ユーノと別れてから一月後。再会の時は、意外と早く訪れた。
「やっほー。また来たよごわああ!?」
屋敷内に再び侵入したユーノの悲鳴が、エントランスホールから屋敷に響いてくる。
聞き覚えのある声が聞こえ、ゲンジンパタパタ達の住処である客間にいたエリィは駆け足でそちらに向かった。辿り着いた先では、平たい円形のカイギョがユーノの顔面を覆っている光景が繰り広げられている。
まさかの姿に一瞬血の気が引いたが、ユーノの手足は動いている。すぐに駆け寄り、カイギョを引き剥がす。
ユーノは顰めっ面になっていたが、思いの外元気そうだった。
【あ、えと。こ、こんにちは……?】
「……こんにちは。助けてくれてありがとう。中々苛烈な歓迎ね」
カイギョに襲われたユーノに、特段怪我などは見られない。機嫌は悪そうだが、命が無事なら大した問題ではないだろう。
【えっと、此処にいる子達は、基本的に野生動物みたいなものなので……】
「……あ、そうなんだ。ふぅん」
何かを考えているのか。ユーノは逃げていくカイギョを視線で追いつつ、少しの間考え込む。
そう、少しだけ。エリィが尋ねるよりも前にユーノは視線をエリィに戻し、向き合う。
「ま、それはいいか。そっちは元気してる?」
【え、ええ。まぁ、私はもう死んでますし】
「あはは。それもそうね」
けらけらと楽しげに笑うユーノにつられ、エリィも笑う。
笑う中で、疑問も抱く。
何故ユーノは今日、此処に来たのだろう? 先月来た時は、猟の最中に色々あって遭難し、歩き回った末に辿り着いた。つまりユーノ達が暮らす村と屋敷は、普通に活動していては接点がない位置関係にあるという事。そう簡単には来れない筈だ。
その疑問の答えは、すぐに明かされた。
「いやー、実は屋敷の結構近くまで道が出来ているのよね」
【えっ。ち、近くまで?】
「うん。近くって言っても屋敷からは見えないと思うし、一時間ぐらいは歩くんだけど。でも来ようと思えば来れる状態ね。いやー、あの道がなかったらやっぱり野垂れ死んでいたかも」
けらけらと笑いながら答えるユーノだったが、全然笑い事ではない。危うく山に悪霊が一体追加されるところだった。
そうならなかった事は喜ばしいが、道が屋敷の近くまで来ていた事にも驚きである。
【に、二百年以上、誰一人来ないような山奥だったのに、道が出来ていたんですか……】
「これぞ人間の進歩ってやつよ。二百年前と同じと思っちゃいけないぜ」
何故か誇らしげなユーノ。【私も死んでるとはいえ人間のつもりなんだけど】という言葉を飲み込むため、ちょっと苦笑い。
「そうそう。今回来たのは前のお礼だけじゃなくて、ビジネスの話もしたいと思って来たの」
その僅かな沈黙の間に、ユーノは新たな話題を出してきた。
ビジネス。
という事は、お金儲けの事だろうか? エリィはお金持ちの家の娘であるため、そういう活動に抵抗はないつもりだが……死者とはいえ十歳の娘に振る話題とも思えない。
なんだか違和感を覚えるが、ユーノの目はキラキラと輝いている。とても澄んだ、綺麗な目だ。悪巧みをしているようには思えない。勿論個人の感想なので、違和感を拭うほどのものではないが、今すぐ断ろうという気持ちは失せる。
とりあえず、話ぐらいは聞いておく。
【ビジネス、と言いますと?】
「前に食べさせてくれた、えっと、モタケだっけ? あれで村に特産品を作れないかなって」
ユーノの話を纏めると、こうだ。
ユーノが暮らす村は、ろくな産業がない廃れた場所らしい。銃は中古品、服は流行遅れ。首都で使われているという石炭暖房機も買えやしない。
住民も殆どが老人で、このままでは村自体が滅びてしまう。だが産業がないこの村に、移住者なんて来る訳がない。新しく何かしようにも、先立つものがないので大きな事は出来ず、小さな事は粗方やり終えた。
村には閉塞感があり、誰もが村の消失を受け入れている。ユーノが一人で頑張っているような有り様だ。
「そりゃ、不満は色々あるけど……やっぱり、私にとっては生まれ故郷だから、そこが滅びるのは嫌なのよ」
【……………そう、なのですね】
「だからどうにかしたいと思ってたの。猟師になったのも、農地を荒らす害獣を退治するためだし」
仕事さえも村を想って選んでいる。本当に、故郷の村の事が好きなのだろう。
そのために出来る事はなんでもしたい、という気概も感じられた。
「此処で食べたモタケ。あれ、本当に美味しかった。あれを村の名物に出来たら、観光客がたくさん来るかも知れない。観光で賑わえば、移住者が増えるかも知れない」
【……………】
「全部机上の空論だけど、でも村のために出来る事をしたいの! あなたにはなんのメリットもないかもだけど、でも、あの……」
勢いよく話すユーノだったが、最後の言葉は尻すぼみになってしまう。
世の中、お金や楽さが全てではない。
全てではないが、それらを無視する事は出来ない。多少なりと苦労をさせるのに、報奨一つなければ反感を買うだけ。領主の、統治者の娘として育ったエリィはそう学んでいる。
ユーノも村のために色々する中で、その現実を知ったのだろう。エリィへの対価が支払えず、気持ちで訴えるしかないと。だけど良心があれば、その事を申し訳ないと思ってしまう。
途中で黙ってしまうぐらいには、ユーノは善意ある大人だった。
「……ごめんなさい。いきなり、こんな話をして」
ついには謝ってしまうのだから、きっと散々失敗してきた後なのだろう。
だが、それは良くない。
たとえ失敗する時も堂々とする。反省と後悔は必要だが、卑屈になる必要はない。あくまでも真摯に、されど弱々しくあってはならない――――これもまた、エリィが親から教わった統治者としての在り方だ。
【……メリットなら、あります】
「えっ?」
【私は寂しがり屋なので、人がたくさん来てくれる事は嬉しいです。だから毎日誰かが来てくれるようになる事は、とーっても、メリットがあります】
「! そ、それって……!」
【あ、でもなんでもされたら困ります。私の屋敷ですから、私の指示に従ってほしいです。あと、安全性も正直よく分からないし】
「あ、うん。それは、そうね」
エリィが真面目に指摘すると、ユーノは姿勢を正して返事をする。
それがなんだかおかしくて。思わず、笑ってしまう。
「ちょ、なんで笑うのよ!?」
【い、いえ……ちょっとおかしくなっちゃって。えっと、要するに、あなたのお手伝いをする事はやぶさかではない、という事です】
エリィが肯定的な返事をすると、ユーノは一瞬キョトンとした顔になる。
ややあって変わった表情は、満面の笑み。
「ほ、本当!?」
目いっぱいの期待で、ユーノの目は一層煌めく。
そんな目を向けられて、冗談でした、なんて言えるほどエリィは意地悪ではない。
【ええ。あ、さっきも言いましたけど、屋敷内では私に従ってもらいますからね!】
「それは勿論! うん、それならまずは村長に連絡して……」
余程村の事を想っているのだろう。エリィからの許可が下りるや、ユーノはぶつぶつと独りごちる。既にエリィの事はあまり意識にないらしい。
その真剣さが可愛らしい。
可愛いものが好きなエリィは、出来る限りユーノの力になろうと決心し――――
一週間後、その決心はあっさり挫ける事となった。
【あわわわ……!】
エリィはエントランスホールにて、物陰に隠れていた。声は震えているが、怯えている訳ではない。
ただ、緊張しているのだ。
ほんの一ヶ月前まで人一人来なかったこの屋敷に、二人も人間が訪れたのだから。
一人はユーノ。彼女が来る事は先週聞いていたので、それは問題ではない。
問題はもう一人の方。五十か六十歳ぐらいの、それでいて筋肉隆々な逞しい大男だ。顔は中々の強面だが、眉を顰める表情はちょっと可愛らしい。
「……なんか、あの子薄くないか?」
「うん。あの子幽霊なんだって。そういや言ってなかったっけ?」
「……さらっととんでもない事を忘れるんじゃない。なんというか、安全なのか? 呪われたりしないか?」
「今までに二回会ってるけど、私はピンピンしてるよ」
ユーノは男と親しげな様子で会話している。ユーノの知り合いなら、そこまで怖がる必要はないかも知れない。
しかし男の人との会話は、正直なところエリィは全然経験がない。無論父親や親戚とは話した事があるが、今回は赤の他人。ちょっと勝手が分からない。
だからといって何時までも引きこもっている訳にもいかない。今のフィンチ家を治めているのは自分だと、エリィは心の中で自分を鼓舞する。呼吸を整え、気持ちを整理し、恐る恐る物陰から姿を現す。
ついでに、傍を飛び回るゲンジンパタパタ達も一緒に。
【あ、あの、はじめして。えと、え、エリィ・フィンチと、も、申します】
「あっ、これはご丁寧に……自分は麓の村で長をしています、タヌスと言います」
男ことタヌスはそう言うと、エリィと視線を合わせるように背筋を曲げた。その仕草一つで、彼が悪い人ではないように思える。身体が大きくて強面だが、ニコッと笑う顔は愛嬌があった。
挨拶を交わしただけだが、最低限打ち解けたと言えるだろうか。一旦互いの事を紹介し合ったところで、ユーノが間に入ってきた。
「えっとね、エリィ。前に話したビジネスの話なんだけどね、まずは村長と話したいと思って」
「なんでも村の産業に出来るかも知れない、食材があると聞いたんだが……」
眉を顰める村長の顔は、如何にも半信半疑といった様子。
半信半疑でもこんな廃墟に来てくれるぐらい、ユーノを信頼しているのか。それとも村長自体の人の良さか。恐らくは両方なのだろう。
そんな彼の前で、エリィは近くに生えていたモタケを収穫し、それを差し出す。
【はい! これがその、食材です!】
自信満々にエリィが差し出したものを見て、タヌスは目をパチクリ。
それから「え? マジで言ってる?」と言いたげな視線を、ユーノに向けた。
「それ、本当に美味しかったですよ。村長も一度食べてみてください」
「いや、お前……これは美味しくても食べたら駄目なやつでは……?」
【わ、私は食べても平気でした!】
「あなたは既に死んでるでしょうが」
ユーノをフォローしようとしたが、村長タヌスからの圧倒的正論には為す術なし。何も言えなくなってエリィは黙ってしまう。
そのまま、短くない沈黙が流れた。
やがてタヌスがため息を吐く。
「……一口だけだぞ」
タヌスはかなり甘い男のようだった。
エリィからモタケを受け取ると、ぱくりと一口で食べる。男らしく力強い噛み方で、如何にも躊躇わなかったと言いたげに咀嚼。
後から広がる旨味を感じたのだろう。彼は目を見開くと、更に何度も何度もモタケを噛んだ。
「な、なんだ、この美味さは……!? 甘いとも辛いとも表現出来ないのに、美味いという事だけは理解出来るような……」
「でしょ! このキノコみたいなやつ、とんでもなく美味しいの!」
【え、えと、これ以外にも、美味しいものはあります。その、村の特産品とかに、なりそう、ですかね……?】
恐る恐る、尋ねてみる。
エリィとしては、どうしてもこのモタケを売り込みたい訳ではない。
けれどもユーノの願いに応えたくて、つい訊いてしまった。タヌスはじっくり考えているようで、中々答えなかったが、しばらくすると大きく頷く。
「……まず。結論を先に言うと、これを今すぐ観光客に出すのは難しい」
タヌスの最初の言葉は、モタケを特産品にする事への否定だった。
「ええっ!? なんでよ!?」
「なんでも何も、安全性も何も分かってないだろ。確かに美味いが、一年後に死んだらどうする」
【あ、はい。全く仰る通りです】
「それに持続性も考えないといけないだろ」
「持続性?」
ユーノは不思議そうに首を傾げる。
エリィも首を傾げた。二百四十年前に、そのような言葉は聞いた覚えがない。
少女二人の反応を見て、タヌスは説明してくれる。
「簡単に言えば、このキノコのようなものは何時までも収穫出来るのか、という事だ。採り過ぎたら絶滅するだろ?」
【あ、はい。そうですね、あんまりやると絶滅しちゃいます。屋敷内にしかいませんし】
「そっか。みんなが一斉に採りに来たら、すぐになくなっちゃうかも。それだと産業にすらならないか」
「だから規則を作ったり、採る人を制限したりしないといけない。しかしどれぐらいの制限が適切かも分からない。少しずつ調整するから、様子見の期間が必要だ。大体売るにしたって、買い手がないだろ。営業も進めないとな」
「って事は……それをやったら、村の産業に出来るかもってこと!?」
「そういう事だ。まずはちゃんと調べる。それをしてからじゃないと、取り返しの付かない失敗になるかも知れないからな」
ちゃんとした計画を練るべき。その当たり前の忠告は、実質ユーノの計画が許可された事に等しい。
そしてこの屋敷に、たくさんのお客さんが来てくれる日も近いかも知れない。
互いに顔を向き合わせたエリィとユーノは、同時に互いの手を取り合って【「やったー!」】と喜びの声を上げるのだった。