深い、深い、山奥。人里離れたその場所に、古びた屋敷が建っている。
屋敷の主はフィンチ家。しかし彼等は二百五十年以上前に、流行り病で全滅してしまった。古びてボロボロになった屋敷には、もう生きている住民は誰もいない。
だが、生きていない住民ならばいる。
二百五十年以上前から彷徨い続ける大悪霊。数多の人間を呪い殺し、その呪力は遥か遠方の村まで届くという。
その危険な屋敷から採取された、そこでした採れない貴重な野草がある。味は命懸けの採取に見合うほどに美味。一口食べれば至高の味わいに、正に天にも昇るような気持ちに――――
【いやこれ詐欺じゃん!? 私、確かに悪霊だけど誰も呪い殺してないし! あと死後の年数かさ増ししてるし!】
ここまで読んだところで、エリィは手に持っていた紙を地面に叩き付けた。叩き付けたと言っても紙切れ一枚なので、ぺしゃっと情けない音しかしないが。
紙を渡してきた女――――ユーノは、ちょっと不満げだった。ユーノの隣に立つ
「えー? これぐらいの事は何処でも書いてるって、多分。ねぇ、王都ではこういう宣伝はないの?」
「……ないとは言いませんし、むしろ多いとは思いますけど」
「ほら、あるんじゃん」
【あっても駄目でしょうが! というか今のアズサの言い方、王都でも問題になってる感じじゃん!】
エリィの反論に、女エクソシストことアズサはこくんと頷く。ちぇー、と一人不満げなユーノは紙をくしゃくしゃに丸め、服のポケットに押し込んだ。
――――エクソシスト達がやってきてから、早くも三年が経った。
エリィとユーノはすっかり親友と呼べる間柄になり、エクソシストであるアズサとも友人になれた。今ではこうして三人仲良くお喋りするぐらい打ち解けている。ゲンジンパタパタ達は未だアズサを警戒しているようだが……最近は背中からチクチクと刺さなくなったので、少しは打ち解けつつあるのだろう。
ちなみに先程エリィが読んでいた紙は、ユーノが暮らす村の『特産品』の宣伝文句。
その特産品とは、エリィの屋敷で採れたモタケの事だ。
二年間の調査、それと試食会を経て、屋敷内に生えるモタケの安全性と美味しさの確認は済んでいる。週間採取量の上限が定められ、採り過ぎて絶滅しないよう対策を練られた。
そして去年からついに、産業化が始まった。
客層は貴族や企業経営者などの富裕層に絞っている。モタケの採取可能量が非常に少ないため薄利多売が不可能なのと、美食に精通した貴族さえも魅了される美味しさからそうなった。まだ産業化から一年しか経っていないが、大変好評らしい。
新たに食用可能なパタパタやウミクサを提供し、客層の拡大を図っているとかなんとか。そのための謳い文句が、今し方ユーノが渡した紙に書いてあった悪霊云々である。
【あと悪霊呼びはさぁ……】
「あれ? 悪霊呼びされるの、嫌だっけ?」
【嫌というか、名前負けしてるっぽくて気後れするのよ。だからちょっと、控えてほしいというか】
「け、謙虚……あなた、本当に二百年前の貴族なの?」
【貴族じゃなくて領主の娘。というか上流階級に対する偏見強くない? 言っとくけど私はこれでもお転婆娘だし、地元の子達と虫取りもしていたのよ】
他愛ない会話を交わす三人は、自然と笑みを浮かべていた。
「お前はいいよなぁ……楽な仕事任せられてさぁ……」
そんなエリィ達に、恨めしそうな声が掛けられる。
振り向けば、そこにいたのは二人の男。どちらもアズサと同じ、エリィを退治しに来たエクソシストだ。
二人の名前はダニーとジョン。三年前と比べて大分やつれていた。目に関しては、悪霊であるエリィよりも余程死人のようである。
お仕事大変なんだろうなぁ、と、勝手に思ってしまうぐらい酷い状態だ。既に死んだ身で言うのもなんだが、エリィはちょっと心配になる。
【あ、えと、おかえりなさい? その、だ、大丈夫、ですか……?】
「ううう……疲れた……もう嫌だ……」
「家に帰りてぇ……」
「帰れてはいるでしょ。アンタ達は王都に行ってんだから」
「王都から毎度とんぼ返りしてんだよ! この後も教皇からの連絡を村長に伝えないといけないし!」
「毎度毎度教皇からの小言を聞かされる身にもなってくれよ……今回は特に酷かった」
ダニーもジョンも相当参っているようで、愚痴を零す。ちなみに教皇とはエクソシスト達の頂点に立つ身であり、数多の悪霊を祓った凄腕エクソシストでもある。
ダニーとジョンは今、村と教会の間を取り持つ役を担っている。
担っているというより、なあなあで決まったという方が正しいか。村人からエリィの事を教会に説明してこいと言われ、教会から村を説得しろと言われ、エリィと共存してるから口出すなと言われ、いや待て共存とはどういう事だと言われ、あれ美味いからいい感じにやってよと貴族が割り込んで、余も食べたいと王族が加わって……
気付けば村と教会どころか、貴族や王族まで加わった意見調整役になっていた。信心深い貴族は教会派、産業界は村派、好奇心旺盛な王子一派は村派、保守的社交界グループは教会派、軍事利用を目論む国軍は村派、異物を排除したい騎士団は教会派……派閥は複雑に絡み合って力関係は均衡状態。やや村側有利と言ったところ、らしい。双方激しく主義主張をぶつけ合うので、それを聞かされるダニー達の心労は凄まじいだろう。
だとしても、教皇から直々に愚痴を言われるとは。
【なんでそんな、小言を?】
「……元を辿ればお前の所為だろ!?」
【えっ?】
ともあれ二人を気遣おうとしたら、何故か責任があると罵られてしまう。
キョトンとしている間に、友人二人がエリィの横にすっと並ぶ。二人にも心当たりがないなら、此処で何かした訳ではない筈。
ならば尚更なんの話か分からない。目をパチクリさせていると、ダニーが叫ぶような声で説明してくれた。
「この屋敷の変な生き物が、外でも繁殖を始めてるんだよ!」
説明されても、全く理解出来なかったが。
【……えっ!? 此処の生き物が外に!?】
「わ、私も聞いていないのですが……」
「俺達も先日聞かされたばかりだよ!」
「どうやら廃屋や墓場などに定着しているらしい。しかも数ヶ所じゃなくて、今の時点で三十ヶ所以上とか」
【さんじゅ……!?】
「未確認地点を含めると百を超えるかもな」
とんでもない大発生状態に、エリィは唖然となる。
ジョン曰く(彼も他のエクソシスト達から聞いた話のようだが)呪力生命体は呪力を糧にして生きている。
そして悪霊であるエリィは大量の呪力を生んでいるが、実は生きた人間も呪力を生んでいる。人間だって、生きていれば何かを恨む事ぐらいあるものだ。それは忌々しい個人に対する憎しみかも知れないし、不条理な社会への怨嗟かも知れないし、理不尽な災害への敵意かも知れない。なんにせよそうした感情からも呪力は生まれる。
ただし量は微々たるもの。誰かに害をもたらすような現象を引き起こす事はない。しかし消費される事もないので、どんな場所にも一定濃度で漂っている。墓場や廃墟など、呪いが集まりやすい場所は高濃度になりがちだが、それでも感受性の高い者が少し気分を害する程度のものだ。
その僅かな呪力を餌にして、呪力生命体達が繁殖・定着している。個体数は今も増えていて、駆除も行われているが……鳥のように飛んで逃げてしまう上、悪霊と違い建物などに縛られないため自由に離れてしまう。このため呪力生命体の根絶は未だ出来ず。むしろ生息地はどんどん拡散し、個体数は加速度的に増えているという。
「お陰でエクソシストの多くがそれらの駆除に駆り出され、本業の悪霊退治が儘ならない……お前がちゃんと管理していればこんな事にはなってないんだぞ!?」
【そ、そんな事言われても、そもそも私は此処の生き物を管理とかしていないし。というか外に出したくないし】
エリィにとって呪力生命体は、ある日突然現れた謎の生物である。勝手に繁殖し、勝手に進化している存在で、エリィは何もしていない。それにゲンジンパタパタ以外はろくに言う事も聞かない有り様だ。
大体、外に逃がしてどうするというのか。エリィは寂しいのが嫌な悪霊だ。家から呪力生命体がいなくなったら、寂しくなってしまう。一匹たりとも外に出てほしくない。
「じゃあ、外で繁殖している奴等はなんだ? お前が外に逃がしたんじゃないのか?」
「あのさー、今思い出したんだけど」
ダニーとジョンが唖然とする中、ユーノが手を挙げる。
「アンタ達三人が初めてこの屋敷に来た時、いきなり攻撃してきたよね? あの時、外れた攻撃で壊れた窓から何匹か逃げていたと思うんだけど」
【……そういえば、そんな事ありましたね】
言われてみて、エリィも思い出した。
エクソシスト達の攻撃で呪力生命体はパニックになり、壊れた窓から何匹か逃げ出した。元々野生動物のように生きてきた彼女達には、危険な屋敷に戻る理由なんてない。
気の向くままに飛んでいって、屋敷から遠く離れた場所に定着したとしても、なんらおかしな話ではないだろう。
「……………つまり、その、アレか? 俺達の所為?」
「あんまり責めたくはないけど、まぁ、結果的には?」
「もうやだぁぁぁぁ!」
ダニーとジョンの、多分魂からの叫び。それとアズサも巻き込まれて白目を剥いていた。
正直に報告すれば教会派の人達から物凄く怒られるだろう。だからといって嘘を吐けば、誤解が誤解を呼んで更に面倒な事になるかも知れない。そして嘘がバレた後、正直に言った時の何倍も怒られる。
三人の心労はしばらく続きそうだ。
けれどもエリィは、この状況は悪くないと思っていた。
【……………ふふっ】
「エリィ? いくらコイツらが酷い事をしてきた奴等だからって、ここで笑うのは流石に意地悪じゃない?」
【あっ、ごめんなさい。そういうつもりじゃないの。ただ、楽しみで】
「楽しみ?」
首を傾げるユーノに、エリィは話す。
――――悪霊だったエリィが我を取り戻せたのは、呪力生命体達との関わりがあったからだ。
あの子達との触れ合いによって理性を取り戻し、孤独に囚われていた心が元に戻った。人間を殺そうと思わなくなったのも、何時も傍に呪力生命体達がいてくれたお陰である。
外の世界に出ていった呪力生命体達は、色々な場所に拡散していく。その土地に適した形態へと進化しながら、あらゆる場所に進出していくだろう。
そして何処かで、エリィのような悪霊に出会うかも知れない。
悪霊達が抱く未練や呪いは様々。だから誰もが、エリィのように心を解きほぐしてもらえるとは限らない。けれども何人かに、何十人かに一人ぐらいは、エリィのように理性を取り戻すかも知れない。
そんな悪霊達とも友達になれたら。死んだ時の恨みと未練を忘れて、生きている人々と楽しく暮らしていけたら。
【きっと、そうなったら楽しいんだろうなって】
生き物達が何をするか、どんな変化を生み出すのか。それが分かるのは遠い未来の話になるだろう。
だけど悪霊であるエリィは、その未来を見る事が出来る。
勿論明るい未来になるとは限らない。呪力生命体の大量発生が人間にどう影響するのか、人間達が呪力生命体をどう思うのか、自然界への影響はどうなるのか……まだまだ分からない事だらけだ。
だからこそ知りたい。
【ねぇ。私からのお願いを教会に伝えておいてくれない? この屋敷の生き物達についてもっと調べるために、予算とエクソシストを派遣してほしいの!】
意気消沈するエクソシスト達に、エリィは容赦のない要求を突きつけるのだった。