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「朝葉君、もしかしてあんまり寝てない?」
「その質問に対しましては返答を差し控えさせていただきます」
土曜日の昼下がり。
あれだけ色んなことがあった夏が過ぎ去っていき、秋の陽気にも慣れてきた今日この頃。
珍しく朝葉君の方から話があるということで、いつも利用しているファミレスに私たち二人は集まっていた。
「彩葉からお達しが来ててね。朝葉君に会ったらまず無理してないか確認してって」
「それはそれは、いらぬ心配を掛けちゃったね」
「その様子を見る限り『いらぬ』って訳でもなさそうだけど?」
「あ、あはは……」
目に見えてわかる隈とかはないけど、ある程度付き合いのある人なら疲労が蓄積していることは見て取れる。
朝葉君にも自覚はあるのか、曖昧に笑って誤魔化そうとしていた。
困ったように眉尻を下げて首に手を当てる一連の動作は、以前から何度も見てきたもので。
でも今は、その一つ一つの動きの意味合いを全く違うものみたいに感じてしまった。
彩葉から大まかな説明を受けた時、驚きもあったけど納得の割合が大きかったのを覚えてる。
大人びてるんじゃなくて、実際に誰よりも大人だった。
余裕があるんじゃなくて、そう見せるために必死だった。
ただ、自分を顧みていないという嫌な直感だけが当たっていた。
「徹夜で勉強?」
「まあ、そんなとこかな」
「ヤチヨの為……だよね?」
「僕の為だよ。それに、みんなの為でもある」
嬉しそうな雰囲気すら漂わせてそんなことを言う朝葉君は、下手したら一時期の彩葉よりも危うく見えた。
ヤチヨのことは既に彩葉から聞いている。
あの子もかぐやちゃんで、厳密には別人とはいえ私と過ごした時間がある以上、あの子のことも大切にしてあげたいと思った。
だから、朝葉君がその為に必死になって勉強しているのも理解はできるし、ヤチヨが身体を得ることは確かに私や同じように思ってる人達の為にもなるんだと思う。
……それでも、君に無理をしてほしいなんて思ってる人は誰一人としていないのに。
これは一度釘を刺しておいた方がいいかも。
「朝葉君、気づいてないみたいだから言っておくね」
「ん?」
「もしも今君が倒れちゃったら、心が壊れてしまう人が少なくとも四人はいます」
「え゙……」
聞いたことない声を出しながら石にでもなったかのように固まる朝葉君にため息を吐く。
やっぱり、気づいてなかったんだ……。
朝葉君が月に帰った際にトラウマを負ってしまった彩葉とヤチヨとかぐやちゃんは当然として、私もかなりの高確率でダウンする自信がある。
それだけ朝葉君を大切に想っている人は多いというのに、本人にはその自覚が足りていない。
「ちょっと待とう。そんな、倒れたくらいで……」
「まずはその価値観から直そうね?ちなみに、四人っていうのは最低人数だからワンチャン増えるよ」
「そんな嫌なワンチャンほしくなかったよ」
私がここまで言っても本人の歪んだ認識は根深いのか、どうにも納得しきれていないようだった。
……仕方ない、こういう縁起でもないことはあんまり言いたくないんだけど。
「なら、朝葉君は彩葉とかお兄さんが倒れても平気でいられるの?」
「僕が全て悪かったです」
予想通り、家族のことを引き合いに出せば朝葉君は驚くほどのスピード感で自分の非を認めた。
早いところその価値観を自分にも適応してほしい。
「とにかく、今回のことは彩葉に報告するから」
「そんな!それだけは、それだけは勘弁して……いやだ、もう噛まないで、笑顔でスマコン着けようとしないで……」
「ちょっとその話詳しく」
目が虚になった朝葉君が、うわごとのように大変興味深いことを呟き始めたので思わず詰め寄る。
そこから朝葉君が正気を取り戻すまで、周りの席の人にはご迷惑をお掛けしてしまった。
「それで、今日はどうしたの?」
「うん、実は芦花ちゃんに謝らなきゃいけないことがあって」
「謝らなきゃいけないこと?」
お互いに落ち着いてから気を取り直しして本題に入ると、これまた珍しい話題を切り出された。
朝葉君から謝られること。
さっきの自分を軽視する悪癖を除けば、一つだけしか思い当たらない。
「あっ、何も言わずに月に帰っちゃったこと?それなら前にも謝ってもらったし……」
「それも本当に申し訳ないと思ってる。でも、この謝罪は別のことに対してなんだ」
てっきり例の事件のことかと思ったけど、どうやら違ったらしい。
まあ、あの件については私も含めて関わった人達みんなに説明と謝罪が行われたし、今更掘り返すことでもない。
でも、だとしたら一体何のことで謝られてるんだろう?
「……これは僕のケジメみたいなものだ。そんな自己満足に付き合わせることも含めて、謝らせてほしい」
「う、う〜ん?話が見えてこないんだけど……」
真面目な話であることは態度から察せられるけど、その内容には皆目見当もつかない。
朝葉君は真剣な表情を崩さないまま、一瞬だけ目を伏せてから口を開いた。
「僕は芦花ちゃんの恋愛相談に乗っていたよね?」
「恋っ!?……ま、まあそうだね?」
直接的な表現に驚いてつい動揺してしまう。
いつもならそんな私の姿を見れば微笑むなり謝るなりするはずなのに、今日は不自然なほど表情を変えなかった。
「僕は君が彩葉に特別な感情を抱いていることを知って、君がより良い道を選ぶ手助けになればと思って相談に乗っていた」
「……うん、本当に感謝してるよ。朝葉君のお陰でどれだけ助けられたか」
「違うんだ、僕は……」
朝葉君の声が急に弱々しくなって、ついには顔を俯かせてしまう。
そして、腹を括るように一つ息を吐いてから再度目が合わせられた。
「僕は、最初からかぐやのことを知っていたんだ」
「……ん?」
重大なことを告白するような顔で放たれた言葉は、一度で噛み砕けるものじゃなかった。
朝葉君がかぐやちゃんのことを知っていた。
それがどうかしたんだろうか?
朝葉君が元月人でヤチヨ経由で私達のことをずっと昔から知っていたことは聞いた。
だから、昔からかぐやちゃんのことを知っていることだって当たり前だと思うんだけど……。
「かぐやが地球に来ることを知っていた。彩葉とツクヨミでライバー活動をすることも、二人で沢山の思い出を積み重ねることも」
一つ一つ、まるで懺悔をするかのように呟いていったあと最後に一際低い声で言った。
「かぐやと彩葉が、お互いを大切に想い合うようになることも」
「……あ」
そういうことか。
朝葉君は私の相談に乗ってくれてる時から、かぐやちゃんと彩葉が特別な関係になることを知ってたんだ。
「彩葉に特別な相手ができることを知っていて、それを黙ったまま君の相談を聞いていた。君に対して、不誠実な行いをした」
「だから、ごめんなさい」と言って深く頭を下げる朝葉君が、とても小さく見える。
それだけこの話を打ち明けることが恐かったんだろう。
確かに、朝葉君のしたことは人によっては不誠実に見えるのかもしれない。
場合によっては、怒って絶交することだってあるのかもしれない。
それでも、私にはどうしても朝葉君に怒る気にはなれなかった。
「顔を上げて、私は怒ってないから」
「でも、僕は君に秘密を黙っていた。味方になるなんて言っておきながら自分の目的のために隠し事を……」
私が許そうとしても頑なにそれを認めようとしない。
そんな態度に怒るとかかよりも呆れが勝ってしまった。
今まで隠していただけで、実は朝葉君も彩葉と同じくらい難儀な性格をしていることはもうわかってる。
そんな本性を知ってしまった以上、曖昧な態度を取っていつまでも苦悩させるわけにはいかない。
「そうだね……で、それに何の問題があるの?」
思うに、朝葉君は色んなことを独りで背負い込みすぎているんだ。
誰かの為に必死になれるのは美徳だけど、何事も行き過ぎれば毒になってしまう。
「朝葉君はさ、私の話を沢山聞いてくれたよね?本当はそんな義理もないのに、君にできる精一杯で支えてくれた……私はそれに救われたの」
これは私の恋で、朝葉君はそれを見守っていてくれた。
それだけで十分だったんだよ。
それ以上を望んだら、それはきっと私の恋じゃなくなってしまうから。
「君に感謝することはあっても、恨むことだけは絶対にないよ」
結局はこれに尽きる。
何も言わずに月に帰ってしまったと聞いた時は自分でもびっくりするくらいドス黒い感情が湧いたけど、そんなことでもなければ私が朝葉君にマイナスな感情を抱くことはありえない。
朝葉君も私にとっては大切な人だから。
「それに、月からやって来た女の子と彩葉が特別な関係になるなんてあの時に言われてたら、朝葉君の精神状態を心配してたよ?」
「それは……ごもっともだね」
私が冗談めかして言うと、朝葉君も少しずつ表情の硬さが取れていった。
「……敵わないな、芦花ちゃんには」
そして最後には降参とでもいうように眉を困らせながら、小さな笑顔を浮かべてくれた。
やっぱり、朝葉君は笑ってくれている時が一番落ち着く。
しかし、朝葉君はすぐにその表情を切り替えて今度は気まずそうな顔を作り出した。
「それで、非常に申し上げにくいのですが……もう一つ謝らなければならないことがあります」
「え?まだあるの?」
流石にちょっとやらかしすぎじゃない?
前まではなんやかんや言いつつ勉強もできて場の空気も良くしてくれる頼もしい男の子だと思ってたけど、最近の印象は歩く爆弾魔だ。
色んな意味で目が離せない。
「それで、今度は何をやらかしたの?」
「いや、やらかしたというか知らないところでやらかされてたというか……」
頭すら抱え出しそうな朝葉君の様子に嫌な予感しかしなかった。
さっきまでのシリアスな雰囲気とはまた違った圧を感じる。こんなところで緩急を出さないでほしい。
「僕も最近気づいたんだけど……彩葉が僕の記憶を全部見たのは知ってるよね?」
「うん、聞いた時はびっくりしたし心配もしたよ。またとんでもない無茶してるなって──あれ?」
私の反応を見た朝葉君が沈痛な面持ちで目を伏せる。
よくよく考えたみれば、彩葉は朝葉君の記憶を見てその全てを知っている訳だ。
いつ、どこで、誰と、何をしていたか。
つまり──
「私と朝葉君の相談会の内容も……?」
「知っていると考えるべきだね」
「…………」
真っ白になった。
頭の中もそうだし、視界もそうだし、私自身からも色が抜け落ちてしまったかのように錯覚する。
「ろ、芦花ちゃん?戻って来て?」
「……はっ、天国っぽい場所で川を渡りそうになった」
「危なかったね。それ渡りきったらもう戻って来れないやつだよ」
しみじみと言われた言葉には、嫌な実感が籠っていた。
朝葉君は何百回と転生したみたいだし、亡くなってしまった回数もそれだけあるということなんだろう。
……だとしたら、今のはかなり重めなブラックジョークだったのかもしれない。
と、そんな現実逃避にいつまでも時間をかけるわけにもいかず。
そろそろ正気に戻らないと。
「どうお詫びしたらいいか……もう、腹を切るしか」
「絶対にやめてね?朝葉君は悪くないよ、責任を感じる必要もない」
「そうは言っても……」
「私がいいって言ってるの。それに、丁度よかったのかもしれないから」
彩葉とかぐやちゃんとヤチヨの関係はもう知ってる。
三人はお互いを特別に想っていて、きっとそれが変わることはないんだと思う。
その事実に、胸の内が異様に重たくなって澱が溜まったような不快感を感じる。
かぐやちゃんやヤチヨに嫉妬してる訳じゃない。
二人の彩葉への想いは本物だし、報われてよかったとすら思ってる。
私がモヤモヤしているのは、自分に対して。
気持ちを隠して、本心から逃げて、朝葉君に都合よくガス抜きしてもらって。
そんなことを続けているから、望んでいない形で気持ちがバレてしまうことになった。
これは、私への罰だ。
自分の気持ちに本気で向き合わなかった罰。
でも、だからってそれで全部を諦められるほど私はもう潔い人間じゃない。
「前までの私ならこのまま現状維持を選んだと思う。彩葉が幸せなら私も幸せだから。今でもそういう気持ちがない訳じゃないし……でもね」
強がりだとバレてるかもしれないけど、それでも精一杯の笑顔を浮かべて見せた。
「朝葉君に甘やかされたせいで、私もかぐやちゃんみたいに我儘になっちゃったみたい」
私は朝葉君に変えられてしまった。
朝葉君のおかげで変わることができた。
相談会だけでなく普段から沢山気を回してくれて、私の想いを私以上に大切にしてくれて。
自分がどれだけ彩葉のことを想っているのか、これ以上なく理解してしまった。
今更諦めるなんて選択肢が取れないくらいに。
「告白、しようと思う」
「……そっか」
私の決意を、朝葉君はただ受け止めてくれた。
咀嚼するように何度か小さく頷いた後、合わせられた目がゆっくりと細められる。
「前に言ったことを違える気はないよ。どんな結論を出しても僕は芦花ちゃんの味方だ」
「あ、ありがとう……ふふっ、結局朝葉君に頼りきりになっちゃってるね?」
「それは違う」
気恥ずかしさを紛らわせるために言った自虐混じりの軽口を、真剣な声色で否定されてしまった。
表情は穏やかなまま、言い聞かせるような言葉を向けられる。
「それは君が沢山悩んだ末に決めたことなんだから、僕のことなんて関係ないよ……心から尊敬してる」
「……うん」
こういうところが本当にずるい。
欲しい言葉を過剰なくらい大きくしてから渡してくるこの感じ、彩葉とは別方向の人誑しだなとつくづく思う。
しかもこれで媚が入ってない純度百パーセントなんだから余計にたちが悪い。
お兄さんも前にツクヨミで会った時沼っぽい感じがしたし、もしかしたら血筋的にそうなのかも?
中でも朝葉君は他二人と違って見境がないから、その内背中を刺されたりしないか心配だ。
「さて、朝葉君への決意表明は済んだし──」
一度決めたなら行動は早い方がいい。
彩葉に告白する前に、最後の大仕事を片付けなければいけないんだから。
「かぐやちゃんとヤチヨに、筋を通さないとね」