「……?」
扉の閉まる音で意識が浮上する。
閉じられたままの瞳は世界を映さないが、瞼越しにわかる木漏れ日に少し時間が経っていることを自覚する。
「……がで……時……よ……と会ってか……こう」
現実に戻ることをかたくなに拒否する体は何か温かいものに包まれている。
そして耳にはなじみのある声が普段からは想像もつかない涙声で何かを歌っていた。
(姫、小さい頃はよく泣いてたけど最近は泣かなくなったからなぁ)
「晴天とは、ほど遠い。終、わらない、暗闇に、も。星を思い浮かべたなら、すぐ銀河の中だ」
姫の震える声を聴いていると強張っていた体から力が抜けていく。
先ほどまではごちゃついていた頭が凪いでいくのを感じる。
「……泣かないで、姫」
「あーちゃん?」
零れ落ちた言葉に、姫の歌が止まる。
うっすらと目を開けると眦を濡らしながらこちらを覗き込む彼女と視線が合う。
私が意識を取り戻したのを確認したからか彼女の瞳からこぼれるように涙があふれ、そのまま無言で私を抱きしめていた両腕に力を籠め、顔を私の胸にうずめてくる。
「……」
「……」
ゆっくりとではあるが頭が動きだしたことで、再びじくじくと痛み出す胸の奥。
手癖のように姫の背中をなでながら、ゆっくりと言葉を選んでいく。
「私、昔親に捨てられたんだ」
「?」
突然の言葉に強張る姫の体を落ち着かせるように撫でながら、見ないようにしていた痛みの始まりをとつとつと語る。
「だから小さい頃は孤児院で育った。ご飯は少なかったし、楽しいこともなかった。あんまり、思い出したくない」
目を背けていただけだった。
孤児院にいると感じる周囲からの同情の目。
それが否が応でも捨てられたという古傷をえぐってきた。
「だから、そこを出た。生きてくのは大変だったけど必死で働いて、いやなことを忘れるくらいに無我夢中で働いて」
「同情されるのがいやだったから平気なふりして笑ってた。そのころには音楽を知って、楽しいってことも少しわかってきて」
あの頃はたまに夢を見た。
音楽を楽しむ私を、顔もわからない両親が微笑んでみていた。
そのたびに飛び起きて、痛む胸に涙を流した。
「……それで?あーちゃんは、幸せになれたの?」
「……『ray』の歌詞に、自分を重ねてたんだ。大切な人と別れてそれでも前を向いて生きていくって。今思えば強がり、なのかな」
「自分に酔ってる」
「……そうだね」
それでもこの歌が私を前に進ませてくれていた。
未来を夢見ることができていた。
だから死んだとき、悲しかった。
「ふー」
気持ちを切り替えるために細く息を吐く。
強張る姫の背中を優しくなでながら最期を思い出す。
あの時も事故だった。
「でもね、生まれ変わったら全然違った」
それからの日々は前世が灰色だったと思うばかりに輝いていた。
「お母さんがいて、お父さんがいて、姫がいて、春さんと肇さんもいて。クラスのみんなだっている」
生まれなおした私は間違いなく、幸せだった。
それこそ前世では感じたことのないくらい。
「幸せなの。どうしようもなく。何回叫んだって足らないくらいに」
でも、だからこそ。
「……耐えられないよっ」
言葉とともに落ち着いていたはずの涙がまたこぼれだす。
「ずっと怖かった。また捨てられちゃうんじゃないかって。だからいい子でいた。一人になりたくないから」
一度こぼれ始めた言葉はもう止まらなかった。
捨てられたという過去はいつまでたっても私を傷つけている。
「姫だって、私のことをいらないって思うんじゃないかって」
「そんなことない!」
言葉とともに跳ね上げられた姫のつむじが私の鼻にぶつかり、言葉が止まる。
「光さんも澄人さんもそんなことしない。そんなのあーちゃんが一番わかってるでしょ!」
普段の喧嘩の際には見せない姫の怒りに驚き、涙もまた止まる。
そんな私の様子などお構いなしに姫の瞳は輝きを増しながら私に近づいてくる。
「私だってそう!私の方が……!」
身を切るように言葉を絞り出す姫の瞳からはいつの間にか涙があふれていた。
「あーちゃん、すごいから!いつもあたしがわがままばっかで!呆れられて、面倒見切れないって!そう思ってたらって」
端正な顔立ちをぐちゃぐちゃにしながら姫は泣いていた。
その涙につられるように私の瞳からもまた涙があふれだす。
言葉にならない思いを涙とともに吐き出す姫。
その姿に私の胸の中で温かなものが湧き上がる。
「そんなこと、ないよ」
涙を流しながら姫を強く抱きしめる。
そして再び言葉をかみしめるように繰り返す。
「そんなこと絶対ない」
私たちの間を静けさが横たわる。
聞こえるのは互いに鼻をすする音だけの空間で思いが音を伴って零れ落ちる。
「私たち、同じだね」
「うん」
私の言葉に鼻をすすりながら姫が強く頷くのを感じる。
お互いにありもしない言葉を勝手に想像して、勝手に恐れていた。
そんな過去の自分たちを振り返ると少し大人になったように感じる。
少なくとも今の私たちは互いに言葉を交わし、思いを伝えあった。
そうしていると姫が体を起こす。
「灯」
いつもの、いやそれ以上に強い光を瞳に宿して彼女は私の顔を見据える。
その光に自然と私も体を起こし、ベッドの上で向き合う形になる。
「ずっと一緒だから」
「うん。……ありがとう、姫」
「いやだって言ってももう遅いから」
「うん」
言葉とともに私たちは互いの小指を絡ませる。
それは幼いころからの決まり事。
「指切りげんまん」
「嘘ついたら針千本飲ーます」
「「指切った」」
木漏れ日がカーテンの隙間から優しく私たちを照らしていた。
「その様子じゃあもう大丈夫そうね」
気が付くと姫の部屋の入り口に春さんが立っていた。
「お母さんも指切りする?」
「私は針を千本も飲めないから遠慮しとくわ」
「嘘つく前提じゃん!」
そんなじゃれ合いをしながら春さんは部屋に入って来てまだ湯気の立っているカップを3つ机の上に置く。
「あったかいミルク。落ち着くよ」
にこりと視線で進められるがまま、カップを手に取ってゆっくりと口を付ける。
一口、二口と私が口を付けたのを確認して、春さんはふとため息を漏らす。
「驚かせちゃってごめんね、灯。」
「あ……いえ」
「お母さん、はちみつは?」
「キッチン」
春さんの言葉にぶーたれながら部屋を出ていく姫を見送って、再度春さんが頭を下げる。
「本当にごめんね。光たちは全然大丈夫だから。今肇さんと一緒に帰って来てるとこ」
そういうと春さんはスマートフォンを取り出し、操作をして画面を私に見せる。
「心配させて、ごめんね灯ー!今急いで帰るからね。澄人さん、もっと早くー!」
「いや、スピード出すと危ないし、灯を心配させないように安全運転で帰らなくちゃだから」
スマートフォンはビデオ通話状態で、画面の向こうには運転する父とそれを撮影する母が元気に映っていた。
改めて両親の無事を確認し、安心しながらも何かを口にしようとすると涙がこぼれそうになる。
「灯が泣きそうになってる!春ちゃん、灯を抱きしめてあげてー!本当は私がやりたいけど、スマホの向こうに私の手が届かないー」
「ばかやってないで気を付けて帰ってきなよ。灯もなんか言ってあげな」
春さんはそう言ってスマートフォンを私に渡してくるが突然のことに画面をじっと見てしまう。
母さんはいつものように間延びした口調だが、心配そうにこちらを覗き込んでいるし、父さんも私が気になって仕方ない様子で非常に危なっかしい。
「早く、帰ってきて」
それだけ伝えるとスマートフォンを春さんに返す。
春さんはよくやったと言わんばかりに私の頭を撫で、騒がしいスマートフォンに安全運転と言い放って通話を切ってしまう。
「親なんて、子供のわがままを聞くのも楽しいもんなんだから灯ももっと甘えてやんな」
「そう、かな?」
「光の奴は私と話すとあんたの自慢話しながらもっと甘えてほしいって言ってるよ。そこらのやわな奴じゃないんだからどーんと甘えんのも子供の仕事だよ」
そう言って春さんは戻ってきた姫と入れ替わりに部屋を出ていく。
部屋にはルンルン気分で甘いホットミルクに舌鼓を打つ姫と甘えることの難易度に頭を抱える私が遺されるのだった。
結局、両親は傷一つない姿で帰ってきた。
驚かせてごめんと謝る母に優しく頭を撫でてくれる父。
安堵のため息をつきながら脳裏には春さんの言葉がよぎる。
「母さん、父さん」
「ん?」
「どうしたの灯?」
「あのっ……」
詳しくは省くが、その日からたまに3人で寝ることが増えた。
まぁすぐに甘えるのは難しいが、この辺りは徐々に、徐々にということで。
暗い話終わりです。
配信開始まではもう少しの予定。