幽幻生物圏   作:彼岸花ノ丘

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生存競争

 モチと名付けた生物が生まれてから、一週間の月日が流れた。

 その一週間、エリィはとても心安らかな日々を過ごした。大発生して屋敷中がモチだらけになったが、家の中が百五十年ぶりに賑やかになったのは間違いない。文句を言いつつ、柔らかな感触を楽しむ事が出来ていた。

 そして一週間が経った今も、モチは屋敷のあちこちにいる。廊下の殆どはモチだらけであるし、エントランスもモチに埋め尽くされて歩くのも大変だ。食堂や書庫にもモチの姿がある。

 しかし。

 

【なーんか増えるのは止まったなぁ】

 

 モチの一匹を膝に乗せ、もちもちさせていたエリィはぽそりと独りごちた。

 今、エリィがいるのは書庫。

 蔵書数五千冊を誇る、ちょっとした図書館ぐらい広いこの書庫は、フィンチ家が代々集めてきた貴重な蔵書が眠っている。しかし親戚には「重くて持ち運べない」と言われ、大部分の本が放置されてしまった。今では埃を被り、虫食いなどであちこちが傷んでいる。

 モチはこの蔵書が並ぶ書庫の床に、数多く生息している。本棚と本棚の隙間に居座っていて、歩く時は慎重に跨がないといけない。

 ただ、跨げば通れる程度には隙間がある、とも言える。

 一週間ずっと分裂し、どんどん増えていれば今頃書庫どころか家中モチだらけの筈。ところが実際には、確かに家中モチだらけであるが、案外歩ける程度の個体数で収まっていた。

 

【そりゃ、家中モチだらけになるよりはいいけど。でもなんでだろ?】

 

 不思議に思いながら、モチの身体をもちーっと引っ張るエリィ。引っ張られるモチは何も言わず、ただ自由に引き伸ばされていた。

 エリィも、そして知能を持たないモチも知らない。

 モチ達は今、餌不足に陥っているのだ。モチは屋敷に蓄積していた呪力を餌にして繁殖。呪力といえども有限の資源であり、使えばその分だけ減る。モチの身体は呪力で構成されているので、増えた分だけ屋敷内の呪力も減っていく。

 一応エリィの身体からは今も呪力は染み出している。たとえ表面的には理性を取り戻しても、その本質……寂しさに悶える心は未だに悪霊と呼べるほどに苛烈なままだ。しかし大増殖したモチ達の食欲からすれば微々たるもの。こんなものでは全く足りない。

 つまり繁殖を始めて一週間で、モチ達は屋敷内の呪力を食い尽くしたのだ。食べ物がないから身体の材料も得られず、個体数を増やせないという訳である。

 では、このままモチ達は繁殖せず、ただ屋敷を転がるだけなのか? と言えば、それは違う。

 モチ達が吸収した呪力の使い道は、身体の材料だけではない。糖や脂質と同じく、活動するためのエネルギー源でもある。そのエネルギーは生物として生きている限り消費していくが、使われた呪力は消滅してしまう。

 即ちモチ達も普通の生物と同じように、何も食べないでいるとどんどん痩せてしまうという事。痩せ衰えた果てに待つのは……生き物と同じく『餓死』。

 

【わっ】

 

 エリィがもちもちと触っていたモチは、突如身体が砂のように崩壊した。

 これがモチの餓死だ。崩壊した身体は更に細かく砕け、蒸発するように消えていく。しかしこれは跡形もなく消滅したのではない。生命活動の停止により身体を構成する呪力が纏められなくなり、大気中に霧散したのだ。

 そして霧散した呪力は、付近にいるモチ達によって吸収される。取り込んだ呪力によってモチは成長し、十分な大きさとなればまた繁殖を行う。

 この繰り返しにより、モチ達は繁殖と死を繰り返していた。個体数は増減を繰り返しながら安定している。生きているだけで呪力を消費しているが、その消費分とエリィから出てくる呪力の量は釣り合っていた。このためモチの個体数が過度に減少する事はない。

 

【……んー。他の子、捕まえないと】

 

 エリィもモチ達が増えたり減ったりするのを繰り返している事は、この一週間で把握出来た。今更目の前で一匹死んでも悲しんだりはしないのだ。

 ……三日前に初めて死んだのを目にした時は、ちょっと狼狽えたが。

 ともあれエリィもモチ達の生態が少し分かってきた今、あれこれ騒ぎはしない。抱きかかえた一匹が死んだなら次を探せばいいと、エリィは立ち上がり、近くにいたもう一匹を抱き上げた。

 

【むむ?】

 

 それをさあ抱き締めようとした時、ちょっとした違和感を覚える。違和感の確認をするため一度引き離して観察。

 違いはすぐに分かった。

 モチのてっぺんに、角のようなものが生えていたのだ。角といっても小指の先ぐらいの太くて短いもので、先端も尖っていない。触ってみればぷるぷるしていた。

 たったそれだけの違いなので、エリィは特に気にしなかった。

 どうやらモチ達には、意外と多様性があるらしい。基本的には親と同じ形をしているのだが、何かの拍子、例えば分裂中に余所見していたエリィが蹴飛ばすなどの影響があると、上手く分裂出来ずに変な形になってしまう事がある。

 とはいえそれだけで、余程変な形でなければ生きるのに問題はない。エリィもあまり気にせず、モチとはそういう生き物なんだなぁ、ぐらいにしか思っていなかった。

 これが、とても重要な要因だと気付かずに。

 

 

 

 

 

 生物は常に競争をしている。

 それは生存競争と呼ばれるものであるが、同時に多くの一般人は誤解もしている。生存競争とは単純な食う食われるの関係だけを指すものではない。むしろ直接的な捕食を伴わないものが主流だ。

 モチ達も同じである。この不思議な生き物達にも生存競争が起きていた。そしてその相手は『同族』、同じモチ同士である。

 モチ達はエリィから溢れ出る呪力によって活動・繁殖を行っている。エリィの呪力こそがエネルギー源であり、食べ物のようなものだ。

 さて。屋敷内に溜まっていた分は食べ尽くしてしまった。エリィの呪力は日々供給されるが、一日当りの量は有限であり、尚且つモチ達はその有限量の呪力を食べ尽くすぐらい増えている。つまり日常的な食料不足状態。何時もモチ達は飢えているし、中には耐えきれず飢え死にしてしまう個体もいる。

 しかし誰かが飢え死にするよりも長く生きれば、死んだ個体から霧散する呪力によって成長・繁殖が可能だ。

 周りにいる個体よりも、ほんの少しで良いから長生きする。そのためにはエネルギー源である呪力を、他個体よりも多く確保する……この資源の奪い合いこそが生存競争の本質だ。そして直接的に奪う以外にも、資源争奪に勝つ方法はいくらでもある。

 モチ達の場合は、表面積を広くする事だった。

 呪力は大気に霧散した後、ガスのように均一に広がっていく。尚且つ空気などと違い、吸い込む事はほぼ出来ない。身体で触れた呪力以外は吸収出来ないので、より大気に触れる部分の多い身体……表面積の広い体型であれば、他よりも多くの呪力を得られる。

 たとえ小さな角がちょこっと生えているだけでも、その分多くの呪力が吸収出来れば生き残れる確率は上がるのだ。

 この時、『体積』は変わらないのが重要である。体積、つまり身体の『大きさ』が大きくなると、その分だけ呪力の消費量も増える。折角呪力をたくさん吸収出来ても、消費が増えては今までと変わらない。むしろ身体の『体積』は大きさの三乗に比例するのに対し、表面積は二乗に比例するので、身体が大きくなるほど表面積の割合は小さくなってしまう。体積は可能な限り増やさない方が良い。

 体積が変わらず、表面積の広い形とはどんなものか? 具体的には、薄く平たい形だ。身体の厚みをどんどん薄くし、縦と横に伸ばしていく。

 出来れば縦に伸ばした方が良い。呪力には質量がなく、重力によって落ちてこない。このため上にも下にも均一に拡散する。だから床に這いつくばるような、平たい形でも問題はないのだが……平たいと、他個体が上に乗る事が出来てしまう。上に乗られると、そこに飛んでくる筈の呪力を奪われてしまうため効率が悪い。

 高く伸ばせば、自分より背の高い個体以外には邪魔されない。より高く、平たい形こそが生き残りやすい……『適応的』と言えるだろう。

 モチ達に遺伝子はない。だが分裂時に親の形とほぼ同じ分身を生み出す。つまりなんらかの理由で形態が変化(例えばエリィに蹴られた。階段から落ちた。分裂時の複製に誤りがあった)すると、次世代にも引き継がれる。この形態が生き残るのに好都合なら、新たな形態の子孫がどんどん増えていく。

 そして子孫を残せない、不適応な形の個体はどんどん数を減らす。当然だ。呪力が有限という事は、モチの総個体数の上限は決まっている。もし適応的な個体が増えれば、その分不適応な個体は減っていく。最後は不適応な形の個体は全て死に、絶滅に至る。

 これが生存競争だ。

 生存競争を経て、モチ達はどんどん形を変えていった。形の変化に決まりもルールもなく、自由自在に変わり、適した個体は生き残り、不適応な個体は死んでいく。少しずつ効率的に、少しずつ合理的に、モチ達の形態は変化していった。

 特筆すべき点があるとすれば、その変化の早さである。モチ達は遺伝子を持たないため、自分の形が変わるとすぐ次世代に『遺伝』させてしまう。おまけに繁殖力が強く、すぐに世代交代を行う。寿命も長くないのですぐ死ぬ。つまり餌である呪力を頻繁にばら撒き、頻繁に繁殖する。

 毎週毎週、姿形が変わっていくモチ。

 ましてやそれが一年も続けばどうなるか。

 ――――高さ二メートル、天井に付くほど拡張した、植物ような姿になる事だって可能だった。

 

【……………随分、変わっちゃったなぁ】

 

 改めて、かつてと全然違う姿形になってしまったモチに、エリィは驚きを露わにする。

 植物のような、と表現したが、より正確に例えるなら海藻が近いだろう。平べったい一枚の『葉』が、上方向に伸びた姿だ。あまりにも薄いからか、ゆらゆらと揺れていた。もちもちしていた丸い身体はすっかりなくし、床と接着するためか吸盤のような形になっている。変化していないのは色ぐらいで、モチと同じく真っ白だ。

 今、モチの大半はこのような姿になっている。エリィや死んだ仲間から放たれる呪力を吸収するのに、最も適した姿がこれらしい。半年ほど経った頃にはこの姿の個体が繁栄し、そこからしばらく経ってもこの形から大きな変化をしていない。

 この形になったモチを、エリィは『ウミクサ』と名付けた。エリィが生きていた頃、高級品として食卓に出てきた海藻(うみくさ)に似ている事からそう呼んでいる。

 ウミクサは今や屋敷のあちこちに生えている。モチはウミクサとの競争に負け、もう生き残っていない。モチを一つの種だと考えれば、ウミクサとの生存競争に負けて絶滅したのだ。

 丸い形だったモチよりも幅広で、高さもあるウミクサはとても邪魔臭い。かといって毟るのも可哀想なので、エリィはわざわざ避けている。これではどちらが屋敷の主なのか、とエリィも思わなくもない。今も廊下に大きなウミクサが生えていて、ちょっと先に進めない状態になっていた。そしてこのような状況は、今や珍しくもない。

 最早屋敷内はウミクサの森。広々としたエントランスホールさえも、ウミクサに埋め尽くされている。正に大繁栄と言えるだろう。

 しかし全ての生物がウミクサのような姿になった訳ではない。

 

【おっと】

 

 エリィの足下を駆け抜けていく生物も、モチの新たな姿である。

 その生き物は葉っぱのように平べったい身体をしていて、体長は二十センチほどと小さい。尚且つ、こちらは身体をくねらせて()()ように空中を移動する事が出来る。手足は生えておらず、頭や尻尾などの部位もない。見た目のまま、まるで葉っぱが泳いでいるようだ。

 この泳ぐモチの姿を、エリィは『パタパタ』と呼んでいる。パタパタは素早く泳ぎ回り、積極的に呪力の濃い場所へと移動する事で、生存に必要な呪力を集めるようになったが個体だ。呪力には質量がないので、その呪力で身体を形作る生物達にも重さはない。身体の構造さえ工夫すれば飛行はさして難しい行いではなかった。

 パタパタの方がウミクサよりも個体数は少ない。しかしウミクサと違い、こちらは移動能力があるので、より住心地のよい場所を探して動き回る事が可能だ。呪力が足りなくなると移動し、より生き残りやすい場所で成長・繁殖を行う。これによりしぶとく生き延びてきた。

 モチは絶滅しても、その末裔は今もしっかり生きている。途絶える事なく命脈を受け継ぐこの生命は、一つの種族として成立したと言えよう。

 よってモチから生まれた系譜、呪力で身体を作る生物達を、今後は呪力生命体と呼ぶ。人間など普通の生物(有機生命体)とは異なる、新たな生物群だ。

 ……エリィがその名前で生き物達を呼ぶようになるのは、当分先の話だが。

 

【……ふふっ】

 

 邪魔臭いウミクサと、小五月蝿いパタパタ。どちらもちょっと迷惑だが、エリィは笑みが溢れてしまう。

 エリィにとって一番嫌なのは、寂しい事。

 モチ達がいっぱいいるのは、とても賑やかだった。そのモチが大きくなって、或いは動き回るようになって、もっと賑やかになった。今では全然、寂しくない。寂しさを呪う気持ちはあっても、それが癒やされるから苦しくない。

 悪霊なのに、死んだのに、心が満たされてしまう。

 満たされるが、まだ足りない。もっとたくさん、もっと色々なモチ達を見たい。孤独になんてなりたくない。その想いがある限り、エリィはこの世にしがみつく。

 次はどんな事が起きるのか、楽しみで仕方ない。

 そして彼女の願いは、彼女が想像もしない、だけど最高の形で叶う事になる。

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