彩葉の弟は様子がおかしい   作:真球猫

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第十六話

 

 

 

 

 無色無音無臭。

 久しぶりの月の世界は、期待通りに退屈な場所だ。

 

 確かにこれはかぐやも逃げ出したくなるだろうな、という納得を八千年越しに得ることができた。

 あの子は地球で楽しく過ごせているだろうか。

 

 目の前に出された仕事をひらすらこなす。

 月に来てから僕がやっていることはただそれだけ。

 

 引き継ぎのためのデータ共有は行ったけど、それで僕の役割がなくなるわけでもない。

 

 無理を言って雇ってもらったんだから、相応の働きはしようと思っている。

 

 卒業ライブでかぐやと別れた後、僕は羽衣を着て感情を失った。

 それによって、一つ気づいたことがある。

 

 羽衣のおかげで、心が痛みを感じることはない。

 そのかわり、大きく開いた傷跡を埋める機会を失った。

 

 感情が消えたということは、傷を埋めるための何かを感じ取れないということ。

 僕の心の傷は、きっと一生残り続ける。

 

 実に都合が良い。

 

 苦しみからは解放されたかったけど、罪自体を忘れたいわけじゃない。

 

 それが自己満足なのもちゃんとわかってるし、それで納得もしている。

 

 全部わかった上で、やっぱりこれがいい。

 これが、僕の望んだハッピーエンドなんだから。

 

 灯篭頭の月人から白紙の巻物を受け取って、筆で文字を書き込んでいく。

 

 形式だけ見れば非効率極まりないけど、これで回せているから問題ない。

 

 月の世界は不変だ。

 地球のように急いで発展させる必要もない。

 

 かぐやはそういうところが嫌だったんだろうな。

 と、そんなことを考えていた時だった。

 

『朝葉』

 

 不意に聞こえた声に、心が揺れた。

 羽衣によって失われたはずの心が確かに動いた。

 

 聞き慣れた声。

 たった十七年程度しか聞いていないはずなのに、なんでこんなにも心に響くんだろう。

 

 間違えようがない。

 その声は、彩葉のものだった。

 

『聞こえてる?……まあ、聞こえてなくてもいいや』

 

 かぐやのブレスレットから声を送っているのだろう。

 

 声のみから読み取れる情報は少ない。

 それでも、彩葉の声には酷い憔悴が含まれているように感じた。

 

 どうしたんだろうか?

 そろそろヤチヨの正体にも気づいているはずだし、三人でハッピーエンドに向けて進み出したはずだ。

 

 わざわざ彩葉が月に声を送る必要なんて思いつかない。

 

『朝葉が月に行っちゃってから色々あったよ。ヤチヨにも会って、たくさん話をして。ハッピーエンドに辿り着く為に、私頑張ったんだよ。……でもね』

 

 淡々と話していた声に震えが混じる。

 そして、彩葉は諦めたように静かに告げた。

 

『やっぱり私、朝葉がいないと幸せになれないみたい』

 

 羽衣によって失われたはずの感情が、心に深く突き刺さった。

 

 僕がいないと幸せになれない?

 そんなことあるはずがない。

 

 彩葉にはかぐやもヤチヨもいる。

 兄さんも芦花ちゃんも真実ちゃんだっている。

 

 僕一人がいないくらいで、幸せになれないわけがない。

 

『もう疲れちゃったよ。朝葉がいない世界でこれ以上生きてたくない。……だから、私も楽になるね』

「……は?」

 

 彩葉は今、なんて言った?

 

 生きてたくない?

 楽になる?

 

 それってつまり──

 

「彩葉が……死ぬ?」

 

 その言葉が口から出た瞬間、世界がノイズに包まれた。

 

 辛い時、苦しい時、絶望した時。

 いつも視界にはノイズがあった。

 

 このノイズは、僕に感情があることの証拠だ。

 

 彩葉が死んでしまうかもしれない。

 しかも、僕のせいで。

 

 僕はまた家族を死に追いやるのか?

 

『朝葉?月でも元気にやってる?』

 

 今度は打って変わって明るく弾んだ声が響く。

 かぐやの声だ。

 

 でも、今はその明るさが不気味だった。

 

『ごめんね、せっかく彩葉を任せてくれたのに。かぐや、ちゃんと支えてあげられなかったみたい』

 

 そんなわけない。

 かぐやが側にいるだけで、彩葉は救われる。

 

 そのはずなのに。

 

『実はかぐやもね?朝葉がいないと全然ハッピーになれなかったんだ。……だから、彩葉と同じ場所に行くことにしたの』

 

 また、心が大きく揺さぶられる。

 

 息が上手くできない。

 ノイズが更に広がって、身体すら覆い始めた。

 

 かぐやの言ってることが理解できない。

 理解したくない。

 

『最後にそれを伝えたかっただけ。届いてるかはわからないけど』

『バイバイ!朝葉は月で幸せになってね!』

 

 最後のかぐやの一言で、心が輪郭を取り戻した。

 

 何を訳のわからないことを言ってるんだ。

 二人が死んでしまった世界で、僕が幸せになんてなれるわけないじゃないか。

 

 そこまで考えて、自分が抱えている矛盾に気がついた。

 

 みんなには僕がいなくても幸せになってほしいなんて思っておきながら、自分はみんなが生きていないと幸せではいられない。

 

 なんて馬鹿な考えをしていたんだろう。

 こんな苦しみを、みんなに与えてしまっていたのか。

 

 でも、仕方がないじゃないか。

 死にたくなるくらい辛かったんだ。

 月に帰るくらいしか希望を持てなかったんだ。

 

 いや、今は僕のことはどうでもいい。

 二人を死なせることだけはあってはならない。

 

 どうにかして二人を生かす。

 他のことは全部後回しだ。

 

「すいません!ちょっと昼休憩行ってきます!」

 

 周りの月人達に向けて声を張り上げる。

 

 月に昼なんて概念はないけど気にしたら負けだ。

 なんかお腹とか空いた気がするし多分今が昼だろう。

 

 とりあえず月にいたんじゃ何もできない。

 一旦ツクヨミに行くことは大前提になってくる。

 

 そうなると、卒業ライブの時使った舟が必要だ。

 でも、あれは厳重に管理されていて使用許諾を取るのに時間がかかる。

 

 どうしたものか……。

 頭の中で舟を盗んだ後の逃走経路を考えていると、服の裾がクイクイと引っ張られた。

 

 足元に目をやると、ズイジュウ型の月人がフリフリと尾ひれのようの尻尾を振りながら一枚の紙を差し出してきた。

 

「えっと?これ、くれるんですか?」

 

 意図がわからず首を傾げると、用は済んだと言わんばかりに背を向けてどこかへ去ってしまった。

 

 走り方があざとくて可愛い。

 でもあの人、KASSENだととんでもないムキムキの鬼になるんだよな……。

 

 困惑しながらもその紙に目を通して、自分の目を疑った。

 

 それは、舟の使用を認める許可証だった。

 

 卒業ライブでKASSENに参加した月人達全員分のサインがしっかりと入っている。

 

「……なんだ、僕なんかよりよっぽど心を持ってるじゃないか」

 

 入社数日の新人にここまで気を遣ってくれるなんて。

 日本の企業よりもよほど温情がある。

 

 彼らもかぐやのことで思うところがあったのかもしれない。

 

 厚意を無駄にすることはあり得ない。

 ありがたく使わせてもらおう。

 

 急いで舟を見つけて乗り込み、ツクヨミに向けて漕ぎ出した。

 操作方法はノリと勘でどうにかなった。

 

 まずはどうする?

 とりあえず兄さんに連絡して事実確認か?

 

 彩葉の家との距離で考えると芦花ちゃんか真実ちゃんの線も……。

 

 いっそのこと僕が身体に戻る?

 それはダメだ、ツクヨミから肉体への移行なんて初めてだから不確実だし、どれだけ時間がかかるかわかったもんじゃない。

 

 そんなことを考えている内に、ツクヨミに到着した。

 

 舟を適当な場所に泊めて飛び降りる。

 幸い周囲に人はいないから目立つこともない。

 

 ……なんか、見たことのない場所に来ちゃったな。

 一応製作者の一人として、ツクヨミのマップは全部把握しているはずなんだけど。

 

 まあ、今はそんなことどうでもいい。

 やっぱり兄さんに連絡するのが安牌だ。

 

 そう思って、ウィンドウを開いて兄さんのアカウントにメッセージを打ち込んでいると、横から声をかけられた。

 

「朝葉さん、絶好調っすか?」

「姉さん!ちょうどよかった!実は姉さんとかぐやが死んじゃうかもしれなくて……!」

「へぇ〜、それは大変だね?」

「大変どころの騒ぎじゃないよ!とりあえず今兄さんに連絡してるから、姉さんも姉さんの生存確認を……ん?」

 

 あれ?今僕は誰と話してた?

 ていうか、さっきまでここら辺には誰もいなかったはず。

 

 思考を介さずに横を見る。

 そこには、見慣れたアバターが呆れたような目を僕に向けていた。

 

 紺の髪と衣装に翡翠の瞳。

 狐の耳と尻尾、額には赤い菱形の宝石。

 

 間違いない。

 いろPのアバターだ。

 

 そして、これを使用することができるのはこの世に一人しかいない。

 

「姉……さん?どうしてここに……?」

「どう?少しは私達の気持ちがわかった?」

「そ、それは──」

「朝葉確保──ッ!」

「グエッ!」

 

 煽るような笑みを浮かべる彩葉に困惑していると、脇腹に途轍もない衝撃が襲いかかった。

 

 衝撃の正体を確認すると、またもや見慣れたアバターと目が合った。

 

「か、かぐや?え?なんで二人とも……あれぇ?」

「あははっ、捕まえた!……もう逃げられないね?」

 

 かぐやは僕の脇腹にタックルを仕掛けてきたようで、そのまま抱きしめるようにひっつかれてしまった。

 兎をモチーフにしたアバターの瞳が、やけにジットリとした目線を向けてくる。

 

 どうしよう、すごく恐い。

 早めの反抗期だろうか?

 

 二人が生きていてくれたのは嬉しいし、安心した。

 でも、なんでわざわざあんな連絡をしてきたのかがわからなくなった。

 

 あまりの情報量に脳が白旗を上げてフリーズする直前、再度かぐやの顔を見る。

 目に映ったその勝ち誇ったようなドヤ顔に、僕はこれ以上ないほどの既視感があった。

 

「八千年人間やってて気づかなかった?人って嘘を吐く生き物なんだよ」

「……そういうことか」

 

 どうやら、僕はまた二人に謀られたらしい。

 これで花火大会の時ぶり二度目になる。

 

 それに、僕の過去のことも既に知ってるようだ。

 

「ヤチヨから聞いたの?」

「まあね。あと、FUSHIにあんたの十七年間を見せてもらったの」

「なるほどそれで……え?」

 

 なんか今とんでもないこと言わなかった?

 

「十七年分も……記憶を見たの?」

「そうだけど?」

「何やってんの!?」

 

 あまりにも命知らずな行動に思わず彩葉の肩を掴んだ。

 

 なんだか、立場がいつもと真逆になってる。

 彩葉も同じことを思ったのか、少しだけ口の端がニヤけていた。

 

 笑いごとじゃないんだが?

 

「脳に異常でも出たらどうするの!」

「大丈夫だよ、私はヤチヨの八千年も見たから」

「えっ……と、人ではあるんだよね?」

「純度百パーセントの人間ですが?」

 

 申し訳ないが、さすがにちょっとだけ引いた。

 僕が言うのも何だけど人間がやっていいことではないと思う。

 

「はあ……とりあえず、病院で脳の検査は受けて。すごく心配だから」

「なら、朝葉が病院まで付き添ってよ」

「それは……できない」

 

 そうだ。

 二人が無事だったなら、僕は僕のいるべき場所に帰らなければいけない。

 

「記憶を見たならわかるでしょ?僕はもうここにはいられない」

「それはお父さんのことがあったから?」

 

 言葉が咄嗟に出てこなかった。

 

 そりゃ、知ってるよね。

 僕の記憶を見たんだから。

 

「……それもある。僕は取り返しのつかない失敗をしてしまった」

「言っとくけど、私はあれが朝葉のせいだとは一切思ってないから」

「──っ!それは……!」

「あんたがそれを認めないこともわかってる。……ここからは平行線になっちゃうから、一つだけ聞かせて」

 

 彩葉はまるで全部を見越してしたようにため息を吐くと、真剣な眼差しを向けてきた。

 

「本当に、戻って来る気はないの?」

 

 その問いに対する返答は決まっていた。

 

 また傷つけてしまうだろう。

 彩葉から完全な幸せを奪ってしまうかもしれない。

 

 でも、それでも──

 

「僕は、ここでは幸せになれないんだ」

「……そっか」

 

 決意と意思を込めて、言葉を紡いだ。

 

 僕の答えに彩葉は小さく頷くと、何やらかぐやを手招きしてコソコソと話し始めた。

 

「もうこれ仕方ないね。仕方ない……よね?」

「うん、仕方ないよ。だって朝葉が悪いんだもん」

「そうだよね?仕方ないよね?」

 

 絶対仕方なくないねその話。

 なんだろう、嫌な予感しかしない。

 

 もう少し話していたい気持ちもあったけど、これ以上ここに留まるのはまずい気がする。

 

 早く舟に戻って月に帰ろう。

 そう考えて、二人の目を盗んで舟を泊めた方向へ駆け出すと──

 

「グエッ!」

 

 壁のようなものに頭から激突する。

 またしてもカエルのような声が出てしまった。

 

 半透明なそれは、よく見なければそこにあるとはわからない。

 痛覚はないから実際に痛くはないけど、その衝撃から壁の耐久性がかなりのものであることがわかった。

 

「こ、これは……?」

「こっそり逃げようとするなんて悪い子だね〜」

「……ヤチヨ」

 

 真上から降ってきた声に目を向ける。

 

 優雅に宙を泳ぐツクヨミの管理人。

 この壁は間違いなく彼女が作ったものだろう。

 

 ノイズでのハッキングも試みたけど、当たり前のように弾き返されてしまった。

 

 まあ、予想はしていた。

 元々不意打ち込みでやっと効果がある程度の権限と技術。

 対策されてしまえば通じるわけがない。

 

「……君も、僕を止めるの?」

「そうだよ。ヤッチョも君がいないと幸せになれないの」

「彩葉とかぐやだけじゃ足りなかった?」

「人聞きが悪いね〜……でも、そうだね。そうなんだと思う」

 

 ……やっぱり、そうなのか。

 僕がいないと、みんな幸せになれないのか。

 

「ヤチヨおそーい!」

「ごみん、準備に手間取っちゃて〜。……で、この感じだと交渉決裂?」

「そうなるね。だから、()()お願いできる?」

「りょ〜!」

 

 ニコニコと微笑みながら、ヤチヨが指を鳴らした。

 すると、半透明な壁の内側の見た目が変化し始める。

 

 一瞬にして山と森に囲まれた広々とした空間が広がる。

 ゲーマーにとっては見慣れた場所。

 

 KASSEN用のフィールドが出来上がった。

 

 そして、僕と彩葉にも変化があった。

 僕の頭上には棒状のエフェクトが表示され、彩葉の手元には愛用のキーボード付きブレードが二本出現する。

 

 ……ここから入れる保険とかないかな。

 

 嫌な予感の的中がほぼ確定しつつも、最後の希望に縋って彩葉に問いかけた。

 

「なにこれ?」

「HPバー」

「なにそれ?」

「KASSEN用の武器」

「……これから何するの?」

「SETSUNA」

「嘘だと言ってくれ……」

 

 思わず頭を抱えた。

 

 『SETSUNA』とは『KASSEN』のゲームモードの一つ。

 複数人プレイが基本の他モードと違い、一対一で戦って先にゲームを二つ取った方が勝者となる。

 

 彩葉が『かぐや争奪戦』で無双したゲームだ。

 

「ねえ朝葉、姉弟で意見が割れたら何をすると思う?」

「対話!僕対話大好き!」

「残念ガチ喧嘩だよ」

 

 姉弟喧嘩に刃物を持ち出すんじゃない(至極真っ当な指摘)

 

「……ちなみに、僕が負けたらどうなるの?」

「地球に戻って来てもらう」

「それは無理だよ」

「ならツクヨミに魂ごと閉じ込める」

「日本は法治国家なんですよ……?」

ツクヨミ(ここ)ではヤチヨが法だから」

 

 どうしよう。

 ツクヨミ製作者の一人としては強く否定できない。

 

 それほどまでに、ヤチヨの持つ権限は強力だ。

 

「ヤッチョさん!家族は大切にするべきなんですよね!今まさにその家族から決闘を申し込まれてるのですが!?」

「偶にはぶつかり合うのも大切の形だとヤッチョは思いま〜す」

「かぐやもそう思いまーす!」

「絶対ぶつかり合うとかじゃ済まないねぇ!?」

 

 だって、彩葉の背後になんかオーラみたいなの見えるし。

 あんなの戦国で名を馳せた武将でしか見たことない。

 

「そういえば、僕の武器は?」

「無い」

「え、いじめ?」

「そのくらいのハンデがあってもいいでしょ?」

 

 確かに僕には八千年の経験値がある。

 それでも、彩葉と素手で戦うのは勘弁したい。

 

 そもそも、僕には彩葉を殴ることなんてできない。

 肉体との接続が切れている今の僕にとっては、自分のアバターが本体みたいなものだ。

 

 お互いスマコンを使っているならまだしも、この状態で殴るのは現実で殴るのと感覚が近い。

 そんなことするくらいならここで自刃した方がマシだ。

 

 まあ自刃するための武器がないんだけど。

 

 ……仕方がない。

 できるだけやりたくはなかったけど、手段を選んでる場合じゃないのも確かだ。

 

 全員の視線に集中して、僕から逸れた一瞬のタイミングで駆け出した。

 

 狙うはヤチヨ……の肩に乗ったFUSHI。

 

 FUSHIを一時的に乗っ取って、ここにいる全員の記憶を改竄する。

 僕に関する記憶を周りとの齟齬が起きない程度に薄めれば、全ての問題が解決するはずだ。

 

 その白いモフモフの身体目掛けて一瞬で距離を詰める。

 そして手が届く直前、目の前に突然金棒が現れた。

 

「──ッ!?」

 

 間一髪直撃は避けたが、勢いは完全に止まってしまった。

 そこを更に鋭いスイングで襲われる。

 

「ぐうっ!」

 

 頭を狙った一撃目を躱わしつつ、抜刀された二撃目は刀身に掌を添えてなんとか軌道を逸らした。

 

 この武器構成。

 スタイリッシュな立ち回り。

 流れるようなコンボの繋ぎ方。

 

 僕が見間違えるはずがない。

 

「兄さん……」

「よう、朝葉。言いたいことは無限にあるけど、とりあえず俺とSETSUNAで百戦やろか?」

「や、やりません」

 

 わあ……すごく怒ってる……。

 

 普段の帝アキラなら絶対に見せないような圧のある笑顔に冷や汗が噴き出た。

 それも含めて貴重なファンサだと思ってしまうあたり僕は末期かもしれない。

 

 怒った兄さんは激レアだ。

 できれば写真に撮っておきたいけど、今はそんな余裕がなさすぎる。

 

「帝様ありがと〜⭐︎」

「冷や冷やさせやがって!ちゃんと守れよな!」

「どういたしまして、お姫様……達?」

 

 兄さんはヤチヨとFUSHIを守るように位置取っている。

 どうやら事前に僕の行動を予測して対策していたようだ。

 

 なんでそんな正確に僕の行動がわかるんですか?

 

「それはあんたの思考が単純だから」

「心を読まないで下さい……って、まさかここにいる全員に記憶ブチ込んだの?」

「安心して、直接ブチ込んだのは私とお兄ちゃんだけ。かぐやとヤチヨは……まあ、概要だけ説明してある」

 

 彩葉が何故か遠い目をしながら言い淀んでいた。

 

 つまり、記憶は見ていなくても全員が僕の大方の事情を把握しているのか。

 ……できれば、知られたくはなかったんだけど。

 

「頼むから通してよ兄さん、僕ここで負けたらツクヨミに魂監禁されるらしいんだよ……」

「ああ、その案出したの俺」

「一番の敵じゃん……」

 

 信頼していた兄が黒幕だった。

 王道バトル漫画にありがちな展開だ。

 

 しかも負けたら電脳空間に魂を監禁される。

 余計にそれっぽさが増した。

 

 というか当然のように法を無視した案を出さないでほしい。

 うちの教育方針が疑われてしまう。

 母さんは弁護士なんですよ?

 

「どうせFUSHIを使って記憶を弄ろうとか考えてたんでしょ?」

「チガウヨ?」

「一秒でバレる嘘吐かないの。……で、どう?私と戦う気になった?」

 

 FUSHIを狙おうにも、兄さんと素手で戦うなんて自殺行為だ。

 ヤチヨの壁がある以上逃走も不可能。

 

 僕には彩葉と戦うしか選択肢が残っていない。

 

「……こんなことに、何の意味があるの?」

「さっきも言ったでしょ?私が勝ったら戻って来てもらう。あんたが勝ったら、月に帰るなりなんなり好きにすればいい」

「え?いいの?」

「いいよ、別に」

 

 あまりにもサラッと言った彩葉に思わず確認してしまった。

 

 ここまで大掛かりなことをしておいて、負けたら好きにしていいなんて彩葉が認めるとは思えない。

 

 何か裏があるのかと疑っていると、彩葉はまたも当たり前のように言ってのけた。

 

「だって、絶対に私が勝つから」

 

 ……なるほど。

 確かに絶対勝つなら負けた時のことなんて考える必要はない。

 

 でも、僕だって負けるわけにはいかない。

 

 僕は地球では幸せになれない。

 これは、酒寄朝葉としての人生で辿り着いた結論だ。

 

 今更この前提を変えることはできない。

 

「……わかった。やろう」

「ようやく覚悟が決まった?なら、さっさと始めるよ」

 

 話が決まるなり即行動。

 こういうところは少し母さんに似ている。

 

 ……こんなこと、本人には言えないけど。

 

 僕は彩葉を攻撃できない。

 だから、僕の勝利条件は彩葉のHPを削り切ることじゃなくて、戦闘を継続できなくさせること。

 

 現実なら手荒な真似をせずに意識を断つこともできるけど、ツクヨミではそうもいかない。

 

 なら、狙うのは武器だ。

 

 KASSENでは武器破壊の要素はないから、武器に耐久値は設定されていない。

 でも、耐久値の付与くらいまでなら僕の権限が及んでくれる。

 

 彩葉の攻撃を捌きながら武器を破壊する。

 それが、僕に与えられた唯一の勝ち筋。

 

「負けた後でごねないでよね」

「わかってる。真剣勝負だからね」

 

 この勝負で全部を出し切ろう。

 

 地球で得た全部。

 感情、知識、技術。

 全部出し切って、この超人に勝ってみせる。

 

 たとえ、それで大切な人達を傷つけることになってしまっても。

 

 僕は自分の為に生きなきゃいけないんだから。

 

 

 

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