彩葉の弟は様子がおかしい   作:真球猫

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第十二話

 

 

 

 九月十二日。

 予告するように示された日付は、必要なことをこなしていたらあっという間にやってきた。

 

 月人を撃退するための準備を進めつつ、かぐやの卒業ライブ用に作曲も同時並行で行った。

 

 かぐやを連れて行かせないとは決めたけど、卒業ライブはいいものにしてあげたかった。

 だから、かぐやのリクエストで私とお父さんの合作をライブ用に作り直すことにした。

 

 ……その途中、作ってる曲とヤチヨのデビュー曲のサビのメロディが同じだということに気づいた。

 

 拭いきれない違和感。

 何か大切なことを見逃している感覚。

 

 それらを抑え込みながら、なんとか曲も準備も間に合わせることができた。

 

 そして、あと数時間でライブが始まるという頃。

 

 急に朝葉に話がしたいと誘われた。

 しかも、二人きりという条件付きで。

 

 今日はできるだけかぐやと一緒に居てあげたかったけど、そのかぐや本人からの強い押しがあったので誘いを受けることにした。

 

「いよいよやね。かぐやの卒業ライブ」

「……うん」

 

 引っ越してからは初めて入る朝葉の部屋。

 荷物の搬入の時から思っていたけど、本当に物が少ない。

 

 ベットと机と椅子。

 数冊の本とタブレット端末、あとはパソコン。

 服は小さな収納ボックス一つにまとめられていて、学校関連の物まで含めてやっと生活感が出る。

 

 元々物欲が無い方だったけど、それを加味してもこの部屋は異常だった。

 

「それで、急にどうしたん?」

「ごめんごめん。そんなに大した用やないんやけど、他に誘い方がわからへんくて」

 

 大した用でもないのにあんな誘い方をするのはもはやテロだ。

 ただでさえ今が一番緊張する時間だというのに。

 

 不満を込めて視線を送ると、朝葉は苦笑いしながら数冊のノートを取り出してきた。

 

「はい、彩葉にプレゼント」

「これって……」

「前に見せた日記漫画。せっかくやからノートに描き直したんやけど、ちょこちょこ描いてたら結構な量になってしもた」

 

 これは確か、かぐやがライバーを始めたての頃に見せてもらったものだ。

 

 あの頃からそこそこ量があったけど、ここまでの量になるとは思わなかった。

 

「あっ、今はまだ読んじゃダメ」

「え、なんで?」

「諸々終わったあと、かぐやと読んでよ」

 

 ……そういうことか。

 これは、朝葉なりのエール。

 私達がかぐやを守りきれるという信頼の証。

 

「……こんなのもらっちゃったら、かぐやが嫉妬するんやない?」

「かぐやにはもうちょっといいプレゼントができそうなんよね」

「そっか」

 

 相槌を打ちながら、無機質な日記の表紙を眺める。

 これを、かぐやと朝葉と三人で一緒読む。

 そんな未来を、私は勝ち取れるんだろうか。

 

「……不安そうやね」

「やっぱりわかる?」

「まあね。……こっちにはブラックオニキスがついとる。あの人達の強さは、最古参ファンである僕が保証する」

 

 いつものように、気遣うような穏やかな声。

 この声を聞くだけで、いつも通りの自分が戻ってくるように感じた。

 

「芦花ちゃんと真実ちゃんも協力してくれるし、もちろん彩葉も強い。きっと全部上手くいくよ」

「……そうだよね。きっと、上手くいく」

 

 その会話を最後に、部屋に沈黙が降りた。

 前までは朝葉と二人きりでも会話に困ったことはなかったけど、かぐやが来てからはそっちに頼りきりで会話の始まりが掴みづらい。

 

「……そういえばさ、感想聞いてなかったよね。ヤチヨカップのライブ、どうやった?」

 

 あのライブのあとは色々ありすぎて、朝葉とあまり話せてなかったのを思い出した。

 

 話題に困って、何となく聞いただけ。

 気を抜くと襲ってくる不安を紛らわせる為の会話の種として選んだだけだった。

 

 でも、朝葉にとっては違ったみたいだ。

 

「あー、その。すごく……うん、よかったというかなんというか……」

 

 なんか急にすごいしどろもどろになり始めた。

 

 もしかしてちゃんと見てなかった?

 いや、朝葉は約束は守るタイプだからそれはない。

 私は確かに『ちゃんと見てて』と約束したのだから。

 

 ……今になって思うと、とんでもなく恥ずかしい約束してたな。

 高校生が弟に言うことじゃなさ過ぎる。

 

 朝葉は仕切り直すように一つ咳払いをしてから、顔をやや俯かせる。

 

「すごく、かっこよかった……です」

「……」

 

 少しだけ顔を赤くしながら、消え入りそうな声でそう呟いた。

 

 綺麗、美人、顔がいい。

 そんな言葉は今まで何度も言ってもらった。

 

 けど、『かっこいい』はいつもお兄ちゃんが独り占めしていて。

 実は姉として少し……いや、かなり嫉妬していた。

 

 だから、朝葉が私にかっこいいって言ってくれたのは今が初めてで。

 それに、自分で自分にドン引きするくらい喜んでしまった。

 

 よかった、これなら私は戦える。

 

 どうなるかはわからない。

 不安も緊張もとめどなく溢れてくる。

 でも、それが霞むほどの闘志が胸の奥から湧いてくるから。

 

「ほ、ほら。そろそろかぐやのところ戻ろう」

「そうやね」

 

 足早に部屋を出る朝葉に笑みが浮かんだ。

 本当に、朝葉がいて良かった。

 

 かぐやを守って、また三人で生きていく。

 そんなハッピーエンドを、私は掴んでみせる。

 

 

 

 

 ◇◇

「もうすぐ……だね」

 

 彩葉に最後の激励を送って、その場を離れる。

 

 かぐやの卒業ライブはもう間もなく始まる。

 今はオタ公がこれ以上無いほどの熱を込めてマイクに言葉を送っていた。

 

 その声を聞きながら、()()を受けた場所に歩を進める。

 

 それにしても、かぐやと彩葉が両想いだったことには驚いたなぁ。

 あの時、彩葉もおんなじことを思ってくれてたんだ。

 

『私がヤチヨだったら、もっと虜にできたのかな?』

『もし私がヤチヨだったら、かぐやは帰りたくないって言ってくれたのかな?』

 

 すごく嬉しい。

 そして、すごく悲しい。

 

 二人の想いはすれ違ったままお別れすることになる。

 彩葉の歌が月に届いて、かぐやは八千年という永い時を歩む。

 そして、私は……どうなるんだろう。

 

 そんなことを考えながら、メッセージに添付された座標までたどり着いた。

 本当はもっと簡単に行けたけど、それじゃあ風情が無いと思ったから。

 

『待ってるよ、()()()

「……ふふっ」

 

 今の私をそんな風に呼ぶのは、君しか居ないよね。

 

 指定された場所は、かぐやのライブ会場であるKASSENのフィールドを見渡せる高台。

 

 そこに、君がいた。

 

 ……なんか、体育座りで背中に哀愁を漂わせながら。

 

「えっ?ど、どうしたの?」

「……いや、思ったよりも本音で話しちゃったダメージが残ってるだけ」

「そ、そうなんだ」

 

 ……えっと、これ私が悪いのかな?

 久しぶりの再会が思ったよりも酷くて感情が迷子になる。

 

「えーと、君は……きみでいいんだよね?」

「もちろん。久しぶりだね、かぐや」

「もうっ、今はヤチヨって呼んでよ!」

「……そうだね、わかった」

 

 君は私のことを頑なにかぐやって呼んでたよね。

 でも、今は別のかぐやがいるんだから。

 ちゃんと区別はしないとね。

 

 黒い狐をモチーフにしたアバターは、ゆっくりとした動作で着けていた狐面を外す。

 

 そこには、彩葉と瓜二つの顔があった。

 

「わあ!ほんとに彩葉そっくりだねぇ!」

「でしょう?」

「髪もそのままにすればよかったのに」

「それじゃさすがにバレると思ってね」

 

 曝け出された顔に思わずテンションが上がった。

 彩葉が男の子だったらこんな顔なのかな?

 

「やっぱり、僕の正体はわかってたんだ?」

「それはもう!ヤッチョの推理力をもってすれば赤子の手を捻るようなものですとも!酒寄朝葉君!」

「さすがで御座います。お見それしました」

 

 朝葉は装飾も何もしてない首筋を撫でながら、苦笑している。

 その灰色の瞳が、私の右肩に向いた。

 

「FUSHIも久しぶり!相変わらず至極のモフモフボディだね……頬擦り、してもいいですか?」

「ダメに決まってるだろ気持ち悪いっ!……まったく、お前も悪い意味で変わってねぇな」

「……そうだね」

 

 FUSHIの言葉に、朝葉が何とも言えない表情を浮かべた時。

 空を六つの桃が翔けて行った。

 

「始まった」

「おお!みんながんばれ〜!」

 

 間もなくしてかぐやの歌が始まり、現れた月人と彩葉達のKASSENが始まった。

 

「みんな、最高にかっこいいね」

「本当に。……さて、ここで守られてるお姫様に質問です!ズバリ、今のお気持ちは?」

「う〜ん、みんなから愛され過ぎて困っちゃう……カナ?」

「おおっと、すごい発言が飛び出しました!確かに見ようによっては月人達からも愛されてますもんね!」

「アハハ。ハイ、ソウデスネ」

 

 仕事を放って逃げ出した身からすると、八千年越しに自分の不始末を指摘された気になって思わず敬語になる。

 

 ……そういえば、この子優しくて真面目だけど、たまに言葉の切れ味が鋭いんだった。

 しかも無自覚に。

 

 そんな私の様子を見て、朝葉は微笑んだまま顔を少し曇らせた。

 

「君がそのことで気に病むことはないよ。あれは僕達が悪かったんだ。……君に色んなものを押し付けて、月に縛りつけた」

「そんなこと──」

「あるさ。誰か一人がいないと回らない世界なんて間違ってる。地球の労働形態の方が、月よりよほど合理的だ」

 

 まるで全部を背負い込むような言い方だった。

 さっきまでとは一転して、場の空気が重たくなる。

 

 ……聞くなら、ここだよね。

 

「なんで、このタイミングで私に連絡をしてきたの」

「……」

「KASSENに参加するわけでもなく、不干渉を貫くわけでもない。このタイミングで私に接触してきたってことは、なにか理由があるんでしょ?」

 

 私はずっと、君が全部に干渉しないようにしてるんだと思ってた。

 私達の巡る輪廻を壊さないように。

 

 でも、こうして私の前に現れたってことは──

 

「この世界は、輪廻の輪から外れている」

 

 ……やっぱり、そうだよね。

 

「酒寄彩葉の弟なんて異物がいる時点で、ヤチヨが巡った輪廻とは別物だ」

「……そうだね」

「僕はね、それをずっと……謝りたかった」

「……え?」

 

 言葉の意味がわからなかった。

 だって、それは私がしなきゃいけないことだから。

 

「本当はもっと早く謝るべきだった。だけど、合わせる顔がなくて……」

「な、なんで?どうして君が謝るの?」

「僕が生まれてきたせいで、君とかぐやが巡るはずだった輪廻を壊してしまった。本当に──」

「違うっ!」

 

 言葉を強引に遮って、朝葉の身体を抱きしめた。

 

 ツクヨミだから熱は感じない。

 それでも私の言葉が響いてくれると信じて、強く抱きしめる。

 

「君のおかげで、私達は輪廻から解放されたんだよ」

「……今こうして輪廻を再現できているのは、運が良かったからだ。もしかしたら、君が彩葉と会えなくなる可能性だって──」

「でもそうはならなかった。君が、私と彩葉を会わせてくれた」

 

 君が謝る必要なんてどこにもない。

 むしろ、謝るのは私の方だ。

 

「そんなに辛い思いをさせてごめんね」

 

 何気ない一言で、ちょっとした行動で、未来が大きく変わってしまうかもしれない。

 そんな薄氷の上を歩き続ける辛さは、私が一番よく知っている。

 

 自分の本心を隠して。

 彩葉の苦痛を知りながら見過ごして。

 それに、きっと彩葉と君のお父さんのことも……。

 

 優しい君が自分を押し殺さなきゃいけなかったのは、私のせい。

 私の事情に巻き込んだせいで、君は苦しむことになったんだから。

 

「もう大丈夫。君のおかげで、私もかぐやも自由になれる」

 

 輪廻から外れたということは、かぐやが月に帰らなくても修正力が働かないということ。

 私が消えることもないから、かぐやがこのまま地球に残ってもなんの問題もない。

 

「……そっか」

 

 朝葉は噛み締めるように呟く。

 そのまま、私を抱きしめ返してくれた。

 

「もう、大丈夫?彩葉とかぐやがいれば、君はハッピーエンドに行ける?」

「うん。君のおかげで、私はハッピーエンドに向かえる。だから君も──」

 

 この時、もっと君の顔をちゃんと見ておけばよかった。

 

 かぐやが帰らなくていいことに、私が消えなくて済むことに安心して。

 君のことが一瞬意識から外れてた。

 

「なら、もう僕はいなくても大丈夫だね」

 

 密着していた身体が離れて、君の顔を見た。

 まるで自分を縛りつける全部から解放されたみたいな顔。

 

 どうしてそんな顔をするの?

 これから私達は、やっとハッピーエンドに向かって歩き出せるのに。

 どうして、もう全部が終わったような顔をしているの?

 

「な、何を言って……」

「欠員が出たら補充する。それが地球の労働形態だよね」

「──っ!まさか!」

 

 この状況で欠員といえば、かぐやのこと。

 かぐやが月に帰らなければ、月からすれば労働力に欠員が出たことになる。

 でも──

 

「そんなこと気にしなくていいよ!仕事の引き継ぎデータさえ渡せば、あの人達も満足してくれる!君が月に帰る必要なんて──」

「今必要がなくても、先を考えて人員を補充しておくのは企業として大切なことだよ。それにね」

 

 今度は朝葉から、優しく包み込むように抱きしめられる。

 そして、その抱擁とは真逆の無機質な声が耳元で響いた。

 

「これは、僕が望んだことなんだ」

「ヤチヨッ!危ない!」

 

 FUSHIの焦ったような声が聞こえる。

 その瞬間、全身に違和感を感じた。

 

 思ったように身体が動かせなくなって、どんどん重たくなっていく。

 

 とうとう立っていられなくなって、床に座り込む。

 そして、自分の手を視界に入れて違和感の原因に辿り着いた。

 

「……()()()?」

 

 モノクロのノイズが、薄く私を包んでいた。

 それは朝葉が触れていた部分から色濃くなっている。

 

 すぐにツクヨミのシステムにアクセスを試みる。

 しかし、なにかに妨害されて火花を散らしながら弾かれてしまった。

 

「ツクヨミの制作には僕も協力してたからね。ノリで作った権限が役に立つとは思わなかったよ」

「どう、して……」

「……もう君は十分頑張った。これからは、彩葉とかぐやのことだけを考えればいい」

 

 貼り付けたような微笑みの内側は読み取れない。

 朝葉は何かを思い出したようにウィンドウを操作すると、手元に数冊のノートが出現した。

 

「君に渡したい物があったんだ。僕からの最後のプレゼント。別に大切にしなくていいけど、受け取ってくれると嬉しい」

 

 それが私の側に優しく置かれる。

 でも、もう表紙の文字を読むことすらできないほど私はノイズ侵食されていた。

 

『ネムッテ』

 

 まだ活動限界は来てないはずなのに、FUSHIから警告音が発された。

 きっと、このノイズのせいだろう。

 

 朝葉の手が近づいてくる。

 ノイズに侵食された耳が、最後に辛うじて音を拾い上げた。

 

「全部大丈夫。起きたらハッピーエンドが待ってるよ。僕が保証する」

 

 ……嘘吐かないでよ。

 起きたら君はいなくなってるんでしょ?

 

 君がいない世界で、ハッピーエンドになんて辿り着けるわけないのに……。

 

 

 

 

 ◇◇

「最高の卒業ライブでした!いっぱいお土産もらっちゃった。みんなありがとう!」

 

 光る雲の舟に乗りながら、たくさんの歓声に包まれる。

 

 私の卒業を惜しんでくれる声。

 直接的に愛を伝えてくれる声。

 泣いてて何言ってるのかもわからない声。

 

 その全部が愛おしくて、笑いが溢れちゃった。

 

「名残惜しいけどこれでお終い。……それから」

 

 意識をツクヨミから現実に移して、隣に居る彩葉を抱きしめた。

 

「彩葉、大好き」

 

 心の底からの言葉。

 

 たった一言じゃ足りないとはわかってても、できる限りの想いを込めた。

 

「ばいばーいっ!」

 

 思い切り声を張り上げて、別れを告げた。

 

 さようなら、楽しかった地球。

 とっても素敵な思い出をくれて、ありがとう。

 

 星々が編み込まれたようにキラキラと輝く羽衣が、私の肩にかけられる。

 その時だった。

 

 一瞬、世界がモノクロに染まった。

 

 そこから剥がれ落ちるみたいに黒と白の欠片があたりに散らばる。

 

 それらは()()()のような形状になって、私達の周りを漂いながら舟全体を覆ってしまった。

 

 そのノイズはなんの色味も見せずにただ無機質で、見ているだけで気分が悪くなる。

 感情が拒否反応を起こすような、不気味な恐ろしさを孕んでいた。

 

 やがて、ノイズの一部が蠢き始めて何かを形作っていく。

 段々と人型に近づいていくそれは……私の大好きな人の形になった。 

 

「あさ……は?」

「かぐやっほ〜!……なんてね」

 

 当たり前のような顔をして舟に足を着けた朝葉は、私に向けていつもの微笑みを見せた。

 

「すごく素敵な歌だったよ!何回泣いたかわからないね!」

「え?あ、ありがとう?」

「ああ、ライブは大丈夫だよ!このノイズが外からの認知を歪めてくれるから、ファンの人達からはちゃんとライブが完遂されたように見えてるはずさ」

「えっ!?す、すげぇ〜……。いや!そうじゃなくてっ!」

 

 情報が詰め込まれ過ぎて混乱が加速する。

 

 朝葉に会えたことはすごく嬉しい。

 でも、このノイズのこととか、なんでこのタイミングで会いにくるのとか、そもそもどっから出てきたのとか聞きたいことが多すぎる。

 

「やあ。え〜と……はじめまして?」

 

 そんな私を置いて、朝葉はボサツ型の月人に話しかけている。

 いやほんとになにしてんの……?

 

「細かく説明してあげたいんだけど、時間がないんだ。こっちの都合で悪いけど、付き合ってもらうよ」

 

 そう言うと、朝葉は月人達に手を翳してノイズで覆い始めた。

 

「ちょっ、ちょっとっ!?」

「大丈夫。危害を加えたわけじゃないよ」

 

 落ち着いた態度の朝葉にさらに混乱が大きくなった。

 

 え?何この状況?

 私これから月に帰るんだよ?

 朝葉が私より変なことしちゃダメでしょ?

 

 数秒後、月人達を覆っていたノイズは綺麗さっぱりと消えていった。

 

 月人達は、元々無機質な佇まいがさらに固くなっている。

 

「で、どうかな?貴方達にも悪い話じゃないと思うんだけど……」

「……」

 

 朝葉が主語の抜けた言葉で問いかけると、ボサツ型の月人が私に顔を向けてくる。

 

 しばらく私を見つめたあと、朝葉に向けて頭を下げた。

 

「……そっか、ありがとう。僕は貴方達を、心の底から尊敬するよ」

 

 朝葉は一瞬だけ安堵したような表情を見せると、すぐにそれを明るいものに変えた。

 

「さて、話はついた!かぐや!」

「は、はい!」

「地球に残ってていいよ!」

「はい!……え?」

 

 ん?朝葉は今なんて言った?

 

「ご、ごめん。かぐや、耳おかしくなったかも。今地球に残ってもいいって言った?」

「言ったよ?」

「……なんで?」

 

 私の様子を見た朝葉が不思議そうに首を捻る。

 

「あれ、嬉しくない?」

「いや、嬉しくないっていうか……ほんとに残っていいの?」

「もちろん!男に二言はないよ!ほら、彼もいいって言ってる」

 

 水を向けられたボサツ型の月人が、応えるように小さく上半身を傾けた。

 

「……まじで?」

「大マジ」

「──っ!やったあああああああっ!!」

 

 やった!やった!!

 

 なんで地球にいても良くなったのかはわからないけど、そんなの後回し!

 

 これで彩葉と一緒にいられる!

 朝葉も合わせて、また三人一緒に──

 

「じゃあ、ここでお別れだね」

「……へ?」

 

 お別れ?なんで?

 私、月に帰らなくて良くなったんでしょ?

 

「な、なんでよ?朝葉も一緒にいてくれるでしょ?また、彩葉と三人で一緒に暮らそうよ!」

「それはできないよ。僕は月に行くからね」

「……」

 

 まるで、子供に常識を言い聞かせるみたいに。

 なんの負い目も不安も感じない言い方だった。

 

 なに……言ってんの?

 月に行く?朝葉が?

 

「そんなの、できるわけないじゃん。朝葉は人間なんだから、ロケットでも使わないと月になんて行けないよ……」

 

 おどけて出したはずの声が酷く震えて、滑稽な声色になった。

 正しいことを言ってるはずなのに、そうであってほしいという祈りが言葉に入り込む。

 

 背筋を気持ち悪い感覚が這っていく。

 あれ?そういえば、なんで朝葉は人間なのに月人とコミュニケーションを取れてたの?

 

「まあ、僕はまともな人間じゃなかったってことだねぇ」

 

 そう言った朝葉の顔は、笑顔だった。

 スッキリした晴れやかな笑顔。

 まるで、やっと本当のことが言えたとでも思っていそうな顔だった。

 

 それが、今はすごく不気味に見えた。

 

「……身代わりってこと?」

「……」

「かぐやの身代わりになって、朝葉が月に行っちゃうの?」

 

 私の問いに、朝葉は少しだけ目を閉じてから真剣な表情で口を開いた。

 

「かぐや。それは違う」

「でもっ!」

「僕は自分の意思で月に行く。これだけは、誰にも否定させない」

 

 今までにないくらい、強い言葉。

 だから、きっとこれは朝葉の本心なんだ。

 

「かぐやは覚えてないよね。でも、僕は覚えてる」

 

 ゆっくりと近づいてきた朝葉に、優しく抱きしめられた。

 

 ……朝葉から抱きしめてもらうのなんて、初めてだな。

 そんな場違いな考えが頭を過ぎった。

 

「誓ったんだ、何があっても君を守るって。もう二度と、愚かな失敗は起こさないって」

 

 朝葉に触れている部分から、ノイズが薄く広がって身体を覆っていく。

 

「朝葉、まって……」

「彩葉をよろしくね。三人なら、きっと最高のハッピーエンドに辿り着けるさ」

 

 朝葉の優しい声を最後に、視界全部がノイズ覆われた。

 

 そのまま、私は強制ログアウトによって現実に戻された。

 

 

 

 

 ◇◇

「みんな、お疲れ様でした。本当にありがとう……先帰るね、ごめん」

 

 かぐやは、月に帰ってしまった。

 

 みんなに協力してもらって、私も全力を尽くして。

 それでも、届かなかった。

 

 なんとかみんなに心配をかけないようにログアウトしたかったけど、これじゃあ上手くできたとは言えないな。

 

 現実に戻って、スマコンを外す。

 そのまま、隣を見た。

 

 わかってる。

 かぐやは月に帰ったって、わかってるよ。

 

 あり得ないってわかってても、祈った。

 私の愛する人が、まだそこにいてくれますようにって。

 

 その祈りは、なんの間違いか叶えられた。

 

 私の隣には、スマコンを着けたまま呆然としているかぐやがいたのだから。

 

「か……ぐや?」

「あ……い、彩葉……」

「かぐやっ!」

 

 その声を聞いて、思わず思い切り抱きしめた。

 もう二度と離さないと想いを込めて。

 

「なんでっ?月に帰ったんじゃ……!とにかく良かっ──」

「朝葉が……」

 

 ポツリと呟かれた言葉は、無視できないものだった。

 

「……朝葉が、どうかしたの?」

「朝葉が……月に行っちゃった」

「…………ん?」

 

 えーと?

 朝葉が月に行った?

 かぐやじゃなくて?

 

「それは……ほんと?」

「ツクヨミではそう言ってた。僕は月に行くって」

「──っ!」

 

 とてつもない気味の悪さに襲われて、思わず立ち上がった勢いのまま朝葉の部屋に駆け出した。

 

 様子のおかしいかぐやの側にもいてあげたいけど、今はとにかく事実確認を優先した。

 

 数時間振りに朝葉の部屋の扉を開けて、中に入る。

 そして、ベットに横になった朝葉の姿を見つけた。

 

 なんだ、ちゃんといるじゃん。

 当たり前だ。朝葉はあの日記を一緒に読むって言ってくれたのだから。

 

 ベットに近づいて、朝葉の顔を覗き込む。

 相当深く眠っているようで、起きる気配は微塵もない。

 

 気味悪さが背筋を這っていく。

 そういえば、なんでこんな時に朝葉は寝てるの?

 

 かぐやの卒業ライブという大イベントを、朝葉が放っておくはずがない。

 なのに、こうしてベットに入ってぐっすり寝ている。

 

 不安に思って、朝葉の身体を軽く揺すった。

 起きない。

 

 もっと強く揺すった。

 起きない。

 

 頬を軽く叩いた。

 起きない。

 

 至近距離から大声で呼んだ。

 起きない。

 

「……嘘」

 

 そんなわけない。

 ちょっと深く眠ってるだけ。

 

 必死にそう思い込もうとしても、直感でわかってしまった。

 朝葉は()()にはいないんだって。

 

 どうして?

 一緒に日記を読むって言ってくれたよね?

 

 そこまで考えて、気づきたくないことに気づいてしまった。

 

 あの時、朝葉はなんて言ってた?

 

『諸々終わったあと、()()()()読んでよ』

 

「……あっ」

 

 じゃあ、最初から?

 最初から、こうなるってわかってたの?

 

 自分は私達の前からいなくなるって、わかってたの?

 

 思考が回らない。

 気味の悪さが、気持ち悪さに変わってく。

 

 わからないことばかりなのに。

 朝葉を失ったということだけは、何よりもはっきりと理解できてしまった。

 

 

 

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