この時代において、死というものは酷く当たり前の現象だった。
飢えれば死ぬ。争えば死ぬ。何もしなくても死ぬ。
そして、それがまるで当然のことのように受け入れられている。
私たちはそんな場面を何度も目の当たりにして、その度にそれが自分たちに降りかかる恐怖に震えた。
中でも特に恐かったのは複数の狐に襲われた時だ。
狐は基本大きくは群れないという話を昔彩葉に聞いていたため、恐らくあれは家族か何かなのだろう。全く役に立つ知識ではなかったことが悔やまれる。
一切の整備がされていない自然だらけの世界は、容易に人と獣が出会ってしまう。
今まで大好きだった狐にトラウマを植え付けられたのは中々に苦い思い出だ。
Aに関しては私より過食部が多くて狙われやすい分余計に怖かっただろう。
将来狐に噛まれることがないよう祈るばかりだ。
……そして、この時代の恐ろしさはそれだけじゃ終わってくれなかった。
獣と同等かそれ以上に恐ろしい……病の凶悪さ。
Aはまだ子供といえる年齢で病を患った。
「そうですか……これが、死ですか……」
「ダメッ!お願い、いかないで!」
体調を崩して僅か三日で寝たきりになり、そこから更に三日で瀕死の状態に。
今のAは、誰がどう見ても明日を迎えることはできない身体になっていた。
「私を一人にしないでよ……!」
「もうしわけ、ありません……」
胸元に縋りついて涙を流す私に謝罪の言葉を溢したAは、そこで初めて笑顔を浮かべた。
穏やかで優しくて儚い、綺麗な微笑み。
そんな顔ができたなら、もっと早くしてよ。
そうすれば、君はみんなから愛される人になることができたのに。
「……かぐや」
「……なあに?」
弱々しい声だった。
もう話さないでほしい、それ以上生きる力を零さないでほしい。
そう思っても、この子の次の言葉は絶対に聞かなければいけないと直感した。
じゃないと、きっとこの先一生後悔するから。
Aは下手くそな笛のような音を喉から鳴らしながら、それでも最期にはっきりと言葉を遺した。
「私は、貴女を……愛していたのですね」
「──っ!」
まるで、やっと伝えられたとでも言うように満足そうな笑みを浮かべて。
Aは二度と覚めることのない眠りへと落ちていった。
涙が溢れて、落ちて、流れ続ける。
小さなウミウシの身体のどこにそんな水分が溜め込まれていたのか不思議になるほどの量の涙が、Aの胸元を濡らしていく。
「やだ……やだよぉっ……!」
本当にずるい子だ。
今まで散々塩対応だったくせに、最期だけそんなことを言って。
「そんなの、私だって……!」
私だって、愛していたはずなのに。
なんで生きてる時に言ってあげなかったんだろう。
その日の晩は、私が知る中で一番長い夜になった。
それから、ざっと二十年と少しが経ったある日。
「かぐや、お久しぶりです」
「……え?」
道端でいきなり声をかけられて『まさかナンパ?ウミウシ相手に?酔狂だな……』と思いながら振り返る。
すると、そこにいたのは少なくとも思い出す限りでは一度も会ったことのない青年。
それでも、その仏頂面には見覚えしかなかった。
「もしかして……Aなの?」
「はい。かぐやはお変わりないようで何よりです」
「君は変わりすぎだよ!?」
うわっ!このとんでもなくズレた感じ絶対Aだ!
こんな場面でこんなズレたこと言えるのA以外にいるわけない!
「恐らくは私という存在が輪廻転生に巻き込まれ、月人であることが災いしてなにかしらのエラーが起こったと考えるべき──」
「そんなのどうでもいいってっ!!」
相変わらず変なところばかり気にする。
でも、それがAが戻ってきてくれた証のように思えて、嬉しさと愛おしさが胸の中でビッグバンを起こした。
「うわ〜んっ!会いだがっだぁぁぁ〜っ!」
「私もです。しかし、人通りの多いところであまり奇声を上げるべきではないかと」
「ごんな時ぐらい許じでよぉ〜!」
本当に風情もへったくれもない子だ。
こんなに塩対応なら名前をソルトにするべきだったかもしれない。
小言を言いながらも優しく私の背を撫でてくれるAに甘えつつ、小一時間経ってようやく涙が収まった頃。
この子に、絶対に言ってあげなきゃいけないことがあったことを思い出した。
「ねえ、私ね?ずっと君に言いたかったことがあったんだよ?」
「なんでしょうか?」
「──愛してる」
私の言葉を聞いて不思議そうに首を傾げるAの肩に乗って、その心に届くように祈りを込めた。
「愛してる、愛してる、愛してるよ……ダメだな、何回言っても足りないや」
何度言葉にしても、胸の内の想いに比べれば雀の涙ほどしか伝えられていないように感じる。
それがA相手ともなれば尚更だ。
わかってるよ。君が自分に向けられる愛に酷く鈍感なことも。
それが君のせいじゃなくて、月人としての特性から抜け出せていないのが原因だということも。
それでも、伝えずにはいられない。
もうあの時のような後悔はしたくないから。
「それで?君はどうなの?」
「以前にも伝えたはずですが」
カーッ!ほんっとに乙女心ってもんをなーんにもわかってない子だよ!
将来この子と付き合う子がいたらとんでもなく苦労するんだろうなぁ……。
「こういう時は自分からも言ってあげるものなの!」
「ふむ、なるほど……当然、あの頃から気持ちは変わっていません」
納得したようなしてないような曖昧な態度ながらも、Aは肩に乗る私に目を向けて柔らかく微笑んだ。
「私も貴女を愛しています」
「……うん。嬉しい、ありがとう」
本当に嬉しい。
今度はちゃんとお互いに言い合えた。
この奇跡には感謝の気持ちしか湧かない。
それからも、Aは何度も転生を繰り返しながら私の下に来てくれた。
「おお!今度は随分可愛くなったね!」
「雌雄が変わっただけですが」
「身体おっき〜!」
「家業が大工だったんですよ。これくらいのタッパがないと務まりませんからね」
「おっぱいデッッッカ!!」
「いや、コレ普通に邪魔なんだけど……」
「イヤミか貴様ッッ!!!」
君は地球で過ごす時間が増える度にどんどん感情が豊かになって、私に新しい顔を見せてくれた。
まあ、転生してるから本当に新しい顔になってるんだけどね(ノンデリプリンセスかぐや)
ちなみに、Aの胸部装甲が雄大な時にはその上が私の定位置になってたりする(職権の濫用)
……感情を知っていく内に、あの子はどんどん人間のことを好きになっていった。
私もそれが嬉しくて、誰かと関われることが楽しかった。
だからこそ、大好きな誰かとのお別れは私たちの心に大きな傷を残していった。
「また、助けられなかった……これで何度目だろうね」
「……気に病んじゃダメだよ。あんなに大きな火事、もし仮に間に合ってても君まで──」
「私はいいんだよ、どうせ転生するんだから。でも、あの人は……死んじゃいけなかったのに……」
Aは人間を愛していた。
……愛しすぎてしまった。
誰かの為に自分を削って、それが上手くいかないと更に削って。
とうとう自分の命までも粗末に扱うようになった。
それがすごく悲しくて、見ているだけで苦しくて。
……でも、それだけならまだマシだったのかもしれない。
自分で自分を傷つけるなんて真似をするよりは、ずっと。
「ちょっと、何してるの!?」
「え?なにが?」
不思議そうな顔でこちらを見るAの首には、痛々しい引っ掻き傷が無数に重なって赤黒い血が首元まで滴っている。
そして、Aの右手の爪にもやはり血が付着していた。
何が起こったかは想像に難くない。
「そんなことしたら死んじゃうよっ!?」
「ん?……あれ、なんで血が出て……あ〜、そっか」
Aは何かに納得したような声を上げると、自嘲するように息を吐いてから私に背を向けた。
「ごめんね、かぐや。次に会えるのは少しだけ後になるかもしれない」
「っ!そ、それって──」
「大丈夫、必ずまた会いに来るから」
私の言葉を最後まで聞かずに、Aは私では追いつけない速度でその場を去った。
その後のことを私は知らないし、きっと聞いても教えてはくれない。
ただ事実だけを言うのなら、次に会った時のAは別の姿に転生していた。
そして、それからAは歌わなくなった。
私が歌えば嬉しそうに聴いてくれるけど、自分では鼻歌すら歌わない。
まるで、その資格を失ってしまったかのように。
歌によって感情の種を得たはずのAは、その感情によって歌を失ってしまった。
あんなに大好きで、大勢の人を笑顔にできるくらい上達した歌を、この子は失ってしまったのだ。
「また……死んじゃうの?」
「……どうだろうね」
Aが私の下から去ろうとしていることを雰囲気だけでわかるようになって、もうどれだけ経っただろう。
あれから数回の転生を挟んで、Aは自傷から抜け出すことができた。
その代わり、まるで心の傷を増やすように全てを抱え込んだ。
「でも、心配はいらないよ。死ぬのなんて喉にご飯が詰まったようなものだからね。詰まってる間は息苦しいけど、詰まりが取れれば楽なものさ」
ヘラヘラと笑いながら流し目を向けるAの言葉は気遣いに満ちていて、それが余計に痛々しい。
この子はもう人を気遣うことでしか自分を保っていられない。
誰かに尽くす事でしか自分を許す事ができない。
それほどまでに、罪の意識を重ねてしまった。
「……それ、ご飯が食べられない私の前で言うんだ?」
「おっと、これは失礼!」
気休めの冗談にすら大袈裟に笑うAを見て、これ以上ないほどの無力感に苛まれる。
そんな顔しなくてもいいんだよ。
辛い時は涙を流してもいいんだよ。
そう言いたくても、万が一君が壊れてしまうことを考えたら何も言えなかった。
「またね、かぐや。愛してるよ」
「うん……私も、愛してる」
何度この言葉を贈ったのかな。
言葉が擦り切れるくらい伝え続けて、心の奥底まで刻み込むつもりだったのに。
「ふふっ、ありがとう」
やっぱり、私の言葉は君に届いていないんだね。
堪えた何かを隠すような君の笑顔に、今日も私は知らないふりをしたまま見送ることしかできない。
待ってって言いたかった。
行かないでって言いたかった。
君が背負ってるものをほんの少しでも分けてほしいって、言ってあげなければいけなかったのに。
ウミウシの身体でできることなんてたかがしれてる。
そんな風に気を遣われるのはあの子にとって迷惑かもしれない。
なにより、こんな永遠に続くかもしれない苦痛にあの子を放り込んだのは──私だ。
そんな弱音や自責の念ばかりが心を満たして、結局Aの為にできたことなんて何もなかった。
あの子がまた去っていく。
私の前からいなくなる。
いつかまた会えるとわかっていても、お別れする寂しさと悲しさは少しも減ってはくれなかった。
「……そういえば、そんなこともあったっけ」
随分と懐かしい記憶が頭の中を駆け巡って、ぼんやりとしていた意識が覚醒する。
どうやら私はスリープモードだったみたいだ。
なんで今更あんな夢を見たんだろう。
……ああ、そうだ。思い出した。
朝葉の記憶を見たからだ。
あの子の十七年間を見て、あの子が歩んだ足跡の全てを理解した。
大まかな感情の流れだけじゃなくて、あの子が何にどうやって……絶望したのかまで。
あの子の地獄を作ったのは私だった。
視覚を、味覚を、幸せに過ごせるはずだった十七年もの年月を奪ったのは他ならぬ私だった。
個人的な事情を押し付け。
苦しむ姿に気付きもせず。
逆に罪悪感を与えて苦しませている。
私は悪い奴なんて生優しいものじゃない。
私はあの子を愛してはいけない。
私は、あの子の家族なんかじゃ──
「ヤチヨ」
「……え?」
最近になって聞き慣れてきた声が間近から聞こえて、開くのが億劫だった瞼が反射的に持ち上がる。
そうして一番最初に目に映ったのは、私が作った地獄を歩んだ子の顔だった。
「おはよう」
「あさ……は?」
「随分寝てたね?良い夢見れた……わけはないか。ごめん、余計なこと言った」
少しだけ眉尻を下げながら謝る様子から、私が朝葉の記憶を見たことはわかってるらしい。
「あの、えっと……」
いきなりの展開に思考もまとまらず、何を言えばいいかもわからないままあたふたすることしかできない。
そんな私を眺めていた朝葉はあの頃と同じように、それでいて少しだけ晴れやかな顔で微笑んだ。
「さて、少し腹を割って話そうか……お互いに、ね」