呪力生命体が誕生してから、五年の年月が流れた。
今も屋敷内にはたくさんの生き物が生きている。ウミクサ、パタパタ、カイギョの三種による食物連鎖は今も続き、大きな変化はない。より正確には様々な種が絶滅と誕生を繰り返しているが、生態系の基本的な構造は変わっていないと言うべきか。
パタパタは屋敷のあちこちを飛び回り、カイギョがそれを追い駆ける。仲間が追われているのを尻目に、こっそりと小さなパタパタがウミクサから呪力を吸い取る。弱肉強食の光景だが、賑やかな命のやり取りでもある。
【今日もみんな元気だなぁ】
そんな命の営みを、食堂の席(百五十年もののためかなりボロボロ。普通の人間が座るとささくれが尻に刺さる)に座りながらエリィはのんびり眺めていた。
カイギョが生まれてから三年経ったが、生態系に大きな変化はない。
種類は多様になったが、あくまでもパタパタやカイギョの延長線。食う食われるの関係は安定して続いている。種類が移り変わっているので変化は起きているため、このまま何も変わらない、という事はないだろう。しかし突然大変化を遂げる事も、きっともうないのだろうと思わせる。
それで良いとエリィは思う。
悪霊となったエリィに寿命はない。「一人になりたくない」という気持ちがある限り呪力を生み、その呪力によって活動している。当人に自覚はなくとも無限のエネルギー機関であり、だからこそ百五十年も存続し続けた。これからの百五十年も問題なく存在出来る。
だからゆっくりでも変化するなら、全く問題ない。何時か、そのうち、愉快な生き物が現れてくれるかも知れないのを待てる。仮に現れなくても、今の賑やかさがあれば十分楽しい。百五十年間の孤独を思えば、あと百五十年この生態系が続くのであればなんと嬉しい事か――――
【……続く?】
そこまで思って、ふと、エリィは疑問を抱いてしまう。
本当に、この生態系は百五十年も続くのだろうか。
確かに五年間は大きな変化もなく存続している。だが、本当に安定しているのか? 実は大きな問題が、水面下で進んでいるのではないか。
エリィには何も分からない。何故なら生態系が出来た事にはしゃぎ、生き物達の賑やかさに癒やされてばかりで、個々の生物や生態系を調べる事を怠っていたからだ。
これは見方を変えれば、寂しさに執着していた悪霊の精神が落ち着いて、悪い事にも目を向けられるようになったという『回復』を示すものだが……享年十歳のエリィは精神医学に精通していない。自分の心理状態や成長など知る由もなく、ただ不安になってしまう。
とはいえ今のエリィは、落ち着いて考える事が出来る。
もしも生態系に問題があるなら、それを自分の手で弄れば回復出来るかも知れない。よって必要なのは生態系を調べ、何が起きているか知る事。領主の娘として高等教育を受けてきたエリィは、生態系の概念を知っている。
そして生態系を知るには、生物種を把握しなければならない。どんな生き物が何をしているのか、分からなければ語れないのだから。
【よーし、調べるぞー!】
死んで以来毎日が休日状態のエリィは、思い立った事をすぐさま行動に移すのだった。
……………
………
…
まずエリィが向かったのは、屋敷一階玄関部分に広がるエントランスホールだった。
貧しい農民の家よりも遥かに広い空間は、今やウミクサの森である。二階へと続く階段があるこの場所は、天井も高い。誰もいない高い場所を占有出来れば、そこに漂う呪力を独占し、効率的に繁殖する事が可能だ。
なのでこの場所に生息する樹木型のウミクサは、非常に細長く、先端に糸のような『葉』を無数に持っている形態に進化した。高さは天井スレスレの六メートル近いもので、葉の長さは五十センチか、一メートルあるだろうか。正に森であり、その隙間をパタパタ達が悠々と泳ぐ様は幻想的ですらある。
その巨大なウミクサの表面に、ぐるぐると巻き付くウミクサがいる。蔓植物のような姿だ。
このような姿に進化した理由は、生存競争の苛烈さにある。呪力生命体は呪力で身体を作っている。この身体を維持し続けるにも呪力は必要で、丈夫な身体ほど、大きな身体ほど、消費する呪力の量は多い。よって高く大きく伸びるには、多くの呪力が必要だ。
ウミクサ達は大気中の呪力を効率的に吸収するため、大きくて平たい形に進化した。だが巨大な、樹木のような身体は呪力の消費量が多い。繁殖にも呪力を使うので、大きな身体になるとそれだけで繁殖力が落ちてしまう。だが他のウミクサ達が大型化する中、自分だけが小さいと呪力の争奪戦に負けてしまう。だから消費する呪力が増えても、大きくて丈夫な身体を維持しなければならない……
蔓植物のような身体が強みになるのは、このような環境だ。細くて柔らかな身体は自力だと立ち上がれないぐらい非力だ。しかし大きな樹木型ウミクサの身体に巻き付けば、脆弱な身体でも高さを稼げる。
高い位置に陣取れば、樹木型ウミクサと同じようにライバルの少ない、高所の呪力を得られる。おまけに巻き付くという関係上、外気に触れるのは蔓植物型ウミクサの方。つまり横取り出来る。しかも樹木型ウミクサよりも遥かに小さなコストに掛からない。これは繁殖力に優れるだけでなく、成長も早いという事。一度巻き付けば、土台である樹木型をあっという間に追い抜き、上を取れるのだ。
実に狡猾な戦略だ。観察してみると、この蔓植物型ウミクサに何本も巻き付かれた樹木型ウミクサは、十分な呪力を得られなくて枯れてしまうらしい。
【えっ。こ、これ、なんとかした方がいいのかな……?】
詳しく観察して知った事実に、エリィは狼狽える。エントランスを埋め尽くす樹木型ウミクサは、この辺りに生息するパタパタ達にとって大切な栄養源。それを枯らす蔓植物型ウミクサは、森の生態系を脅かす存在に思える。
思えるが、エリィは手を出さない事にした。かつて(大体百五十年前ぐらい)読んだ本に載っていた。生態系というのは非常に複雑で、人間の思い通りにはならないと。
例えばとある地域では狩猟の獲物を増やそうと肉食獣を狩ったところ、逆に獲物が減ってしまったという。肉食獣は確かに獲物を食べるが、獲物が増え過ぎるのを防いでいた。肉食獣がいなくなった獲物はどんどん増え、餌である植物を食べ尽くしてしまった。だから獲物達は数が激減したのだ。
やがて飢えた獲物達は農作物を食い荒らし始めた。狩猟で減らそうとしたが、元々食われる側である獲物達の繁殖力は優れていて、全然効果がない。手に負えなくなった人は土地を手放したとかなんとか……
生態系というのは、単純な食う食われるの関係だけではないのだ。この蔓植物型ウミクサも、樹木型ウミクサを単に殺すだけではないかも知れない。
【まずは、観察。うん、決め付けるのは良くないもんね】
どうにかしたいという人間的衝動を堪え、エリィは様子見する。
そして一週間、文字通り飲まず食わずで蔓植物型ウミクサを観察した。悪霊だからこそ可能な力技だ。
――――結果、この様子見という選択が大正解だったと知る。
一週間観察し続けたところ、蔓植物型ウミクサはとあるパタパタにとって大切な餌であると分かった。細長い蔓植物型ウミクサを食べる事に特化したパタパタで、体長は三センチほど。とても小さい。
小さなパタパタは、十センチぐらいのカイギョが好んで食べている。捕まえたパタパタを触手で器用に拘束し、その中身を吸い取る。そしてこの小さなカイギョは、体長六十センチ近い大型カイギョの子供にとって、手頃で丁度いい獲物となっていた。
つまり蔓植物型ウミクサを駆除した場合、それを食べる小型パタパタがいなくなり、小型パタパタがいなくなった事でそれを食べていた小型カイギョ、この小型カイギョを食べる大型カイギョの子供の死亡率が跳ね上がる。大型カイギョはある程度育つと、小型カイギョよりも大きな、中型のパタパタをよく食べるようになるが……中型パタパタの餌は樹木型ウミクサ。大型カイギョの個体数が減った場合、中型パタパタが大発生し、樹木型ウミクサを食い荒らす事になるだろう。
結果として、蔓植物型ウミクサを減らすと、その被害を受けている樹木型ウミクサが激減する可能性があるのだ。
それに蔓植物型ウミクサも、悠々自適に暮らせている訳ではない。このエントランスホールにはもう一種、草のようなウミクサ(草体型ウミクサ)が茂っている。草のように細いこれらのウミクサに蔓植物型ウミクサは上手く巻き付けない。むしろ無数の草に埋もれてしまい、十分な呪力を得られなくて死んでしまう。
では草体型ウミクサが一番強いのか? そんな事はない。草体型ウミクサは小さく、大きな樹木型ウミクサが傍にいると周りの呪力を先に奪われてしまうため生きていけないのだ。
蔓植物型ウミクサが繁栄して樹木型ウミクサを枯らすと、邪魔者がいなくなった事で草体型ウミクサが繁茂する。草体型ウミクサが繁栄すると、蔓植物型ウミクサは草体型ウミクサに埋もれて生きていけない。蔓植物型ウミクサが減ると、樹木型ウミクサを脅かすものがいないので増殖し、草体型ウミクサが減少する。草体型ウミクサが減ると蔓植物型ウミクサが増殖する……この増減を繰り返す。
そしてこれらウミクサの数が変動すると、それを餌にするパタパタ達の数も増減する。勿論パタパタを餌にするカイギョの数も。するとカイギョ達と関係ある生物もきっと増減するだろう。
【な、なんて複雑な……】
この食物連鎖に登場する生物はたったの七種類。なのに一連の流れは繋がっていて、複雑に影響しあっている。
しかもエントランスホールに暮らす呪力生命体は他にもいる。草体型ウミクサを食べるのに特化した、先端突起が針のように鋭いパタパタ。樹木型ウミクサの幹に好んで刺す、先端突起が太いパタパタ。どちらも食べるが、どちらにも特化していない広食性パタパタ。
これらパタパタの数は、それを食べるカイギョの個体数に影響を与える。カイギョの数が増減すると、パタパタの数が影響を受ける。パタパタが増減すると、その餌であるウミクサの数も増減し、すると特定のパタパタが増えたり減ったりして、そうなると今度はまた一部のカイギョの数が変わって……
【こんなん管理出来るかぁーっ!】
一ヶ所目の観察で、エリィは音を上げた。
しかしこれもまた正解だった。生態系は複雑だ。特に多種多様な生物が暮らす、成熟した生態系は非常に複雑な絡み合いをしている。
一種二種を絶滅させても、簡単に生態系は破綻しない。似たような生き方をしている他種が、絶滅種の穴を塞ぐように繁栄するだろう。だが、何種類まで減らして大丈夫なのか。そんなのはやってみるまで分からない。分からないからやってみて、「駄目でした」となった時には手遅れ。絶滅した種は戻らない。
いずれ生き残った種、或いは離れた土地の種がやってきて、また進化して生態系を形作るだろう。だがそれは結局、別の複雑さが組み上がるだけ。管理のしやすさは全く変わらない。
どうやったところで、端から無理なのだ。だったら何もしない方が、下手に壊すよりずっとリスクが低い。
【というか、何もしなくても勝手にバランス取れてるし……】
そして管理するため、頑張って観察していたのでエリィは気付く。
食われる側も、ただ食べられている訳ではない。
というより、捕食者が被食者の数を抑えている、というのが正しくないというべきか。捕食者が増えると、食われる側である被食者は数を減らす。すると捕食者は食べ物を失うので、同じくその数を減らす。
即ち、実は被食者の数が捕食者を制限しているのだ。
そもそもその被食者だって、草食性であれば植物の総数によって制限されている。パタパタ達はカイギョに食べられるが、数を減らす時は何時だってカイギョが多くなった時ではない。食べ物であるウミクサの数が、自分達を養えなくなった時である。
『餌』によって生物の個体数が制限される事を、ボトムアップ効果と呼ぶ。それはこの世界、この時代の生物学だとまだ主流ではない考えだったが……エリィは呪力生命体を観察する事で、それを発見した。
これを論文に纏めて発表すれば、彼女の考えは百年後ぐらいには主流となり、生物学の発展に寄与するだろう。
しかし残念ながら彼女は享年十歳の悪霊である。
【……まぁ、何もしなくていいなら楽でいいや】
自分がどれだけ大発見をしたのか、エリィは全く気付かず。
とりあえず屋敷の生態系が今後も続きそうだと、安堵するだけで終わるのだった。