手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜   作:みやび

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36 菊花賞

 さて、見事にスプリンターズステークスを制したライスちゃんの次なる出走レースは、なんとクラシック三冠の最終戦、京都3000mを舞台とする菊花賞である。

 

 1200mの超短期決戦から、息もつかせぬ3000mの過酷な長距離戦への極端な路線変更。

 これに関しては、世間やメディアから凄まじいまでの批判と非難が殺到した。

 

 その最大の理由は、今年の菊花賞がただのGⅠレースではないからだ。このレースには、無敗の逃亡者・ミホノブルボンさんの『クラシック三冠』がかかっていたのである。

 一昨年のメジロマックイーン、昨年のトウカイテイオーに続く、三年連続の三冠ウマ娘が誕生するかどうか。日本中のウマ娘ファンと関係者が、その歴史的瞬間の目撃者となるべく固唾を呑んで見守っていた。

 そんな神聖で張り詰めた空気の中へ、同期で有名とはいえ短距離・マイルの実績しかないライスシャワーが突如として参戦を表明したのだ。

 

 世間から見れば、空気の読めない記念参戦、あるいはスプリント王者としての慢心からくる冷やかしにしか見えないだろう。

 なんせライスちゃんがこれまでに残した実績は、1200mと1600mのレースしかないのだ。2000mを超える中距離の実績すら一切ない。これでいきなり、最も強いウマ娘が勝つと言われる3000mの淀の舞台に立つなど、セオリーを完全に舐めているとしか思われない。

 スポーツ紙のトップには連日「三冠の舞台に泥を塗る暴挙」「常識外れの紫のトレーナー、ついに血迷う」といった見出しが躍っていた。

 

 だからこそ、ボクはレース前の合同記者会見の場で、あえてマイクを引き寄せ、無数のフラッシュが瞬く中で堂々と言ってのけたのだ。

 

「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。ぜひ明日は、ミホノブルボンが三冠を逃す瞬間を、どうぞ楽しみにしておいてください!!」

 

 満面の笑みでそう告げたせいで、会見場は一瞬の静寂ののち、怒号のような質問と非難の嵐に包まれた。担当トレーナーであるボクへの批判が、文字通り死ぬほど集まった。学園のポストには怪文書が届き、アルダンが笑顔でそれをシュレッダーにかけるのが日課になったほどだ。

 まあ、勝負の世界においては勝てば正義である。外野がどれだけ騒ごうが、ターフの上で先にゴール板を駆け抜けた者がすべての真実となるのだから。

 

「さて、ライスちゃん。いよいよ本番だね」

「はい、トレーナーさん」

「外野は色々と騒がしいけれど、ライスちゃんは何も気にしなくていい。普通に、いつも通りちゃんと走ればいいだけだよ」

「うん、わかったよ。ライス、みんなに魔法をかけてくるね!」

 

 控室で、腰の短剣の飾りを直しながら、ライスちゃんはふわりと花が咲いたような無邪気な笑顔を見せた。

 1200mの電撃戦を走り抜くスプリント勝負から、3000mの長距離への適応。普通に考えれば不可能に近いが、彼女の本質は最初から無尽蔵のスタミナを持つステイヤーなのだ。ボクの地獄のブートキャンプで徹底的に鍛え上げられた基礎体力と、減量で削ぎ落とされた絶対的な軽さ。そして、これでもかと詰め込んだ致死量のデバフスキルを筆頭とした各種スキル。

 勝てる。それだけのものを、ボクはライスちゃんに仕込んできた。

 あとは、ターフの上で結果を証明するだけである。

 

 そして迎えた、秋の京都レース場。

 10万人を超える大観衆が詰めかけたスタンドの熱気は、ブルボンさんの三冠達成への期待で異様なほどに膨れ上がっていた。

 レースの単勝オッズは、無敗の三冠を狙うミホノブルボンと、その最大の対抗として春から鎬を削ってきたマチカネタンホイザの二強状態。

 ライスちゃんは、動画配信等によるレース外でのアイドル的な人気が下支えしてかろうじて3番人気に推されてはいるものの、「どうせ最後は距離の壁に泣いてバテるだろう」と、勝負の面での期待はほとんどされていないのが実情だった。

 

 その空気を如実に表していたのが、出走前のパドックである。

 1番人気のミホノブルボンさんが姿を現すと、スタンドからは地鳴りのような大歓声が沸き起こった。彼女は周囲の喧騒など一切耳に入っていないかのように、サイボーグのような正確無比な歩様で、ただ一点だけを見つめて周回している。その研ぎ澄まされた肉体からは、一切の感情を排した絶対的な強者のオーラが漂っていた。

 続くマチカネタンホイザさんも、持ち前の真面目さと闘志を全身にみなぎらせ、大一番に向けた尋常ではない気迫を放っている。

 

 そんな息の詰まるような猛獣たちの檻の中に、青と黒のフリルドレスに身を包んだライスちゃんが、軽やかな足取りで入ってきた。

 途端に、スタンドの8割を占める競馬ファンたちからは「本当に長距離を走る気か」「冷やかしなら帰れ」といった冷ややかな視線と、重苦しい空気が向けられる。

 だが、ライスちゃんはそんなアウェーの空気を全く気にする素振りを見せなかった。

 パドックの最前列で「ライスちゃーん!」「魔法使いさーん!」と手作りのうちわを振って叫んでいる、孤児院の妹たちや熱狂的なファンクラブの集団を見つけると、ふわりと優雅に手を振り、アイドルのように愛らしく微笑み返している。

 

 その姿は、一見すると大舞台のプレッシャーを感じていない無邪気な少女のように見える。

 だが、ボクには痛いほどよくわかっていた。彼女が重苦しい空気を気にしないのは、鈍感だからではない。彼女の心の底にある、お嬢様特有の『無自覚な傲慢さ』が、自分以外のウマ娘の存在を「ライスの物語の脇役」としか認識していないからだ。

「ここにいる全員が、ライスが魔法をかけるための観客なんだ」とでも言わんばかりの、純度100%のエゴイズム。その恐るべき精神性こそが、この後ターフで展開されるレースの元となるのだ。

 

 ファンファーレが鳴り響き、運命の3000mがスタートした。

 ゲートが開いた瞬間、予想通りミホノブルボンさんが迷いなくハナを奪い、淀のターフを駆け抜け始めた。

 

 彼女の走りは、まさに精密機械だった。1ハロンを寸分の狂いもなく定められたラップタイムで刻み続ける、すがすがしいまでのラップ逃げ。その絶対的なペースに少しでも乱されれば、後続はあっという間にスタミナを削り取られて自滅していく。

 そのブルボンさんを逃がすまいと、キョウエイボーガンさんやメイショウセントロさん、そして対抗馬のマチカネタンホイザさんが、必死の形相で先頭集団を形成して追走していく。

 

 一方のライスちゃんは、好スタートからスッと気配を消すように、その先頭集団のすぐ後ろ、絶好のポジションに軽やかに潜り込んだ。

 そして、レースが最初のコーナーを回ったあたりから、彼女の『魔法』が始まった。

 

「ふふっ。みんな、一緒に楽しく走ろうね」

 

 ライスちゃんの甘い囁き声とともに、まるで呼吸をするかのように、ごく自然に強烈なデバフがばらまかれ始めた。

『独占力』で周囲の空気を泥のように重くし、『魅惑のささやき』と『八方にらみ』で追走するウマ娘たちの神経を削り取る。極めつけに、前後左右の相手からスタミナを直接奪い取る『スタミナグリード』。

 

 このデバフの恐ろしいところは、ライスちゃんから『敵意』や『殺気』が一切放たれていないことだ。

 通常のレースであれば、相手を妨害しようとする意志を感じ取った瞬間、ウマ娘は本能的に防御の姿勢をとり、デバフの影響を最小限に抑えようとする。だが、ライスちゃんの放つスキルは「ライスが通るから道を開けてね」「みんなの力をライスに分けてね」という、純粋無垢な善意の形をしているのだ。

 相手がその呪いの優しさに気づいた時には、すでに心臓の奥深くまで毒が回りきっている。シニアクラスの歴戦のウマ娘ですらここまでやらないだろうという、圧倒的かつ暴力的な量のデバフが、先頭集団に降り注いだ。

 

 前も、後ろも、次第に走るリズムが乱れていく。

 そんな地獄のデバフ領域のすぐ前を走りながら、ただ一人、ミホノブルボンさんだけは全くラップを崩さずに走り続けていた。背後から迫る精神的プレッシャーを、持ち前のサイボーグのような精神力で完全にシャットアウトしているのだ。これにはボクも思わず舌を巻いたが、まあ、それならばそれで構わない。

 

 ここがマイルや中距離のレースなら、ブルボンさんの逃げ切りも可能だったかもしれない。

 だが、ここは3000mの長距離レースだ。ライスちゃんが最も得意とし、その無尽蔵のスタミナが最大限に活きる絶好の戦場である。

 レースが中盤を過ぎる頃には、ライスちゃんの無自覚なデバフの集中砲火に耐えきれず、キョウエイボーガンさんやメイショウセントロさんといった先頭集団が完全にスタミナを失い、ボロボロと脱落して後方へと沈んでいった。

 

 そして、レースは最大の勝負所である淀の第三コーナーへと突入する。

 先頭で逃げ粘るミホノブルボンさんも、それに食らいつくマチカネタンホイザさんも、明らかに息が上がり始めていた。彼女たちの陣営もライスちゃんが出る以上デバフ対策は十分に練ってきていたのだろうが、ライスちゃんが放つ規格外の呪いの濃度と、未知の3000mという距離が、確実に彼女たちの脚を削り取っていたのだ。

 

 第三コーナー直前で頂点を越え、第四コーナーに向けて続く名物の下り坂。

 通常、ここで勢いに任せて駆け下りれば、急カーブで外に膨らんでロスをするか、あるいは脚に負担がかかって最後の直線でスタミナが切れてしまう。だからこそ、多くのウマ娘はここで一旦スピードを落とし、慎重に坂を下るのがセオリーだ。

 

 だが、ライスちゃんはここでブレーキを一切踏まなかった。

 天才・俵トレーナーから教えられた特殊な身体操作──重力に身を委ね、息を完全に吐き切るタイミングを同調させる下り坂の技術。

 ボクがルドルフからパクった、鋭くコーナーを曲がる技術。

 それらが合わさり、彼女の小柄で軽い体は、坂の傾斜を滑空するように駆け下り、一気にミホノブルボンさんの真後ろ、風の抵抗を受けない死角へと距離を詰めたのだ。

 

「──ライス、いきまーす!」

 

 第四コーナーを回り、大歓声が渦巻く最後の直線。

 京都レース場特有の内回りと外回りが合流する地点。そこには、内ラチが途切れてわずかにスペースが広がる、ほんの短い間の幻のインコースが存在する。

 ライスちゃんは、事前の予定通りにその最内のルートを鋭く突き、ミホノブルボンさんの内側から一気に前へと躍り出た。

 

「内から青い影! 1200mの覇者、ライスシャワーがなんと先頭に並びかける!」

 

 実況が信じられないものを見たかのような悲鳴を上げる。

 抜かれまいと、ブルボンさんがサイボーグの意地を見せて懸命に追いすがる。

 外からは、最後の力を振り絞ったマチカネタンホイザさんが必死の形相で追いかけてくる。

 だが、すでに道中でスタミナを限界まで削り取られていた二人の末脚は、無尽蔵のスタミナを完全に温存したまま直線へと飛び出してきたライスちゃんには、もう届かなかった。

 

 軽いステップで淀のターフを舞い踊るように駆け抜け、ライスちゃんは追走する二人に1バ身半の決定的な余裕をもったまま、涼しい顔で先頭でゴール板を駆け抜けた。

 

 スプリントの女王が、最も強いウマ娘を決める菊花賞を制圧した瞬間だった。

 

 だが、ゴール直後の京都レース場のスタンドを包んだのは、称賛の歓声ではなかった。

 

「ブルボンの三冠が!」「なんだあの訳の分からない走りは!」「空気読めよ!」

 

 ライスちゃんのファンクラブが陣取る一角を除いて、スタジアム全体から地鳴りのような凄まじい大ブーイングと怒号が巻き起こったのだ。

 歴史的偉業が打ち砕かれた絶望と、短距離しか実績のない伏兵に足元をすくわれた怒り。観客たちの矛先は、ターフで笑顔で手を振るライスちゃんと、ボクへと向けられていた。

 

 しかし、ボクはそんなブーイングの嵐の中で、一人で腹を抱えて笑いを堪えていた。

 そして、その直後に行われた勝利後の記者会見。無数のマイクと殺気立った記者たちの前で、ボクはマイクを手に取り、最高に性格の悪い笑みを浮かべてこう言い放った。

 

「いやあ、皆さんの熱い声援には恐れ入ります。でも、他人が手心を加えて勝利を譲ってあげないと達成できないような『三冠ウマ娘』なんて、本当にすごいですねえ。ウマ娘のレースって、いつからそんなお遊戯会みたいな接待スポーツになったんですか?」

 

 この一言で、会見場は前代未聞の大パニックとなり、ボクへのバッシングは社会現象レベルの大騒ぎへと発展することになる。

 学園のポストは爆発し、URAの理事長室には苦情の電話が殺到したらしいが、ボクは一切反省するつもりはなかった。

 勝ったのはボクの担当であり、敗者は泣いて再起を目指すしかないのが勝負の世界の掟だからだ。

 

 ちなみに後日、岡辺さんから聞いたのだが、ボクの会見の中継を見ていたシンボリルドルフは、「ククッ……フハハハハッ! さすがはヴィオラだ、最高のエンターテイナーだな!」と、涙を流して腹を抱え、大爆笑して転げ回っていたらしい。

 やっぱりあいつ、根本的に性格が悪い同類だよなと、ボクは第二子にミルクをあげながら深く納得するのであった。

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