ヴェルグンデの嘲り   作:ほいれんで・くー

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15. 言葉を狩る

 私には信じられない、自室の机の上で言葉を育てようとする人間のこの世にいることが……あるいは机の上ではなく、カフェのテーブルの上や図書館の学習コーナーなど、いくらでもバリエーションはあるだろうが、要するに「机の上で」「言葉を育てる」ということが信じられない。

 

 言葉というものは、育てるものではない。狩るものだ。

 

 狩るものであるから、机の上という狭い世界でそれを見つけることは不可能である。やはり自分から広いところに出ていって、狩らなければならない。私たちは生まれながらに狩人である。ただし、狩人であるとはいっても、やはり才能の差というものは厳然として存在する。不器用でドジな狩人は獲物を得られない。狡猾で、目端が利いて、大胆でいつも楽天的、そういう狩人ならいつでも成果をあげられる。

 

 だから私はその日も電車に乗って、どこか知らないところへ狩りに出かけたのだ。

 

 狩りには道具が必要だ。そして、道具の中で弓矢は一番優れている。効率が良いからだ。遠距離から安全に言葉を仕留めることができるし、何より相手をほぼ即死させることができる。言葉というものは、死ぬ時に時間がかかってはならない。それに、弓矢なら言葉から反撃されて傷つくということもない。狩人の中にはしばしば、言葉に殺される者がいる。

 

 私もそうだった。殺されはしなかったが、この一年間というもの私はずっと自分を癒すことに時間を使わなければならなかった。去年は豊猟だった……溢れかえるほどに言葉を狩ることができた。だが、そこまで獲り過ぎてはならなかったのだということに、最後の最後になるまで私は気がつかなかった。

 

 言葉たちは逆襲の機会を狙っていた。私を傷つけたのは「溶けた鉄のような」という言葉だった。それは私の心の真ん中に飛び込んできた。私の胸は無惨に焼かれて、それからは狩りに出られなくなった。こうしてまた回復したのが奇跡のように思う。

 

 しかし、私は弓矢を使わない。以前は使った方が良いと思っていたし、使えない自分を恥じていたこともある。今では開き直っている。弓矢がなんだというのだ? ただ効率が良くて安全だという話だけではないか。だが、私は自分が心のどこかで弓矢を使う者を羨んでいることに気づいてもいる。

 

 弓矢の他には投げ槍というものがある。これも弓矢と同じ飛び道具だ。だが、効率という観点では弓矢に劣る。安全性もさほど良いとは言えないし、使い勝手も悪い。大きくて凶暴な生き物を狩るためならば、この投げ槍は至極便利な代物だ。どこに投げても絶対に当たるし、当たればだいたい致命的なダメージを与えられる……ただし、反撃してくる言葉から避けなければならないが。問題なのは小さくてか弱い言葉だ。こんな言葉たちに投げ槍なんて投げたら……当たった瞬間にバラバラになってしまう。それに、そもそも当たらないことの方が多い。

 

 投げ槍の使い手たちが狩る言葉は、それゆえ、必然的に大きな言葉ばかりになる。「善」だとか、「創り出す」や「世界的な」とか、「歴史の意志」とか……「人類の運命」や「神を殺す」なんて言葉を好んで狩る者も多い。しかし、そういった者たちが「生まれたばかりの芋虫」とか「溶けかけた綿あめ」とか、「子どもが傘をさす」とか、「杖をついた老人」といった言葉を狩っているのを見たことがない。彼らはそんな言葉がこの世に存在していないと思っているようだ。

 

 私が投げ槍を使わないのは、投げ槍そのものに対する嫌悪感というのもさることながら、やはり投げ槍を事とする連中に対するそれが勝っているからだろう。あんなやつらと同じ道具を使ってたまるか……そこまで思ってはいないが、やはりそれに近い気持ちかもしれない。

 

 罠、という手もある。落とし穴を掘ったり、餌を入れた箱罠を仕掛けたり、毒餌を撒いたり、鋼鉄製の無骨なトラばさみを用意したり、電気柵を設けたり……罠猟はアートだという者もいる。私も部分的にはそれに同意する。罠猟というものは純粋に知恵比べの面が大きい。言葉がどこからやってきて、どこへ通り抜けていくのか。どこで餌を食べて、どこで水を飲むのか。どのような餌を好むのか。言葉にこちらの意図を悟られないように、どのような工夫を施すのか……罠猟を好む者はしばしば陰険だと言われるが、私としては気の毒に思う。

 

 それでも私はやはり罠は使わない。これは実感の問題である。つまり私にとっては罠による狩猟では到底満足できないのだ。罠がもたらすのは二つの結果だけである。成功したか、不成功だったか。成功した場合にも二つの結果が付属する。言葉が生きているか、それとも死んでいるか。生きたまま言葉を捕らえることができたとしても、結局は殺さなければならない。しかし、その殺しはどちらかというと処理という面が大きい。狩猟による死とは異なる。

 

 狩猟による死とは、狩人自らが直接手を下し、噴き出る返り血を浴び、断末魔と共に繰り出される最後の抵抗の一撃を避けながら加える、そういうものでなければならない。要するに、私は狩猟に闘争という要素を不可欠なものとして認めているのであり、また闘争であるからには非対称的な構造を持ち込んではならないとも思っている。遠距離からの攻撃も、罠による待ち伏せも、いうなれば非対称的だ。それでは闘争にならない。

 

 だから私はいつもナイフ一本で狩りに出かけるのだ。

 

 ナイフならばどんなものでも狩ることができる。「政治的平等」なんていう大物の喉を掻き切ることができるし、「偉大な」とか「卑小な」とか「本質的には」といった言葉でもお手の物だ。「深爪」なんていうつまらない言葉でも、「夕焼けに染まった尖塔」でもまったく不足はない。ただし、技術は要る。私はナイフを好んでいるが、技術があるとは思っていない。誰もこの技術について教えてくれなかったし、たまに教えてくれるなにがしかのものがあったとしても、結局それは自分の役には立たなかった。

 

 ナイフを持って私は家を出た。どこか知らない町へ行くためだった。

 

 復帰後、初めての狩りだった。外は気持ちよく晴れていた。舗装された歩道を歩いて通りへと出る。大通りには高速で車が行き交っていた。私はナイフを鞘に収めて腰から提げている。歩くたびに鞘が音を立てる。私は何丁かナイフを持っていて、その日の気分で使い分けることにしている。今日のナイフはかなり大振りだ。久しぶりの狩りには、やはり大きな道具が必要だった。

 

 解体工事中のビルの横を通り抜けて、私は駅へと向かった。道を歩いている人たちの中に、道具を持っている人はいない。目の前には鉄道線路の高架下の空間が広がっていた。私はその奥へと歩いていった。ここから三分ほども進むと駅に出る。

 

 ふと目をやると、一人のどこかくたびれたような雰囲気の男が足を止めて、じっと何かを見つめていた。手には弓矢を持っている。私は若い男が何を狙っているのか気になって、歩きながら男の目線と同じところを探ってみた。

 

 若い男は、二羽の鳩が争っているのを見ていた。二羽の鳩はせっかく翼が生えているのにも拘わらず、地上を歩き回りながら互いに互いの体へ嘴を突き立てている。喧嘩をしているようだった。

 

 私はちょっと嬉しくなった。この世に私と同類の人間がいることを確認できたからだった。私はちょっと足を止めて、男をもう少し観察した。男は弓矢を手にしているが、まだ構えてはいない。弓に矢を番えることもしていない。言葉を狩るのだろうか? 鳩の喧嘩にはどのような言葉が潜んでいるのだろうか? 

 

 その時、他人の狩りを観察するのは今回が初めてだということに私は気づいた。

 

 私が考えていると、男は案外素早い動きで弓矢を構え、一呼吸を置くこともなく矢を放っていた。矢はちょうど追われている側の鳩に突き刺さった。鳩はついにもう一方の鳩に追い立てられて、翼を広げて逃げていった。残された鳩は追わなかった。興味を失ったように、その場をひょこひょこと首を動かして歩いている。

 

 男が小さく呟くのが聞こえた。「勝者は追わない」

 

 男がまあまあの成果を上げたのを確認して、私はまた歩き出した。まあまあ。男には悪いが、私には「まあまあ」としか思えなかった。「勝者は追わない」という言葉は、言ってみれば大きな蝶のようなものでしかない。まあまあ美しいが儚くて、まったく腹は満ちない。だが、これは私の見方が悪いのだろう。男はきっと美しいものを求めていた。美しいものを求めるのも、それはまた立派な狩猟だ。一方で私は、狩猟を飢えを満たすものとして捉えている。

 

 私は再度男を見た。男はもう、どこかに弓矢をしまっていて、落ち窪んだ目に幾分かの輝きを宿して煙草を吸っていた。

 

 輝きを目にして、私は落ち着かないものを感じた。私の見立てはすべて間違っていたのではないか。ふと、そのようなことを思った。私はもう一度男の目を見たかった。だが、その時にはすでに距離が離れすぎていた。

 

 胸のざわめきを強いて無視しつつ、私は駅に入った。エスカレーターでホームに昇ると、もう電車が来ていた。私はごく自然な足取りで電車に入り、空いている座席をひとつ見つけて、そこに座った。

 

 車内はまばらだった。私はちょっとだけ自分のナイフの鞘を撫でてみた。撫でながら車内のつり革広告に目を走らせる。途端にうんざりしたような気分になって、私は目を閉じた。すぐに睡魔が襲ってきた。昨晩は歯の痛みのせいでなかなか眠れなかった。いつしか私は眠っていた。それで構わなかった。眠っている間に、私は知らない町に運ばれているはずだった。

 

 なにか異様な雰囲気を感じて、私は目を覚ました。車内にはいつの間にか人が満ちていた。席はどこも埋まっていて、デッキには隙間なく人が立っている。

 

 何やら喚いている声がした。私が目を向けると、ちょうど人と人の隙間から、一人の老人が床に座り込んで、何かをずっと大声で喚き立てているのが見えた。乗客たちはできるだけ距離を取ろうとしていて、それが他のスペースを圧迫し、結果として車内を異常な混雑具合へと導いてしまったようだった。

 

 見ると、一人の中年の女が、大きな投げ槍を構えていた。

 

 私はあまり投げ槍を使う人間のことは好きではない。しかしその時は、この女がいったいどのような言葉を仕留めようとしているのかが気になった。女は大きく槍を振りかぶっている。目つきは真剣だが、どことなく目の前の光景を馬鹿馬鹿しいものと見ているような色も秘めていた。体つきから見て、私は女が普段から投げ槍を使いこなしているのだろうと推測した。よくよく見れば、どうやら投げ槍は自分で削り出して創ったものであるかのようだった。

 

 老人はまだ喚きたてていた。床には四つか五つほど、缶チューハイの空き缶が転がっている。私は、老人からどのような言葉が漏れ出ているのかを探ってみた。ナイフの鞘を撫でてみると、老人の言葉が聞こえた。「だからね! 分かっていたはずなんだよ! それが清掃局ってものなんだから! 県警だって知っているんだよ! 県会議員も知っている! お前! 知っていないのに知っているふりして! 県警も県会議員も知っているのに、お前は知らない! だから分かっていたはずなのに! 清掃局ってのはそういうものなんだから! お前だよ! 太ったそこのお前! お前その太った女……!」

 

 ここでようやく私は、なぜ女が投げ槍を構えているのかが分かった。老人はさきほどからずっと、女に向かって支離滅裂な言葉を投げかけ続けていたのだった。そして、普通ならば場所を移すなり、さっと降りてしまうなりするところを、この女は老人と対峙することを選んだようだった。いや対峙というよりも、女は言葉を狩ることにしたのだ。老人の中から出てくる、その言葉を女は狙っている。

 

 私にとって、このようなタイプを見るのは初めてだった。投げ槍を使う人間は大きな言葉ばかりを狙うし、小さな言葉は台無しにしてしまうとばかり思っていた。だが、この女はおそらく大きくもなければ小さくもない言葉を狙っている。そして、どうやらそれを仕留めることができるという確信を抱いているようだった。私は女が慎重にタイミングを図っているのに気づいた。おそらく、ほどなくして槍は放たれるだろう。

 

 電車が速度を落とし、駅のホームに差し掛かった瞬間に、女はついに投げ槍を放った。美しいフォームから放たれた投げ槍は力強く、正確に床に座る老人の口の中に飛び込んで貫通した。老人は何かを感じ取ったようで、途端に黙り込んだ。きょろきょろとあたりを見回して、立ち上がると、手近にあった空き缶を一つだけ拾い上げて、ひょこひょことした足取りでドアに向かって歩いていく。ドアが開く時に、老人は女に向かってしきりに頭を下げながら、「どうも、どうも、すんませんした、すんませんした」と言って下車していった。

 

 車内の緊張感が一気にほぐれたのが分かった。女が誰に言うでもなく言った。「寂しかったのかな」

 

 なるほどと私は思った。女が投げ槍によって「寂しい」という言葉を得たのならば、彼女は確かに投げ槍による狩猟に一つの画期を生み出したことになるだろう。「寂しい」は大きくもなければ、凶暴な言葉でもない。「自由」とか「国家」とか「社会」とか、「怒り」とか「身が震える」とか「泥の底に沈む」とか、そういう言葉ではない。かといって小さなものでもない。そして、やはり「寂しい」は強くて難しい言葉だ。それはいつも隠れていて、しばしば毒々しい保護色に覆われている。

 

 女は次の駅で降りていった。私の目的とする駅はもう二駅先にあった。私は女がこれからどのような言葉を投げ槍で仕留めていくのか想像して、また落ち着かない気分になった。女はまた自分で投げ槍を削っていくのだろう。そして、その投げ槍でまた難しくて、大きくもなければ小さくもない言葉を狩っていくのだろう。そういう女がこの世のどこかにちゃんと存在しているということは……喜ばしいはずなのに、何か落ち着かない。

 

 私は電車から降りた。そこは間違いなく私の知らない町だった。駅のホームから階段を通って改札口へと行き、構内から出てくると、そこにはまったく見たこともない町並みが広がっていた。見たことはないが、どこかで見たことがある町並みでもあった。

 

 それはある程度は仕方のないことだった。この現代で生きる以上は、どこの町でも大方似たり寄ったりになるものと決まっている。たかだか電車に乗って数駅移動した程度では、まったく見知らぬ町に辿り着くことはできない。それでも、やはりそこは間違いなく私の知らない町ではあった。私はナイフの鞘を撫でつつ、駅から伸びている通りを歩いて、あてどもなく先へ先へと目指して進んでいった。

 

 変わった場所でなくても構わなかった。どんな場所でも構わない。言葉というものは狡猾で、しかも生存本能に優れている。どこにどんな言葉が潜んでいるか分からない。たとえば何の変哲もない青果店の軒先に、美しい毛並みと極上の味を持った言葉が、あたかも商品の一部であるかのような顔をして並んでいることがある。古びた祠の地蔵の頭を温めるようにして柔らかくて大きな言葉が目を閉じてじっとしていることもあるし、歩道の割れ目から生えている雑草の小さな花の中に、繊細な羽虫のような言葉が懸命に蜜を吸っていることもある。油断してはならない。どこにでも言葉が潜んでいて、どこにでも優れた獲物がいる。そして、それらの言葉は私が気づかずに通り過ぎてしまうと、薄く笑って消えてしまうのだ。私は言葉が笑ったことにすら気づかずに、ふらふらとさらに彷徨い歩くことになる。

 

 商店街を通っている時だった。私は、一人の子どもが鋼鉄製のトラばさみを一軒の精肉店の店先に仕掛けているのを見た。これくらいの小さな子どもがこれだけ立派なトラばさみを仕掛けるのは見たことがなかった。子どもの顔は真剣で、あたりをきょろきょろと見回しては、今度は仕掛けたトラばさみをあらゆる角度から検分している。これでしっかりと獲物がかかるのだろうかと考えているようだった。

 

 子どもは小さな自転車に乗っていた。自転車の荷台には他にトラばさみが一つと、箱罠が二つ載っている。子どもは自転車を押して歩き始めた。この時間帯の商店街は自転車の走行は禁止されていると表示に出ていた。私は子どもの後をそっと追った。子どもはさらに先へと進み、同じように罠を仕掛けていった。スーパーマーケット、帽子店、仏具店に罠を仕掛け終わると、子どもはちょっとだけまた先へ進んだ。そこは商店街の終わりだった。そこには駄菓子屋があった。子どもは駄菓子屋の店先に迷うことのない足取りで進んでいった。

 

 駄菓子屋には子どもたちが屯して、お菓子を食べながらゲームをしている。店先には箱罠が仕掛けてあった。離れた所に立っている私には、その中身はよく見えない。子どもは箱罠に慎重な足取りで進んでいった。そして箱罠を開けると、何やらはっと驚いたような、それでいて気恥ずかしいような顔をした。

 

 子どもはしばらく躊躇するようだった。私はじっと子どもを見守っていた。しばらくして、子どもは意を決したように叫んだ。「今日はお母さんが帰ってくるんだ!」

 

 周りの子どもたちがわぁっと叫んで子どもに群がっていった。私はしばらく子どもがみんなから話しかけられたり、お菓子を貰ったり、ゲームの順番を譲ってもらったりしているのを見てから、またどこへともなく歩き始めた。箱罠には良い獲物が入っていたようだ。そしてたぶん、子どもはその言葉を殺さなかったに違いない。私は、罠猟というものも結局は言葉を殺さなければならないものだと思っていた。しかし、どうやらそれは間違いだった。捕まえておきながらも、それを解放する。それによって、より大いなる恵みを得る。そんなことが可能であるとは知らなかった。

 

 なぜか私は落ち込んでいた。落ち着かなさは何かもっと大きなものに進化していた。蹌踉として私は歩き続けた。

 

 私はいつしか広い公園に辿り着いていた。ここまででまったく獲物は得られていなかった。

 

 ベンチに座ると、私は空を見上げて、今日見聞きしたものについて考えた。弓矢を使うのも、投げ槍を投げるのも、罠を仕掛けるのも、それぞれに良いところがあるような気がした。

 

 物事には必ず、自分では思ってもみないような側面がある。それならば、もしかすると……私はナイフの柄を強く握った。机の上で言葉を育てるということも、そんなに悪いことではないのかもしれない。

 

 狩ることと、育てること。私は両者を対立的に見ていた。それはそれでやむを得ないことではあった。私は言葉によって反撃を受けて、この一年間は狩りに出ることができなかった。

 

 そこで、私は机の上で言葉を育てようとした。

 

 何にしても私には言葉が必要だった。私は飢えていた。狩りによって飢えを満たすことができない以上、私はなんとかして言葉を育てるしかなかった。そして、言葉を育てるためには養分が必要だった。幸か不幸か、この社会においては養分はいくらでも外界から得ることができた。

 

 だが、私の言葉は上手く育たなかった。私の机の上では何も言葉が生まれてこなかった。私は失望し、呆れて、自分には才能がなかったのか、または私の机の上が悪かったのか、あるいはその両方だったのかと思った。もしかすると養分が多すぎたのか、あるいは水や光が多すぎたのかもしれなかった。

 

 私はそれ以来、言葉を育てることに反感と敵意を抱くようになった。言葉を育てるなどできるわけがないし、そのようにして生み出された言葉はすべてまやかしであろう。自分にそのようなことをする能力がなかったということは、むしろ誇らしいこととしなければならない。そのように考えた。

 

 考えつつ、憎みつつも、それでも私はなぜか育てることを続けた。それしかないとしても、これのわけがない。そう思いながら一年間も虚しい苦闘を続けた。

 

 苦闘は何か私にもたらしたのか。そうかもしれない。今日、私はまた狩りに出ることができた。私は以前と確かに違っている。私は、他人の狩りを見るようになった。以前は決して見ようとはしなかった。もしかすると、初めは人が失敗するところを見て、心の慰めを得ようとしたのかもしれない。

 

 だが……私は考えた。そして、あることに思い至った。

 

 今日私が見た狩人たちは、みな真剣だった。

 

 必ずしも生き生きとはしていなかったし、楽しそうでもなかったが、みんなが狩りに集中し、専心していた。鳩を見ていた弓矢の男も、電車の中の投げ槍の女も、罠をしかけていた子どもも……みんな狩りに没入していた。

 

 彼らは狩人で、道具を使っていた。だが、もっと言うなら、彼ら自身が道具だったのではないか? 言うなれば、彼ら自身が狩猟そのものになっていた……

 

 以前の私ならばそこまで注意力を働かせなかったし、仮に他人が狩りをしている場面に遭遇したとしても、嘲りと軽蔑と共に視線を逸らしただろう。それは、もしかすると、心の奥底に澱のように沈殿している何かから発した行為だったのではないか? もしかすると、自分はまったく優れた狩人なのではなく、また言葉を育てることもできないのではないかという……

 

 人というものは何よりも気位を大切にするものだ、と私は思っていた。だが、この気位の正体とは……先ほどからずっと感じている焦慮と不安、それらと裏返しの関係なのではないか?

 

 私は、自らを道具としているのか? その疑問が決定的であることにすぐ私は気づいた。私は、狩猟そのものになっているのか?

 

 何かが掴めそうだった。私は、脳裏に何かが流星のように閃くのを感じた。私は鞘を払ってナイフを抜いた。何度か試したが、その度に刃先が迷った。

 

 そして、大きく深呼吸をした後、自分の胸に向かって私はナイフを突き立てた。かつて言葉によって焼かれた胸に、私は自分でナイフを突き刺していた。

 

 焼けるような熱さを覚えた。何かが放散されていくように感じた。だが、それには確かな心地良さがあった。ナイフは深々と刺さっていて、私の肉と骨とを切り裂いていた。私は柄がつかえて進まなくなるまで、刃をさらに突き刺していった。呼吸ができなかった。眩暈がした。だが、涙は出なかった。私の意識はナイフにあった。今や私はナイフとなって、私の中へと刃を送り込み、私を切り刻んで、私の血肉を噴出させていた。

 

 私は、私を狩った。

 

 いつしか気を失っていた。だが、ほんの数秒しか意識は失っていなかったらしい。まだ胸に刺さったままだったナイフを引き抜いても、なかなか言葉は見えなかった。

 

 痛みが引いていくにつれて、ナイフの先に突き刺さったものが見えた。私の口から言葉が漏れていた。

 

「生きている」

 

 焦慮と不安はまだどこかで息をしているようだった。それは敗北ではなかった。たぶん、それが生きるということなのだろう。私はこうして確かに生きている。そして、これからも言葉を狩り続けるだろう。

 

 生きている。なかなか良い獲物だった。

 

 私はベンチから立ち上がった。太陽はまだ高い位置で輝いていた。狩ったばかりの言葉をぶら下げて、私は駅へと戻っていった。

 

(「言葉を狩る」おわり)




※以下、作者による作品メモ

 ハードボイルド小説を意識して書きました。最初は一人称を「俺」として書いていたのですが、それだとあまりにも気障になりすぎるのでやめにしました。また、こちらも当初のタイトルは「狩猟」でしたが、投稿時に「言葉を狩る」に変更しました。

 リルケは「詩人というものは世界の貧弱さを嘆いてはならない。それは世界が貧弱なのではなく、詩人が貧弱なのだから」という旨のことを書簡の中で言っていましたが、やはり私たちたちもまた狩人のようにこの沃野で狩りをしなければならないわけです。
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