彩葉の弟は様子がおかしい   作:真球猫

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幕間6

 

 

 

 規則正しい包丁の音が聞こえる。

 いつもよりもはるかに重く感じる瞼を開くと、台所に立つかぐやの後ろ姿が目に入った。

 

 それにしても、身体が熱くて頭が重い。

 視界も少しだけぼんやりとしてる。

 

 私は……布団に寝てる?

 なんで夜でもないのに寝てるんだ?

 記憶を引っ張り出すように頭を回す。

 

 たしか、かぐやに付き合わされて買い物に出掛けて。

 その帰りに意味わかんない値段のタワマン見せられて。

 呆れて帰ろうとしたら急に眩暈がしてきて……。

 

 あれ?私あの後倒れたの?

 っていうか、今日ってこのあと……。

 

「やばい……バイト」

「彩葉!しんどい?」

 

 バイトのシフトが入っていたことを思い出して、すぐに立ち上がろうとするがまた倒れてしまう。

 

 私が起きたのに気づいたかぐやが心配そうに声をかけてくれるけど、今はそっちに気を回す余裕がなかった。

 

「平気。すぐ出るから……あれ、これって?」

 

 すぐ近くにあったテーブルの上に、不自然に置かれたメモ用紙が目に入った。

 

「あ、それは朝葉が置いてった手紙。彩葉が起きたら読ませてって」

「朝葉が……」

 

 テーブルに置かれていたちぎられたメモ用紙を手に取って、すぐ中身に目を通した。

 

『このことは兄さんにも母さんにも言わない。だからしっかり休んで、一度かぐやと腹を割って話した方がいいよ』

 

 相変わらず、お節介で気遣いに満ちた手紙。

 ここまでは、いつも通りの朝葉を感じられた。

 

 でも、最後に痛ましいほど弱々しく綴られた文字を見て、全身が凍りついた。

 

『気づいてあげられなくてごめんね』

 

 ……なんで、朝葉が謝るの?

 

 気持ち悪い。

 心も身体も、今感じてる全部が気持ち悪い。

 

 これを書いた朝葉は、どんな気持ちだった?

 責任感の強い朝葉のことだから、きっと傷つきながら書いたんだろう。

 私の体調管理が杜撰だったせいで。

 

 ──体調管理は全ての基本や。ここで躓くやつはどんな阿呆よりも下や。

 

 お母さんの言う通りだ。

 私が弱いせいで朝葉を傷つけて、かぐやにも心配をかけてしまった。

 

 呼吸が上手くできない。

 勝手に出てきた涙で視界が滲んでいく。

 熱でぼやけた頭では自分を責める言葉しか出てこなくて。

 

 ああ、これダメかもな……。

 今まで必死に踏ん張ってきた色んなものが崩れそうになる。

 

 あまりの気持ち悪さに吐き気まで感じてきたその時──身体があったかい何かで優しく包まれた。

 綺麗な金糸の束がキラキラと光を反射して、柔らかく揺れながら視界を埋める。

 

 それに加えて、甘くてフローラルな香りが鼻をくすぐった。

 ……これ、かぐやが気に入ってるシャンプーの香りだ。

 

「大丈夫だよ、彩葉。ここには彩葉をいじめる人は誰もいないから」

 

 まるで子供でもあやすみたいに、かぐやが抱きしめながら背中を優しく撫でてくれる。

 昔、赤ちゃんのかぐやに私がやったみたいに。

 

「かぐや……?」

「すっごい辛そうな顔だったよ?バイトなら休む連絡したから大丈夫!あと一杯ふかふか置いておいたから、一杯ふかふかしてね!」

「え、かぐやが……?」

 

 スマホを確認すると、バイト先の店長には確かに休みの連絡がされているようだった。

 

 布団には大小様々な柔らかいぬいぐるみが置かれていて、その一つを何気なく手に取って抱きしめた。

 

「……ありがと、かぐや」

「あ、病院!病院行こう!一緒に!」

「……お金かかるからやだ」

「そんなもん、かぐやに任しときっ!」

「でも……」

 

 普段だったら適当に誤魔化してお茶を濁すこともできた。

 だけど、今は余裕がないせいで言わなくていいことまで口に出てしまう。

 

「全部ギリギリで予定組んでるから……何日も休んだらもう追いつけないよ……そしたら奨学金も……出ないかも……」

 

 それに、お金の問題だけじゃない。

 病院なんて行って大袈裟にしたら、また朝葉を傷つけてしまうかもしれない。

 

 これ以上私のせいで、誰かに負担をかけたくない。

 

「なんで彩葉は、そんなに一人で頑張らないといけないの?」

 

 初めて聞く声色だった。

 いつもの馬鹿みたいに明るい声じゃなくて、弱々しい声。

 

 あんたは、そんな声出さなくてもいいんだよ。

 いつもみたいに楽しそうに笑っててくれれば、それでいいのに。

 

「うっうぅ……私もめっちゃ無理言っちゃったし……彩葉死んじゃったらやだぁ〜〜〜っ!」

「お、大袈裟な……死にはしないよ」

「だって!映画とかだと人間ってすぐ死ぬじゃんっ!そんでゾンビになって生まれ変わって転生して宇宙に旅立って……うわ〜ん!彩葉行っちゃやだ〜〜〜っ!」

「だ、大丈夫だから……」

 

 どれだけ複雑怪奇な人生だよそれ。

 ゾンビとか宇宙も大概だけどさ……。

 転生なんて、現実に起こるわけないでしょ。

 

 今度は私がかぐやの背中をさすりながら、呆れることができる程度には余裕を取り戻した頭でそんなことを考えた。

 

 

 

 

「まあ、そんな感じで実家に居た頃はお母さんとはぶつかってばっかりだった」

「なにそれ!自分の子供ならたくさん可愛がってあげればいいのにっ!」

 

 憤慨するかぐやに苦笑いが浮かぶ。

 お母さんからの愛情なんて、本当に久しく感じてない。

 

 お母さんと同じことをして、やっと対等に話せる。

 だから、それができない内は話したくなかった。

 

「朝葉は?お母さんから守ってくれたりしなかったの?」

「朝葉は基本的に中立っぽい立ち位置だったかな。口出しとかはあんまりしないで、説教が行き過ぎたり手が出そうになったら仲裁するって感じ」

「なんか対応がドライじゃない?」

「言葉だけだとね。でも、怒られた私にいつも寄り添ってくれた」

  

 お兄ちゃんが家を出て行ってからは、朝葉が私達のバランスを取ってくれてた。

 たぶん、私の知らないところでたくさん苦労もしたはずだ。

 

「いけなかったところは優しく諭して、言いがかりには私以上に怒りながら慰めてくれた。多分、お母さんのことも同じくらいフォローしてたんだと思う」

「……それって、八方美人というヤツでは?」

「……まあ、否定はできないね。けど、それに私達は救われてた」

 

 朝葉は私達全員を大切にしてくれてた。

 みんなの立場に立って、たとえ離れ離れになっても繋がりが切れないように。

 私が今もお母さんやお兄ちゃんの様子を知れるのも、朝葉のおかげ。

 

「朝葉は最初、家を出る気がなかったの。私が出ていくなら応援するよ、って感じで」

「でも、結局一緒に出てったんだよね?」

「……まあ、色々あってね」

 

 一緒に家を出ようと言っても妙に渋る朝葉を、私が無理やり説得した。

 

 ……お兄ちゃんが出て行った時、すごい不安だったし寂しかったのを覚えている。

 朝葉に二度もそんな思いをしてほしくなかった。

 

「まあそれで、自分達で学費も生活費も賄うならって、やっと折り合いついたんだよね」

「えらい簡単に言ってるけど、みんなそんなことしてなくない?」

「お母さんもそのくらいのこと平気でやってたし、私も譲らなかったし。……それに」

 

 「それに?」と続きを促すかぐやから一度目を背けて深呼吸する。

 ……これは、あんまり言いたくなかった。

 

 私が一番嫌いな気持ちだから。

 

「朝葉も、きっと簡単にできちゃうから」

「……ん?朝葉も?」

 

 かぐやが頭に疑問符を浮かべてる。

 私が今言葉に込めた気持ちに気づいてないんだろう。

 そうだよね。普段の私達を見てたらわからないよね。

 

 たぶん、朝葉も私のこの気持ちには気づいてない。

 だってそうなるように、必死で隠してきたんだから。

 

「朝葉はね、昔から何でもできたの。勉強も運動も、私よりもずっとね」

「えっ!?で、でも、彩葉学校で一番なんでしょ?」

「本気出してないだけだよ。朝葉が本気を出したのは、家から出る為の一回だけ。それ以外は見たことない」

 

 私はお母さんに縛られている。

 お母さんはいつだって正しかったし、間違ったことを許さなかったから。

 

 でもそれと同じくらい、朝葉にも私は縛られている。

 

 一緒に生まれて、一緒に育って、一緒に生きてきた。

 いつだってお母さんと同じ正解を出せる人が、ずっと隣にいた。

 嫉妬なんかしなかったけど、上手くできない自分が嫌になることはしょっちゅうあった。

 

「そんなにすごいのに、朝葉は自分を削ってでも全部を私にくれちゃうの。……そんなことされても、返せるものなんて一つもないのに」

「彩葉……」

「どんどん借りばかりできちゃって、どれだけ返しても追いつかなくて。私は、朝葉のお姉ちゃんなのにっ……」

 

 私は朝葉みたいにできない。

 家族を繋ぐことも、誰かに気を回すことも、誰かに本心から言葉を伝えることもできない。

 

 それなのに朝葉はたくさんのものを私にくれてしまう。

 

「初めてこの部屋で目を覚ました時のこと、よく覚えてる。すごいやる気も出たし、ラッキーだと思った」

 

 事実だった。

 お母さんから解放されて、何もないけど私はここからなんだって思えた。

 

「でも、それ以上に不安だったの」

「一人暮らしだから?」

「……ううん。もし、朝葉に頼りきりになって依存しちゃったらどうしようって」

 

 きっと私が求めたら、朝葉はどんなことでも応えてくれてしまう。

 だから、できるだけ頼らないようにしてた。

 かぐやのことで相談する時も、すごい悪いことしてる気分だったし。

 

「私は朝葉に返しきれないくらいの借りがあるの。だから、簡単に頼ったりできないよ……」

「……う〜ん」

 

 私の話を聞き終えたかぐやはなにやら難しい顔で唸ったあと、当たり前のことを言うような顔で口を開いた。

 

「たぶんだけどさ、そんなに借りとかないと思うよ?」

「……えっ?」

 

 かなり間の抜けた声が出てしまった。

 顔も似たような感じになってると思う。

 

「朝葉ってさ、彩葉のこと大好きじゃん?」

「そ、それは……まあ、多分……?」

 

 朝葉に嫌いとか言われたら私が蒸発してしまうので、ここは肯定しておく。

 

「だったら、彩葉が元気に楽しく生きてくれるのが一番のお礼に決まってるじゃんっ!」

「……あっ」

 

 どうして忘れてたんだろう。

 昔から、朝葉は私達家族にいつも同じことを言う。

 

『幸せになってね』

 

 朝葉は、ずっと私にしてほしいことを言ってくれてたんだ。

 

「それでも足りないって思うなら、ありがとうって言ったあと大好きって言えばいいよっ!」

「な、何言ってんのっ!?」

「オタクはこれで喜んでくれたよ?」

「オタク言うな!」

 

 リスナー相手にそんなことを簡単に言うな。

 ガチ恋営業だと思われたらどうするんだ。

 

 だいたい、宇宙人の常識を押し付けないでほしい。

 実の弟に正面きってそんな小っ恥ずかしいこと言えるわけがない。

 

「彩葉はさあ、もっと正直になったほうがいいよ?家族なんだし、好きって言うのなんて普通じゃん?なんでそんなに遠慮しちゃうの?」

「……かぐやには」

 

 わかんないよ、という言葉だけは言いたくなかった。

 それは、お母さんに言われてすごく悲しかった言葉だから。

 

「……ん?」

「なんでもない。っていうか、なんでこんな話してんだ……」

「あっ!やば〜っ!」

 

 土鍋が吹きこぼれる音に、かぐやが慌てて火を止めに行った。

 その後ろ姿を見て、少しだけ躊躇ったあと口を開いた。

 

「かぐや!」

「うおぅっ!どしたの彩葉?」

 

 少し勇気を出し過ぎたせいで、必然的に声が大きくなってしまった。

 

 また一つ大きく深呼吸をして、さっき言った時よりも想いを込めて言葉を紡いだ。

 

「ありがとう。話聞いてくれて」

「──っ!」

 

 かぐやは一瞬心底驚いた顔をしたあと、満開の花が咲いたような笑みを浮かべた。

 

「全っ然いいよ〜っ!いつでもなんでも相談してね!彩葉専用二十四時間営業のお悩み相談室開業するからっ!」

「せんでいいせんでいい」

 

 ……少し喜ばせ過ぎたかも。

 でも、あんたはやっぱり笑ってた方がいいよ。

 

 埋め尽くされるような気持ち悪さはいつの間にかなくなっていた。

 そのかわりに、気恥ずかしさや爽快感が胸の中を駆けていく。

 

 まだその先の言葉は言えないけど。

 少しずつ、私も変わっていかなきゃいけないよね。

 

 いつかちゃんと言葉にできるように。

 私も、朝葉みたいに自分の心からの言葉を伝えてあげたいから。

 

 

 

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