朝葉が月に行ってしまってから、数日が過ぎた。
自分の半身が切り離されたような喪失感は、時間が経っても少しも衰えてくれない。
それに、少しだけ安心した。
朝葉を失うことは、私にとって受け入れられることじゃないんだって思えたから。
朝葉の身体は部屋から動かしていない。
病院に連れて行った方がいいかと思ったけど、そうできない理由があった。
「朝葉、また
「……そうだね」
「なんなんだろうね、あれ」
部屋の隅で縮こまる私の手を、かぐやが隣に座って握ってくれていた。
朝葉の身体は、時間が経つにつれてどんどん透明になっている。
速度自体は緩やかだけど、確実に朝葉という存在が世界から零れ落ちていくように感じた。
「まともな人間じゃないとか言ってたけどさぁ、これは月人のかぐやでも意味わかんないよぉ」
かぐやがヘラヘラと笑いながら、私の肩に頭を預けてくる。
卒業ライブの日から少しの間放心状態だったかぐやは、いつの間にか陽気な態度を取り戻していた。
でも、それが空元気なのはわかってる。
私と同じで、かぐやも朝葉がいなくなって心がボロボロだった。
それに、朝葉は否定したらしいけど、実質身代わりになるような形でお別れしたのだ。
何かしらを抱えているのは誰が見ても明らかだった。
「あっ、そろそろご飯の時間だね。お腹に優しいもの作ってくるから」
「ごめんかぐや、私は──」
「食べれなかったらかぐやが食べるから、気にしないで」
食欲どころか立ち上がる気力すら湧かない私を、かぐやが優しく抱きしめてくれる。
「大丈夫だよ。彩葉のことはかぐやが支えるから」
穏やかな声に、気遣いに満ちた言葉。
それが、生まれてからずっと聞き続けてきたものと重なった。
……やっぱり、かぐやも朝葉のこと考えてるんだね。
パタパタと音を立ててかぐやが私から離れていって、胸の中の喪失感が更に増したように感じる。
卒業ライブで協力してくれたみんなには、一応できる限りの説明をした。
『朝葉が月に行って目覚めなくなった』なんて、私自身がちゃんと理解できてないくせに、ただ起こったことを話した。
みんな聞きたいことがたくさんあるはずなのに、私とかぐやの様子を見てあまり踏み込まないでくれた。
かぐやが無事でよかったって言ってくれたし、それは私も思ってる。
でも、それだけじゃ納得も安心もできない。
ましてや終わりになんてできるわけない。
終わりにしたくないのに、朝葉がどんどん消えそうになっていく現実だけが目の前に残ってる。
私はどうしたらいいの?
朝葉を、諦めなきゃいけないの?
わからない。何一つ、わからないよ……。
心の限界が近づいてきて、逃げ場を探すように部屋の中を見渡した。
そして、机に置かれた数冊のノートを見つけた。
「──っ!」
朝葉がプレゼントしてくれた日記。
もう、これを三人で読むことはできないのかな。
なんとか立ち上がって、フラフラとおぼつかない足取りで勉強机まで辿り着く。
ノートを一冊手に取って、中身を捲った。
そこには、私達の何気ない日常が描かれている。
下らないことばかりやっているのに、幸せに満ちていて。
芦花や真実も出てきて、細かいやり取りまで詳しく記されていた。
当然その中には朝葉の姿もあった。
その残滓を少しでも感じ取りたくて、ページを捲る手が早くなっていく。
最後まで読み終わって、ため息と共に再び喪失感に苛まれそうになった時。
一枚のメモ用紙が床に落ちた。
熱中症になった時に使っていた置き手紙と同じメモ用紙。
一目見て、朝葉の物だと確信した。
すぐに拾い上げて、内容を確認する。
この喪失感を癒してくれる言葉が書いてあると信じて。
『彩葉へ ヤチヨをよろしくね』
……ん?
え、なんでヤチヨ?
私宛の手紙であることはわかったけど、内容がかなり意味不明だった。
卒業ライブ以降ヤチヨとは連絡を取っていない。
それどころじゃなかったし、わざわざ連絡する用件もなかったから。
ていうか、私に向けた最後の手紙だというのならもっと書くべき内容があるだろ。
私への言葉を書けよ。
今までありがとうとか。
幸せになってねとか。
実は兄より姉の方が好きでしたとか。
まあ最後以外の二つだったら破り捨てて月まで怒鳴り込んでいたけど。
あまりにも期待外れの内容に、感情が振り切れて怒る余裕すら出てきた。
そこで、ふと思い出した。
私が感じていたヤチヨに対する違和感。
私の作った曲とヤチヨのデビュー曲のメロディが一緒だった。
かぐやとヤチヨが歌う姿が重なって見えることがあった。
そして、ヤチヨはいつも先の運命を知っているかのように静かに笑っていた。
バラバラだった情報が、この手紙によって線で結ばれていく。
もしかしたら、ヤチヨは──
「……ヤチヨに、会わないと」
この推測が当たっているのなら、私はヤチヨに会いに行かなければいけない。
朝葉がこんな手紙を残した以上、ヤチヨと朝葉には繋がりがあったはず。
もしかしたら、朝葉についても何かわかるかも。
全部解決するかはわからない。
むしろ状況が悪化するかもしれない。
それでも私は全部を諦めきれないから、とにかく行動を起こすことにした。
すぐにスマコンを着けて、ツクヨミに入る。
電話もメールも繋がらない以上、ヤチヨにはツクヨミで直に会うしかない。
ヤチヨの配信が広場のモニターで流されていたけど、それは再放送だった。
ヤチヨに会う為の手掛かりがない。
今までは向こうから連絡をくれていたから、こっち側から会う方法がわからなかった。
途方に暮れそうになった時、視界の端に白いモフモフが映る。
それはすぐに走り出して私から逃げていく。
「待て!何であんただけで……」
ヤチヨのマスコットであるFUSHI。
独立して動いてるところなんて見たことがなかった。
しばらく路地で追いかけっこをした後、袋小路にFUSHIを追い詰めた。
「どこにいるか、教えて」
「……」
「……はぁ、自分で探すよ」
誰を、とは言わなくても意図は伝わったはずだ。
それでも沈黙を貫くFUSHIに、これ以上は無駄だと思って背を向けた。
「バカタレ、どこを探すって?」
「教えてくれないなら、世界中!」
透明になっていく朝葉のことを考えたら、そんな時間はないかもしれない。
でも、諦めることだけはしたくない。
そんな意志を込めて見つめていると、FUSHIが意味不明なことを言い出した。
「目を開けてみろ」
とりあえず言葉通りに現実で目を開けてみると、部屋の中にツクヨミと同じ真っ白なモフモフの姿があった。
「こっちだ!」
それは信じられない速度で駆け出すと、扉などを素通りして家を出て行ってしまった。
「あ、ちょっ!」
こちとら着替えとか準備とか色々あるってのに……!
「かぐやっ!」
「うわぁっ!い、彩葉?どうしたの?」
「ちょっと今から外に行ってくる!」
「ええ!?」
部屋から出て、かぐやに外出することを伝える。
FUSHIが急かすので色々説明を省いたら驚かせてしまった。
さっきまで呪いの置物みたいになっていた私を見てたんだから無理もない。
「ヤチヨに会いに行く」
「え〜と……なんで?」
「確認しなきゃいけないことができたの。……それに、もしかしたら朝葉のことも何かわかるかもしれない」
「っ!私も一緒に行くっ!」
「それはダメ。かぐや、ここ最近全然寝てなかったでしょ?」
ここ数日、かぐやは私を気遣って身の回りのことをしてくれたり、安心できるようにずっと側で起きていてくれた。
これ以上負担をかけるわけにはいかない。
「そんなの平気だよ!」
「私が心配なの。……もう私は大丈夫だから。かぐやが支えてくれたおかげだよ。ありがとう」
本当に、かぐやがいてくれてよかった。
もし一人きりだったら、喪失感に耐えられずに馬鹿なことを考えていたかもしれない。
「うぅ〜っ!何かわかったら絶対連絡してねっ!あと、彩葉も無理しちゃダメだからね!」
「うん、わかった。いってきますっ!」
「いってらっしゃーい!」
よかった、かぐやにも少しだけ活力が戻ったみたいだ。
お玉を持ったかぐやに見送られながら、私は家を出てFUSHIを追いかけた。
「……ここは?」
「こっちだ!」
FUSHIを追いかけて最終的にたどり着いたのは、とあるマンションの一室だった。
鍵は開いていたので、恐る恐る中に入る。
すると、何とも不思議な光景が広がっていた。
お世辞にも綺麗とは呼べない置かれ方をしたストレージ機器とネットワーク機器。
部屋の真ん中には巨大な水槽が鎮座しており、中にはどう見てもタケノコのようなものが二つ入っていた。
「これがヤチヨだ」
「……え?」
「そして、もう一つは……まあいい。とにかく、ここから入れ」
指示されるがままツクヨミに入ると、そこは初めて見る部屋だった。
灯篭で仄かに照らされながらも、どこか寂しい雰囲気を感じさせる。
その部屋の奥に座る、一人の人影。
長い髪の後ろ姿に、私は見覚えしかなかった。
「かぐや?」
かぐやは今頃家で休んでいるはず。
ツクヨミにも来ていないだろうから、この言葉は間違っていることはわかっていた。
でも、そう口に出さずにはいられなかった。
私の声に、その人影はゆっくりと振り返った。
「ヤチヨ」
振り返ったのは、ヤチヨだった。
いつもの髪型じゃなくて、長い髪を床に広げる姿は初めて見る。
そんなヤチヨの姿を見て、私の考えが確信に変わった。
「ヤチヨは、かぐやなの?」
問いかける口調になったけど、確信を持って聞いた。
ヤチヨは目を丸くしたあと、それをすぐに収めていつもの微笑みを浮かべた。
そして、ゆっくりと語り始めた。
今は昔──
月に帰ってバリバリ社畜してたえらえらかぐや姫のところに、歌が届きました。
それでもっかい地球いこ〜って、お仕事爆速で片づけて引き継ぎも完了。
ただ、地球の時間では大遅刻。
でも安心。月の超テクノロジーは時間も超えられます。
時を超えて地球に向かうかぐや姫。
でも、もう少しのところで、でっか〜い石に当たっちゃったの。
やっとのことで辿り着いたのは、ざっと八千年も前の地球でした。
壊れた舟の僅かな力で、同行していた犬DOGEだけが身体を得ました。
かぐやはウミウシの身体を通してだけ、世界と交流を持てたのです。
時は経ち。
人々は見えないものを形にし、多くの人と繋がる力を手に入れた。
それは、月の世界と少し似ていて。
かぐやは初めて、魂だけの自分が世界と関われる可能性を知りました。
そして、仮想世界ツクヨミの歌姫として、再び彩葉と出会うことができたのです。
「って、これじゃあめでたしめでたしとはならないかぁ、やっぱ!」
ヘラヘラと笑いながら後頭部に手を当てるヤチヨ。
その姿に、かぐやとは別の姿を重ねた私は、きっと間違っていない。
「全然、わかんない。わかんないし……」
今の話は、きっと事実だ。
ヤチヨが経験した、私じゃ想像することもできない悲劇。
でも、当然違和感もあった。
まず、私の知るかぐやは月に帰っていない。
ヤチヨに歌を届けたのは恐らく
それに、今の話じゃ説明がつかないことがある。
「じゃあ、朝葉は?」
「……」
「朝葉は一体……何なの?」
きっと、この違和感の全部を繋いでいるのは朝葉だ。
ヤチヨに問いかけると、少しだけ顔に影が差した後、またすぐに表情を戻して口を開いた。
「……それじゃあ、もう一つだけお伽話をしようか」
今は昔──
具体的に言うと、かぐや姫が彩葉の歌を聞いて再度地球に向かった時のこと。
実は、一人だけかぐや姫に同行していた
名をば……特に無かったので、仮に『A』となむいいける。
二人は舟に乗って地球へ向かい、八千年前に墜落してしまいました。
そして、舟の損傷が激しかったAは、身体を得ることができずに消えてしまったのです。
悲しみに暮れるかぐや姫。
しかし、奇跡が起きました。
なんとAは、人間に転生してかぐや姫の下へ帰ってきてくれたのです。
その奇跡は何度も起きてくれました。
時には可憐な少女に、時には老齢の紳士に。
Aは何十回も何百回も転生して姿を変え、かぐやと支え合いながら八千年の時を渡りきりました。
そうして現代に辿り着き、彩葉の弟である朝葉として生まれてきたのです。
「ただのお伽話……とは、言えないね。彩葉にとっては家族の話だもんね」
語り終えたヤチヨは、いつもみたいに微笑んでいた。
でも、その中には溢れるような喜びや深い悲しみが綯交ぜになっていて、どれを表に出せばいいのか困ってるようにも見えた。
「……どうして、朝葉は月に帰ったの?」
「わからない。でも、それが自分の望みだって言ってた」
「なんでよ。そんなことしたら、私達が悲しむってわかるはずなのに……」
「……仕方がないよ。あの子の心は不完全だから」
「心が、不完全……?」
そんなこと、考えたこともなかった。
朝葉はいつも優しくて、気遣いができて。
私の中で、お父さんに並んで他者への思いやりに溢れてる人だった。
そんな朝葉の心が、不完全?
「元々感情を持たない月人が、地球に来て人間の身体を得た
「……八千年も、人間として生きてきたのに?」
「そうあるべきって定められた存在が、それ以外の道を歩くのはすごく難しい。……それは、彩葉もよく知ってるでしょ?」
ヤチヨの言葉に、何も言い返せなかった。
お母さんのような強い人間になる。
かぐやと出会わなければ、私は今もそのために全てを捧げていただろうから。
「自分が誰かを愛する気持ちも、誰かが誰かを愛する気持ちも理解できるようになった。でも、自分が誰かに愛されてることだけは、最後まで理解できなかった。……きっと、自分を人間だとは思えなかったんだろうね」
「そ、んな……」
じゃあ、私の気持ちは伝わってなかったの?
お兄ちゃんも、お父さんとお母さんも、他のみんなも。
朝葉を愛してるって気持ちは、何一つ伝わってなかったの?
「ごめん、詰め込み過ぎちゃったね。難しいだろうけど、今はそういうことがあったんだなって思えばいいの。とにかく、再会をお祝いしましょ?」
そう言って、私の手を引くヤチヨの顔を見た。
いつもと同じ、全てを悟ったような微笑み。
でも、繋がれた手からは震えが伝わってきた。
なんだ、ヤチヨだってすごく悲しんでるんだ。
なのにそれを隠して、必死に笑顔を貼り付けて。
かぐやはそんな顔しなかったじゃん。
わんぱく宇宙人だったくせに、私みたいに愛想笑いばっかり上手くなっちゃったんだね……。
二人でツクヨミの夜景を一望できるバルコニーに出る。
その時、風に吹かれてページが捲れる音がした。
音の方向に目を向けると、バルコニーの床に見覚えのあるノートの数冊置かれていた。
間違いない。
私が朝葉からプレゼントされた日記のノートと同じ物だ。
「ヤチヨ……これって」
「……それはね、月に帰る前にあの子がプレゼントしてくれたの。私が昔、彩葉との思い出を忘れちゃいそうで怖いって言ったの、覚えていてくれたんだねぇ」
ヤチヨは懐かしむような声色とは裏腹に、服の裾を掴む手に力が入っていた。
ノートの内の一冊を手に取って中身を見る。
そして、頭が真っ白になった。
「なに……これ?」
描かれている内容は、私に贈られたものとほとんど変わらない。
私とかぐや、芦花と真実、黒鬼とのKASSENのことも描かれている。
でも、朝葉が描かれたページだけはどこにもなかった。
まるで、最初から存在してなかったみたいに。
「……きっと、これが本来あるべき世界だと思っていたんだろうね」
「本来あるべき……世界?」
「私とかぐやは輪廻に囚われてた。かぐやが地球に来て彩葉と出会い、月に帰って歌を聞いて、また地球に行こうとして八千年前に墜落して、ヤチヨになってツクヨミで彩葉と出会う。……これが、私達の輪廻」
どこか遠くを見つめながら、それでもヤチヨは顔を少しだけ綻ばせた。
「その輪廻を、あの子は壊してくれた。そのおかげで、私達は自由になることができた。……でも、あの子は責任を感じちゃったんだね」
「朝葉の身体が、どんどん透けていってるのって……」
「酒寄朝葉っていう存在はすごく不安定だから、魂が月に行っちゃってこの世界に留まる力が薄れてるんだと思う」
ヤチヨは、朝葉の身体のこともまるで予想してたみたいに淡々と応えた。
ヤチヨがしてくれた話の意味は、正直よくわからない。
きっと今深く聞いても、全部を理解することはできないと思った。
だから、一番聞かなきゃいけないことを聞くことにした。
「ヤチヨはいいの?このまま朝葉と離れ離れになったままで、本当にいいの?」
「……さっきも言ったけど、あの子は月に帰ることが自分の望みだって言ってた。私の我儘をあの子に押し付けることなんてできないよ」
じゃあ、なんでそんな顔するの?
そんな辛そうな顔してまで、なんで本心を隠すの?
ヤチヨはかぐやなんだから、こうじゃなきゃ嫌だって我儘を言ってくれればいいのに。
「彩葉」
常夜の空の下で風を全身で受けながら立ち尽くす私に、ヤチヨが少しだけ震えた声で話しかけてきた。
「もし知りたくなかったなら、忘れてもいいよ。そういうこともFUSHIなら──」
「ヤチヨっ!」
ヤチヨまでそんなことを言い出すのか。
どいつもこいつも、私がどれだけあんた達を愛しているのかわかってなさ過ぎる。
もうダメだ、我慢ならない。
こっちは朝葉の手紙を読んでから、腹が立って仕方がないんだ。
かぐやとの無理しないっていう約束は破ることになるけど、やむを得ない。
この際だから、私の気持ちを行動で示してやろうじゃないか。
「あったこと全部聞かせてよ。ヤチヨのことも、朝葉のことも。私、寝ないから!」
部屋の真ん中に音を立てて座り込む。
引く気はないという意志を込めて見つめると、ヤチヨが小さく吹き出した。
「ふふっ、無茶言うねぇ!」
呆れたような、喜ぶような。
ヤチヨは今日会ってから、初めて心からの笑みを浮かべてくれた。
ヤチヨが部屋の見た目を前住んでいたボロアパートに変えて、服もそれぞれ当時のものに変える。
そして、ヤチヨが歩んだ八千年を聞かせてもらった。
「じゃあまずは、縄文人と魚を獲った話から。よく覚えてるのが、ナガツノだっけかな?メッチャヒゲが長いマジで貴重なエビをAがつまみ食いして集落の人に吊るされかけてさぁ」
「Aは最初人の心がまったくなくてね?体力の無駄だから歌うのをやめろって言われた時は、ウミウシの身体で殴りかかるところだったよぉ」
「ほんっっっっっとにAは無自覚天然誑しでさぁ。女の子も男の子も誑し込んでは『あの子達どうしちゃったんだろうね?』って。どうかしてるのは君だよっ!!って何回言ったかなぁ」
……なんというか、相当色々溜まってたみたいだ。
ヤチヨがケラケラと笑いながら話すエピソードには、ところどころにA──朝葉が出てくる。
転生する場所の関係で会えない時期も何度かあったみたいだけど、本当に朝葉は転生する度にヤチヨに会いに行ったようだ。
きっと、二人はお互いを大切に思ってる。
それに、すごく安心した。
ヤチヨも朝葉も、八千年なんていう永い時間の中で支え合える相手がいたのは、何よりも救いになっただろうから。
だからこそ悲しいと思った。
そんな二人が、今は離れ離れになっている。
私はそれが許せなかった。
「おやすみなさいよ、彩葉。死んじゃう」
「今江戸じゃん。まだまだ!」
いつの間にか長い時間が経っていたみたいで、私の身体もさすがに疲労と眠気を訴え始めていた。
それでも、せっかくヤチヨの話を聞いているんだから、休んでなんていられない。
かぐやには定期的に連絡を入れていたから大丈夫だし、気合いを入れ直せば何とかなる。
心配そうな表情を浮かべるヤチヨを説得するべく口を開こうとすると『ネムッテ!ネムッテ!』という無機質な声がFUSHIから発された。
「あちゃ〜ヤチヨの方が寝る時間だ〜。ごめんねぇ〜」
ヘロヘロな声を最後に、ヤチヨは畳に横になって寝息を立て始めた。
FUSHIによると、ヤチヨの活動限界は五十二時間で、充電やアップデートを行う為に定期的にスリープモードに入るらしい。
「ずっとケラケラ笑っちゃって」
八千年も生きてきて、そんなに楽しい話ばかりなわけないのに。
「ねえ、FUSHI?ヤチヨが隠してること、あるよね?」
「……ヤチヨが言わなかったなら、それは──」
「見せて。私、かぐやの全部を見なくちゃ」
「人の身体で耐えられるかわからない」
「問答無用!」
辛かったことも苦しかったことも、その全部を見たいし知りたい。
かぐやのことを、愛しているから。
「ヤチヨはさっき久しぶりに、本当に嬉しそうだったんだ……」
FUSHIはそのつぶらな瞳を潤ませながら、さっきまでのヤチヨと同じ嬉しそうな顔を浮かべた。
そして、間を置かずにその顔が少し陰った。
「……お前に、伝えなきゃいけないことがある」
「なに?」
ここまできたら、どんなことでも聞いてやる。
そんな意志を固めていた私でも、FUSHIから語られたことに、少しだけたじろいだ。
「あいつ──酒寄朝葉は、かぐやの卒業ライブで月人としてツクヨミに侵入した」
「月人ってのはデータの塊みたいなもんだ。基本的にツクヨミ内で観測されたデータは、どんなものでも全て記録されてる」
「つまり、酒寄朝葉のデータもツクヨミに記録されていた」
「さすがに完璧じゃないが、途切れ途切れになってる転生した記憶のデータと……酒寄朝葉として生きた十七年間は抽出することができた」
「……これは、今のヤチヨには見せられない。これを見せたら、きっとヤチヨは壊れる」
「……お前は見るか?」
その言葉に、一瞬で返答できなかった自分に腹が立つ。
もうとっくに覚悟は決めた。
どんなことがあろうと、私は誰も諦めたくない。
なら、答えは一つだけだ。
「もちろん。私は朝葉の全部も見るよ」
「そうか……わかった!」
私の言葉に満足したよつに頷くと、『いくぞおっ!』という掛け声と共にFUSHIの瞳から光が溢れ出す。
そうして、私の意識はかぐやと同化した。
たくさんの物に出会った。
たくさんの人と出会った。
たくさんの……死と出会った。
墜落して初めて出会った少年。
釣り上げられて友達になった奇縁の女性。
ウミウシに恋をして詩を読み続けた詩人。
火の手に包まれる中なおも励ましてくれた母娘。
一緒に太夫を目指した笑顔を絶やさない花魁。
命を削りながら文字を綴る文人。
焼け跡の町で花を売り続けた少女。
何の見返りもなしにただ協力してくれたCIA職員。
言葉を交わして、愛を交わして、思い出を積み上げた。
そして、最後には必ずお別れがあった。
でも、中にはお別れがない人もいた。
最初に出会った少年。
それが、初めて転生したAだった。
少年ともたくさんのものを積み上げた。
だから、病を患って死んでしまった時は心が張り裂けそうになった。
最期にその顔を見られてしまったからだろうか。
それ以降、Aは一度も私の前で死ななかった。
ただ何かを悟ったようにフッと消えて、数十年と経ってからまたフラリと現れる。
そんなことを繰り返していた。
その間にも、世界はどんどん変わっていく。
インターネットが生まれて、私も人と関わることができるようになった。
そして、争いのない世界を創りたいと思った。
誰もが表現者になれて、自由に生きることができる場所。
そんな場所を、私は既に知っていた。
──私が、ヤチヨに。
Aにも協力してもらって、長い年月をかけてツクヨミを創り上げた。
そして、ようやく彩葉が生まれてくる頃。
Aが、また突然姿を消した。
きっと転生したのだと直感して焦った。
このままだと、彩葉と出会う時までに間に合わないかもしれない。
でも、その時はその時だと腹を括ることにした。
もしそうなったら、全部が終わった後に目一杯褒めてもらおう。
頑張ったねって。
彩葉と出会えてよかったねって。
すごいことをやり遂げたんだよって。
君からそう言ってもらえるだけで、私はどんな結果になってもそれを愛せると思ったから。
そう、思っていたのに──
『この世界は、輪廻の輪から外れている』
『僕はね、それをずっと……謝りたかった』
『なら、もう僕はいなくても大丈夫だね』
君ともお別れしなくちゃいけないの?
君だけは、私の前からいなくならないと思ってたのに。
嫌だよ。
行かないでよ。
ずっと、私の側にいてよ……。
「かぐやっ!」
意識の同調が切れて、
今のが、ヤチヨの八千年。
やっぱり、楽しいことばかりなんかじゃなかった。
それでも、かぐやは確かにたくさんの人を愛して、たくさんの人から愛されたんだ。
思考が回り始めると、今度は意識ではなく視界が丸ごと切り替わる。
私の意識を持ったまま、何かの映像を見せられているみたいだった。
視界が暗転する。
ドプンと底なしの沼に落ちたような暗闇を潜り抜けると、いつの間にか暖かい日差しを感じていた。
赤ちゃんの泣き声がする。
それは二重に重なっていて、きっと赤ちゃんは二人いるんだとわかった。
開けにくそうに瞼が上げられて、横に目が向けられる。
すると、視界いっぱいに赤ちゃんの顔が映し出された。
直感的に理解した。
この赤ちゃんは、私。
ということは必然的に、この視界の持ち主にも見当がつく。
これは、朝葉の記憶だ。