり返り、全員が電光掲示板の着順表示、写真判定の結果を固唾を呑んで見守る。
そして数秒後。
電光掲示板の一番上に『1着 ライスシャワー』の文字と、レコードタイムが赤々と点灯した。
「やった……! やったよ、ライスちゃん!」
ハナ差。本当に数センチの差。
だが、ライスちゃんは見事に、最後まで抜かれることなく先頭で逃げ切ったのだ。
ターフの奥で荒い息を吐きながら、フラフラと歩を緩めたライスちゃん。だが、スタンドから降り注ぐ割れんばかりの大歓声と「魔法使いさーん!」という声援を聞いた瞬間、彼女の顔にパッとアイドルのような満面の笑みが戻った。
観客に向かって手を振り、優雅にお辞儀をして見せるその姿には、激闘の疲労感すらも演出の一部にしてしまうような、恐ろしいまでのスター性が備わっていた。
春のNHKマイルカップに次いで、秋の電撃戦・スプリンターズステークスをも制覇したライスちゃん。
この勝利により、彼女が今年の短距離・マイル路線の最優秀ウマ娘の座を手にするのは、もはや誰の目にも間違いない事実となったのであった。