手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
さて、ライスちゃんが春の淀でマックちゃんの三連覇をへし折った天皇賞(春)の激闘の後、ボクはトレセン学園のトレーナー業務から身を引き、再度長期の育休をとることになった。
表向きの理由は「4人目の子供を妊娠したため」である。
だが、正直なところ、ボクの丈夫さを考えれば、わざわざ休業宣言をしてまで休む必要があるほどでは全くなかった。なんせこの3年間、ボクは毎年連続で妊娠してはポンポンと産み続けているのだ。もはや身体の構造が完全にそれに順応してしまっており、むしろお腹に子供がいない状態の方がなんだか落ち着かないなと違和感を覚えるくらいにまでなっている。だから、別段これを理由に現場を離れる必要はなかったのだ。
ボクが休むのには、それ以外の理由があった。
単純な話、ボクという存在に対して、世間からのヘイトが尋常ではないレベルで向きすぎたのである。
別段、レースという舞台の上で他人の夢を打ち砕く悪役(ヒール)を演じること自体には、ボクは何の抵抗も感じていない。そういった存在がいたほうが盛り上がるものだ。
だが、どうやら世間というものは、単にボクをターフの上のエンターテインメントとしての「悪役」として消費し、ショーの一部としてブーイングを楽しむだけでは済まなかったらしい。リアルな世界で、ボクという個人を標的にして危害を加えようとする過激な連中が、ぽつぽつと現れ始めたのだ。
「──ご安心ください、旦那様。最近学園の周辺をうろついていた不審者を、メジロのSPが3人ほど捕縛し、すでに警察に引き渡しておきました。旦那様と子供たちの安全は、メジロの威信にかけて絶対にお守りします」
朝の食卓で、トーストにジャムを塗りながらアルダンがさらりと恐ろしい報告をしてきた。
いや、ちょっと待ってほしい。メジロのSPって何だ。アルダンと結婚してぼちぼち経つけど、そんな警備が存在するなんて、ボクは今の今まで一度も聞いたことがなかったぞ。名家こわ。
さらに事態をややこしくしていたのは、世間のバッシングの裏で、URAの一部が暗躍していたことだ。
ボクが以前、オグリちゃんのクラシック登録の際に特例措置を認めさせた一件で、URAのメンツを潰したことがあった。どうやら彼らはその時の意趣返しとばかりに、スポーツ紙やメディアに裏から手を回し、ボクの指導方針やプライベートをあることないこと書き立てるネガティブキャンペーンを張っていたようなのだ。
この事実がした時、誰よりも激怒したのが、ほかならぬシンボリルドルフだった。
「レースの公正と神聖さを根底から害する下劣な行為だ。運営側が自ら盤面を汚すなど、断じて許されるものではない」
彼女の怒りはすさまじいものだった。運営側が特定陣営の妨害を主導したとあれば、ウマ娘業界全体を揺るがす大スキャンダルである。ルドルフはこの一件を政治的な武器として利用し、近々彼女の主導でURAの大掛かりな改革を断行するとかしないとかいう話すら、ボクの耳に届いている。
もともと名門シンボリの家は、レースの運営や協会側に深く食い込む影響力を持っている。ルドルフがいよいよその政治的に深くそちらへと歩みを進めるとなれば、彼女は近い将来、ターフの上の競争ではなく、権力の中枢に座ることになるだろう。これからはもう、レースの現場で彼女の名前を聞くこともなくなっていくのだと思うと、かつての好敵手として、少しばかり寂しい気持ちになるのも事実だった。
さて、そんなウマ娘業界を揺るがすきな臭い政治的騒動の余波もあり、安全確保の意味も込めて、ライスちゃんはボクの手元から移籍することになった。
移籍先は、ボクが預かる前に彼女を担当していた、ボクの後輩にあたる新人トレーナー、ライスちゃんがお姉様と慕っていた人物の所だ。
一度は骨折の責任の重さに耐えかねてボクにライスちゃんを押し付けてきた彼女だったが、この2年間の間、奈瀬さんや他のベテラントレーナーのもとで必死に修行を積んでいたらしい。久しぶりに直接会って引き継ぎの面談をした彼女の顔つきは、かつての何をしていいか分からずオロオロしていた頃とはまるで違っていた。今の彼女なら、もうボクに頼らずとも、スプリンターからステイヤーにまで適応したライスシャワーの繊細なメンタルと肉体を、しっかりと支えきれるだろう。
今後は二人三脚で、新たな魔法使いの物語を紡いでいってほしいと心から願っている。
一方、ボクのもう一人の元担当であるマックちゃんは、上半期の総決算である宝塚記念で見事に勝利を収め、それを花道にしてターフを引退することになった。名家のご令嬢として、いよいよ本格的な大学部への受験勉強に専念しなければならない時期だからだ。
そして、ボクのライバルのもとで無敗の三冠ウマ娘となったテイオーちゃんも、今年の年末の有馬記念を最後に引退すると聞いている。
振り返ってみれば、ボクが育て、共にターフを沸かせたウマ娘たちが、次々と世代交代の波に飲まれて表舞台から去っていく時期なのだ。ならば、ボク自身もここらで潔く一線から退くのが美しい幕引きというものだろう。
これからは、家でただひたすらにゴロゴロし続けるのだ。
よくよく考えてみれば、ボクは国から守られるべき立派な妊婦なのだし、家事も育児もメジロ家から派遣された超一流のメイドさんたちが完璧にこなしてくれる。控えめに言って、ボクが指一本動かさなくても、十分に豊かで快適に生きていける環境が整っているのだ。
そんな悠々自適なボクとは対照的に、周りの人たちは忙しそうに立ち回っていた。
アルダンは、メジロ家の代表としてURA改革にがっつりと噛んでいるらしく、メジロ家と懇意にしているいウマ娘雑誌の記者と密会を重ね、協会の腐敗やスキャンダルの徹底的な追及工作を行っている。本当にこのお嬢様、裏の政治交渉をやらせると生き生きしているな。
そしてルドルフは、自ら先陣を切ってURA内部の旧態依然とした派閥を次々と粛清し、改革を推し進めている。このままいけば、最年少で協会の理事長にでも就任しそうな恐ろしい勢いだ。ボクとしては、さすがにまだ年齢的にも若すぎるし、もう少し現場の経験を積んだり、外から様子を見てもいいのではないかと思うのだが……こういう権力闘争というのは「勢い」と「流れ」がすべてだからな。トップの座を取れる時に取ってしまった方が、彼女の理想を叶えるには手っ取り早いのかもしれない。
おまけに、海外から帰国したシリウスさんなんかも「面白そうじゃねえか」とルドルフの仕事に一枚噛んで手伝っているらしく、URA改革は少なくとも世間を巻き込んでかなり大々的に行われているらしい。
そんな血で血を洗うような権力闘争が繰り広げられている中、アルダンの姉であるメジロラモーヌだけは、相変わらず我が道を行き、趣味で立ち上げたメジロ温泉郷で楽しそうに美人おかみとしての運営を満喫していた。あの人は本当に、自分が楽しいと思うこと以外には一切の興味を示さないブレない精神をしている。
「……ママ。本当に、大丈夫ですか?」
そんなある日の午後。リビングの高級ソファに寝転がり、テレビのバラエティ番組を見ながら煎餅をかじってゴロゴロしているボクの顔を覗き込み、アルヴちゃんがひどく深刻そうな声で尋ねてきた。
その小さな手には、マリーナの哺乳瓶がしっかりと握られている。
「ん? 何が大丈夫なの? ボクの体調ならすこぶる良好だよ。産婦人科の先生からも『信じられないくらい健康的な胎児の心音です』って太鼓判をもらったばかりだし」
「そうではありません。ママが、全く働いていないからです」
「……えっと。それは、ボクに家で穀潰しをしていないで働けという、娘からの痛烈なメッセージなのかな?」
ボクが苦笑いしながら起き上がると、アルヴちゃんはふるふると首を横に振った。
「ママが休んでくださるのは、私も嬉しいです。でも……休むと、ママは死んじゃうのではないかと、少し心配で」
「なんで!? ボクは止まると死ぬマグロか何かだと思われてるの!?」
「だって、私が施設にいた頃から今まで、ママがこうして『何もせずに休んでいる』姿を見たことが、一度もなかったですから……」
アルヴちゃんは、本当に不安そうに眉尻を下げた。
……そうかな? 言われてみれば、前世では休む間もなく血統表を眺めて馬券を買い続ける競馬中毒のおっさんだったし、今世に転生してからは孤児院の妹たちを食わせるために死に物狂いでレースを走り続け、引退した直後に即トレーナーに転身してアルダンやマックちゃん、ライスちゃんを育ててきた。
確かに、彼女の目から見れば、ボクは常に何かの目的のために全力で動き続けている、止まると死ぬマグロのように見えていたのかもしれない。
別にボク自身は、働くこと自体が三度の飯より好きなワーカホリックというわけではない。休めるものなら一生休んでいたい。
だが、この聡明で心優しい娘に、ボクが家でくつろいでいるだけで「命の危機」を感じて心配させるのは、母親として非常にいたたまれない気持ちになる。
何か、ボクが動いて、かつ娘たちも楽しめるような気晴らしのイベントはないだろうか。
「……よし。それじゃあ、久しぶりに家族みんなで『メジロ温泉郷』に旅行に行こうか。あそこの温泉なら、妊婦の身体にも優しいしね」
ボクの提案に、アルヴちゃんの瞳がパッと明るく輝いた。
「いらっしゃい。待っていたわよ、可愛い私の姪っ子たち」
数日後。北海道の豪華絢爛なメジロ温泉郷の玄関口に到着すると、和服を粋に着こなしたメジロラモーヌが、優雅な微笑みを浮かべて出迎えてくれた。
彼女はいまだに独身を貫いているのだが、実は異常なまでの子供好きである。うちの家族が温泉を訪れると、彼女はおかみとしての業務を部下に丸投げし、マリーナを筆頭にボクの子供のだれかを、常にその腕に抱きかかえて離そうとしないのだ。
子供たちも、この圧倒的に美しくて良い匂いのするラモーヌおばさんのことが大好きで、ボクとしては子守りをお願いできるのは非常に助かっている。
「ラモーヌさん。そんなに子供が可愛くて好きなら、自分も早く結婚して産めばいいのに」
「……ヴィオラ、あなた洞爺湖の底に沈みたいのかしら?」
ボクが何気なく正論を口にすると、ラモーヌさんは絶対零度の笑顔のまま、扇子でボクの頭を軽く叩いてきた。
どうやら彼女のメガネにかなう伴侶というのは、この世にまだ存在していないらしい。面倒くさい求道者である。
何にしろ、今回ボクがわざわざ家族を連れてこの温泉郷にやって来たのは、ただ温泉に浸かってのんびり遊びに来ただけではないのだ。娘に「ママはまだ活動している」という姿を見せるための、立派な目的があった。
「ここでボクたちはラーメンを作ろうと思います」
「は……?」
「ラーメンですか、ママ?」
ボクの突然の宣言に、ラモーヌさんもアルヴちゃんも、きょとんと首をかしげた。
そう、名物メジロラーメンの開発である。
なぜ数ある料理の中からラーメンなのか。それに深い意味は全くない。ただ、前世の記憶にあったウマ娘の育成アプリゲームの中で、「名物ラーメンを作る」という隠しイベントがあったような気がする……という、ひどくおぼろげな記憶に従っただけの行動だ。
どうせ暇を持て余しているのだ。メジロ温泉郷の名物となるようなオリジナルのメジロラーメンを開発し、あわよくば袋麺やカップ麺として全国展開してロイヤリティを稼ぐのも悪くないだろう。
ただ、前世のアプリのイベントで具体的にどうやって美味しいラーメンを作っていたのか、その手法やレシピは全く覚えていなかった。
そこで、メジロ家が誇る一流の専属シェフの手を借り、ボクの好み、アルヴちゃんの好み、そしてラモーヌの好みの3パターンの試作品を作り、それをコンペ形式で競わせることにしたのである。
まず最初に厨房の火口を陣取ったのは、言い出しっぺのボクだ。
ボクが求めるラーメン。それは、過酷なトレーニングで失われた塩分とカロリーを瞬時に補給するための、濃厚にして凶悪な『豚骨牛骨ラーメン』である。
寸胴鍋に大量の豚のゲンコツと牛骨を放り込み、強火で何時間もガンガンと炊くように煮込み続ける。骨の髄から旨味が溶け出し、スープが完全に白濁してトロトロの乳化状態になるまで煮詰めた、本能を直撃する獣味あふれる究極のラーメンだ。
「……くしゃい」
「鼻が曲がりそう。信じられないほど下品な匂いだわ」
「……これを旅館のメニューとして売り出したら、間違いなく近隣の住民から保健所に苦情が通報されると思います」
だが、結果は惨敗だった。専属シェフも含めて、全員から鼻をつまんでさんざんな非難を浴びる羽目になった。
何がひどいって、その強烈すぎる『匂い』だ。
いや、ラーメン通からすればこの獣臭さこそが食欲をそそるスパイスなのだが、一般常識から照らし合わせれば、もはや公害に該当するようなレベルの悪臭である。これは豚骨ラーメンしか許されない九州でのみ許される匂いであって、上品な空気が漂う北海道の高級温泉郷の厨房には、絶対に持ち込んではいけない代物だったようだ。
味は濃厚で普通にめちゃくちゃ美味しかったのに。解せぬ。
「フッ。やはりあなたの味覚ではその程度ね。よく見ていなさい。私の、芸術と食を融合させたこれぞ究極の『三大珍味ラーメン』よ」
次に自信満々で丼を差し出してきたのは、ラモーヌだった。
透き通った高級なコンソメベースのスープの上に、分厚くスライスされた黒トリュフ、香ばしくソテーされた巨大なフォアグラ、そして山盛りの最高級キャビアが、麺が見えないほどにドカンと乗せられている。
一杯の原価がいくらになるのか想像もつかない、成金趣味の極致のようなラーメンだ。
「……まじゅい。お口の中が、しょっぱくて生臭いです」
「味の方向性が完全にバラバラで、意味が分からない。それぞれの高級食材が自己主張しすぎて、ラーメンとしての統一感が完全に死んでるよ」
「ラモーヌ様……お言葉ですが、高い素材をただ闇雲に集めて一つの器にぶち込めば、美味しい料理になるわけではないのですよ……」
今度は、試食したアルヴちゃんとボク、そして専属シェフからの容赦ない酷評の嵐だった。
いやラモーヌ、君の芸術センスは神がかってたけど、料理センスは壊滅的すぎでしょ。成金のディナーの残り物を全部丼にぶち込んだみたいな味がするよ。
自分では完璧な芸術作品だと思っていた三大珍味ラーメンを全否定され、ラモーヌは「そ、そんなはずは……」と珍しく肩を落としてしょんぼりしていた。
「では最後に、私が作ったラーメンを食べてみてください」
大人たちが大人気なく惨敗を喫する中、踏み台に乗って厨房の調理台に立っていたアルヴちゃんが、静かに一つの丼を差し出した。
それは、透き通るような琥珀色のスープが美しい、極めてシンプルな『醤油ラーメン』だった。
レンゲで一口、スープをすする。
──美味い。
豚骨のような暴力的な重さもなく、三大珍味のような下品な押し付けがましさもない。ただ純粋に、身体の隅々にまでじんわりと染み渡るような、深く優しい旨味だ。
「これ……ものすごく美味しいね。どんな出汁を使ってるの?」
「はい。ベースは、地元の海で採れたホタテです。そこに、近隣の農家さんが大切に育てた牛のガラを合わせました。お醤油も、地元で仕込まれたものを使っています」
シェフの腕とサポートが完璧だったのは大前提だが、なんとこのラーメンに使われている主要な材料は、アルヴちゃん自身がここ数日、温泉の周辺の農家や漁港を歩き回って、直接交渉して少しずつ集めてきたものらしい。
いや、これはもうアルヴちゃんの優勝でしょう。
大人たちの「エゴの押し付け」と「財力に任せたダメさ加減」だけが浮き彫りになり、子供の純粋な探求心と地元へのリスペクトが勝利を収めたという、美しい教訓のような結果である。
その後、アルヴちゃんが考えたレシピをベースに、地元の小麦で香りの良い麺を打ち、地元の材料で作った醤油と魚介出汁を合わせた『メジロラーメン』は、シェフの手によって完璧な形へとブラッシュアップされた。
このラーメンは、温泉に浸かった後の火照った身体に染み渡る〆の一杯として宿泊客の間でまたたく間に評判を呼び、文字通りメジロ温泉郷の名物となったのである。
その素晴らしいアイデア料とレシピの権利収入として、後日、メジロ家の本家からアルヴちゃんの個人の銀行口座宛てに、大人が見ても目玉が飛び出るような凄まじい金額が振り込まれた。
だが、堅実なアルヴちゃんは、その大金を散財することはせず、今の所は将来の学費のために大事に貯金して取ってあるらしい。
ただ、ボクやメイドさんたちの目を盗んで、ときどきスーパーやコンビニで可愛らしいお菓子をこっそり買っているのを、ボクは知っている。
「ママ、これ、内緒ですよ」と、ボクの口に甘いチョコレートを放り込んでくれるアルヴちゃんの笑顔を見ながら、ボクは平和な温泉郷の昼下がりを、心から満喫するのであった。