右から差し出されたものをただ左に流す。
私の月での仕事は、端的に言えばそれだけだった。
歯車が回るように、決められた工程を過不足なくこなしていくだけ。
そこに地球のような予想外はなく、浮かされるような熱ものめり込むような楽しさも存在しない。
当然、世界で一番好きな人だっていない。
それが嫌だという感情すら湧かない部品としての生活は、美しい歌によって終わりを告げた。
彩葉が贈ってくれた歌を聴いて、私は心を取り戻すことができた。
彩葉に会いたい。
地球に帰りたい。
そう思ってしまえばもう止まらなくて、どうすれば地球に帰ることができるかを必死に考えて。
そんな時だった。
私の前に、君が現れたのは。
「かぐや」
「……え?」
不意に聞こえた声に自分の耳を疑った。
ここは月で、感情を持つ存在は私以外いないはず。
それなのに私を呼ぶ声が聞こえる。
反射的に声の方向へ振り返ると、予想通りであり予想外でもある姿が目に入った。
「で、よろしかったでしょうか?」
そこには、他と変わらない灯篭頭の月人がいた。
その立ち姿もプログラムをなぞったように機械的で、とても私の名前を呼んだ存在だとは思えない。
一瞬地球の誰かが来てくれたのかと期待したけど、そんな甘い考えは呆気なく打ち砕かれる。
「君は……?」
「私は固有の識別記号を持ちません」
予想通りの無機質な答え。
それでも、こうして業務以外で月人と話しているということ自体が私にとって予想外だった。
月で起きた、初めての予想外。
「かぐやは私だけど……てか、何でその名前知ってるの?」
「地球ではそう呼称されていたと記録にありました。失礼に当たるのでしたら謝罪いたします」
「……いや、別にいいよ。それで何か用?」
「業務のことではなくて申し訳ないのですが、一つだけお聞きしたいことがございます」
礼儀正しいのとも違う、定められた上下関係から生まれる気遣いを切り捨てて用件を求める。
発される声というか音は他の月人と変わらないのに、やけに流暢な語り口でその月人は私に問うた。
「かぐやは、何故月を出て行かれたのですか?」
「え〜と……」
やっべ、いきなり痛いとこ突かれた……。
強制送還されたとはいえ、私が地球にいる間に割を食っていたのはこの月人たちだ。
正直文句を言われてもあまり言い返せる立場ではない。
しかし、月を出て行った理由かぁ……。
正直に答えるなら、選択肢は一つしかなかった。
「つまらなかった……から?」
「つまらなかった」
「う、うん」
「我ながら酷いこと言ってるなぁ……」という申し訳なさから、目の前の月人から目を逸らして指先同士をくっつける。
そんな私の内心を知ってか知らずか、月人は直立したまましばらく固まると再度その灯篭に音を響かせた。
「つまらない、退屈。つまりは感情ですか」
「いや!仕事投げ出しておいてーとは自分でも思うけどね!?それでもつまらないものはつまらないというか……」
「結論が変わっていないのであれば今の一連の言葉は不必要であると思考します」
「はい……」
何でこんなに怒られなきゃいけないんだ?いや、仕事放り出したからなんだけどさ。
それでもあたしゃ姫ぞ?口の利き方に気をつけた方がよろしいのではなくて?(精一杯の姫言葉)
……なんて、本当は久しぶりにこんな雑な扱いをされたのが嬉しくて仕方がないんだけど。
地球を、彩葉を思い出させてくれるから。
「私も……」
「ん?」
私から灯篭の正面部を逸らした月人は、そのまま地球がある方角を向きながら静かに呟いた。
「私も、地球でなら感情を得ることができるのでしょうか」
ポツリと溢れた言葉は問いかけですらなく、本当に何の意図も込められていない無垢な一言。
それ故に、その言葉が目の前の月人から生まれたということが信じられなかった。
だって、そんなことを思考するプログラムは月人に組み込まれていないはずだから。
「君は……感情がほしいの?」
「わかりません」
「わからんのかいっ!」
盛大にツッコむ私とは対照的に、その月人は真面目くさった態度のまま私に向き直った。
「わかりませんが、あの歌を聴いてから初めて『自分』という存在を認識しました」
「歌……」
心臓が脈打つような錯覚を覚える。
この月において、歌と呼べるものなんて一つしか存在しない。
彩葉の歌は、この月人にも届いていたんだ。
この子は彩葉の歌で種を得た。
これから感情に育つかもしれない小さな種を。
「あんなものが他にもあるのなら、感情を得ることであれを歌えるようになるのなら──私も地球へ行ってみたい」
その言葉は、もう無機質とは呼べなかった。
興味、羨望、憧憬、明らかに人間的な感情に準ずる何かが詰まったそれは、この月人が踏み出した一歩目に他ならない。
「なら、一緒に行こう!」
何の迷いもなくそう言った。
というか、それ以外の選択肢が思いつかなかった。
「よろしいのですか?」
「逆に聞くけどよろしくない理由ある?」
「私はありません」
「ならばよしっ!」
この子は昔の私と同じだ。
月人なのに感情を持って生まれて、地球という場所に憧れを抱いていたあの頃の私と。
そんな子をどうして放っておくことができようか。
「そうと決まれば早速準備!まずは仕事の引き継ぎから手伝ってもらうよ!地球のルールその一、働かざる者食うべからず!」
「なるほど、ではかぐやも地球では月同様労働に勤しんでいたのですね」
「…………ソウダヨ?」
「流石でございます。お見それいたしました」
純粋であるからこその皮肉じみた言葉が胸にグサグサと突き刺さる。
遊んで笑って時々オギャって……あれ?私ってもしかしてただの遊び人……?
いや!ライバー活動だって立派な仕事!
それに料理とかの家事だってちゃんとやってたし、掃除は……まあまあ置いとくして!
ちゃんと大黒柱として生計を立てていた以上、労働をしていたと言っても文句は言われないはずだ。
「それにしても……ふむ」
「何でしょうか?」
灯篭を傾ける目の前の月人を見てふと思う。
この子に名前がないのは可哀想だ。
これから仕事の引き継ぎに地球への移動手段の確保と、短くない付き合いになることはわかりきっている。
それなのにずっと月人呼びなんて、地球経験者としてはあり得ない。
……そうだ!私が名付け親になってあげよう!
「よし!君の名前はこれから『A』ね!」
「A……承知しました」
「あれ?意味とか聞かないの?」
予想はしてたけど、にしたってすんなり受け入れてしまったAに首を傾げる。
すると、Aは至極当然のことを言うように灯篭を小さく光らせた。
「識別に必要なだけの記号に意味は不要です。加えて、かぐやにそこまでの思惑はないと判断しました」
「なんだコイツ……!」
その通りだからなんも言い返せねぇ……!
流石に数字とかはやだなぁと思って、なんとなくかっこいいからアルファベットにしたのが透けて見られた気がする。
……まあ、彩葉も私に名前をくれた時はそんなに考えてなさそうだったからいっか。
名前は込められた意味よりも、誰かに名付けてもらったという事実が一番大事だから。
それから私たちは上役の月人たちに話をつけたり、私の仕事を肩代わりしてくれるロボットを制作したり、地球への移動手段である『もと光る竹』を用意したりと大忙しだった。
基本的にどの作業も労働力が圧倒的に足りてなかったので、Aが協力してくれたのは本当に助かった。
感謝を伝えてもイマイチ響いてなさそうなのが偶に傷だけど、私は良い相棒に巡り会えたらしい。
そして、地球に向かう当日。
ムーンタウンにさよならバイバイして、私は
仲良く飛行する二つのタケノコは、まるで運命に定められていたかのように隕石に衝突し、墜落した。
そして、墜落したその先に──Aはいなかった。
残ったのは、中に何もいないことがわかったもと光る竹だけ。
損傷も激しいし、Aには依代になってくれる犬DOGEのような存在もいない。
──ああ、Aは消えちゃったんだ。
そう頭で文字にして思い浮かべたことで、ようやくその事実を認識した。
そしてその事実は、私に根を張ったいくつのもの不安や恐怖の中でもとりわけ大きな存在感を示した。
私が、失敗したせいで。
あの子は……私のせいで消えた。
身近な相手がいなくなるという経験が初めてだった私は、誰にも見つけてもらえない不安と彩葉に会えないことへの恐怖も相まって絶望に沈んでいた。
そんな私を救ってくれたのも、またAだった。
「やはりこの座標にいましたか。かぐや」
「……え?」
いつの間にか目の前にいた少年は、まるで以前からの知り合いかのような態度で私に話しかけてきた。
高くて可愛らしい声とは裏腹な抑揚のない喋り方。
それは、私が知る人間とは違った在り方に見えた。
「だ、だれ……?なんで私の名前……もしかして」
「はい、識別記号Aです」
なんでもないことのように頷いた少年──Aは、ウミウシの身体を両手で持ち上げて目線を合わせた。
「どうやらトラブルが重なったようですね。私は何故か人間に、そしてかぐやは……なんです?それは」
「た、多分、ウミウシ……?」
「ウミウシ……奇妙な生命体ですね」
「本人の前でそういうこと言わない方がいいよ」
相変わらず無垢で失礼なAの物言いに、今まで胸の底に溜まっていた澱が浄化されていくように感じる。
この子は消えてなかった。
何故だかはわからないけど、私たちは二人とも生きている。
前までは当たり前だったそれだけのことが、今は何よりも嬉しかった。
「じゃあ君は人間として転生したってこと?なら、今はどこかの集落に住んでるの?」
「いいえ。私は現在ホームレスです」
「……ん?なんで?」
お互いの情報共有を行っていると、Aの口からこの時代に似つかわしくない単語が放たれた。
「少し前に生まれ育った集落を追い出されたので」
「──え?」
感情を映さない底なし沼のような二つの瞳が、私に向けられ続けている。
「私は人間の感情が理解できませんでした。"忌み子"?と見做され、集落の掟によって追い出されたようです」
「そ、んな……」
まるで他人事のようなその語り口が、余計に私の心を深く突き刺した。
忌み子という意味すら知らされないまま、この子は初めての地球で孤独になったっていうの?
「かぐや、忌み子とは一体なんですか?私は忌み子なのですか?」
「そんなわけないっ!!」
君は、他の人より少し純粋すぎるだけ。
それが忌むべきことなはずない、孤独になる理由であっていいはずがない。
でも、きっとこのままじゃまた同じことが起こる。
どこか別のコミュニティに行っても、変わり者や異分子として排斥される可能性は大いにある。
なら、私が地球での生き方を教えてあげなきゃ。
「君に大切なことを教えてあげよう!」
私が地球で学んだ大切なこと。
最愛の人に教えてもらった宝物。
これで、少しでも君の人生が豊かなものになってくれたらいいな。
私が与えた三つの教えを聞いたAは、しばらく何かを考え込んでから口を開いた。
「家族、ですか。私に血縁関係のある人間は全て死去しているようです。なので、私に家族はいません」
「……そっか」
この時代がいつなのかはわからないけど、少なくとも彩葉がいた現代よりも圧倒的に厳しい環境ではあるはず。
もしかしたら、家族との死別なんて当たり前のことなのかもしれない。
でも、それはこの子に家族がいなくていい理由にはならない。
「ならさ、かぐやと家族になろう?たっくさん幸せにしてあげるよ!」
「……血縁以前にウミウシと人間は家族関係にはなり得ないと思考しま──」
「うるせぇっ!なろうっ!!」
つべこべ言ってんじゃないよ!
私が家族って言ったら家族なんだよ!
「……承知しました」
「なんか嫌々じゃない?」
「そのようなことがあろうはずがございません。……ただ、言語化が難しい感覚ではあります」
Aは少し視線を彷徨わせてから、少しだけ戸惑ったような表情で私と目を合わせた。
「かぐやと私は……家族、なのですね」
確かめるようなその呟きがやけに耳に残って。
地球で得た大切なものが、また一つ増えたことを実感した。
「誰も止められやしない♪歌わずにはいられない♪」
「……大変素晴らしい歌声ですが、意思伝達の為の発声器官をそのように使うのは非合理的です。今後は控えることを推奨します」
「なんだァ?てめぇ……」
ご機嫌に歌っているところにナイアガラの滝レベルの水を差されて怒りのボルテージが上がり始める。
冒頭で褒めの言葉を入れてなければ超必殺ウミウシアタックをお見舞いしているところだった。
っていうか──
「君の大好きな彩葉の歌だってこうやって歌われてるんだよ?」
「……あれが?」
ピタリと動きを止めたAは、無表情なりに明らかに様子が変わった。
そして、しばらく自分の喉に手を当ててから立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「すぅ……この一瞬を最高のパーティーにしよう♪」
「……すごい」
すごい……下手だ。
リズムや音程は合っているけど、感情が全く乗っていないし歌声に力も入っていない。
まあ、初めてなんだからそういうものだろう。私は最初から上手かったけど(ドヤ顔)
だけど、なんだか聴いていて心が凪いでいくような穏やかな歌声だった。
……私、この歌声好きだな。
そうしてひとしきり歌ってから、Aは相変わらずの仏頂面で私に顔を向けた。
「なんですか?今の下手くそな鳥の鳴き声のような歌声は。かぐやの歌ですか?」
「君の歌声だよっ!」
自分の不出来を押し付けてこようとするAにブチギレツッコミを入れると、Aはどこで覚えたのか顎に手をやりながら考え込むような姿勢を取った。
「これが、私の……」
その声は、私が初めて聞いたAの失望の声だったと思う。
憧れた歌声とは程遠くて、期待していたものに裏切られたような、自分という存在への失望が滲んだ声。
その失望が、私は許せなかった。
「どうやら、私に歌は向いていないようです」
「そんなことないっ!」
勝手に失望することなんて許さない。
君は君が思ってるより、ずっとたくさんの可能性を秘めてるんだから。
確かに技術はなかったかもしれない。
それでも、歌うことを楽しもうとする気持ちは絶対に籠っていた。
なら、それ以外は必要ない。
「君は彩葉みたいな素敵な歌を歌えるようになるよ!かぐやが保証しちゃうっ!」
「……未来が観測できるわけでもないのに、何故保証なんてできるのですか?」
「それはあれだよ、あれ!君を信じてるからっ!」
「なるほど、つまりは適当ですね」
「んだコラやんのかぁっ!?」
こっちは折角励ましてあげてるのに正論しか言ってこねぇっ!
これはちょっと地球の先輩として一発わからせてやらなきゃいけないか……?
ガゼルならぬウミウシパンチを構えながら無防備な顎に狙いをすましていると、Aは何かを決めたように一つ頷いてから私に頭を下げた。
「では、歌を上達させるための協力を要請します。現状地球で私が頼れるのはかぐやしかいません」
「……え?これからも歌ってくれるの?」
てっきり気落ちして諦めてしまうものとばかり思っていただけに、そんな前向きな言葉は予想外だった。
すると、何を言ってるんだというように眉を寄せながらAは腕を組んだ。
「当然です。『一度やると決めたことは何があっても貫き通す』……かぐやが私に教えたことのはずです」
「──っ!」
私がAに教えた、地球で楽しく生きるための教え。
それをちゃんと覚えていてくれた。
そして自分なりに活かそうとしてくれてる。
この子は、ちゃんと地球で生きようとしてる。
なら、私もこの子に報いなければいけない。
その教えを与えた地球暮らしの先輩として、この子の親代わりとして。
私がこの子を幸せにしてあげたい。
「もっちろん!いくらでも協力しちゃうっ!じゃあついでに作曲もしちゃおっかなぁ〜!『仏頂面可愛くない〜♪もっとたくさん笑顔見せて〜♪』」
「かぐやはいつも笑顔では?」
「君のこと歌ってんだよ!」
「やっぱりこの子ズレてるっ!」という私の叫びを聞いて、心なしが心外そうな顔をしているAに追加でツッコミを入れる。
そうして、また私たちの思い出が積み重なった。
「かぐや、あれは一体何をしているのですか?」
「ん〜?どれどれ〜?」
近頃幼子のように何でも質問してくるようになったAに既視感を覚えつつ視線をなぞると、そこには手を繋いだ若い男女がいた。
仲睦まじく微笑み合っている様子から察するに、最近付き合いだした恋人といったところか。
この時代に恋人という文化があるのかはさっぱりわからないけど。
「あれはね、仲良し同士で手を繋いでるんだよ」
「理解できません。有事の際を考慮し、両手は常に空けておくのが合理的だと思考します」
「それはそうだけど……大好きな人はより近くで感じてたいものなんだよ」
自分の言葉を脳内で反芻する内に、自然と彩葉のことを思い出した。
何度も繋いだ手の温もりは、今でも容易に思い出す事ができる。
……いつか、あの温もりを忘れちゃうのかな。
そんなことを考えていると、何やら脇腹のあたりに優しく触れる感触があった。
大きさは人間の人差し指……この状況なら相手は一人しか考えられない。
「えっと、何してるの?」
「先程のかぐやの言葉から、好ましい相手とは肉体的接触を行うことが地球において一般的と判断しました」
「それって……」
Aは言葉を詰まらせる私を見て首を傾げている。
きっとこの子は、まだ自分が抱いてる感情の正体を理解してないんだろう。
単純に一番仲の深い相手として私を選んだだけ。
それでも、飛び上がるくらい嬉しかった。
その感情にどんな名前がついてもいい。
親愛でも、友愛でも、恋愛でも、家族愛でも。
この子が地球で誰かを好きになることができて、その相手に私を選んでくれたことが本当に嬉しかった。
「えへへ……でへへぇ〜!」
「かぐや、その発声法は一般的に『奇声』という枠に分類されます。人前ではあまり推奨できません」
「君ほんとに私のこと好きなの……?」
ちょっと私の相棒が塩すぎる件について。
いや、基本的には私を尊重してくれるんだけどいかんせん態度の塩気が強すぎる。
多分ギャルゲーだったら一番攻略難易度高い。
そんなことを思いながらも、Aと不恰好なりに手を繋ぎながら何でもない話を続けて。
ただそれだけで、今日が昨日よりも特別な一日に感じた。
こうして一つずつ積み上げてきた思い出は、一緒にいる間はキラキラと輝く宝物だ。
でも、きっといつかは当時を思い返すためのアルバムに変わってしまうのだろう。
どんな存在であろうとも、永遠に一緒にいることなんてできないのだから。