クツクツと鍋に火をかける音が聞こえる。
空腹感を刺激する香りが部屋の中を漂って、自分が空腹であることに遅れて気づいた。
普段は殆ど使わないキッチンが本来の用途で使われているのは、何とも不思議な気持ちだ。
まあ、使ってるのは俺じゃないんだけど……。
一人暮らしに慣れたせいか、自分の家に他の誰かがいることが少し違和感に感じる。
「朝葉。やっぱ俺もなんか──」
「もうできるから、ゆっくり座っとって」
……お前が客なんだけどな。
という言葉をため息に混ぜて吐き出す。
こいつにその手の正論が通用しないのは昔からだ。
「よしっ!で〜きたっ!」
テキパキとフライパンの中身を皿に盛り付け、これまた殆ど使わないリビングのテーブルにそれが置かれた。
「お待たせいたしました、和風ペペロンチーノになります。一食百円未満で味もそこそこ、彩葉も大満足の一品となっております。ボナペティ」
「アピールポイント安さと彩葉だけかよ」
その『他に何か言うことある?』みたいな顔やめろ。
あるだろ、香りとか見た目とか……どっちも良いけど。
百均の安皿に貧乏パスタだっていうのに、やけに凝った盛り方のせいでいいお値段のレストランに来たのかと錯覚しそうになる。
「あ、あとこれおまけのお味噌汁」
「組み合わせ合っとるか?」
「意外と合うよ。ほらほら、冷める前に食べて」
「あ、ああ。……んじゃ、いただきます」
「はい、召し上がれ」
フォークでほんのり茶色に染まったパスタを小さく絡め取り、口に運ぶ。
感じるのは、鼻を抜ける香ばしさとほどよい塩気。
若干の辛味もアクセントになっていて、食べるたびに食欲が増していく。
パスタの食感もいい。
特別なものではないはずだが、茹でた後軽く炒めてあるからか少し硬めで面白い。
これのどこがそこそこだよ。
そこまで難易度の高いレシピではないはずなのに、俺が作ってもこうはならないのだから謎だ。
ていうか味噌汁が本当に美味い。
鍋の大きさ的にあと二日分くらいはありそうだ。
どうするんだよ、食事の時間が楽しみになっちまうじゃないか。
「美味い、最高」
「それは何より。じゃ、僕もいただきます」
冷蔵庫にこれでもかと詰め込まれていたゼリーの一つを啜り始める朝葉。
「……お前さ、さすがに作ってくれたやつがそれ食っとる前でこのパスタ食いにくいんやけど」
「ああ、気にせんといて。好きで食べとるだけやから」
確かにスポンサーから大量に送られてきて困っているとは話した。
しかし、いきなり自分で消費し始めるのは予想外だ。
まあ、今更指摘して自分の分を作らせるのも二度手間になってしまう。
同じ飯を食うのは次回のお楽しみにしておくか。
「てか、もっと食材使ってもよかったんやけどな」
「兄さんの家冷食しかないやん。買い足さないとあれだけでなんか作れは無理あるよ。僕のことズボラ飯の神か何かと勘違いしてない?」
「貧乏飯の神ではあるやろ」
俺の食生活は基本的に冷凍弁当中心の構成になっている。
それを心配した朝葉が遊びに来るたびに何か作ってくれるのだが、本人がゼリーを食っているのだからブーメランもいいところだ。
「最近調子どうなん?」
「学校も仕事も無問題。家出たばっかの頃より収入増えて、余裕が出てきたくらいや」
「……無理してへんやろな?」
「それはもう。近くに反面教師がおりますゆえ〜」
「ま、それもそうか」
確かにその分野なら、なかなかいないほどの名コーチが朝葉には付いている。
「彩葉は?」
「……順当に無理しとるね」
それまで楽しげだった朝葉の表情に影が見えた。
「危険域にはいかないようにフォローしとるけど、本人が改める気ないからいつまで保つか」
「危険な兆候が見えたら無理矢理にでも休ませてええ。最悪、全部俺の責任にして構わんから」
「そないな事するわけないやん。いざとなったら、兄弟そろって絶縁でも何でもされようや」
「また縁起でもないことを……」と口に出しながらも、自分と同じ考えを持ってくれている弟に笑みが浮かぶ。
やっぱり、こいつに任せて正解だった。
しかし、彩葉と朝葉が絶縁か……。
天地がひっくり返ってもない、という言葉がここまで当て嵌まる事象もそうないだろう。
不意に浮かんだ想像のあまりのあり得なさに、変な笑いが漏れそうになった。
彩葉と朝葉は、幼い頃から本当にずっと一緒にいる。
家族、双子、姉弟。
二人の関係性を表す言葉は数多くあるが、俺が一番しっくりきたのは別の言葉だった。
『片割れ』。
双子なのだから当然といえば当然なのだが、それだけでは済ませられないほど二人の繋がりは強く感じる。
無理して自分を追い詰め過ぎる彩葉には、朝葉の緩さと気遣いが必要不可欠だ。
他人ばかり気にして足元がお留守になりやすい朝葉は、彩葉に適度に締めてもらわないとこけてしまう。
ともすれば依存にすらなり得る関係。
それでも適切な距離感を保っていられるのは、二人が呆れてしまうほどに自制心が強いからだ。
それが良いことなのか悪いことなのかは、俺には判断がつかない。
……俺は結局、二人を救ってやれていないから。
「そういえば」
思い出したような朝葉の声で意識が現実に戻される。
「この前の『CRAZY MOON CUP』優勝おめでとう!」
「ああ、サンキュ。ヤチヨちゃんと同率やったけどな。次は単独で優勝したるわ」
「さっすが!それでこそ兄さんやね」
朝葉は俺が『帝アキラ』として活動していることを知っている。
というか、俺が家を出て『アキラ』としてソロで活動していた頃からの最古参ファンだ。
ファンアートを描いてもらったこともあるのだが、ヤチヨちゃんなどをメインに描いていた朝葉は男を描くとファン層の違いから評価が著しく下がるらしい。
『ものの価値がわからん人達に本当の
さすがに俺のせいで弟の食い扶持を減らすわけにはいなかった。
実は、朝葉はブラックオニキスのチームメンバー──雷や乃依とも既に面識がある。
チームとして参加した何度目かの大会。
堂々と初優勝を飾った後、祝勝会として俺の家に集まろうという話になった。
その時にせっかくだから、と家に来る予定のあった朝葉の紹介もしたのだ。
ちなみに彩葉も誘ってはみたらしいが来なかったようだ。
断固として拒否していたらしい。
……まあ、彩葉ならそうするか。
然程心配はしていなかったが、予想通りに朝葉は二人とすぐ打ち解けた。
意外とノリの良い雷と口数の多い朝葉は好相性らしく、歳上相手なのに即呼び捨てタメ口で話していて少しヒヤヒヤした。
雷曰く『リスペクトを感じるから気にしない』らしい。
まあ、それは見ていればわかる。
乃依とはゲーム関連の話を少ししたあと、何やらコソコソ話し合い出したと思ったらいつの間にか仲良くなっていた。
何の話をしたかは聞いても教えてくれなかったが、二人とも悪い顔をしていたから碌な話ではないだろう。
閑話休題。
「ご馳走さま」
「は〜いお粗末さま〜」
せめて片付けくらいは、と食器を洗って飲み物を用意する。
そして、リビングのテレビの前に座り込んだ。
朝葉が家に来ると、普段インテリアとしてしか価値のないものが日の目を浴びて報われた気持ちになる。
テレビにセットされた家庭用ゲーム機の電源を入れて、コントローラーを二つ取り出した。
「ほら、やるやろ?」
「しょうがない。兄思いのできた弟が付き合ってやりますか〜」
「それ用の菓子とジュース用意しといてよく言うわ」
軽口を叩く弟に呆れながらコントローラーを渡す。
朝葉はスマコンが使えないから、俺達の主戦場は必然的にテレビゲームとなる。
遊ぶゲームは本当に様々だ。
アクション、謎解き、パズル、格ゲー。
ギャルゲーを持ってこられた時はさすがに笑った。
対戦も協力も、一人用を二人でやることもある適当さ。
真面目にやったり、ネタに走ったり、偶にガチったり。
こういう空気感は子供の頃からまったく変わっていない。
今回選んだのは、忍者のキャラクターを操って戦う対戦型のゲームだ。
「契り(八百長)を僕と結べ!」
「できませぬ」
「邪魔立てするか……」
「朝葉よ、卑怯とは言うまいな」
操作の難しさとやけに耳に残るキャラクターボイスで有名であり、俺達はボイスの再現が口から勝手に出るくらいにはやり込んでいた。
この時間は心が安らぐ。
プロゲーマーでもライバーでもない。
ただ弟とゲームをする『酒寄朝日』として過ごすことができる。
仕事に不満がある訳じゃない。
むしろやり甲斐を感じているくらいだ。
それでも、こんな時間に浸りたくなることは殊の外多い。
昔を思い出すような、気を許せる弟や……妹との穏やかな時間。
「また、彩葉とも一緒にやりたいね」
「……そうやな」
朝葉も似たようなことを思ったのだろうか。
まるで内心を読み当てられたようなタイミングの言葉に、コントローラーの操作が少し鈍った。
もうしばらく会っていない妹に思いを馳せる。
朝葉の話を聞いていれば、彩葉がどれだけギリギリの生活を送っているかは想像がつく。
もし不本意な形で会いにいけば、あいつの中で何かが決壊してしまうかもしれない。
だから、会えない。
……いや、これは言い訳か。
俺は恐れているのかもしれない。
自分達を置いていったと、見捨てられたと彩葉に糾弾されることを恐れている。
考えがあったとはいえ、そう言われても仕方ないことをしたのは事実なのだから。
「兄さん」
こちらに視線すら向けずに朝葉が口を開いた。
「全部大丈夫や。僕が保証する」
……こいつは、時々本当にエスパーなんじゃないかと思う。
「ハッ、適当なことばっか言いよって」
「それしか取り柄がないんでね〜」
お互い主語がない会話。
それでも、通じ合えている確信だけはあった。
「朝葉」
だから、この言葉にも主語はいらない。
「ありがとな」
きっとそこに込めた万の言葉でも足りない想いを、お前ならわかってくれると信じているから。
「うん、どういたしまして」
『大丈夫』だと。
お前がそう言ってくれるなら、どんなことでも信じられるから。