ゼロの使い魔 虚無の少女と英雄王の宝物庫 作:僕の考えた最強のルイズ
才人は、部屋に戻るなり床に沈んだ。
正確には、ルイズが支えきれないふりをしながら毛布の上へ転がした。実際には彼一人を抱えるくらい難しくもなかったが、そんなところを誰かに見られたら説明が面倒になる。だからルイズは、息を切らしたふりをして膝をつき、床に倒れ込んだ才人を睨みつけた。
「このバカ使い魔」
「……勝ったのに、第一声それかよ」
「勝ったからって、傷が消えるわけじゃないでしょ」
才人は言い返そうとして、痛みに顔をしかめた。頬には擦り傷、腕には打撲、肩にも青銅の拳が掠めた痕がある。骨に異常はなさそうだが、普通の高校生が初めて受けるには十分すぎる痛みだった。
ルイズは水差しと布を取る。表情は不機嫌に保ったまま、手つきだけはできる限り丁寧にした。
「染みるわよ」
「もうちょっと優しく言えないのか」
「優しくしたら調子に乗るでしょ」
「怪我人に厳しすぎる……!」
文句を言いながらも、才人は大人しくしていた。さすがに体が限界なのだろう。先ほどまでワルキューレを相手に立っていた少年とは思えないほど、今は力が抜けている。
ルイズは傷を拭いながら、内心で息を吐いた。
生きている。
それだけで、胸の奥に沈んでいた硬いものが少し緩む。決闘が始まった時点で、才人が死ぬ前には必ず止めるつもりだった。実際、致命傷になる前に介入できるだけの力もあった。
それでも、痛めつけられる才人を見ていた。
ガンダールヴを確認するために。王律鍵の反応を知るために。原作の流れを大きく崩さないために。
どんな理由を並べても、その事実は変わらない。
「なあ」
才人が薄く目を開ける。
「お前、怒ってる?」
「怒ってるわよ」
「決闘したから?」
「それもある」
「それも?」
ルイズは布を水に浸し直した。
「勝手に危ないことをしたから。私の言うことを聞かなかったから。あと、怪我をしたから」
「最後、俺のせいなのか?」
「そうよ。怪我なんて、する方が悪いの」
「無茶苦茶だな」
才人は小さく笑った。痛そうな笑い方だった。
ルイズは視線を落としたまま、軟膏の入った小瓶を開ける。普通の薬に見えるが、中身はわずかに薄めた宝物庫由来の秘薬だった。本来なら、打撲程度はすぐ消せる。けれど、そこまでやるわけにはいかない。
だから、自然に治る範囲を少しだけ早める程度に留める。
「これ、何の薬?」
「打ち身に効く薬」
「高いやつ?」
「私のものよ。文句ある?」
「いや、ありがたいけど」
才人は少しだけ黙った。
「……ありがとな」
ルイズの手が止まりかけた。
「何が」
「止めてくれて。最後、たぶん俺、加減分かってなかった」
「分かってるなら、最初から無茶しないで」
「でも、あそこで引いたら駄目だろ」
「その理屈でいつか死ぬわよ、あんた」
「死なねえよ」
「何の根拠もないわね」
才人は答えなかった。彼自身も分かっているのだろう。勝てたのは自分の実力ではない。剣を握った瞬間、体が勝手に動いた。見えなかったものが見え、重かった剣が手に馴染み、相手の動きに体が追いついた。
それは高揚でもあり、恐怖でもあったはずだ。
「俺さ」
才人は左手を見た。
「剣を握った時、変だった。なんか、体が勝手に動いた。あれが、先生の言ってた……なんとかってやつなのか?」
「まだ分からない」
「またそれかよ」
「分からないことの方が多いのは本当よ」
「じゃあ、分かってることは?」
ルイズは才人の左手を見た。今は静かなルーン。その奥で、何かが眠っているように見える。
王律鍵は、まだ腰の隠し鞘で熱を残していた。才人が剣を握った瞬間、蔵は確かに揺れた。もし次に彼が、本物の宝具へ触れたらどうなるのか。
考えたくもない。
「武器を持つと、体が勝手に使い方を覚える可能性がある」
「それ、めちゃくちゃ便利じゃねえか」
「便利なものほど危ないのよ」
「なんで」
「便利だから、頼りたくなる。頼り続けたら、引き返せなくなる」
才人は黙った。
ルイズは包帯を巻く。強くしすぎないように、けれど緩まないように。手当てをしながら、こんなことをしている場合ではないと思う自分もいる。王律鍵を確認しなければならない。コルベールに何を聞かれるかも考えなければならない。ギーシュ戦で目立ちすぎた才人をどう守るかも考える必要がある。
それでも、今は目の前の傷から目を逸らしたくなかった。
「終わり」
「お、意外と手際いいな」
「意外とは余計よ」
「いや、貴族のお嬢様ってこういうのしないかと思って」
「……必要ならするわ」
才人は少しだけ驚いたようにルイズを見た。
その視線が妙に落ち着かなくて、ルイズは立ち上がった。
「寝てなさい。しばらく動いたら駄目」
「腹減った」
「は?」
「決闘したし、痛いし、疲れたし、腹減った」
「寝てなさいって言ったでしょ」
「飯食ってから寝たい」
「我儘な使い魔ね」
「怪我人だぞ」
「怪我人なら大人しく寝てなさい」
言い合いながら、ルイズは扉の方を見る。食堂へ連れていけばまた注目を集める。かといって、このまま空腹で放っておくのも気が引ける。
少し考えてから、ルイズは扉を開けた。
「外に出るわよ」
「飯?」
「使用人の食堂に行きなさい。シエスタがいるはずよ」
「シエスタって、さっきのメイドの子か」
「そう」
才人の顔が少し明るくなったのを見て、ルイズは無性に面白くなくなった。
「何よ、その顔」
「いや、優しかったからさ」
「……ふうん」
「なんだよ」
「別に。行くなら早く行きなさい。廊下で倒れても知らないわよ」
「お前、ほんと一言余計だな」
才人は痛む体をかばいながら立ち上がった。ルイズは一瞬手を貸しそうになり、慌てて腕を組む。才人はそれに気づかないまま、ふらつきながら廊下へ出ていった。
扉が閉まる。
ルイズはすぐに腰の隠し鞘へ手を伸ばした。
王律鍵は、小さな装飾鍵の姿に戻っていた。けれど、指先に触れる熱は完全には消えていない。才人の左手に刻まれたルーンが、まだどこかで蔵の中身を呼んでいるような感覚がある。
「最悪ね」
小さく呟く。
ガンダールヴと王の財宝。相性は良すぎる。才人が武器を選ばないなら、王の蔵に眠る原典にも触れられる可能性がある。もちろん、鍵はルイズの手元にある。蔵を開く権限も自分にある。だが、今日の反応を見る限り、絶対とは言い切れない。
黄金の奥で、何かが笑った気がした。
使える。
ルイズは鍵を握りしめた。
「黙ってなさい」
才人は道具ではない。
自分にそう言い聞かせる。
しばらくして、扉が軽く叩かれた。
「ミス・ヴァリエール。シエスタです」
「入りなさい」
入ってきたシエスタは、盆を手にしていた。温かいスープとパン、軽い肉料理。怪我人向けに消化の良さそうなものを選んでいるあたり、相変わらず抜け目がない。
「才人は?」
「厨房の方で食事を召し上がっています。少し痛むようですが、歩けていました」
「そう」
「ご命令通り、目立たないようにしています」
「命令じゃないわ。ついでよ」
「はい。ついで、ですね」
シエスタは柔らかく微笑んだ。
ルイズは眉をひそめる。
「何よ、その顔」
「いえ。ミス・ヴァリエールは、相変わらずお優しいなと思いまして」
「優しくないわよ。使い魔を管理しているだけ」
「はい。管理ですね」
「……シエスタ」
「はい」
「わざとでしょ」
「少しだけ」
シエスタは悪びれずに答えた。
普通の学院メイドなら、貴族令嬢にこんな物言いはしない。けれどシエスタは、ルイズに対してだけは時折、距離を間違えたような近さを見せる。もちろん、人前では絶対に出さない。二人きりの時だけだ。
ルイズはそれを許している。
許してしまっている。
「才人さんは、良い方ですね」
シエスタがぽつりと言った。
ルイズの眉が動く。
「もう評価したの?」
「はい。わたしのことで怒ってくださいましたから」
「別に、あんたのためだけじゃないわ。あいつはそういう性格なのよ。目の前で誰かが困っていたら、後先考えずに首を突っ込む」
「だから、心配ですか?」
「当然でしょ。すぐ死にそうだもの」
「妬いているのかと思いました」
「はあ!?」
ルイズの声が裏返った。
シエスタは盆を机に置きながら、少しだけ楽しそうに目を細める。
「才人さんが、わたしに少し懐いてくださったようでしたので」
「懐くって、犬じゃないんだから」
「使い魔では?」
「それは私が言うのはいいけど、あんたが言うと違うわ」
「難しいですね」
「分かって言ってるでしょ」
シエスタは答えず、ルイズの横へ近づいた。自然な動きだった。けれど、その足運びには音がない。幼い頃から何度も見た動き。学院の床を歩く普通のメイドとは、根本的に違う。
「ミス・ヴァリエール」
「何」
「才人さんは、どこまでご存じなのですか?」
ルイズは黙った。
その問いの意味は一つではない。自分が日本を知っていること。王律鍵のこと。ガンダールヴのこと。虚無のこと。これから起こるはずの出来事のこと。
「ほとんど何も」
「そうですか」
「話せないわ。まだ」
「はい」
シエスタはそれ以上聞かなかった。聞かないでいてくれるところが、彼女の優しさであり、怖さでもある。
ルイズは小さく息を吐いた。
「今日の決闘で、才人の左手が反応した」
「ガンダールヴ、ですか」
「声が大きい」
「失礼しました」
シエスタはすぐに頭を下げる。
ルイズは腰のあたりへ視線を落とした。
「それだけなら想定内。でも、王律鍵まで反応した。才人が剣を握った瞬間、蔵が開きかけた」
シエスタの表情がわずかに引き締まる。
「危険なのですか?」
「分からない。でも、良くはないわ。あの子が宝具に触れたら、何が起きるか読めない」
「才人さんを遠ざけますか?」
「それは無理。才人は私の使い魔で、同郷人で、日本へ帰るための手がかりでもある。それに……」
「それに?」
ルイズは少し言葉に詰まった。
シエスタが待っている。
「放っておけない」
ようやく出した言葉は、ひどく小さかった。
シエスタは静かに微笑んだ。
「はい」
「何よ」
「いえ。安心しました」
「何が」
「ミス・ヴァリエールが、才人さんを駒としてだけ見ていないことに」
ルイズは反射的に言い返そうとして、やめた。
駒。
その言葉は、胸の奥に刺さった。自分は才人を利用するつもりがある。日本へ帰る手がかりとして、原作の流れを知る鍵として、ガンダールヴとして。そう見ている部分は確かにある。
だからこそ、違うと何度も言い聞かせなければならない。
自分の奥にいる王は、きっと才人を有用な手として見る。
けれど、ルイズはそうしたくなかった。
「シエスタ」
「はい」
「才人を見ていて。あの子、絶対また無茶をするから」
「承知しました」
「ただし、あんたの力は見せないこと」
「はい。ミス・ヴァリエールの許可なく、余計なことはいたしません」
その言い方が少し硬くて、ルイズは目を細めた。
「不満?」
「少しだけ」
「才人を助けたかった?」
「はい」
シエスタは正直に頷いた。
「でも、ミス・ヴァリエールが止めたので止まりました」
「……ごめん」
「謝らないでください。わたしは、あなたが理由なく止める方ではないと知っています」
そういうところが、ずるい。
ルイズは視線を逸らした。
シエスタは深く一礼し、部屋を出ていった。扉が閉まった後も、ルイズはしばらくその場から動けなかった。
才人は自分の使い魔。
シエスタは自分の側にいる少女。
どちらも、放っておけない。
そして、どちらも自分の思い通りには動かない。
夕方になり、才人が厨房から戻ってきた。腹が満たされたせいか、顔色は少し良くなっている。だが、部屋へ戻る途中で誰かに声をかけられたらしく、妙に落ち着きがなかった。
「何その顔」
「いや、別に」
「別にって顔じゃないわよ」
「……キュルケって人に会った」
ルイズのこめかみがぴくりと動いた。
「それで?」
「なんか、決闘見てたって。すごかったわね、みたいなこと言われた」
「ふうん」
「あと、夜に部屋へ来ないかって」
空気が止まった。
才人は言ってから、まずかったと気づいた顔をする。
ルイズはゆっくりと立ち上がった。
「へえ」
「いや、俺は別に行くとは言ってないぞ」
「へえ」
「なんで二回言った?」
「使い魔のくせに、主人の許可なく女の部屋へ行くつもり?」
「だから行くとは言ってないって!」
「鼻の下伸ばしてたんでしょ」
「伸ばしてねえよ!」
「キュルケはそういう女よ。人をからかうのが好きなの。特に私をね」
「お前、あの人と仲悪いのか?」
「良く見える?」
「見えない」
「なら聞かないで」
ルイズは腕を組んだ。胸の奥がざわざわしている。才人がキュルケに誘われたこと自体は、予想できた。ギーシュ戦で目立った以上、キュルケが興味を持つのは自然だ。彼女の性格を考えれば、才人をからかい、同時にルイズの反応を楽しむくらいはする。
分かっている。
分かっているのに、不快だった。
才人は自分の使い魔だ。保護対象だ。日本へ帰る手がかりだ。だから、勝手に動かれると困る。それだけのはずだった。
それだけのはずなのに。
胸の奥で、誰かが囁く。
我のものに手を伸ばすか。
ルイズは息を止めた。
まただ。
怒りとも嫉妬とも違う、もっと傲慢で、もっと冷たい所有の感覚。才人を人間としてではなく、手元にあるものとして見ようとする声。
違う。
ルイズは唇を噛んだ。
才人は物じゃない。使い魔という立場で縛っている自分が言えたことではないが、それでも、心の底ではそう思っている。
「ルイズ?」
才人が不安そうに覗き込む。
「顔色悪いぞ」
「何でもないわ」
「またそれかよ」
「本当に何でもない」
ルイズは顔を背けた。
王律鍵が、腰の奥でかすかに熱を持っている。戦いだけではない。強い感情にも、あの鍵は反応する。いや、もしかすると鍵ではなく、自分の中の王の記憶が揺れているのかもしれない。
才人は困ったように頭を掻いた。
「行かねえよ」
「何が」
「キュルケって人の部屋。なんか、面倒になりそうだし」
ルイズは振り返った。
「本当に?」
「疑いすぎだろ」
「信用がないのよ」
「昨日召喚されたばっかで信用も何もないだろ」
「それもそうね」
才人はため息をついた。
「でも、あの人美人だったな」
次の瞬間、枕が飛んだ。
「痛っ!」
「やっぱり鼻の下伸ばしてるじゃない!」
「感想くらい言ってもいいだろ!」
「よくないわよ、このバカ犬!」
「犬じゃねえ!」
騒ぎながら、才人は少しだけ笑っていた。ルイズも、怒ったふりをしながら、胸の奥の重さが少し薄れていくのを感じた。
それでも、消えたわけではない。
才人は自分の使い魔だ。
そう言い聞かせるたびに、奥底の声が笑う。
ルイズはその声を押し殺し、いつものように顎を上げた。
「今日はもう寝なさい。明日からはもっと働いてもらうわよ」
「怪我人なんだけど」
「動けるなら働けるでしょ」
「鬼かよ」
「主人よ」
才人は文句を言いながら、床の毛布へ戻っていった。ルイズは窓の外へ視線を向ける。夜の学院は静かで、昼間の騒ぎが嘘のようだった。
けれど、何も終わっていない。
ガンダールヴ。
王律鍵。
シエスタの沈黙。
キュルケの誘惑。
そして、自分の中で目を覚ましつつある、王の声。
ルイズは腰の隠し鞘へ触れた。
熱は、まだわずかに残っていた。