ゼロの使い魔 虚無の少女と英雄王の宝物庫   作:僕の考えた最強のルイズ

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第2話 ゼロの少女は、使い魔に嘘をつく

 

 

朝になっても、平賀才人は帰れなかった。

 

目を覚ました瞬間、才人はまず天井を見た。見知らぬ石造りの天井。見慣れない部屋。硬い床。身体にかけられていた薄い毛布。そして、椅子に腰掛けたまま腕を組み、こちらを見下ろしている桃色がかった金髪の少女。

 

夢ではなかった。

 

それを理解した瞬間、才人の顔が引きつった。

 

「……最悪だ」

 

「起きた?」

 

ルイズの言葉が、なぜか分かった。

 

昨日、あの契約を交わす前までは、周囲の人間が何を言っているのかまるで分からなかった。なのに今は、彼女の声が自然に意味を持って耳に届いている。日本語に聞こえるわけではない。けれど、言葉の意味だけが頭に流れ込んでくるような、奇妙な感覚だった。

 

才人は跳ね起きるように身を起こし、毛布を払いのけた。

 

「おはようじゃねえよ! なんでまだここなんだよ! 昨日の、あれ、夢じゃなかったのかよ!」

 

「夢なら、私も助かったわ」

 

「助かったってなんだよ! こっちが助けてほしいんだよ! 帰せよ! 俺、昨日まで普通に東京にいたんだぞ!」

 

「知ってる」

 

才人の動きが止まった。

 

怒鳴るつもりで開いていた口が、そのまま固まる。言葉が通じるようになったこと自体も異常だった。けれど、それ以上に、今の一言はおかしい。

 

「……なんで、東京って言葉に反応しないんだよ」

 

ルイズは扉の方へ視線を向けた。廊下に気配はない。朝早い時間だが、学院の使用人や生徒が動き始めてもおかしくない。

 

だから声を落とす。

 

「騒がないで。誰かに聞かれたら面倒になる」

 

「もう十分面倒だろ!」

 

「もっと面倒になるって言ってるの」

 

ルイズの声に苛立ちが滲んだ。けれど、怒鳴り返す直前で抑える。ここで才人を怖がらせても意味がない。昨日、自分が呼び出した相手だ。少なくとも、この世界で最初に手を引く責任はある。

 

才人は荒い息を吐いて、床に座り込んだ。

 

「……ここ、どこなんだよ」

 

「トリステイン。正確には、トリステイン魔法学院。ハルケギニアという大陸にある国の、貴族の子女が魔法を学ぶ場所」

 

「魔法って、昨日飛んでたやつか」

 

「そう」

 

「じゃあ、本当に異世界ってことかよ」

 

「少なくとも、あんたが知っている日本ではないわ」

 

才人は顔を伏せた。白いTシャツの皺を握りしめる手が震えている。昨日からずっと強がっていたが、普通の高校生が耐えられる状況ではない。

 

ルイズはその震えを見て、胸の奥に小さな痛みを覚えた。

 

この少年は、日本にいた。学校に通って、家に帰って、明日も同じ日常が続くと思っていたはずだ。それを、自分の儀式が奪った。

 

たとえこの流れを知っていたとしても、呼んだのは自分だ。

 

「帰る方法は、探す」

 

才人が顔を上げた。

 

「本当か?」

 

「可能性はある。ただし、今すぐじゃない。たぶん、かなり時間がかかる」

 

「なんでそんな曖昧なんだよ」

 

「断言できないから」

 

本当は、もっと知っている。世界を跨ぐ扉。聖地。虚無。いずれ才人が辿るはずだった道。

 

けれど、それを今話すことはできない。話したところで信じられるはずもない。何より、才人が不用意に口にすれば、彼自身の首を絞める。

 

そして、もう一つ。

 

王律鍵が反応した。

 

昨日のあの熱。ガンダールヴのルーンが刻まれた瞬間、宝物庫へ至る鍵が明らかに才人へ反応した。それはルイズの知っている流れにはなかった。

 

知っていた未来は、すでに少し歪んでいる。

 

「俺、どうなるんだよ」

 

才人の声は掠れていた。

 

ルイズは数秒黙ったあと、いつものように顎を上げた。

 

「表向きは、私の使い魔」

 

「だからそれ、なんなんだよ」

 

「こっちの魔法使いは、進級の時に一生の使い魔を召喚するの。昨日の儀式がそれ。普通は動物や幻獣を呼ぶ。あんたみたいな人間が来るのは異常」

 

「じゃあ帰せよ」

 

「帰せるなら、とっくに帰してるわよ」

 

「そっちが呼んだんだろ!」

 

「だから責任は取るって言ってるの!」

 

声が重なった。

 

部屋に沈黙が落ちる。ルイズは唇を噛み、才人は気まずそうに視線を逸らした。

 

ルイズは立ち上がり、棚から簡単なパンと水差しを取った。昨日の夜、才人が寝た後に用意しておいたものだ。学院の食堂に行く前に、最低限腹に入れさせたかった。

 

「食べなさい」

 

「毒とか入ってないだろうな」

 

「あんたを殺してどうするのよ。帰る方法を探すって言ったでしょ」

 

「……それもそうか」

 

才人は疑わしげにパンを受け取り、少しかじった。すぐに腹が減っていたことを思い出したのか、無言で食べ始める。

 

その様子を見ながら、ルイズは才人の左手へ視線を落とした。

 

「手、見せて」

 

「は?」

 

「昨日刻まれた印よ。確認するだけ」

 

「痛いことしないだろうな」

 

「しないわよ」

 

才人は渋々左手を差し出した。甲に浮かぶ奇妙な文字列。会話は理解できるようになった才人でも、その文字は読めないらしい。自分の手に刻まれたものを、不気味そうに見下ろしている。

 

ルイズにとっては、知識として知っている印だった。

 

ガンダールヴ。

 

神の左手。

 

あらゆる武器を扱う伝説の使い魔。

 

ルイズは指先で触れようとして、直前で止めた。腰の奥に隠した王律鍵が、わずかに熱を持った気がしたからだ。

 

やはり反応する。

 

ごく小さく。けれど確かに。

 

「なんだよ」

 

「……別に。珍しい文字だと思っただけ」

 

嘘だった。

 

才人は不審そうに眉を寄せる。

 

「お前、何か知ってるだろ」

 

「知らないわ」

 

「今の間は絶対知ってるやつだろ」

 

「こっちの古い文字に詳しくないだけよ」

 

「ほんとか?」

 

「しつこい」

 

ルイズは手を離した。あまり長く見ていると、表情に出る。王律鍵とガンダールヴ。この組み合わせは危険だ。宝物庫に眠る数多の武具を、才人のルーンが“扱えるもの”として認識した場合、何が起きるか分からない。

 

才人が宝具に触れる。

 

その想像だけで、背筋が冷えた。

 

この少年は、まだ何も知らない。武器を握った瞬間に戦える力を得ることも、その先で自分の命まで燃やすような選択をしてしまうことも。

 

「いい? 才人」

 

ルイズは彼の目をまっすぐ見た。

 

「これから外に出る。周りには、私が日本や東京を知っていることを絶対に言わないで」

 

「なんで」

 

「私が面倒になるから。あんたも面倒になるから」

 

「またそれかよ」

 

「この世界では、知られない方がいいことが多いの。あんたはまだ何も知らない。だから今は、余計なことを喋らないで」

 

「じゃあ俺はどうすればいいんだよ」

 

「分からないふりをしてなさい」

 

「会話は分かるようになったんだけど」

 

「だから余計に黙っていなさい。理解できても、常識が分からないでしょ」

 

才人は不満そうに顔をしかめた。だが、さすがに状況の悪さは分かっているらしい。小さく舌打ちしてから、残りのパンを口に押し込む。

 

「それと、外では私はあんたにきつく言う」

 

「は?」

 

「主人と使い魔って立場があるから。私があんたを変に庇うと、逆に目立つのよ」

 

「つまり、俺に我慢しろってことか」

 

「そう」

 

「最悪だな、お前」

 

「知ってるわ」

 

才人は一瞬、何か言い返そうとして止まった。ルイズの声に、怒りとは違うものが混ざっていることに気づいたのかもしれない。

 

ルイズは視線を逸らし、扉へ向かった。

 

「行くわよ。朝食の時間になる」

 

「おう……って、待て。俺、文字は読めねえぞ。迷子になったら終わる」

 

「だから、私の近くにいなさい」

 

「それ、命令か?」

 

「忠告よ」

 

そう言ってから、ルイズは扉を開けた。

 

廊下へ出た瞬間、ルイズは表情を切り替えた。背筋を伸ばし、顎を上げ、いつもの“ゼロのルイズ”になる。才人が背後でその変化に気づいた気配がした。

 

食堂へ向かう途中、何人かの生徒が振り返った。視線はルイズではなく、その後ろを歩く才人に集まる。昨日召喚された人間の使い魔。珍しい見世物。平民らしき少年。

 

「ミス・ヴァリエール。その使い魔、ちゃんと躾けられるの?」

 

誰かが笑い混じりに言った。

 

才人の肩が跳ねた。言葉の意味が分かるのだ。分かるから、馬鹿にされていることも分かってしまう。

 

ルイズは足を止めずに答える。

 

「当然でしょ。私の使い魔よ」

 

才人が後ろで小さく唸った。

 

今は我慢して。

 

ルイズは振り返らなかった。振り返れば、余計な顔をしてしまいそうだったからだ。

 

食堂に入ると、才人はさらに目を丸くした。長いテーブル、豪華な食器、色とりどりの料理。貴族の学院らしい朝食の光景。だが、才人に用意された席はない。

 

それも知っている流れだった。

 

使い魔は主人のそばに控えるもの。人間であろうと、この世界ではそう扱われる。

 

才人が不満げにルイズを見る。

 

ルイズはわざと冷たく言った。

 

「そこにいなさい。勝手に動かないで」

 

「意味が分かる分、余計に腹立つんだけど」

 

「分かってるなら黙っていなさい」

 

小声で返すと、才人はぎょっとして黙った。

 

ルイズは席に着いた。正面ではキュルケが面白そうに頬杖をついている。隣ではタバサが本を開いていたが、目だけがわずかに才人へ向いていた。

 

「おはよう、ルイズ。昨日の使い魔、逃げなかったのね」

 

キュルケの声は楽しげだった。

 

「逃げられるわけないでしょ。私の使い魔だもの」

 

「人間の男の子を使い魔にするなんて、さすがゼロはやることが違うわね」

 

「うるさいわね」

 

ルイズはいつも通りに返した。怒ってみせるのは簡単だ。キュルケにからかわれ、ゼロと呼ばれ、言い返す。周囲にとっては見慣れた光景。

 

だが、今日は才人がいる。

 

彼は言葉の意味を理解したまま、周囲の笑いを浴びていた。自分が何を言われているのか分かる。それでも、この場で何を言い返せばいいのかも分からない。

 

才人の拳が少し握られた。

 

ルイズはテーブルの下で靴先を伸ばし、軽く才人の足を蹴った。

 

才人がこちらを見る。

 

ルイズは口だけを動かした。

 

我慢。

 

才人は不満そうに眉を寄せたが、何とか黙った。

 

タバサが本の向こうから、ほんの一瞬だけルイズを見た。

 

気づかれたかもしれない。

 

ルイズは内心で舌打ちした。タバサはこういう細かい違和感に鋭い。今のやりとりも、普通の主人と使い魔のものではない。だが、まだ決定的ではないはずだ。

 

食事が終わる頃、コルベールが食堂の入口に姿を見せた。

 

「ミス・ヴァリエール。少しよろしいかな」

 

周囲の生徒たちに聞かせるような声ではなかった。教師が生徒を呼び止める程度の、ごく自然な調子。けれど、ルイズには分かる。これは才人の件だ。

 

来た。

 

ルイズは椅子から立ち上がる。

 

「何でしょう、ミスタ・コルベール」

 

「昨日の件で、少し確認したいことがあります。食後で構いませんので、私の研究室まで来ていただけますかな。できれば、彼も一緒に」

 

コルベールは才人の左手へ、ほんの一瞬だけ視線を向けた。

 

ルイズは知らないふりをして頷く。

 

「分かりました」

 

「では、後ほど」

 

コルベールはそれ以上何も言わずに去っていった。

 

食堂では、誰も深く気にしていない。人間の使い魔が珍しいから教師が確認するのだろう、程度にしか思っていないはずだ。

 

ルイズは内心で息を吐いた。

 

少なくとも、食堂でガンダールヴの名が出ることはなかった。

 

朝食後、ルイズは才人を連れてコルベールの研究室へ向かった。才人は廊下を歩きながら、不安そうに左手を見ている。

 

「さっきの先生、俺の手を見てたよな」

 

「気づいたの?」

 

「そりゃ気づくだろ。俺、何かやばいのか」

 

「珍しいだけよ」

 

「その言い方、絶対珍しいだけじゃないだろ」

 

「余計なことを言わない。聞かれても、昨日のことは分からないって答えなさい」

 

「会話はできるんだぞ」

 

「できるからこそ、よ。ここで下手に話せば、余計に調べられる」

 

才人は嫌そうな顔をしたが、反論はしなかった。

 

研究室に入ると、コルベールは扉を閉めた。窓の外を一度確認し、それから柔らかい表情で才人に向き直る。

 

「怖がらなくていい。少し、左手を見せてもらいたいだけです」

 

才人はルイズを見た。

 

ルイズは小さく頷く。

 

「大丈夫。手を見せるだけ」

 

「本当だろうな」

 

「本当よ」

 

才人は渋々左手を差し出した。

 

コルベールは手袋越しに才人の手を取り、ルーンをじっと観察する。机の上には、古びた本と羊皮紙が広げられていた。彼は昨夜のうちに調べたのだろう。目の下にはわずかな疲れがあるが、それ以上に抑えきれない興奮が見えた。

 

「やはり……」

 

コルベールが小さく呟く。

 

ルイズは何も知らない顔で尋ねた。

 

「何か分かったのですか?」

 

コルベールは才人の手を離し、声を落とした。

 

「ミス・ヴァリエール。これは、まだ断定ではありません。ですから、決して軽々しく口にしてよい話ではない」

 

「はい」

 

「彼の左手に刻まれたルーンは、古い記録に残る始祖ブリミルの使い魔の印と酷似しています」

 

才人が目を細める。

 

「始祖? 使い魔?」

 

ルイズは才人へ小さく首を振った。今は黙っていろ、という合図だ。

 

コルベールはさらに声を潜めた。

 

「ガンダールヴ。あらゆる武器を使いこなす、伝説の使い魔。そのルーンである可能性があります」

 

その名を聞いた瞬間、腰の奥に隠した王律鍵が、かすかに熱を持った。

 

ルイズは指先に力を込める。

 

まただ。

 

ガンダールヴという名に、王律鍵が反応している。才人の手に刻まれた印が、蔵の中の武具へ触れようとしているような、不快な熱。

 

「ガンダールヴ……ですか」

 

ルイズは知らないふりをした。声が少し硬くなる。だが、驚いた少女としてなら許される範囲だろう。

 

「ええ。ただし、今は私とミス・ヴァリエールだけの話にしておきましょう。彼自身にも、まだ不用意な期待や恐怖を与えるべきではない」

 

才人が不服そうに眉を寄せた。

 

「いや、俺にも関係ある話だろ」

 

コルベールは申し訳なさそうに笑った。

 

「もちろんです。ですが、今は分からないことの方が多い。君の身に危険があると決まったわけではありません」

 

才人は納得していない顔だったが、ルイズが睨むと口を閉じた。

 

「ミスタ・コルベール」

 

ルイズは静かに言った。

 

「この件は、他の生徒には」

 

「ええ。言いません。人間の使い魔というだけで目立っていますからな。余計な噂は避けるべきでしょう」

 

その判断に、ルイズは内心で少しだけ安堵した。

 

コルベールは信用できる。少なくとも、今この時点では。研究者としての好奇心は強いが、生徒を危険に晒すような軽率さはない。

 

それでも、すべてを話すわけにはいかない。

 

王律鍵のことも。

 

自分がこの印の意味を知っていたことも。

 

「彼の身に何か異変があれば、すぐに知らせてください」

 

「分かりました」

 

「それと、武器にはしばらく触れさせない方がいいかもしれません。記録が正しければ、何らかの反応が出る可能性があります」

 

「……そうします」

 

その助言は正しい。

 

だが、ルイズは知っている。平賀才人はすぐに武器を握ることになる。ギーシュ・ド・グラモンとの決闘。デルフリンガーとの出会い。ガンダールヴとしての目覚め。

 

そして今作では、そこに王律鍵が絡んでいる。

 

ルイズは胸の奥に沈む不安を押し込めた。

 

研究室を出た後、才人はすぐに問い詰めてきた。

 

「なあ、ガンダールヴってなんだよ」

 

「まだ分からない」

 

「嘘つけ。お前、絶対分かってる顔してた」

 

「分からないことの方が多いのは本当よ」

 

「じゃあ分かってることはあるんだろ」

 

ルイズは足を止めずに歩いた。

 

「武器に関係する力かもしれない。それだけ」

 

「武器って……俺、喧嘩だってそんな強くねえぞ」

 

「今はね」

 

才人が立ち止まる。

 

ルイズも数歩進んでから振り返った。

 

「どういう意味だよ」

 

「言葉通りよ。あんたは昨日まで普通の高校生だった。でも、ここでは普通でいられるとは限らない」

 

「勝手なこと言うなよ」

 

「勝手に呼んだ私が言うのも何だけど、この世界はあんたに優しくない。だから、知らないままではいられない」

 

才人は何か言い返そうとして、結局黙った。

 

ルイズは歩き出す。これ以上は言えない。才人がどれだけ問い詰めても、今はまだ。

 

その日の授業は、才人にとって苦痛そのものだった。言葉は通じる。けれど、魔法の理屈も、貴族社会の常識も、授業の前提も何一つ分からない。文字も読めない。何より、周囲の貴族たちが遠慮なく彼を見てくる。

 

そして、ルイズが周囲の前では徹底して主人の顔を崩さない。

 

休み時間、才人は廊下の隅でついに爆発した。

 

「なあ、いつまでこれ続けんだよ」

 

「何が」

 

「この、使い魔扱いだよ。俺、人間だって言ってんだろ」

 

「言ってるだけじゃ通じない世界なのよ」

 

「お前は分かってるんだろ」

 

「分かってるわよ」

 

「じゃあなんで、皆の前でちゃんと言わねえんだよ」

 

ルイズは足を止めた。

 

廊下には人がいる。だから、声は小さく。表情は崩さず。それでも、言葉だけは才人に向けて低く落とした。

 

「言ったら、あんたが守られると思う?」

 

才人が黙る。

 

「この世界は、身分で人の扱いが変わる。貴族と平民で見える景色が違う。あんたは異世界から来た平民。常識も、文字を読む力も、後ろ盾もない。私の使い魔という立場がなければ、誰の庇護下にもない不審者になる」

 

「……だから、我慢しろって?」

 

「そう」

 

「道具扱いされても?」

 

ルイズは答えなかった。

 

才人の目は怒っていた。けれど、その奥にあるのは不安だ。自分が何者なのか、この世界でどう扱われるのか分からない恐怖。

 

ルイズは拳を握った。

 

本当は、今すぐ言ってやりたい。自分も日本を知っている。あんたがどういう運命に巻き込まれるのかも知っている。だから守る、と。

 

だが、言えない。

 

言えば才人は混乱する。疑う。問い詰める。自分の秘密が増えるほど、彼に背負わせるものも増える。

 

「道具なら」

 

ルイズは小さく言った。

 

「説明なんてしないわ」

 

才人の眉が動いた。

 

「私はあんたを使い魔として扱う。そう見せる。でも、あんたを物として扱うつもりはない」

 

「信用しろって?」

 

「今すぐ信用しろとは言わない。でも、生き残りたいなら、今は私の近くにいなさい」

 

「偉そうだな」

 

「偉いもの」

 

「ゼロって呼ばれてるくせに」

 

才人が反射的に言った直後、しまったという顔をした。

 

ルイズは笑わなかった。怒鳴りもしなかった。ただ、静かに才人を見た。

 

「そうね。私はゼロよ」

 

その声に、才人は戸惑う。

 

「四属性魔法は使えない。失敗すれば爆発する。だから皆、私をゼロと呼ぶ」

 

「……悪い」

 

「別に。事実だもの」

 

事実ではある。

 

だが、真実ではない。

 

コモンマジックは使える。虚無も、隠しているだけだ。王律鍵を抜けば、学院程度なら一晩で沈黙させられる。

 

けれど、それを見せるつもりはない。

 

ルイズがゼロでいる限り、周囲は油断する。才人も、アンも、シエスタも、タバサも。救いたいものがあるなら、見えない位置に立つ方がいい。

 

そして何より、自分はまだ恐れている。

 

力を振るえば、奥底の王が顔を出す。

 

あの傲慢な声が、自分の怒りと混ざる。

 

「でもね、才人」

 

ルイズは歩き出しながら言った。

 

「あんたを呼んだ責任くらいは、ゼロでも取るわ」

 

才人はしばらく黙っていた。

 

「……分かったよ。とりあえず、今は言うこと聞く」

 

「最初からそうしなさい」

 

「一言余計なんだよな、お前」

 

「使い魔のくせに生意気」

 

「だから人間だっての」

 

そのやりとりは、少しだけ自然だった。

 

少なくとも才人は、先ほどよりは落ち着いている。ルイズも、ほんのわずかに肩の力を抜いた。

 

だが、平穏は長く続かなかった。

 

放課後近くの廊下で、才人が急に足を止めた。視線の先には、金髪の男子生徒がいた。薔薇を手にした、いかにも貴族らしい少年。周囲の女子に囲まれ、気取った笑みを浮かべている。

 

ギーシュ・ド・グラモン。

 

ルイズは名前を思い出し、同時に嫌な予感も思い出した。

 

ギーシュの足元に、小さな香水の瓶が転がっている。近くにいた少女がそれを拾い上げ、別の女子生徒の表情が変わる。空気が険しくなる。

 

ああ、来た。

 

ルイズは内心で呟いた。

 

才人は状況が分からないわけではない。言葉も聞こえている。だからこそ、誤魔化しようがなかった。ギーシュが何かを隠そうとしていることも、女の子たちの間で揉め事が起きていることも、彼には分かってしまう。

 

「なんだ、あれ」

 

「関わらない方がいいわ」

 

「でも、揉めてるぞ」

 

「だから関わらない方がいいって言ってるの」

 

才人は眉を寄せた。放っておけない顔だった。

 

ルイズはその横顔を見る。

 

平賀才人は、そういう少年だ。理屈より先に体が動く。自分より弱い立場の誰かが傷つけられるのを、見過ごせない。

 

だからこそ、ガンダールヴは彼に宿ったのかもしれない。

 

ギーシュが才人へ視線を向けた。

 

「おや。ミス・ヴァリエールの人間の使い魔じゃないか」

 

嘲るような声。

 

才人の表情が変わった。今度は、はっきり意味が分かっている。自分が侮辱されたことも、ルイズごと笑われていることも。

 

左手が、無意識に握られる。

 

その瞬間、腰の奥の王律鍵が、かすかに熱を持った。

 

ルイズは息を潜める。

 

才人の左手を見る。

 

あのルーンが、どこまで本物なのか。

 

知る機会は、思ったより早く訪れようとしていた。

 

 

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