十七話の後の話になります。
朝葉がもう一度月に帰ってから、丸三日ほど経過した。
現実に戻って来てから真っ先に朝葉の身体を確認したけど、朝葉が言っていた通りベットに横たわる身体にはちゃんと色が戻っていた。
それに安心して、でもまた透けていかないか不安にもなったから、かぐやと一緒に色々私物を放り込んでおいた。
気休めだけど、元の部屋が何もなさすぎたせいか意外と安心感が増したように感じる。ちなみに無許可。
それから協力してくれたみんなへの報告とお礼をしたり、また相談に乗ってほしいことがあったから集まったりしてたらあっという間に時間が経っていた。
朝葉もそろそろ帰ってくるかもしれないし、いい加減私もやるべきことを済ませなきゃいけない。
スマホを手に取って、通話アプリからお母さんの名前を選ぶ。
お母さんへの報告と決意表明。
進路のこととか将来のこととか、前とは全く違う道に進む決意をしたからその報告をしなければいけない。
かぐやとヤチヨには席を外してもらってる。
もう人に頼ることに抵抗はないけど、これは私自身が乗り越えるべきだと思ったから。
とは言っても、実はもうそこまで重く考えていない。
理由は単純。ここ二、三ヶ月でちょっと色々ありすぎたから。
かぐやが来てからこっち、育児だの作曲だのライブだのがあって、挙句の果てに朝葉が月に帰ったことで完全に私の脳みそは容量オーバーした。
それを乗り越えて自分のやりたいことを見つけたお陰か、今までに比べればお母さんと話すハードルは遥かに下がっている。
通話開始のボタンを押す直前、指が少しだけ止まったけどそれだけだった。
コール音が鳴り始めてから数瞬で通話が開始される。
いや、早すぎじゃない?
「もしもし?お母──」
『ああ、やっと話す気になったんやね。根性なしが』
もはや懐かしさすら感じる嫌味ったらしい言い回し。
電話に出た瞬間この言いようなのだから、逆に笑ってしまいそうになった。
前までは何でそんなこと言われなきゃいけないんだと思って悲しくなってたけど、もうここまできたら妙な安心感すら湧いてくる。
この人は良くも悪くも変わらない。
ずっと強くて正しくて、私とは違う道を歩いてる人なんだって今ならわかる。
威圧感マシマシのお母さんの一言目を皮切りに、私の近況報告とこれからへの決意表明は始まった。
『ええよ、やってみ』
つ、疲れた……。
この言葉を引き出すのに、朝葉とした喧嘩と同じくらいの体力を使ったような気がする。
しかもその後もまだなんかグチグチ言ってるし。
私を心配してのことだとはわかるようになったけど、改めて話すと少しどころじゃないくらいには面倒くさい人だ。
『──それを忘れたらあかんよ』
「あっ!ちょっと待って!」
お母さんが言いたいこと言って一方的に通話を切ろうとする気配を感じたので、急いで呼び止める。
どうせなら、ここで例のことも相談してしまおう。
お母さんは私達とはまた違った目線で朝葉を見ていたはずだし、何かしら妙案が得られるかもしれない。
……私からお母さんに相談なんて、前までだったら考えられなかったな。
例のことというのは、朝葉に関することだ。
今は月にいるものの、別れた時の様子から考えてほぼ確実に帰っては来てくれると思う。
だからそこは心配していない。
私が心配なのはその後のことだった。
朝葉からすれば、苦痛の元である感情を持ったまま生きていかなければいけなくなった。
また月に逃げたくなることがないとは言い切れない。
そうならないように全力を尽くすし、ヤチヨと相談してガチの対策を練ったから勝手に月に行くことはほぼ不可能になってるけど、不安は尽きなかった。
何か、根拠がほしい。
朝葉が私の前からいなくならないという根拠が。
『……何なん?この一瞬一秒も相手の時間を奪っとる自覚があって呼び止めたんやろね?これで下らん話やったらあんたの評価を修正せな──』
「わかったから。……一個聞きたいことがあって」
私が呼び止めたことに驚いたのか、一瞬の間が空いたあと引き続きのグチグチ口撃が始まった。
適当なところで話を遮りつつ続きの言葉を考えた時、ふと気づく。
あれ?そういえば朝葉のことはお母さんになんて説明すればいいんだ?
お母さんは月関係の話を丸々知らない。
かぐやのことはもちろん、朝葉が月に帰ったことも当然知らないはず。
それらを全部話すと面倒なことになるのは目に見えてるから、とりあえず今は伏せておくとして。
えーと……。
「弟を合法かつ物理的に自分に縛り付ける方法ってなんかないかな?」
『何言うてはるの?』
お母さんの言葉から、本当に久しぶりの純粋な心配を感じ取った。
そりゃまあ、娘が急にこんなことを言い出したら色んな意味で心配もしたくもなるか。
『弟って、それ朝葉のことやんな?何があったん?ちゃんと一から説明しなさい』
「あ〜……悪いけどそれはできひん。何もないなら他の人頼るけど」
何気なく発した言葉だったけど、それがお母さんの地雷だったことに言ってから気づいた。
スマホの奥から呆れたようなため息と共に、言い聞かせるような言葉が聞こえる。
『彩葉、何回も言うたはずや。他人を簡単に──』
「あ!ごめん電波悪くなってきたかも通話切れそうっ!」
それを真正面から聞く気はないけど。
もう私はお母さんとは違う常識で生きている。
お母さんの言うことが正しいのは理解しているけど、私は私の信じる正しさを手に入れたんだ。
『はぁ〜……。もうええ、今は一旦そこは置いとく』
お母さんは疲れたように大きな息を吐いた。
いつもは弱みを見せないお母さんが、私にそんな反応をするのは初めてのことで。
なんとなくだけど腹の内を見せてもらえたように思えて、勝手に少しだけ良い気分になった。
『どうせあの子がなんかやらかそうとしたんやろ?それを止めることには成功したけど、まだ本人の状態が不安定ってとこか。あんたは詰めまで甘いなぁ』
「妖怪め……」
前言撤回。
全然悪い気しかしない。
なんでまともな情報が一つもないのにそこまでわかるんだ、普通に怖い。
『それで?今のところはどうしようと思てるん?まさか何も考えてないなんて言わんやろね?』
「えーっと、色々考えたけど最有力は『シンプルに監禁』かな」
『本当にどうしてしもたん?』
私に言われても困る。
またみんなにも協力してもらって色々と考えたけど、わからせ会議をまだを引きずっていたからかヤバめな方向の案しか出なかった。
「ちなみに監禁はお兄ちゃんの発案やね」
『朝日っ!?朝日も関わっとるのこの件!?』
「土地のせいか……いや、ゲームの悪影響の線も……」などと、何やらブツブツ独り言を呟き出すお母さん。
心中お察しします(他人事)
私は監禁なんて野蛮な行いはやめようって言ったよ?
ツクヨミならまだしも、現実で監禁なんてしたら法に触れちゃうからね。
決して監禁するならどんな色の首輪が似合うかな〜とか考えたりしてない。
家に設置できる檻の値段とかも全然調べてない。
産んでくれた母に誓ってもいい。
それにしても、今日は珍しく取り乱したお母さんが沢山見れてなんだか嬉しかった。
ただ完璧なだけの虚像じゃなくて、ちゃんと血の通った人間だったんだってわかったから。
『とりあえず、監禁はあかん』
「じゃあどうすれば……」
『どうしようでもあるやろ、なんで監禁しか手札がないん?』
むっ、失礼な。
もちろん監禁の他にも案は出た。
でも、『洗脳』とか『人質』とか途中から法律逸脱大喜利みたいになったからまともな案が出なかった。
大体悪ノリしたかぐやのせいなのは言うまでもない。
『……一応聞くけど、あの子にやらかした自覚はあるんよね?』
「うん、それは間違いなくある」
喧嘩のあと、かぐや達も含めて話し合い(広義)をした時も終始申し訳なさそうな顔をしていた。
多分、私たちに隠し事をしていたこととか傷つけたことを申し訳なく思っていたんだろう。
私としては、自分を蔑ろにした行動の数々も反省してほしいところではあるんだけど。
『そしたら、誓約書でも書かせればええ』
お母さんは至極当たり前のことのようにそう言った。
「誓約書?」
『そう、もう自分は同じことしませんっていう約束を書面で残させる。それがあるだけで後々便利やからね』
誓約書、存在は知っている。
でも、当然ながら身近なものではない。
お母さんの言ってる意味はわかるけど、自分がそれを利用するイメージはできなかった。
「まず、サインしてもらえなくない?」
『説得すればええ。サインするもしないもそっちの自由やけど、しないんやったらこっちにも考えがあるってな』
「それって説得じゃなくて脅しやない?」
『そこは伝え方次第や』
シレッとそんなことを言うお母さん。
いつも義理や筋を通すことを口酸っぱく言われていた分、少しだけ意外だった。
でも、現役の弁護士としてバリバリに働いているのだ。
このくらい強かじゃないとやっていけないのかもしれない。
それに、お母さんも色々言ってるけど朝葉にかなり愛着を持っているはず。
今回の事の流れを察しているなら、多少強引な手段を考えても違和感はなかった。
「……仮に誓約書にサインしてもらえても、無視されちゃったら意味なくない?」
『相変わらず頭の固い子やね。対抗策をあらかじめ内容に盛り込んどくに決まっとるやん。もちろん本人には気づかれんようにね』
「え、エグい……」
なんか、私以上にノリノリじゃない?
普段相性不利で良いようにやられるてる朝葉に一泡吹かせるチャンスとか思ってないよね?
それにしても、対抗策か。
誓約を破るってことは、朝葉が私達の前からいなくなるってことだから位置情報は把握しておきたい。
……スマホにGPSでもつけさせてもらうか。
お母さんの助言通り、建前を用意して月に帰ったことを持ち出せば首を横には触れないはずだ。
そうだ、かぐやにもつけとこう。
月に帰ろうとしたって意味では同類だし、念には念を入れて損はないはず。
そうすれば、もう誰も私の前からいなくならない。
こんな悪どいことを平気で考えられるお姉ちゃんでごめんね。
かわいそうな朝葉。ひとえにあんたが私の心と脳を破壊したせいだが。
話がひと段落したところで、頭の中で整理する。
つまり、今までの話をまとめると……。
「誓約書にサインしないと監禁するぞって脅せばいい訳やね?」
『……もうそれでええよ』
すごい、私生まれて初めてお母さんに諦めさせた。
こんな内容じゃなければもっとちゃんと喜べたかもしれない。
……そっか、私今お母さんと普通に会話できてるんだ。
「正直、意外やった」
そんな当たり前のことに気づいて、だからこそ違和感もあった。
「自分で聞いといてなんやけど、お母さんが相談に乗ってくれるとは思ってなかったから」
トンチキなことを言って気を引いた自覚はある。
でも、そんなことでまともに話せるならあんなに苦労はしていない。
お母さんがここまで私に協力してくれる理由がわからなかった。
そんな私の疑問を、お母さんは鼻で笑った。
『勘違いせんといて。こんな訳のわからないことで人様に迷惑かけるくらいなら、私が立つ方がマシなだけや』
──立ったやつが全部やるんや。やりたないなら相手が立つまで座っとき。
久しぶりに、昔言われたことを思い出した。
もう勝手に出てくることはないけど、お母さんから植え付けられた言葉はまだ私の中に残ってるみたいだ。
本当に、この人はブレないな。
呆れと合わせて一周回って感心していると、少し間を空けて言葉が続いた。
『……それに、いつかこないなことが起こるんやないかとは思っとった』
「え?」
珍しく、感情が読み取れない声色だった。
お母さんは言葉に明確な意図を乗せるタイプの人だ。
だけど、今の言葉にはそれがなくて。
何となく、お父さんのお葬式で言われた言葉に少しだけ似ていると思った。
『あんたも気づいとったやろ。あの子はうざったいほど強かで悪知恵も働くけど、自分のことには全く頓着しない』
「……」
お母さんは気づいてたんだ。
私が気づかないふりをして甘えていたことを、ちゃんと見ていた。
『さっきの話には、朝葉のことも含まれてるん?』
お母さんの声はいつも通りに戻っていて、そこにはどこか試すような色が含まれてるように感じた。
さっきの話しとは、私がお母さんにした決意表明の事だろう。言ったことといえば大したことはない。
やりたいことができた。
幸せにしたい人達ができた。
だから、私はお母さんと同じにはなれない。
そんな話をしただけ。
まあ、その間にはうんざりするような言葉の応酬があった訳だけどそれはそれ。
つまり、お母さんは私が幸せにしたい人達の中に朝葉は入っているのかということを聞きたいんだろう。
それなら考るまでもない。
「もちろん。朝葉は私が幸せにする」
『あんたなあ、その言い方やと……まあええわ』
お母さんは何故か深いため息を吐いた後、一つ咳払いをしてから言葉を続けた。
『せやったらしっかり見張っとき。あの阿呆のことやし、またやらかさんとも限らんからね』
いつも通りの突き放したような言い方。
結局これも、お母さんなりの心配なんだろう。
私に向けたものと同じ。
遠回しで、面倒くさくて、悪態にしか聞こえない。
それでも、母として子に向けた言葉なんだ。
「……わかった。私、ちゃんと朝葉のことずっと見てるから」
『だからあんたはなんでそう言い方が……』
疲労を滲ませた声色で、頭を抱えるような衣擦れの音がスマホの奥から聞こえた。
その後『ええか?朝葉は弟やからな?血ぃ繋がっとるんやからな?』というよくわからない言葉を最後に、お母さんとの通話は終わった。
最後の確認は何だったんだろう?
朝葉が弟なのは当たり前のことなのに。
「……言えた」
そんな締まらない最後ではあったけど、私がお母さんに自分の意見を話して認めてもらえたことは事実。
前みたいにそれだけに執着したりはしない。
私の一番は、もうお母さんじゃないから。
でも、もっと単純な気持ち。
気難しい家族に、自分の決意を認めてもらえたことに対する嬉しさは確かにあった。
「よしっ!まだまだ頑張らないと!」
ここで満足なんてできない。
やりたいこともやらなきゃいけないことも山ほどあるんだから。
そう自分を奮い立たせながら、意気揚々と朝葉の誓約書の作成に取り掛かった私は……まだ知らなかった。
この後、テンションが上がりすぎて徹夜したことをかぐやとヤチヨにしこたま怒られることも。
何故か私まで誓約書にサインさせられることも。
この時の私は、まだ知らないのだ。