ゼロの使い魔 虚無の少女と英雄王の宝物庫   作:僕の考えた最強のルイズ

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第3話  ゼロの少女は、使い魔の拳を止めない

 

 

平賀才人は、朝からずっと不機嫌だった。

 

理由は分かりきっている。異世界に召喚された。使い魔にされた。帰る方法はすぐには分からない。おまけに、契約のせいか会話は理解できるようになったものの、文字は読めず、常識も分からず、学院内では珍獣でも見るような目を向けられる。

 

そのうえ、ルイズは周囲の前では徹底して主人の顔を崩さなかった。

 

「洗濯物を持っていきなさい」

 

「……俺、客じゃないのか?」

 

「使い魔よ」

 

「人間だって言ってるだろ」

 

「人間の使い魔でしょ」

 

才人は何か言い返そうとして、結局言葉を飲み込んだ。言いたいことは山ほどあるのだろう。だが、昨日からの状況で、ここが自分の常識だけで通じる場所ではないことも理解し始めている。

 

ルイズは洗濯物の入った籠を指差した。

 

「場所は廊下を出て右。そのまま階段を下りて、裏手の洗い場。分からなくなったら、使用人に聞きなさい」

 

「文字読めないんだけど」

 

「だから人に聞けって言ってるの」

 

「お前、絶対楽しんでるだろ」

 

「半分くらいはね」

 

才人が恨めしげに睨んでくる。ルイズはわざと澄ました顔で受け流した。表向きはいつもの高飛車な主人。だが、胸の奥には小さな罪悪感が沈んでいる。

 

本当なら、もっと丁寧に説明してやるべきなのだろう。けれど、才人がこの世界で生きるには、早いうちに学院の空気を知る必要がある。貴族と平民の距離。使い魔という立場。見下される側に立った時、ここがどれほど息苦しい場所なのか。

 

それを知らなければ、才人はすぐに折れるか、あるいは無謀に噛みつく。

 

そして彼は、おそらく後者だ。

 

「言っておくけど、揉め事は起こさないで」

 

「起こさねえよ。俺を何だと思ってんだ」

 

「昨日召喚されたばかりで、もう教師に調べられ、貴族に睨まれ、廊下で文句を言っていた使い魔」

 

「事実を並べるな」

 

才人はぶつぶつ言いながら籠を持ち上げ、部屋を出ていった。

 

扉が閉まる。ルイズはしばらく動かなかった。才人を一人で行かせたのは、半分は必要だから。もう半分は、自分が近くにいると余計に過保護になるからだった。

 

昨日の決闘未満の騒ぎだけでも、才人はすぐに人の問題へ首を突っ込むと分かった。だからこそ、今のうちに見ておきたい。彼がどこまで我慢し、どこで怒るのか。

 

ただ、完全に放っておけるほど、ルイズは冷たくなれなかった。

 

少しだけ間を置いてから、ルイズは部屋を出た。追っていると知られない程度の距離を保ち、階段の影から才人の行方を探す。

 

案の定、才人は迷っていた。

 

「右って言ってたよな。いや、どっちから見て右だよ……」

 

籠を抱えたまま廊下の角で立ち尽くしている。学院の廊下は似たような石壁と扉が続く。文字が読めない才人にとっては、迷路のようなものだろう。

 

そこへ、一人のメイドが通りかかった。

 

黒髪をまとめ、白いエプロンをつけた少女。控えめな足取り。けれど、盆を持つ手の角度も、歩幅も、重心の置き方も、ただの給仕にしては無駄がない。

 

シエスタ。

 

ルイズは、階段の影でほんのわずかに目を細めた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

シエスタが声をかける。

 

才人は振り返り、少しだけほっとした顔をした。彼にとって、貴族の制服ではない相手は、それだけで話しかけやすいのだろう。

 

「あ、えっと、洗い場ってどこか分かる?」

 

「洗い場でしたら、こちらです。ミス・ヴァリエールの使い魔さんですよね?」

 

「もう知れ渡ってんのか……」

 

「昨日から、学院中の噂ですから」

 

シエスタは困ったように笑った。その笑い方は、昔から変わらない。相手を安心させるようでいて、自分の内側は見せない笑み。

 

才人は籠を抱え直した。

 

「君は?」

 

「シエスタと申します。こちらの学院で給仕をしています」

 

「俺は平賀才人。まあ、使い魔扱いだけど、一応人間」

 

「はい。存じています」

 

「そこは否定してくれよ」

 

才人が苦い顔をすると、シエスタは小さく笑った。

 

ルイズはその様子を見て、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。シエスタが才人に優しくすること自体は分かっていた。むしろそうなるよう、あえて一人で行かせたところもある。

 

それでも、面白くないものは面白くない。

 

「貴族の人たちって、みんなあんな感じなのか?」

 

歩きながら、才人が尋ねる。

 

シエスタは少しだけ考えてから答えた。

 

「色々な方がいらっしゃいます。でも、魔法を使える貴族の方々と、わたしたち平民では、立場が違いますから」

 

「立場って、そんなに違うのか?」

 

「はい。ここでは、それが当たり前です」

 

「当たり前って……おかしくないか、それ」

 

シエスタは足を止め、才人を見た。

 

その顔には、驚きと、それから少しだけ嬉しそうな色があった。

 

「そう思える方は、ここでは珍しいです」

 

才人は気まずそうに頭を掻いた。

 

「俺のいたところだと、魔法とかないし。偉い人はいるけど、だからって何してもいいわけじゃない」

 

「才人さんの国は、不思議なところなのですね」

 

「まあ、こっちの方が不思議だけどな」

 

シエスタは笑った。才人も少しだけ笑う。

 

ルイズは階段の影で唇を尖らせた。

 

分かっていた。こうなることは分かっていた。才人にとってシエスタは、この世界で初めてまともに優しく接してくれる相手になる。シエスタもまた、平民でありながら異世界から来た才人に興味を持つ。

 

それは自然な流れだ。

 

だが、自然だからといって胸が静かでいられるわけではない。

 

その時、シエスタが一瞬だけこちらを見た。

 

視線が合う。

 

ほんの一瞬。才人には気づかれないほど自然に。シエスタは小さく目礼し、何事もなかったように歩き出した。

 

ルイズは小さく息を吐いた。

 

あの子は、余計なことは言わない。

 

だからこそ、信用できる。だからこそ、近くに置いている。だからこそ、たまに困る。

 

洗い場へ案内された才人は、シエスタに教わりながらどうにか籠を置いた。慣れない手つきで洗濯物を広げていると、シエスタが手早く作業を手伝う。

 

その動きは控えめだった。だが、濡れた布を絞る力も、腰の入れ方も、普通の少女とは少し違う。

 

才人は気づかない。

 

シエスタも気づかせる気はない。

 

ルイズだけが、その違和感を拾っていた。

 

昼前、才人はシエスタに食堂の裏手まで案内されていた。洗濯物を終えた後、少しだけ給仕の手伝いを頼まれたらしい。人手が足りないと聞いて、才人は断りきれなかったのだろう。

 

「いや、俺、使い魔なのに手伝っていいのか?」

 

「使い魔さんでも、人手は人手ですから」

 

「さらっとひどいこと言わない?」

 

「すみません」

 

シエスタは笑いながら、銀盆を才人へ渡した。

 

ルイズは少し離れた場所からその様子を見ていた。授業前の短い時間。自分が姿を見せれば、才人はまた文句を言うだろう。だから、あえて見つからない位置にいる。

 

そこへ、薔薇を手にした男子生徒が通りかかった。

 

ギーシュ・ド・グラモン。

 

周囲には数人の女子生徒。彼はいつものように気取った微笑みを浮かべ、何か甘い言葉を並べている。その少し後ろを、モンモランシーが歩いていた。

 

ルイズは顔をしかめた。

 

来た。

 

ギーシュが食堂の入口近くで立ち止まり、優雅に薔薇を振った。その拍子に、彼のポケットから小さな瓶が滑り落ちる。

 

軽い音を立てて、床に転がった。

 

一番近くにいたのはシエスタだった。

 

「落とされましたよ」

 

シエスタは自然に屈み、瓶を拾い上げる。香水瓶だ。中には淡い色の液体が入っている。瓶には細いリボンが結ばれていた。

 

ギーシュの顔が一瞬だけ強張った。

 

「いや、それは僕のものではないよ」

 

その言葉に、場の空気が少し変わった。

 

シエスタは瓶を持ったまま、困ったように瞬きをする。才人は隣で眉をひそめた。

 

「でも、今あんたのポケットから落ちたぞ」

 

「平民の使い魔くん。君には見間違いという言葉を教えてあげるべきかな」

 

ギーシュは笑顔を作っている。だが、目は笑っていない。

 

モンモランシーが静かに近づいてきた。

 

「ギーシュ。それは何かしら」

 

「モンモランシー、誤解だよ。これは――」

 

「ギーシュ様!」

 

明るい声が割り込んだ。

 

籠を抱えた一年生の少女が駆け寄ってくる。ケティだ。彼女はシエスタの手にある瓶を見た瞬間、ぱっと顔を輝かせた。

 

「あ、それ、使ってくださっていたんですね。わたしが差し上げた香水……」

 

言葉が途中で止まった。

 

モンモランシーの目が、すっと細くなる。

 

ギーシュの顔から血の気が引いた。

 

周囲の生徒たちがざわめく。シエスタは瓶を持ったまま、完全に巻き込まれた形になっていた。

 

「ギーシュ」

 

モンモランシーの声は、氷のように冷たかった。

 

「説明してくださる?」

 

「いや、その、これはだね。ケティが勝手に――」

 

ケティの顔が傷ついたように歪む。

 

才人の表情が変わった。

 

「お前、最低だな」

 

声は大きくなかった。

 

けれど、はっきりと響いた。

 

ギーシュの笑みが消える。

 

「今、何と言ったのかな?」

 

「最低だって言ったんだよ。自分で受け取ったものをごまかして、相手のせいにして、ついでに拾っただけの子まで巻き込んでるじゃねえか」

 

「才人さん……」

 

シエスタが小さく声を漏らす。

 

才人はギーシュを睨んでいた。自分が侮辱された時よりも、ずっと強い怒りがそこにある。彼にとって、シエスタはこの世界で初めて優しくしてくれた相手だ。その相手が、貴族の都合で軽く扱われたことが許せないのだろう。

 

ルイズは息を呑んだ。

 

止めるべきだった。

 

だが、足が一瞬だけ動かなかった。

 

シエスタが瓶を置こうとした。その指先に、ほんのわずかに力が入る。才人を庇うために動き出す直前の気配。

 

ルイズは咄嗟に視線を送った。

 

だめ。

 

シエスタがこちらを見る。

 

ほんの一瞬。彼女は目を伏せ、静かに一歩下がった。表向きは怯えたメイドのように。だが、ルイズには分かる。彼女は動ける。動けるのに、止まった。

 

ギーシュは薔薇を持ち直した。

 

「平民の使い魔が、貴族に説教かい?」

 

「身分とか知らねえよ。悪いことしたなら謝れよ」

 

「知らないなら、教えてあげよう」

 

ギーシュは一歩前に出る。

 

「貴族に対して礼を失した平民は、罰を受けるものだ」

 

ルイズの奥で、何かが揺れた。

 

身分を盾にする声。平民を見下す目。自分自身も貴族として育った以上、その価値観と無縁ではいられない。けれど、前の人生の記憶を持つ自分には、それがひどく醜く見える時がある。

 

そしてさらに奥で、王の記憶が冷たく笑う。

 

たわけ。器なき者ほど、血筋を飾りにする。

 

ルイズは奥歯を噛んだ。

 

今は出てくるな。

 

「ギーシュ」

 

ルイズは才人の前へ出た。

 

「私の使い魔よ。勝手に決闘なんて――」

 

「ミス・ヴァリエール。これは彼が僕に向けた侮辱の問題だ。君の使い魔なら、君にも責任はあるがね」

 

「なら、主人の私が謝るわ」

 

才人が振り向く。

 

「おい、なんでお前が――」

 

「黙ってなさい」

 

ルイズは才人を睨んだ。表向きは高飛車に。だが、内心は違う。

 

ここで止めれば、決闘は避けられる。

 

それが一番安全だ。才人は怪我をしない。王律鍵も反応しない。シエスタも巻き込まれない。

 

けれど、それでいいのか。

 

才人は今、初めてこの世界の歪みに怒った。身分で人を黙らせる態度に、心から反発した。ここでルイズが全部を潰せば、才人の選択も潰すことになる。

 

ガンダールヴを確認するためだけではない。

 

才人がこの世界で、自分の意思で立つ瞬間を奪っていいのか。

 

「謝罪では足りないね」

 

ギーシュは冷たく言った。

 

「彼には礼儀を学んでもらう。ヴェストリの広場で待っているよ」

 

そう言い残し、ギーシュは薔薇を翻して歩いていった。周囲の生徒たちが一斉にざわめき、面白がるように後を追い始める。

 

モンモランシーは怒ったまま立ち去り、ケティは泣きそうな顔で反対方向へ走っていった。残されたシエスタは、才人とルイズへ深く頭を下げる。

 

「すみません。わたしのせいで」

 

「違うだろ」

 

才人は即座に言った。

 

「あいつが悪い」

 

シエスタは少しだけ目を見開いた。

 

ルイズは胸がざわつくのを感じた。

 

才人のそういうところが、厄介だ。弱い立場の相手に迷わず手を伸ばす。しかも、自分が不利になると分かっていても引かない。

 

だから、原作でも彼は戦う。

 

そして今、ここでも。

 

「才人」

 

ルイズは静かに言った。

 

「受けないで。これはあんたに不利すぎる」

 

「でも、あいつをそのままにするのは違うだろ」

 

「命の方が大事よ」

 

「分かってる。でも、逃げるのも違う」

 

ルイズは目を閉じた。

 

止められる。自分なら。ギーシュ程度、どうとでもなる。

 

けれど、才人はそれを望まない。

 

「……死にそうになったら止めるわよ」

 

才人が少し驚いた顔をした。

 

「いいのか?」

 

「よくないわよ。全然よくない。でも、あんたは止めても行くでしょ」

 

「まあ……たぶん」

 

「だったら、私の見えるところでやりなさい」

 

才人は苦笑した。

 

「素直じゃねえな」

 

「うるさい。あと、勝手に死んだら許さない」

 

シエスタが不安げに才人を見る。

 

「才人さん、お気をつけください」

 

「ああ。まあ、なんとかする」

 

何とかなる要素など、今の才人にはほとんどない。ルイズはそう思ったが、口にはしなかった。

 

ヴェストリの広場には、すぐに見物人が集まった。

 

ゼロのルイズの人間の使い魔が、ギーシュ・ド・グラモンと決闘する。噂は瞬く間に広がり、授業の合間にもかかわらず、生徒たちは面白半分で集まってくる。

 

才人は広場の中央に立っていた。

 

手には何もない。白いTシャツに青い上着、黒っぽいジーンズ。青銅のゴーレムと戦うには、あまりにも頼りない格好だった。

 

ギーシュは薔薇を手に、余裕の笑みを浮かべている。

 

「さて、平民の使い魔くん。謝るなら今のうちだよ」

 

「謝るのはお前だろ」

 

「やれやれ。口の減らない男だ」

 

ギーシュが薔薇を振る。

 

花弁が一枚、地面へ落ちた。

 

青銅が形を成す。女性の姿をした人形。青銅の戦乙女、ワルキューレ。

 

才人の顔が引きつった。

 

「マジかよ……」

 

「才人!」

 

ルイズが叫ぶ。

 

「避けなさい!」

 

ワルキューレが踏み込んだ。

 

才人は横へ跳ぼうとしたが、遅い。青銅の腕が肩を掠め、彼の体が地面を転がる。観客から笑い声が上がった。

 

「やっぱり無理よ」

 

「平民が貴族に勝てるわけないじゃない」

 

「ゼロの使い魔らしいな」

 

ルイズは杖を握った。

 

まだだ。今のは致命傷ではない。止めるには早い。

 

そう判断する自分が、ひどく嫌だった。

 

才人は土を払いながら立ち上がる。

 

「いってえ……!」

 

「もうやめなさい!」

 

ルイズは叫んだ。

 

才人は振り返らない。

 

「まだだ!」

 

再びワルキューレが動く。才人は逃げる。躓き、転がり、また立つ。殴られ、息を詰まらせ、それでも前を見る。

 

広場の端で、シエスタが一歩前に出かけた。

 

ルイズは視線で止めた。

 

シエスタの手が、エプロンの端を握りしめる。彼女なら動ける。才人を助けることも、おそらく可能だ。だが、今ここでシエスタが動けば、隠してきたものが壊れる。

 

シエスタは唇を噛み、踏みとどまった。

 

才人がこちらを見た。

 

頼むから止めるな、と言っている目だった。

 

ルイズの足が止まる。

 

「……ほんと、バカ」

 

奥底で、王の声が低く笑った。

 

意地だけは悪くない。

 

ルイズはその声を押し殺す。

 

違う。あれは道具じゃない。評価するために立たせているわけじゃない。使えるかどうかを見ているわけじゃない。

 

自分は、才人を守るために見ている。

 

そう言い聞かせるほど、胸が痛んだ。

 

ギーシュは薔薇を揺らし、もう一体のワルキューレを生み出した。

 

「なかなか立ち上がるね。だが、勇気と無謀は違うよ」

 

「うるせえ……」

 

才人は息を切らしている。腕も脚も震えていた。

 

そこへ、観客の一人が面白半分に声を上げた。

 

「おい、平民! 武器くらい持たせてやれよ!」

 

誰かが練習用の剣を放り投げた。

 

鉄ではあるが、刃は潰してある。授業用のものだ。普通の平民が持ったところで、青銅のゴーレム相手にどうにかなる代物ではない。

 

剣が才人の足元に転がった。

 

ルイズの全身が強張る。

 

駄目。

 

その声は、喉から出なかった。

 

才人が剣へ手を伸ばす。

 

左手が柄を握った。

 

瞬間、空気が変わった。

 

才人の左手に刻まれたルーンが、淡く光る。震えていた体から余計な力が抜ける。剣を握る手つきが変わる。足の置き方が変わる。目が、ワルキューレの動きを追い始める。

 

同時に、ルイズの腰の奥で王律鍵が熱を帯びた。

 

それまでの微かな反応ではない。

 

開こうとしている。

 

王律鍵が、蔵の扉を叩いている。

 

「っ……!」

 

ルイズは制服の上から鍵を押さえた。

 

視界の奥で、黄金の蔵が揺れた。無数の武具が、才人の左手へ視線を向けるような錯覚。剣、槍、斧、鎖、弓。原典たちがざわめく。

 

ガンダールヴ。

 

あらゆる武器を扱う左手。

 

王の財宝。

 

あらゆる武器の原典が眠る蔵。

 

相性が悪いはずがない。

 

相性が、良すぎる。

 

「まずい……」

 

ルイズは小さく呟いた。

 

キュルケが近くで怪訝そうに見る。

 

「何が?」

 

「何でもないわ」

 

才人が動いた。

 

先ほどまでとは別人だった。ワルキューレの拳を半身で避け、剣を青銅の腕へ叩き込む。刃が潰れているはずの練習剣が、急所を正確に打ち抜いた。関節。膝。首元。力ではなく、構造を崩すような一撃。

 

ワルキューレが砕けた。

 

広場の笑い声が止まる。

 

「……え?」

 

ギーシュの顔から余裕が消える。

 

才人自身も驚いているようだった。けれど、体は止まらない。次のワルキューレが迫る。才人は地面を蹴り、低く潜り込み、剣の柄で脚を払った。崩れたところへ、肩からぶつかるようにして押し倒す。

 

青銅の人形が地面に倒れ、動かなくなる。

 

観客がどよめいた。

 

「なんだ、あいつ」

 

「ただの平民じゃないのか?」

 

「今、どうやって動いた?」

 

誰もルーンの正体など知らない。だが、異常は分かる。先ほどまで無様に転がっていた少年が、剣を握った瞬間に変わったのだ。

 

ルイズは喜べなかった。

 

王律鍵が熱い。

 

本来の姿へ戻ろうとしている。指ほどの飾り鍵として押し込めている形が、内側からほどけかけている。短剣状の王律鍵が、蔵を開けようとしている。

 

まだ駄目。

 

ルイズは奥歯を噛みしめた。

 

ここで宝物庫が開けば、周囲に隠しようがない。何より、才人が蔵の武器を“扱える”と判断された場合、どこまで干渉するか分からない。

 

ギーシュが焦ったように薔薇を振る。

 

花弁が複数枚舞った。

 

「ワルキューレ!」

 

今度は数体同時に現れる。

 

才人は一瞬怯んだ。だが、左手のルーンがさらに光ると、体が勝手に答えを見つけたように動いた。

 

一体目の突きを避け、剣を脇腹に叩き込む。二体目の腕を蹴って軌道を逸らし、その勢いで三体目の膝へ刃を落とす。練習剣が軋む。才人の呼吸が荒くなる。それでも、彼は立っていた。

 

「なんで……」

 

ギーシュが後ずさる。

 

「なんで平民が、僕のワルキューレを……!」

 

「平民じゃねえ」

 

才人は息を切らしながら言った。

 

「俺は、平賀才人だ」

 

その言葉に、ルイズは胸を突かれた。

 

使い魔ではなく。平民でもなく。異世界から呼ばれた哀れな被害者でもなく。

 

平賀才人。

 

彼は、自分の名前で立っていた。

 

だからこそ、ルイズは動いた。

 

これ以上は駄目だ。

 

才人は勝てる。だが、これ以上戦わせれば、王律鍵の反応が強まりすぎる。才人自身も限界だ。ガンダールヴが体を動かしても、痛みや疲労が消えるわけではない。

 

才人が最後のワルキューレを砕き、ギーシュへ踏み込んだ瞬間、ルイズは二人の間へ滑り込んだ。

 

「そこまでよ」

 

才人の剣先が止まる。

 

ギーシュの喉元まで、あと少しだった。

 

「ルイズ……?」

 

「十分。あんたの勝ちよ」

 

才人は荒い息を吐いていた。目の焦点がわずかに揺れている。体が限界に近いのだろう。それでも剣を離そうとしない。

 

ルイズは才人の手に自分の手を重ねた。

 

「離しなさい」

 

「まだ、あいつが……」

 

「終わったの。これ以上やったら、あんたが壊れる」

 

その言葉で、才人の手から力が抜けた。

 

剣が地面に落ちる。

 

同時に、才人の体がぐらりと傾いた。

 

「才人!」

 

ルイズは咄嗟に支えた。見た目は小柄な少女だが、今のルイズにとって才人一人を支えることなど難しくない。ただし、周囲にはそう見せられない。慌てて支えたふりをしながら、重心だけを巧みに受け止める。

 

「このバカ! 誰が勝手に決闘しろって言ったのよ!」

 

表向きは怒鳴る。

 

けれど、腕の中で才人が呼吸していることに、心底安堵していた。

 

生きている。

 

怪我はある。痛みもある。だが致命傷ではない。

 

ギーシュは青ざめた顔で立ち尽くしていた。薔薇を握る手が震えている。しばらくして、彼はゆっくりと膝をついた。

 

「……僕の負けだ」

 

その声に、観客がまたざわめいた。

 

ゼロのルイズの使い魔が、ギーシュを倒した。青銅のワルキューレを砕いた。信じられないものを見る目が、才人とルイズに突き刺さる。

 

キュルケは面白そうに笑っていた。

 

タバサは静かに本を閉じている。

 

シエスタは広場の端で、胸元に手を当てていた。安堵したような顔。けれど、その視線は才人ではなく、才人を支えるルイズに向いている。

 

ルイズは小さく頷いた。

 

シエスタも、ほんのわずかに目を伏せる。

 

それだけで十分だった。

 

ルイズは才人を支えながら、広場を見回した。

 

余計な注目を集めた。だが、まだ大丈夫だ。観客には、才人が急に剣を扱えるようになったように見えただけ。ルーンの正体を知る者はいない。王律鍵の反応も見えていない。

 

ギーシュが完全に戦意を失っているのを確認し、ルイズは才人の耳元で低く言った。

 

「歩ける?」

 

「……無理かも」

 

「情けない」

 

「勝ったんだから、そこは褒めろよ」

 

「勝手に決闘した使い魔を褒める主人がどこにいるのよ」

 

「ひでえ」

 

才人は笑おうとして、痛みに顔をしかめた。

 

ルイズは胸の奥がまた痛くなるのを感じた。

 

後で治療しなければならない。表向きは普通の手当てで済ませる。必要なら、宝物庫の薬をほんの少しだけ使う。目立たない範囲で。絶対に気づかれないように。

 

部屋に戻る頃には、才人はほとんど眠りかけていた。ルイズは彼を床に敷いた毛布へ寝かせ、扉に鍵をかける。窓の外を確認し、誰も近くにいないことを確かめてから、腰の隠し鞘へ手を伸ばした。

 

取り出した王律鍵は、いつもの指ほどの飾り鍵ではなかった。

 

半ば、本来の姿へ戻りかけている。

 

短剣ほどの長さ。金色の柄。奇妙な意匠。蔵を開くための鍵でありながら、それ自体が一つの武器のようにも見える形。

 

ルイズは息を呑んだ。

 

「……やっぱり、開きかけてた」

 

鍵は熱を持っていた。才人が剣を握った時の反応が、まだ残っている。ガンダールヴのルーンが、王の財宝の中身に触れようとした。その感覚は、ただの思い込みではない。

 

視界の奥で、黄金の蔵が揺れる。

 

そして、声がした。

 

使える雑種だ。

 

ルイズの指が震えた。

 

その言葉は、自分のものではない。けれど、自分の奥から浮かんできた。才人の動きを見て、戦力として評価するような、傲慢で冷たい感覚。

 

違う。

 

ルイズは王律鍵を握りしめた。

 

才人は道具じゃない。武器を扱うための手でも、王の蔵を開くための鍵でもない。自分が日本へ帰るための駒でもない。

 

呼び出してしまった相手だ。

 

守ると決めた、同郷人だ。

 

「勝手に値踏みしないで」

 

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

才人は眠っている。息は荒いが、命に別状はない。左手のルーンも、今は静かだった。

 

ルイズは王律鍵を小さな装飾鍵へ戻し、隠し鞘へ収める。

 

才人の左手に刻まれたルーンは、武器を選ばない。

 

そして王の蔵には、武器の原典が眠っている。

 

その相性が、最悪でないはずがなかった。

 

次は、決闘後の処理・コルベールへの報告・シエスタとルイズの関係匂わせに進めるのが自然。

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