更に一月後、その『異変』は始まった。
見知らぬ人間が、屋敷内にやってきたのである。
【(タヌス、じゃない?)】
悪霊であるエリィには、屋敷内の侵入者の姿が見えている。
新たにやってきた人間は男。しかしタヌスではない。彼よりもずっと若い、三十か四十ぐらいの年頃だろうか。人数も三人いて、いずれも見知らぬ顔だった。服装もちょっと薄汚いボロ着で、あまり品位を感じられない。尤も服装は貧困云々もあるので、それだけで判断する気はないが。
知らない人が勝手に家に入ってきたら、誰だって警戒する。エリィも警戒心を抱いたが、すぐに一つの可能性に思い至る。
ユーノが先日話していた、村興しの協力者だろうか。
その可能性はなくもない、かも知れない。ユーノやミルアだって人間だ。偶には風邪や用事などで、来れなくなる事もあるだろう。事前の連絡が出来ない事も考えられる。それにタヌスやミルアが来た時も事前に聞いてはいないのだ。なら、今回もそうかも知れない。
とはいえ、まだそうと決まった訳ではない。一時間ほどの道のりがあるとはいえ、現代では屋敷の近くまで道が整備されている。そこから全く無関係な人間が廃墟巡り、或いは荒らしとしてやってきた可能性も十分ある。油断は禁物だ。
しっかりと警戒心を抱きつつ、エリィはエントランスに向かう。
エリィが姿を現すと、男達は驚いたようにびくりと身体を震わす。ユーノやミルアのような、エリィの事を知っている人達ならこんな反応はしない。
やっぱり村人ではなく侵入者か、と思っていると、男達は引き攣りながらも笑みを浮かべる。
「あ、ああ。こんにちは。君が、この屋敷の住人、かな?」
【……そうだけど。あなた達は?】
「俺達は、あー、あれだ。ユーノ達と同じ村の住民だ」
「その、ユーノ達のように、此処にある美味いものを採りに来たんだ」
男達は拙いながら、エリィの質問に答える。
ユーノの村の住人。そう聞いて、エリィは警戒を緩めた。ユーノの名前が出るという事は、同郷なのは間違いない。そして此処の話を聞いたからには、ユーノ達の仲間の筈だ。
【そっか。私、今日はちょっと家の修繕作業があるから一緒にいられないけど、大丈夫? あなた達はこの屋敷、初めてよね?】
「あ、ああ。大丈夫だ。間取りなどについても、聞いているからな」
念のため確認すれば、間取りも把握しているらしい。なら、案内も必要ないだろう。
……その割には随分キョロキョロと辺りを見回している気もするが。とはいえ彼等は初めてこの屋敷に来た身。言葉や地図で間取りを聞いていても、実物を見たら戸惑うのも仕方あるまい。
そう思って、彼等の行動は特に気にしなかった。
【(少しずつ、村でも私の事が受け入れられてる、って事なのかな?)】
それよりも、人が来てくれた事を嬉しく思う。
るんるん気分でこの場を離れ、エリィは屋敷の修復に意識を向けた。つまり来客達から意識を逸らしたという事。
だから彼等が何処で、何をしていたのかは分からなかった。
被害に気付いたのは、割とすぐの事……彼等が来るようになって三度目の週だった。
荒らされている。
一目で分かるぐらい、家の中が荒れていたのだ。きっちりと前後を比較した訳ではない。だが二百四十年以上生活してきたエリィは個々の部屋の状態をしっかり把握している。棚が倒されたり、壁に穴を空けられたりすれば、すぐに気付く。
そして犯人の心当たりは二つ。
一つは呪力生命体。あの生き物達はこの屋敷に暮らす住民であるが、野生動物でもある。家の中を荒らす事になんの躊躇いもない。
しかし巣作りなどを除けば、呪力生命体達はそこまで派手な荒らし方をしない。此処が自分達の住処であると、本能的に理解しているのか。いずれにせよ多少は『加減』してくれる。
今の家の荒れ方は、明らかに加減なんてしていない。棚をひっくり返し、床を引っ剥がし、机や椅子を大きくずらす……明らかに呪力生命体達の仕業ではない。
しかも最悪な事にその被害は、使用人部屋で生じた。
【……………やっぱり、いない】
使用人部屋を見て回った後、エリィは意気消沈しながら独りごちる。
使用人部屋は二百四十年以上前、エリィが生きていた頃には使用人達の休憩室及び寝室として使われていた。部屋は個室が用意されていて、かつて働いていた五人の使用人全員分がある。全て一階にあり、纏めて屋敷の隅に位置している。
部屋の大きさは、エリィの私室や客間よりも小さい。とはいえベッドはあるし、仕事着と私服を仕舞うためのクローゼットや、私物を入れるための棚ぐらいはある。現代の水準でどうかは分からないが、二百四十年前の水準で言えば平民一人の部屋としてはそこそこ広いだろう。
だが『環境』としてはかなり狭い。個室なので他の環境とやや隔離気味でもあり、この中にしかいない固有種も幾つかいる。
例えばオオカサモタケもそうした希少種の一つ。
味はかなりの美味。しかし個体数が非常に少なく、狭い個室環境に適応したからか繁殖力も弱い。大量に採取したらすぐにいなくなってしまう事が、採取前から明白だった。
だからこの種の採取は慎重に、一月に一度程度に抑えよう……と、ユーノやミルアには説明した。間違いなく伝えた。
なのに、この部屋から
何処にもない。成熟した個体も、小さな若い個体も、一匹も見当たらない。モタケは板材に根のような器官を侵食させるため、地上の見える部分がなくとも『本体』は潜んでいる可能性もあるが……ここまで見付からないのは異常だ。
おまけにオオカサモタケが好んで生えていた、ベッドが粉々に破壊されている。大部分のオオカサモタケはベッド付近に生えていたので、此処が破壊されたらオオカサモタケの大部分は死滅したと考えられる。
そしてベッドの壊され方が、どうにも人為的だ。斧のようなもので破壊されたようにしか見えない。ベッドの下を確認するため、粉々に砕いたと考えるのが妥当だろう。
【(流石にこれは酷過ぎる!)】
正直なところ採取により絶滅する種が出る事は、エリィにとってある程度想定内だ。今までエリィは呪力生命体の生態系に手を出した事がなく、採集によってどんな影響が出るか予想が付かない。僅かな採取でも、個体数が大きく減る事もないとは言い切れない。
それでもやはり人との交流はしたい。だから今まで一緒に暮らしていた呪力生命体達には申し訳ないが、多少のリスクと犠牲は致し方ないと割り切っていた。
割り切っていたが、あくまでも最大限配慮した上での結果なら、という話である。ここまで生息地を徹底的に破壊したら、当然絶滅する。そんな当然の結果を「致し方ない」なんて言葉で流せる訳もない。
【流石にこれは抗議しないと……】
生きた人間と対立するのは、エリィとしても望んでいない。彼女は人々と仲良くしたいと考えている。
しかし生前父が言っていた。
友人との約束を守れない者は、友人に値しないと。勿論訳は聞くべきだが、もし友人という立場を利用し、こちらに譲歩を求めるなら……それは『友人』という言葉を甘言に使う詐欺師でしかない。エリィにとって最も唾棄すべき存在だ。
幸いと言うべきか、そのタイミングはすぐに訪れた。
屋敷内を訪れた者がいる。エリィが確認してみたところ、その人物はユーノだった。事情を聞くにしろ問い詰めるにしろ、好都合な人物である。
部屋から駆け出し、エントランスホールへと向かう。急ぎ駆け付ければ、ユーノは笑顔で待っていた。
「やっほー、来たよ―」
エリィの顔を見ると、無邪気で無警戒な笑みと共に言葉を交わそうとする。
もうそれだけで絆されそうだが、エリィは首をぶんぶんと横に振って耐える。今は言うべき事を言う時。どんな事情があろうと、悪意がなかろうと、しっかり言わなければならない。
【ちょっと! 話が違うんだけど!】
「え? な、何? なんかあった?」
エリィがぷんぷんと怒りながら問い詰めると、ユーノはキョトンとしてしまう。
はぐらかす、ような印象は受けない。どうやら本当に心当たりがないらしい。
なら、いきなり怒るように問い詰めたのは良くなかったかな……と反省しそうになるが、それは後にする。今はしっかり苦情を伝えなければならない。
【なんかも何もないわよ! 最近来てる男の人達、酷いんだけど!】
「えっ? お、男の人達?」
【そう! 昨日も来て、使用人室を荒らしていったんだから! しかもオオカサモタケを根こそぎ採取して、一番数が多かったベッドまで壊してるのよ!】
「お、オオカサモタケを?」
【その所為でオオカサモタケ、多分絶滅しちゃったのよ!? どう責任を取るつもり!?】
大きな声で、捲し立てるように、エリィは言いたい事を一気に伝える。ユーノはただ聞いてくれたが、その顔は明らかに戸惑っていた。
だとすると、ユーノにとって不本意な結果、なのだろうか。
そうであってほしいと、エリィは思う。やはりユーノは大切な友達で、こちらとの約束を破るような人には見えない。
だけど事実生息地の破壊と、種の絶滅は起きた。友達だからといって、いや、友達だからこそ、ここをなあなあにする訳にはいかない。
一通り伝えたい事は言ったので、エリィはユーノの答えを待つ。ユーノは少しの間考えていたのか、沈黙していたが……やがて恐る恐るといった様子で口を開く。
「……………あの、なんの話?」
まるで、今までの話を全く理解出来ていないと言わんばかりの言葉を発するために。
キョトンとした様子のユーノと同じように、エリィもまた呆けてしまう。どうにか我を取り戻すが、それでも未だ動揺してしまう。
ユーノの言葉を信じるなら、彼女はあの男達について何も知らない事になる。
【……い、いやいやいや!? 最近村から男の人達が三人来てるって! 三十歳ぐらいの人達が!】
「ちょ、全然心当たりないんだけど!? 採取は私とミルアさんだけで男の人は参加してないし、屋敷の事を知ってるのだって私以外はみんな年寄りばかりよ!?」
【えっ、えっ、え? だ、だって、確かに来て……】
「待って、落ち着こう。エリィの言い分を信じてない訳じゃないの。まずは情報を整理しましょ?」
ユーノの言う事は至極尤も。エリィは一旦気持ちを落ち着かせ、最近この屋敷で何が起きたのかを事細かに話す。
男達が何時頃来たのか、何をしたのか、どんな連中だったのか……一つ一つ話す度に、ユーノの表情が変わる。具体的には怒っている風に。
一通り話を聞いたユーノは、大きなため息を吐く。その顔に戸惑いはない。少なくともユーノの中では、何かしらの答えが出たらしい。
「……まず、その男達には心当たりがあるわ。村でも迷惑ばかり掛けてる、アレな連中よ」
【あ、アレな……で、でも、そういう人ならこの計画に参加なんてしてない、よね……?】
「当然。だけど防音室なんて大層なものなんかうちの村にはないし、壁に耳でも当てられたら聞かれてもおかしくない。計画に参加している年寄り達も最近この屋敷の生きものを食べたから、誰かが漏らした事も考えられる」
つまり、『アレ』と言われる連中は何処かでこの屋敷の話を聞き、こっそりやってきたらしい。
ユーノの説明に納得するのと同時に、エリィは顔を青ざめさせた。
【そ、そんな……そんな人が、来ていたなんて……】
「……………うん。確かに知らない人が勝手に家の中入ってきて荒らすのは怖いよね。でもエリィは幽霊じゃん。ふつーに考えたらあなたの方が怖いからね?」
【はっ!? そう言えばそうだった】
ついつい年頃(生まれたのは二百四十年近く前だが)の娘のような反応をしてしまったが、考えてみればエリィは悪霊。不法侵入者よりも、余程恐ろしい存在である。
それを改めて自覚すると、恐怖の中に隠れていた感情……『怒り』が込み上がってきた。
【な、なんか、そう思ったら急にムカムカしてきた。なんで私が怖がらないといけないの】
「いやまぁ、幽霊とはいえ女の子なんだから、無茶はしちゃ駄目だからね? 私も村長に相談するし、村長もアイツらになら厳しく対処すると思うし」
【大丈夫! ちょっとやそっとの事じゃ負けないし、今度来たらこてんぱんにしてやるんだから!】
怒りを決意に変えるエリィ。
心配そうに見つめるユーノを他所に、男達へのお仕置きをじっくりと考え始めた。