朝葉は月に帰ってしまった。
転生を繰り返す中で沢山の人達を救えなかったことへの罪悪感が、お父さんのことをきっかけに溢れてしまったらしい。
記憶の中の朝葉を見た。
葛藤を抱えながら苦しむ姿を見た。
感情を失うなんてことにしか希望を見出せないその姿を目に焼き付けた。
これが、私が見過ごしていたこと。
何かを抱えていることはわかっていたのに、優しさに甘えて見て見ぬふりをしてきた朝葉の傷。
月に帰ればその傷を癒せると朝葉は本気で思っている。
少なくとも、この地球にいるよりもマシな生活が送れると確信しているんだろう。
寂しいし、悲しいし、悔しい。
私の隣を朝葉にとってこの世で一番居心地の良い場所にしてあげられなかった。
月にいる方が朝葉にとっては幸せかもしれない。
私が朝葉を連れ戻そうとするのは、迷惑かもしれない。
とか、そんなことも考えたけど──
うるせ〜〜〜!知らね〜〜〜っ!!
もう私達は朝葉がいないとハッピーエンドに辿り着けないのだ。
こんな身体にした責任は何としてでも取ってもらう。
もはや私に遠慮なんてものは存在しない。
そんなもので朝葉と離れ離れになるくらいなら、もっと早く捨てるべきだった。
多少強引な方法を使ってでも絶対に連れ戻してやる。
ヤチヨから聞いた曲を作って月まで届けるという話はかぐやにだから通じた方法だ。
朝葉には適用できないと思う。
早速手詰まりか、と考えたところで一つの案が浮かんだ。
解決法というには酷いけど、光明であることに変わりはない。
詳細はもう少し詰めなきゃだし、人の手も借りなければいけない。
でも、これは道徳心を除けば悪くない案だ。
この案でいくなら私一人じゃ成功率が低い。
早速一人目に連絡して力を借りないと。
「もしもし、お兄ちゃん?」
「ってことで、十七年分の記憶ぶち込むけどいいよね?」
「朝葉の為なら仕方ない。一思いにやってくれ」
「一思いにやっちゃダメだよ!?」
「二人とも覚悟キマり過ぎじゃない……?」
ヤチヨが用意してくれたツクヨミのプライベートルーム。
忙しいはずなのにちょっと引くレベルのスピードで駆けつけてくれたお兄ちゃんは、予想通り最低限の説明で私の無茶振りを即承諾してくれた。
本当ならこの勢いで記憶をぶち込みたかったけど、さすがにヤチヨと同じく駆けつけてくれたかぐやに止められてしまう。
「彩葉、あれはそんな簡単に使っていい技術じゃないんだよ?もしかしたら脳に異常とか出る可能性だってあるんだよ?」
「人間の脳に十何年分の記憶一気に捩じ込むって、かぐやでもヤバいってわかるよ?」
「お兄ちゃんならできる!強いもん!」
「ゲームの強さと脳の強さは必ずしも一致しないよぉ……」
状況を把握しきれてないながらも心配した様子で珍しく正論を言うかぐやと半泣きになりながら私を説得しようとするヤチヨに、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
でも、私にできてお兄ちゃんにできないとは思えない。
そもそも私はヤチヨの八千年分も含めて平気だったんだから、お兄ちゃんなら十七年分くらい余裕だ。
それに──
「頼む。かぐやちゃん、ヤチヨちゃん」
真剣な声色と共に、お兄ちゃんの目が二人を真っ直ぐに捉える。
帝アキラのアバターに、現実のお兄ちゃんの顔が重なって見えたような気がした。
「ここでその記憶を見なかったら、俺はあいつの兄貴を名乗れなくなる」
お兄ちゃんならそう言うと思ってた。
自己犠牲とかじゃなくて、納得するために自分自身を賭けられる人だから。
朝葉はお兄ちゃんのこういうところに憧れて、懐いていたんだと思う。
「……もう、兄妹揃ってブラコンなんかだから」
「「別にブラコンじゃないが?」」
「無自覚なのが一番怖いよ……」
聞き捨てならないヤチヨの呟きにお兄ちゃんとハモりながら反論すると、私達の言葉の圧にかぐやが少しだけ後退りした。
失礼なことを言うのはやめてほしい。
確かに朝葉のことは愛してるし、月から連れ戻した暁には可能な限り一生側にいてやるとも思っている。
でも、そんなのは普通の姉弟でもよくあることだ。
少なくとも私はお兄ちゃんほどブラコンを拗らせていない。
朝葉が自分を描いたファンアートをこっそり額縁に入れて飾ってるの乃依君経由で知ってるんだからな。
私が朝葉に向ける愛情はもっとこう……なんかいい感じの愛情なのだ。
「その記憶、かぐやとヤチヨは見ちゃダメなの?」
「できればヤッチョも見たいなぁって思うんだけど……」
「絶対ダメ」
二人の気持ちはわかるし私とお兄ちゃんで朝葉の秘密を独占するみたいで気が引けるけど、こればかりは譲れない。
私が記憶を見る前にFUSHIが言っていたように、ヤチヨに朝葉の記憶を見せてしまったら高確率で精神をやられる。
幸せな人生を歩めるようにと善意で贈った言葉があんな風に曲解されてるなんて普通は思わない。
それでも、優しいヤチヨのことだからきっと深く傷ついてしまうと思う。
それは朝葉だって望んでいないはずだ。
かぐやに関しては、地球歴二ヶ月かそこらのガチ赤ちゃんが見ていい内容じゃなさ過ぎるから普通に却下。
最終的に二人にはお兄ちゃんが記憶を見ている間、ショッキングな部分は隠しつつ概要を口頭で説明することになった。
「…………ははっ」
お兄ちゃんの口から今まで聞いたこともないような乾いた笑いが漏れ出た。
快活でキザったらしい態度がデフォルトのキャラを守り続けてきたお兄ちゃんらしくもない、疲れとやけっぱち感を滲ませている。
「じゃあ何か?俺はあいつが苦しんでるのに気づかないまま、上から目線で兄貴面してたって?」
もはや笑うしかないというように再び乾いた笑いを溢した後、急激に顔から感情が抜け落ちた。
「許せへんな」
一つ大きな息を吐いてから、傍目から見てもわかるほどにドス黒いオーラを漂わせていた。
「なにが全部大丈夫だったん?大丈夫要素一つもないやん保証どこいった?詐欺罪で訴えるぞ?」
出るわ出るわ、普段は人前で見せない京都弁が止まらない。
虚な瞳でぶつぶつと文句を呟くお兄ちゃんの姿は、付き合いの長い私でも見たことがないほどだった。
今の姿をファンの人達に見せたら新しい癖に目覚めさせてしまうこと間違いなしだ。
少なくとも私の親友の片方とこの状況を作った元凶は『ファンサありがたい……』と涙を流して喜ぶことだろうことは容易に想像できる。
まあ、お兄ちゃんもそれだけ思うところがあるんだろう。
仕方がない、あんな記憶を直接脳にぶち込まれたんだから。
私も同じだからよくわかる。
何も話してくれなかった。
どれだけ自分が愛しているかわかってくれなかった。
何より、朝葉の苦しみに気づいてあげられなかった。
思っていることは、私もお兄ちゃんも同じ。
朝葉へ向ける怒りと同じかそれ以上に、自分に対しても怒ってる。
だから、もう朝葉の苦しみを見過ごしたりしない。
この決意だって、お兄ちゃんと同じはずだ。
「そっか……そんなことが……」
「えっと?ヤチヨがかぐやで、朝葉は実は月人だけど今は人間で?」
悲しげな顔をしているものの納得の様子を見せるヤチヨと、あまりの情報量に頭から煙を噴き出すかぐや。
かぐやに関してはちょっと申し訳なかった。
なるべくわかりやすい説明を心掛けたけど、やっぱり口頭だと限界はある。
「ごめん、わかり辛かった?もう一回説明する?」
「ううん、大体はわかったから大丈夫。……にしても、そっかぁ」
常夜の空を見上げながら一度目を瞑ったあと、かぐやは柔らかい笑みを私に向けた。
「朝葉はとっくの昔から、かぐやと家族だったんだね」
その言葉が、不思議なくらい胸に響いた。
意味の取り方はいくつかあると思う。
同じ月人だから、ヤチヨを通してかぐやのことを知っていたから、ずっと大切に想ってくれていたから。
どの意味だったとしても、二人が家族だったという事実は動かない。
かぐやにとってもヤチヨにとっても、朝葉は家族。
当然、私やお兄ちゃんにとってもそれは同じ。
そう考えると、私達は自分で積み上げたものとは別に朝葉を通しても繋がっているのかもしれない。
「朝葉を月から連れ戻す」
気づいたら、口から勝手に言葉が出ていた。
それは決意の言葉でもあったけど、何故か『私ならできる』っていう根拠のない確信が押し出した言葉でもあった。
「話はわかった……けど、具体的にはどうするよ?記憶見たからわかるけど、あいつ相当意固地になってるぞ?月から引っ張り出すのすら難しくないか?」
「それは大丈夫。私に考えがあるから」
「考えって?」
可愛らしく首を傾げるかぐやに答えるように、私の考えを端的に言葉にした。
「私とかぐやで朝葉を脅す」
「え?」
聞いてませんけど?という顔で私を見るかぐやを一旦無視する。
「朝葉を月から引っ張り出すには、感情を昂らせることで心を取り戻させて、その上でツクヨミに来る動機を持たせなきゃいけない。だから、私とかぐやが精神的に追い詰められたふりをして朝葉にめちゃくちゃ心配させる」
「ひ、人の心……まあ、あいつがやってることも似たようなもんか……」
「実際、かぐや達も彩葉が元気になるまで結構危なかったもんね」
かぐやの言う通り、朝葉が月に帰ってすぐの頃は私達も精神的にかなり追い詰められた。
かぐやも相当だったと思うけど、私は正直これまで通りに生きていける自信がないくらいにはヤバかった。
自分がどれだけ朝葉に寄りかかって生きてきたか実感できる貴重な経験をすることができた。
二度と味わいたくはないけど。
「と、とりあえず月から離れさせる方法としてはそれでいいとして、問題はそのあとどう説得するかだよね?」
「……そう、ツクヨミに来た朝葉を地球に引き止める方法な思いつかない」
まさにヤチヨの言う通り。
月からツクヨミに引っ張って来れたとしても、また帰ってしまっては意味がない。
地球に留まりたくなるように説得しなければいけないわけだけど、その方法が一向に思いつかなかった。
朝葉が月に帰ったのは、抱えている罪悪感が原因となってる。
それ以外にも理由は色々あるだろうけど、それが核となっているのは間違いない。
そして、その罪悪感を取り除くことは私にはできない。
それは他人ができることじゃないし、朝葉自身が長い時間をかけて折り合いをつけるしか方法はない。
だから、罪悪感を取り除くこと以外の方法で朝葉を説得しなければいけないんだけど……。
三人の様子を見ても妙案が浮かんだ様子はない。
まあ、そう簡単には思いつかないよね。
「なあ、彩葉。他のやつらにも頼ってみないか?」
「え?他の人達?」
他の人達。
ようは、黒鬼の二人とか芦花や真美のことだろう。
それぞれかぐやの卒業ライブでも協力してくれた人達だし、朝葉とも仲良くしてくれている。
協力を要請すればきっと力を貸してくれるはずだ。
今更人を頼ることに抵抗はないから、何も問題はない……けど。
「あんまり大袈裟にすると、逆効果になっちゃったりしないかな?」
今までの傾向から見ても、朝葉は自分のことで人に心配を掛けることを極端に嫌っている。
私も前まではそうだったから人こと言えないけど。
本当に、こんなところは似なくてよかったのに。
とにかく、朝葉を心配する人が増えることで逆に地球への抵抗感が増してしまう危険性があるかもしれない。
そういう意味を込めての指摘に、お兄ちゃんはなんてことないように答えた。
「あくまで協力してもらうのは案を出すところまで。実際にあいつと会うのは俺らだけにすればなんとかなるだろ……それに」
一度言葉を切ってから、お兄ちゃんは後頭部に手を当てながらため息を吐いた。
「あいつらも朝葉のことをかなり気にかけてた。お前の友達もそうだろ?朝葉のためにそれだけ心配してくれる人達を蚊帳の外にするのは、ちょっと不義理だと思ってな」
「それは……そう、だね」
芦花も真実も、朝葉とは各々の繋がりがあった。
まだ中途半端な説明しかしてあげれてないし、そこで終わらせるなんて確かに不義理でしかない。
なんなら私も数日間学校に行ってないし、二人からの連絡も無視していたのを忘れていた。
どうしよう、私二人に血祭りに上げられるかもしれない。
思い出した爆弾にカタカタと震えながら、とりあえず速攻で謝罪の連絡を入れつつみんなで集まれる段取りを取ることになった。
「ということで、第一回朝葉わからせ会議を始めたいと思います!」
かぐやの元気一杯な明るい声とは裏腹に、今さっき朝葉についての説明を聞いた四人はかなりの圧を放っていた。
こうなった経緯は至極単純。
さすがに何かあった時の責任が取れないので記憶は見せられなかったけど、できる限りの説明をする。
散々土足で人の気持ちを踏み荒らした癖に……酒寄朝葉、許せない……!という四人の意見が一致する。
どうやったら朝葉を連れ戻せるかではなく、どうやったら朝葉をわからせられるかという方向に話がズレる。
で、いまここ。
特に芦花の様子が尋常じゃなかった。
ドス黒いオーラを発しながら『あはは、朝葉君ってそういう感じなんだ?へぇ〜……』と、生存本能が勝手に目を背けさせるレベルの怒気を振り撒いていた。
連絡を返さなかったことを謝った時もそうだけど、芦花は怒らせると恐いタイプかもしれない。
まあ、それだけ心配をかけた私と朝葉が全面的に悪いんだけど。
「とりあえず、説得という手段に執着せずに考えてみるべきじゃないか?」
まずは雷さんが冷静な様子で提案した。
小さく挙手をしながらの発言は、かぐやがおふざけで言った会議という体裁に則しているんだろう。
説得以外の方法か。
いくつか思いつく手段はあるけど……なんていうか。
「監禁だな」
「洗脳……とか?」
「ここがプライベートルームでよかったねぇ。オープンスペースだったら垢BANを検討してたよぉ〜」
ノータイムでお兄ちゃんが答え、追いかけるように芦花がおずおずと答えた。
なお内容はまったくおずおずとしていない。
やっぱりそういう方向性になるよね……。
これには流石のヤチヨも苦笑いだ。
それでもツッコミを入れるだけで嗜めないあたり、内心色々と抱えているのかもしれない。
「美味しいもの沢山用意したら帰って来たくならないかな〜?」
「朝葉、味覚ないっぽいんだよね……」
「え?どうして生きてられるの?」
軽いノリの言葉に思わずマジレスすると、真実が絶望した表情で震えていた。
確かに真実にとって味がわからないというのは生きる理由を失うレベルのことかもしれない。
「もっと簡単な方法があるよっ!」
『わからせ会議』と描かれた小型のホワイトボードを投げ捨て、かぐやは自信満々に爆弾を放った。
「朝葉の身体に直接わからせちゃえばいいじゃん!」
『…………』
絶句、驚愕、静寂。
とにかく、場の空気が完全に凍りついた。
そもそも、本来の議題はわからせじゃなくてどうやったら地球に留まってもらえるかであって……。
いや、留まりたくなるくらい繋がりを深めるという意味では間違ってないのか?
ダメだ、今絶対頭が回ってない。
かぐやから飛び出た言葉に頭が一時的に混乱状態になっている。
そして、それは私だけじゃないみたいだ。
「え?俺、推しと弟がそういうことすんの見守ってなきゃいけないの?……拷問?」
声を震わせながら顔を青くするお兄ちゃんの肩に、雷さんが優しく手を置いた。
「愛する弟の為だ……その、武運を祈ってる」
「雷?どこ見てんだ?俺の目を見て話せよ」
「あとで感想送って〜」
「鬼か?」
「(黒)鬼だよ?」
唯一平常心どころか余裕すら感じさせる乃依君がお兄ちゃんを揶揄って遊んでいる。
その様子を見て、私も冷静になることができた。
「……ちなみにだけど、具体的にはどうやって?」
「え?普通にビンタで」
「やっぱりそっちか……よかったぁ」
「取り立ててよくはないぞ?」
正常になった頭が導き出した答えが外れていなくてホッとしたら、雷さんから冷静なツッコミを入れられた。
確かに、シンプルに暴力はよくないな。
「ドラマとかだと普通にやってたんだけどな〜」
多分昔のドラマでも見ていたんだろう。
時代的に程度が低ければ暴力でも『良い事』として容認されていたこともあっただろうし。
それこそ、不良同士が野原で喧嘩して最終的にお互いを認め合うなんてのは今でも定番で──。
「……なるほど?」
喧嘩、喧嘩か。
当然、私と朝葉は喧嘩なんてしたことがない。
嫌われたくなかったから、そんなこと考えたことすらなかった。
でも、今は違う。
たとえ嫌われても、本気の言葉をぶつけることにはきっと意味がある。
「よし、それでいこうか」
私の言葉に目を見開くみんなに苦笑いしつつ、具体的な考えを話していった。
その後、作戦を考える中でかぐやから噛みつきの案をもらった際に、芦花が「いいなぁ……」と呟いてた。
芦花も朝葉に噛みつきたかったのかな?……失礼かもしれないけど、とんでもない性癖だ。
もしかしたら私は親友の知られざる一面に触れてしまったのかもしれない……。
ヤチヨに頼んで簡単には出ることのできないフィールドを用意してもらう。
お兄ちゃんには朝葉がヤチヨやFUSHIを狙った時のための護衛。
かぐやには護衛の補助とヤチヨのフィールド維持のサポートを頼んだ。
他の四人には参加させてあげられないことを謝ったけど、みんな納得してくれた。
本当に、こんなに優しい人達に大切に想ってもらえるんだから朝葉は運がいい。
そして、それはきっと私も同じなんだろうな。
胸の内には、変わらず根拠のない自信だけがある。
それが、お兄ちゃんやかぐやが持っているものと同じ気がして、なんだか無性に嬉しくなった。
朝葉をみんなのもとへ連れ戻す。
私が朝葉をハッピーエンドに連れて行く。
私が、朝葉を幸せにするんだ。