彩葉の弟は様子がおかしい   作:真球猫

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第十話

 

 

 

 カラッとした爽やかな風が吹き抜けて全身を撫でる。

 輝く太陽と青い空がいつもよりも近くに感じられて、本来なら爽快感に包まれるのだろう。

 

 なんせ、今僕達がいるのはタワマンの最上階なのだから。

 

「最強になった気分……」

 

 ソファに全体重を預けたかぐやが至福の声を漏らしている。

 

 それはよかったね。

 僕は引っ越しが決まってからずっと敗北者の気分だよ。

 

 どうして僕はこんなところにいるのだろう……。

 何度目かもわからない思考が頭に渦を巻く。

 まあかぐやに負けたからなんだけど。

 

 遺伝子的にかぐやに逆らえない僕達があの美少女フェイスから繰り出されるおねだりに勝つ方法はない。

 これが血の呪いか……。

 

 かぐやのご尊顔に心が粉微塵にされて引っ越しをすることになった僕は、兄さんに保証人の判子をもらいに行った。

 

 彩葉から事情を聞いた兄さんに『お前だけ引っ越さないつもりだったんだって?なんで?』と聞かれた。

 なので『じゃあ兄さん明日からかぐやと同棲してよ』と言ったら無言で判子を押して逃げて行った。

 

 人生で初めてほんの一ミリだけ兄さんの株が下がったかもしれない。

 かぐや達とのKASSENではあんなにかっこよかったのに……。

 

 しかしながら、そもそもなんで僕まで引っ越しに巻き込まれたのかが本当にわからない。

 彩葉にも言えることだけど、かぐやがあそこまでごねるのは予想外だった。

 かぐやとはほどほどの距離感を保てていたはずなんだけどな……。

 

 どこで間違えたんだろう?

 育児からがっつり関わり過ぎたこと?

 ヤチヨカップの為に少しだけ手を貸したこと?

 ことあるごとにボディビルの大会レベルで褒めたてたこと?

 

 いや、それくらい普通の友達の範疇だし関係ないか。

 理由は結局謎のままだ。

 

 荷物の搬入が完了したところで思考を打ち切り、各々で荷解きを開始する。

 一足先に荷解きを終えた彩葉が買い物に出かけ、かぐやがついていきたそうにしていたから放牧してあげた。

 

 僕も荷解きを早々に終えて、今は頂戴したイラストのお仕事を片付けてる。

 私物はほとんどなかったから、荷解きはかぐやよりも圧倒的に楽だった。

 なんか、ミニマリストみたいな部屋になっちゃったな……。

 

 その後、彩葉に小言を言われながら帰ってきたかぐやがジェノベーゼなどの美味しそうな料理を作っていた。

 

 僕も食べるか聞かれたけど、どうにか理由をつけて断った。

 そんなに手の込んだ料理を味がわからない僕が食べるのはもったいない。

 美味しいものはちゃんと美味しいと思える人が食べるべきだ。

 

 今後も全部は断れないだろうけど、なるべくは同じようにするつもりではある。

 兄さんから頂いた大量のゼリー達には感謝しか湧かなかった。

 罪悪感が少ないという意味で。

 

 

 

「朝葉〜!これ知ってる?」

「ん?」

 

 リビングで作業をしていると、バタバタと足音を立てて近づいてきたかぐやがノートPCの画面を見せてきた。

 

 なんだか懐かしい気分だな。

 スマコンを注文した時もこんな感じだったっけ。

 もう随分前に感じる。

 

「なになに……音声ファイル?」

「彩葉のPCに入ってたの!すごくいい曲なんだけど、途中までしかないだよね〜」

 

 受け取ったPCにヘッドホンを接続して曲を再生した。

 すると更に昔の記憶が蘇ってくる。

 

 この曲は、彩葉と父さんで作ってたものだ。

 

 ──彩葉、次はどうする?

 ──次はこう!でぇ、こう!

 ──ええな、ワクワクするやろ。

 

 二人の楽しそうな声を昨日のことのように耳が覚えている。

 母さんに優しく目守られながら曲を作る二人を、兄さんと偶に冷やかしに行っては進捗を聴かせてもらった。

 

 高揚感と少しの寂しさを感じさせるこの曲が、僕は大好きだった。

 

「……確かに、すごくいい曲だね。彩葉に続きがないか聞いてみたら?」

「そうだね!行ってくるっ!」

 

 言うが早いか、かぐやはPCを自分の服に突っ込んで彩葉の部屋に駆けて行った。

 

 ──彩葉、音楽は自由に楽しむんやで。

 

 ……そうだよね、父さん。

 僕にはできないけど、彩葉にはそれができる。

 明日、彩葉の音楽が大勢の人に届くよ。

 

 自分には直接関係のないことなのに、妙に感慨深い気分になって。

 それを振り払って気を引き締める。

 

 それは彩葉とかぐやのお話だ。

 僕には僕のやるべきことがある。

 

 それでも、明日のライブが楽しみであることに変わりはなかった。

 

 

 

 

「はぁ〜、緊張する……」

「ふふっ、無理もないよ。なんせあのヤチヨとのライブだもんね〜」

「更に緊張させるようなこと言わんでよぉ……」

 

 ライブの集合時間前。

 

 ソファに寄りかかるように座ってぐったりとしている彩葉が情けない声を上げる。

 かぐやは先にツクヨミに入っているみたいだけど、彩葉は緊張で二の足を踏んでいるようだった。

 

 ……別に、このまま送り出しても彩葉ならきっと上手くやるだろう。

 かぐやもヤチヨもついている。

 僕がわざわざお節介を焼く必要もない。

 

 だけど、昨日あの曲を聞いたからだろうか。

 また父さんの言葉が頭を過ぎった。

 

「彩葉」

 

 僕もソファに腰掛けて、こちらを見ている彩葉と視線を合わせた。

 

「楽しんでおいで」

 

 彩葉にはその才能があるんだから。

 父さんから受け継いだ、自由に音楽を楽しむことができる才能が。

 

 綺麗な翡翠色の瞳が大きく見開かれて、すぐに顔を俯かせてしまった。

 ……あれ、もしかして言葉のチョイスミスった?

 

「……朝葉」

 

 内心で冷や汗を流していると、ゆらりと彩葉の上半身が揺れた。

 

 そしてポスッと音を立てて彩葉の頭が僕の胸元に預けられる。

 密着した彩葉の身体から、小刻みな震えとやや早い心拍数が伝わってきた。

 

 ……えっ?これ僕どうすればいいの?

 

 今まで経験したことのない挙動だ。

 答えは沈黙で許してもらえるだろうか。

 彩葉側の意図がわからなさ過ぎる。

 

「きょ、今日のライブさ……誰を一番応援するん……?」

「……ん?」

 

 突拍子もない問いだ。

 しかし、なんか少し前にも同じようなこと聞かれた気がする。

 

 ──お前、どっちを応援する?

 

 ……ああ、そういうことか。

 きっと彩葉は不安なんだ。

 

 兄さんも彩葉と向き合うことを不安に思っていた。

 彩葉も、ヤチヨという推しと大舞台に立つことに不安を感じているのだろう。

 

 この人達、やっぱり兄妹なんだな。

 そう思ったら、変な緊張が消えて愛おしさが込み上げてきた。

 

「もちろん、三人とも応援するよ」

 

 微かに震えている彩葉の頭に、そっと手を添える。

 そのまま髪の流れに沿って優しく撫でた。

 

 昔から、彩葉が不安定になった時はこうして頭を撫でていた。

 高校に入ってからは跳ね除けられるようになってしまったけど、きっと思春期なのだろう。

 

 お約束のやつ来るかな〜と思っていたが、いつになっても撫でる手が止められることはない。

 ……どういう風の吹き回しだろうか?

 

 顔も見えない彩葉の内心は読み取れなかった。

 それでも、久しぶりに正面から甘えてくれたのが嬉しくて。

 また昔のように接したくなってしまった。

 

「三人にとって今日が最高の日になることを祈ってる。……その上で」

 

 撫でる手を止めて、ふんわりと包み込むように彩葉を抱きしめる。

 

「僕は彩葉のこと、ずっと見てるから」

「……そっか、ありがとう」

 

 そう言って顔を上げた彩葉に、不安の色はもう見られなかった。

 うん、いい表情だ。

 

「朝葉」

「うん?」

「ちゃんと私を見ててね」

 

 真っ直ぐな目でそう告げられて、思わず笑いが溢れそうになった。

 

 ──俺達を見てろ。

 

 本当に、僕の兄姉は愛おしい人達だ。

 再認識した事実を噛み締めながら、彩葉の言葉にしっかりと頷いて見せた。

 

 

 

 

 ライブ会場の観客席は、まだ始まっていないというのにすごい熱量だった。

 

 誰もがこれから始まるライブに心を躍らせて期待している。

 それだけ、三人は多くの人の心を掴んでいるのだろう。

 

 僕もただ期待だけを込めてステージを見つめる。

 約束もしたことだし、ちゃんと見ていなくてはいけない。

 まあ、彩葉はツクヨミで見られているとは思っていないだろうけど。

 

『ヤオヨロ〜〜っ!みんな生きるのどうですか?』

 

 昇降機に乗った三人がライブステージに現れる。

 一気に会場のボルテージが最高潮になった。

 

 センターのヤチヨが大勢の観客に向かって問いかける。

 

『良いことあった?それとも泣いちゃいそう?』

 

 観客達から様々な声が響いて、ヤチヨはそれに優しく頷いた。

 

『よしよし、全部大丈夫』

 

 全てを受け入れてくれるような慈愛に満ちた声。

 ……君は、僕の望みも受け入れてくれるだろうか。

 

『どんなに辛い道のりでも、楽しかったなーって記憶が足元を照らすよ』

 

 そうだったらいいな。

 僕も誰かの足元を照らせていたなら、そんなに嬉しいことはない。

 

『この時間も忘れられない思い出にしたいから……どうか一緒に踊ってくれる?』

 

 どうか君にとって、この時間が素晴らしい思い出になりますように。

 

 

 

「みんな、楽しそうだなぁ……」

 

 周りに聞こえない程度の声量で呟く。

 

 ステージではしゃぎながら踊るヤチヨとかぐやも、必死で演奏している彩葉も。

 そして、それに見入っている観客の人達も。

 みんなが楽しそうで、幸せそうだ。

 

 もちろん僕も同じ気持ちだけど、今は別の感情を強く感じていた。

 

「よかった。ここまでは大きな違いが出ていない」

 

 それは、安堵。

 自分が知っているものと、今この時の差が少なく済んだことに心底ホッとした。

 

 これから彩葉もかぐやも……それに、ヤチヨも。

 大切な人達がたくさんの葛藤を抱えることを知っているのに、そんなことを考えている自分が嫌になる。

 

 それでも、僕にとっては大切なことだ。

 

 ヤチヨの新曲が披露される。

 演奏の難しさからかまだ残っている緊張からか、彩葉の顔には少しの強張りが見えた。

 

 そんな彩葉の手を、かぐやが当たり前のように引いた。

 ステージの前側に引っ張り出されると、かぐやとしばらく見つめ合ってから顔に笑顔が戻る。

 きっと、なにかしらが吹っ切れたのだろう。

 

 その姿を見て、とうとう僕の全身から力が抜けた。

 これでもう彩葉は大丈夫。

 

 あとは自分のことに始末をつけるだけだ。

 

 ライブは恙無く進んでいき、とうとう最後の曲が終了した。

 ライブへの満足感と終わってしまうことへの寂しさに会場が包まれた。

 

 その時、天井から吊るされたミラーボールに光が走った。

 

 それから会場中に混乱が広がっていく。

 

 ツクヨミ内のモニターに月が表示される。

 ネット回線が繋がらなくなる。

 そして、観客の何人かが灯篭を頭につけた白い人型のなにかになって空を泳いで行った。

 

 その先には……かぐやがいる。

 

 それに触れられたかぐやは、目から光を失ってその場に座り込む。

 そんなかぐやを守ろうと彩葉が武器を片手に割って入ったところで、ヤチヨが人型を弾き飛ばした。

 

 何かしらのシステムでも使っているのだろう。

 弾き飛ばされた人型はその場でお辞儀をした後消えてしまった。

 

 そして、会場のモニターにとある数字が一杯に表示された。

 

 2030/09/12

 

『今のは、一体?何が起こってしまうんだ?続報を待て!』

 

 ヤチヨの言葉によって観客達は演出の一部だと解釈し、混乱は落ち着いていった。

 

 ……彩葉には、彼らがどう見えたんだろう。

 不気味なマネキン?

 かぐやに危害を加える敵?

 どちらも、彩葉からすれば間違っていない。

 

 でも、僕にとっては違う。

 

 僕には、彼らがゴールテープに見える。

 この不安定な道を終わらせてくれる終着点。

 まだ距離は遠いけど、確かにその存在を確認できた。

 

 胸の内で騒ぎ出した感情は言い表すのが難しい。

 それでも今の気持ちをかろうじて言葉にするならば。

 

「なんだか、すごく良い気分だ……」

 

 

 





本編十話を達成いたしました。
沢山の感想、評価、ここすき、まことにありがとうございます。励みになります。
まだ続きますので、気軽にお付き合いくださると嬉しいです。
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