手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜   作:みやび

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5 日本ダービー

 正直に言うと、アルダンのレース結果、つまり勝敗そのものはボクにとってあまり重要視するものではない。

 ボクが三女神の手違いでこの世界にウマ娘として転生し、そして今トレーナーとして立っている最大の目的は、あくまで『史実の悲劇』を手が届く範囲で回避していくことだからだ。前世の記憶にある、才能あるウマ娘たちが志半ばで脚を壊し、ターフを去っていくあの暗い史実をボクの手で塗り替える。

 だから今のボクの目標は、アルダンとマックちゃんの二人が思いっきりターフを走り続けられて、無事に引退の日まで笑顔で頑張れるようにすることだ。各レースでの着順やタイトルの数は、極論を言えばボクにとっては重要ではなかった。

 

 とはいえ、それはそれとして。教え子の大舞台でのレース観戦自体は、非常に楽しませてもらっていますけどね。

 五月の風が吹き抜ける東京レース場。超満員の観客席から発せられる熱気は、肌を刺すほどに熱い。ボクは関係者席の最前列で、マックちゃんと、そしてラモーヌと一緒にターフを見下ろしていた。

 

「今回のダービーは、本当に難しいレースなんだよね。実力はもちろんだけど、それこそ『運が一番いいウマ娘が勝つ』という格言も間違ってないと思うよ」

「そうなんですか? 運、ですか……」

 

 ボクの言葉に、マックちゃんが不思議そうに目を瞬かせる。

 

「まず、参加人数が多すぎる。今回は24名だよ」

 

 通常、大きなレースであっても出走枠は最大18番までしかない。しかし、この時代の日本ダービーだけは上限の規定が違っており、今回のレースは何と24人ものウマ娘が一斉にターフを駆けるのだ。

 まあ、ボクが現役時代にルドルフとやり合った時なんかは28人もいたから、あの地獄のような過密状態に比べればいくらかマシではあるのだけれど……。

 

「参加人数が多いせいで、外枠のウマ娘は本当に『大外』を走らされることになる。アルダンは18番だから、距離のロスを考えるとちょっと不利だね」

「なるほど……。では、内枠に入った方々が圧倒的に有利ということでしょうか?」

「そういうわけでもないんだ。バ群が人数の関係でどうしても大きくなりがちだから、内側を走っていると周囲を完全に囲まれてブロックされやすいんだよ」

 

 内側をロスなく走るのは理想だが、勝負所で前が開かなければ、そのままバ群の中に沈んでいいところなしで終わる。そういう致命的な難しさが多頭数のレースにはあるのだ。

 

「じゃあ、最初から前目につけて、そのまま押し切るのが一番いいのでしょうか?」

「それも難しいところなんだよねぇ」

 

 そりゃあ、最初から先頭集団にいれば前をブロックされる危険性はない。だが、コースの形状がそれを許さないのだ。

 

「ここ、東京レース場はコーナーが非常に大きくて、最後の直線も五百メートル以上ととてつもなく長い。だから、基本的には後ろから追い上げる差しや追い込みのほうが有利に働きやすいんだ」

 

 これが中山レース場だったら、話は全然別である。あそこは直線が短く、第四コーナーはスパイラルコーナーになっているうえに曲がりも急で、コーナリングが非常に難しい難コースだ。そのため、後ろから一気に追い上げるのはかなり難しい。

 だが、東京はコーナーのカーブも緩やかで走りやすく、直線がどこまでも長く続いているため、自分のやりやすいタイミングでスパートをかけられる。前のウマ娘を風除けにするスリップストリームの効果はかなり大きいので、後ろでしっかりと脚を溜めて、最後の直線でうまくバ群を抜けられたら、前目で消耗していたウマ娘はまず勝てない。

 ウマ娘のレースにおけるスリップストリームの効果は諸説あるが、一説には「十バ身分のスタミナ有利を生む」なんて言われるぐらいだからねぇ。

 

「だから、前に出すぎると後ろで脚を溜めていたウマ娘に終盤で抜かれかねない。かといって、後ろは後ろで常に前を塞がれるブロックの危険性が絶えずある。人数が多いからレースプランを立てるのも極めて難しい。本当に、頭の痛くなるレースだよ」

 

 他を圧倒する絶対的な基礎能力があれば、前目から力技で押し切れるかもしれない。だが、今年のハイレベルなメンバー構成でそれは至難の業だろう。

 後ろのウマ娘がブロックされて抜け出せない失敗を願って前に行くか、あるいは最後の直線で前が綺麗に開くことを願って後ろで待機するか。どちらにしろ、運の要素が絡むかなりの賭けである。

 

「ラモーヌさんなら、この状況でどうされますか?」

「私? そうね……前に行くわね。ごちゃごちゃしているところを走るのは、息苦しくて走りにくいもの」

 

 マックちゃんが隣のラモーヌに尋ねると、いかにも彼女らしい、自信に満ちた回答が返ってきた。まあ、彼女の場合はその強引な戦法で本当に最後まで押し切っちゃうから何も言えないんだけどね……

 

「トレーナーさんだったら、どう走りますか?」

「ボク? ボクなら中団の、前の方の位置につけて、ひたすらスキルで盤面を支配するかな」

 

 牽制のデバフスキルをばらまいて周囲のペースを乱し、隙間をうまく開けさせてから有利に抜け出す。現にボクは現役時代のダービーでその戦法を取ったのだが……あのへっぽこ生徒会長シンボリルドルフに力業でぶち抜かれた苦い記憶がある。こっちはスタミナデバフを五重にかけてゴリゴリに削ってやったのに、全くびくともせずに加速していくんだから、本当に嫌になっちゃうよね。

 

「アルダンさんの作戦は……?」

「それは、ふたを開けてのお楽しみってところかな」

 

 というか、ボクもわからんのだ。

 展開に合わせた何パターンかのあり得る作戦は教えてあるが、正直これだけ実力者が揃うと展開が読めなさすぎる。だから、最終的な判断はターフの上に立つアルダン自身に任せてある。

 

 そんな話をしているうちに、いよいよファンファーレが鳴り響いた。

 割れんばかりの歓声と拍手が地鳴りのように響く中、24人のウマ娘たちがそれぞれのゲートに収まっていく。張り詰めた緊張感が、風の音さえも掻き消した。

 運命のゲートが開く。

 

「おっ、みんな綺麗なスタートだね」

 

 24人という大所帯が一斉に芝を蹴り出し、飛び出す様はまさに圧巻の一言だ。

 気性難が心配されていた一番人気のサッカーボーイさんも、持ち前のやんちゃぶりを爆発させて暴走することなく、後方でしっかりと待機して折り合いをつけている。

 前方に位置取ったのはヤエノムテキさんとサクラチヨノオーさん。内側の好位をいち早く確保し、虎視眈々と仕掛けの機を窺っているのがわかる。

 

「アルダンさんは……かなり外側ですね」

「外枠の宿命だねぇ。でも、悪くないよ」

 

 ターフの大型ビジョンを見上げながら、マックちゃんが心配そうに呟く。だが、ボクは余裕を持って頷いた。

 あの大人数で内に包まれ、接触しながら揉まれるより、外側で自分のストライドとペースを維持したほうがいいだろう。今のアルダンは、かつてのひ弱なガラスの脚じゃない。外を回らされる距離のロスなど補って余りあるほどの、鍛え抜かれた重戦車のスタミナとパワーが今の彼女にはあるのだ。

 そして、そのアルダンの少し後ろ。同じく外側で、一切の感情を読ませない不気味な瞳で息を潜めているのが芦毛の怪物、オグリちゃんだ。

 

 レースは大きな動きのないまま、大欅の向こう側、第四コーナーへと差し掛かった。

 ここからが東京レース場の真骨頂。五百メートルを超える長く過酷な直線。ここで、息を潜めていた24人の思惑が一気に弾ける。

 

「ああっ、チヨノオーさんが抜け出しましたわ!」

 

 マックちゃんが身を乗り出して声を上げる。

 内側でじっと脚を溜めていたサクラチヨノオーさんが、前が開いた瞬間に弾かれたように飛び出したのだ。全身のバネを解放するような見事な加速。史実のダービー馬としての意地と執念を感じさせる、素晴らしいスパートだ。ヤエノムテキさんもそれに食らいつこうと必死に脚を回すが、ジリジリと引き離されていく。

 だが、そこに外側からも怒涛の追い上げが来る。

 

「行けっ、アルダン!」

 

 大外から力強く踏み込んできたのは、うちのアルダンだ。

 かつてなら脚への負担を恐れ、無意識にリミッターをかけて躊躇したであろう荒々しいスパート。しかし今の彼女の脚は微塵も揺るがない。エキセントリック・トレーニングで徹底的に鍛え上げられた完成された肉体が爆発的な推進力を生み出し、重い蹄の音を響かせながら、ぐんぐんと前のサクラチヨノオーさんに並びかける。

 

「アルダンがチヨノオーさんを捉えたわね」

 

 隣でラモーヌが叫ぶように言った。

 ボクの記憶にある史実と、まさに同じ展開だ。アルダンが一度は完全に前に出る。だが、チヨノオーさんもそこから信じられないような驚異的な二の脚を使い、内側から再び差し返してくる。互いの意地と誇りがぶつかり合う、壮絶なデッドヒート。

 そのまま、二人が競り合いながらゴール板を駆け抜けるはずだった。

 

「……やっぱり、主人公は来るよねぇ」

 

 ボクは思わず、呆れたような、それでいて心の底から感嘆するような苦笑を漏らした。

 競り合う二人のさらに外側。まるでそこだけ別の力が働いているかのように、異次元の末脚で飛んできた芦毛の姿があったのだ。オグリちゃんだ。

 地方のダートから這い上がり、ボクの強引なクラシック登録によって紆余曲折を経てこの夢の舞台に立った怪物が、すべてを飲み込むような圧倒的な勢いで先頭の二人に襲い掛かる。

 

 残り五十メートル。

 粘るサクラチヨノオー、意地を見せるメジロアルダン、そして猛追するオグリキャップ。

 三人がほぼ横一線に並び――そのまま、大歓声の中でゴール板に飛び込んだ。

 

「……ど、どうなりましたの!?」

「写真判定だね、こりゃ」

 

 歓声とどよめき、そして悲鳴が入り混じる中、ターフの電光掲示板に『写真判定』の文字が点滅する。

 会場中が固唾を飲んで見守る中、やがて、永遠にも思える数分の沈黙の後……決定のランプが点灯し、順位が表示された。

 

 1着:オグリキャップ

 2着:メジロアルダン

 3着:サクラチヨノオー

 

 結果は、オグリちゃんのハナ差での勝利。

 史実の勝者であるサクラチヨノオーさんが3着。そしてアルダンは、最後にチヨノオーさんを差し返したものの、オグリちゃんの猛追にわずかに届かず、ギリギリの2着。

 まさに死闘と呼ぶにふさわしい、語り継がれるべきレース結果だった。

 

「アルダンさん……2着でしたわ」

 

 マックちゃんが、自分のことのように悔しそうに肩を落とす。ラモーヌも腕を組み、無言のまま険しい表情でターフを見つめている。

 確かに、トレーナーとしては担当ウマ娘を勝たせてやりたかったという悔しい気持ちはある。だが、ターフから引き揚げてくるアルダンの姿を双眼鏡で捉えた瞬間、ボクは心の底から深い安堵の息を吐き出していた。

 

 あの大激戦を、外枠から一切の妥協なく、力いっぱいに走り抜いて。

 それでも彼女の脚は、少しも縺れていなかったのだ。

 ターフを歩く彼女の足取りはしっかりとしており、故障の気配など微塵もない。清々しい汗を流し、満面の笑みでオグリちゃんやサクラチヨノオーさんと抱き合い、互いの健闘を称え合っているアルダンの姿がそこにはあった。

 

「いや、最高のレースだったよ」

「……負けたのに、随分と嬉しそうね」

 

 ラモーヌが不思議そうにこちらを横目で見た。

 

「そりゃそうさ。アルダンは百二十パーセントの力を出し切って、怪我一つなく無事に帰ってきたんだからね」

 

 史実にあった脚部不安の影も、悲劇の兆候も、今の彼女には一切ない。運命は、確実に回避されたのだ。

 彼女のウマ娘としての未来は、ここで終わることなく、これからもずっと続いていく。ターフの上で、あんなに楽しそうに笑い続けることができる。

 それだけで、ボクにとってはGⅠ勝利の称号など比較にならないほどの価値があるのだ。

 

「さあ、二人とも。しかめっ面はそこまでだ。最高の走りを見せてくれたアルダンを、とびきりの笑顔で迎えてあげようか」

 

 ボクの言葉に、マックちゃんとラモーヌも毒気を抜かれたようにふっと表情を和らげたのだった。




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