呪力生命体が生まれて二十年。エリィが悪霊となって百七十年が経った。
屋敷内の生態系は、この十年で様変わりした。
かつて優秀な捕食者として君臨していたカイギョの姿は、今は殆ど見られない。パタパタの数も大きく減った。
代わりに増えたのが、十年前には全くいなかった『陸上生物』達。
例えば、四つの足で闊歩する草食獣。
例えば、二足歩行する大型の肉食獣。
例えば、六足で歩く小型の虫型種。
いずれも流線型の身体を持ち、頭部(と思われる先端部分)には無数の小さな触手を生やしている。触手達の中心には穴が開いていて、体内へと続いていた。足はどれも太く、自重を支えて歩くのに適した構造をしている。
そして何十何百という個体数が存在し、明らかに繁栄していた。形態も多様であり、種数は五十以上いるだろう。パタパタとカイギョが減った分を、補って余りある繁栄ぶりだ。
種構成の変化に合わせるように、ウミクサもまた変化した。十年前よりも全体的に大型化し、表皮は更に硬質化。種類も多様化していて、それぞれが得意な環境を独占して繁茂している。勿論小型種も多様で、大型種の隙間を埋め尽くすような繁栄ぶり。
もう屋敷というよりジャングルのようだった。少なくとも此処、玄関前のエントランスホールに関しては。
【なんか、凄い事になってるなぁー】
二階へと続く階段(薄い苔のようなウミクサに覆われている)に座りながら、他人事のように独りごちるエリィ。実際
エリィからすれば勝手にこんな大森林地帯が出来たように感じていた。
しかし実際の原因は、ほぼ確実にエリィにある。何故ならこのジャングルを闊歩する陸上生物達は、エリィが掃除をサボった事で生まれたデトリタス食カイギョの末裔なのだから。
順を追って説明しよう。
デトリタス食カイギョ……この個体から生まれたグループをヨツアシと呼ぶ。触手が変化して出来た四足で闊歩しているからだ……は、本来デトリタスこと結晶呪力を食べる事に特化した種だった。だがそのために使われていた形態は、思いの外応用が利いた。
まず、体内の空洞へと繋がる穴がある事。
穴と呼んできたが、これからは『口』と称する。今まで体表面から呪力を吸収していたが、口のお陰で体内に食物を取り込む事が出来るようになった。
これが革命的だ。今まで大気中を漂うものか、生き物の体内を循環するもの以外、呪力生命体が食べられる呪力はなかった。しかし口を持てば、捕まえた生き物の身体を直接体内に突っ込める。体内で生き物が死に、身体を構成している呪力が霧散しても、体内であれば全て余さず吸収出来る。
今まで一日にパタパタを何匹も食べなければ生きられなかったのに、ほんの一匹食べれば何日も食べなくて済む。そのぐらい直接食べる事は効率に優れていた。
更に、食べ物を体内で吸収するなら、外皮に呪力の吸収能力はなくても良い。即ち吸収能力を阻害するような、丈夫な皮膚を持つ事も出来た。これで自分より大きなカイギョが襲い掛かってきても、防御力の高さで身を守れる。隙を見て反撃すれば、逆に仕留められるかも知れない。
こうした優秀な性質を、ヨツアシは幾つも兼ね備えていた。最初は
そして減ってしまった生物の代わりを務めるように、今度はヨツアシが進化していく。
ウミクサを食べるパタパタの地位を、草食獣型のヨツアシが担う。パタパタを食べるカイギョの地位を、肉食獣型のヨツアシが担う。それらの地位に入り込んだヨツアシが、生存競争を経てパタパタやカイギョを少しずつ滅ぼしていく。
それは『ニッチ』の争奪戦。
生物学にはニッチという考え方がある。生態系には様々な地位があり、それらはまるで椅子取りゲームのように座れる人数が決まっているというもの。例えば「草を食べる草食動物」、「草食動物を食べる肉食動物」というのもニッチの一つ。もし他所からやってきた誰かが
ヨツアシが繁栄すればするほど、パタパタやカイギョが占めていたニッチは奪われていく。もしも全てのニッチをヨツアシが奪えば……長く繁栄してきたパタパタとカイギョは、ついに滅びてしまう。
【……仕方ない、事かな】
二十年も呪力生命体達を見てきたエリィも、パタパタ達の絶滅を予感する。しかし止めようとは思わない。今まで何度も繰り返されてきた事が、また起きるだけなのだから。
それでもパタパタやカイギョは、ほぼ二十年ずっと見てきた生き物。いなくなるのは、ちょっと寂しいと思う。
……ここでパタパタ達が絶滅しても、エリィが理性のない悪霊に戻る事はない。陸上を闊歩するヨツアシ達が生み出す賑わいはかつての比ではなく、とても騒がしいのだから。
それに、パタパタに関しては新たな生存戦略を確立つつある。
ヨツアシにニッチを奪われ、パタパタは個体数を大きく減らしている。これは事実だ。しかし生態系におけるニッチというのは、草食動物や肉食動物という雑な括りで語れるものではない。もっと細かく、そして複雑なものである。
エリィは気付いていない。
パタパタの一部の種が、巨大なウミクサの
更に小型種も活躍している。ヨツアシは体内の空洞に食べ物を詰め込む都合、身体を大きくしなければならないという制約がある。パタパタはウミクサに刺さる先端突起さえ確保出来ればいいので、小型化が比較的容易だ。どんどん小型化していき、ほんの少しウミクサから呪力をもらうだけで生きられるようになれば、それは新たなニッチとして成り立つ。
パタパタは飛行能力と小ささを活かし、新たなニッチを開拓した。いずれ種の減少は止まり、再び増加に転じるだろう。
対して、カイギョはそうもいかない。
生粋の捕食者であるカイギョは、獲物であるパタパタ減少の影響を強く受けていた。更に今まで頂点捕食者として君臨していたため、ヨツアシという捕食者への対抗策を殆ど持ち合わせていない。餌不足だけでなく天敵も加わり、個体数が急減してしまう。元々頂点捕食者で個体数が少なかったカイギョにとって、急激に減る事は極めて危険な状況だ。
しかも捕食者であるカイギョは大型だ。身体が大きいという事は、成長や繁殖に時間が掛かるという事。進化には世代交代と淘汰が必要であり、成長が遅いカイギョは進化にも時間が掛かる。個体数が急速に減っていて、絶滅まで時間がないというのに。
頂点捕食者に適した形質が、変化した環境では弱点になってしまった。
弱肉強食という言葉があるが、自然界で生き残るのは必ずしも大きくて強いものではない。後世まで続くのは、変化した環境にも適応出来た血筋だ。
数年後、屋敷内の生態系はまた一変するだろう。新たな生物達の顔ぶれが、あちこちで見られるようになる。
【……よし!】
エリィは自らの頬を叩き、気合いを入れる。
見知った生き物が絶滅するのは寂しい。だけど新たな出会いは楽しみでもある。悲しむばかりが自然の楽しみではないのだ。
次はどんな生き物に会えるのか。ワクワクしながら立ち上がった
瞬間、何かがエリィに覆い被さった。
【ぎゅぶ!? むぽ!?】
いきなり真っ暗闇になって、訳が分からず混乱するエリィ。いや、ただの暗闇ならば悪霊であるエリィに見通せない筈がない。
布のようなもので視界が塞がれているようだ。しかもただ乗っているのではなく張り付いているようで、手で引っ張っても中々剥がせない。
一体、エリィに何が起きたのか。
端的に言うなら、ある種の生物が彼女の頭に乗っていた。その生物は魚とはまるで違う、円盤のような形をしている。半径十センチぐらいの中心部分には厚みがあるものの、その外側に広がる三十センチ近い部分はかなり薄い。皮膜と呼ぶべきだろうか。中心部分下側には触手状の先端突起が何本も生えていた。
触手状の先端突起があるのはカイギョの特徴。つまりこの平たい円盤生物はカイギョの一種だ。
そしてこのカイギョは、触手でエリィの頭をチクチクと突き刺す。
【あだだだだ!? 痛い痛い!?】
普通に頭に刺さる。しかも痛い。悪霊であるエリィには肉体がないから痛覚もない筈なのに、どういう訳か普通に痛い。
軍人や騎士なら、この状況にも落ち着いて対処出来るかも知れない。
だがエリィは悪霊である事以外はただの小娘。いきなり視界を塞がれ、頭に張り付かれた挙句突き刺されては堪ったものではない。
訳が分からず無我夢中で走ったエリィ。それでもカイギョは離れなず、前が見えないエリィは正面にあった樹木型ウミクサに衝突してしまう。
その衝撃でようやくカイギョは浮かび上がり、ふらふらと何処かに飛んでいった。エリィもちょっとくらくらしたが、すぐに我を取り戻す。
【もぉー……なんなのよアレ】
飛んでいくカイギョの姿に不満を漏らしつつ、去っていくならいいやと追いはしない。痛いのは嫌だが、それで虐めたり殺したりするのも可哀想に思うのだ。
――――だが、それは悪手だった。
本来あの平たいカイギョは、獲物を身体全体で包み込んで食べるという捕食方法を進化させた種だった。捕まえ方が独特な以外は、パタパタを襲って食べるあり触れた種である。
しかし先程の個体はエリィの身体から、大量の呪力を直接吸い上げた。屋敷内の呪力生命体を支えているのはエリィから漏れ出た呪力だが、これを直接吸おうとする奴が現れたのである。百七十年モノの大悪霊であるエリィにとっては微々たる量だが、呪力生命体達にとっては凄まじいエネルギー量。この一回の『捕食』で、あのカイギョは繁殖可能なだけの栄養を蓄えた。
今、エリィから直接呪力を吸う生物はいない。偶に獲物と思って襲ってくる奴はいるが、先程のようにエリィを狙う奴は始めて。突然変異的に、あの個体はエリィに惹かれる性質を持っていた。
現状奴以外にエリィから呪力を吸い上げる生物はいない。エリィは自分に危害を加えた生物の駆除も考えていない。よってエリィから呪力を吸うのは、新たな『ニッチ』となる。
以来、頻繁にエリィは襲われる。
そして殆どの種が絶滅する中、エリィという新たなニッチを開拓したこのカイギョだけが、新たな時代でも子孫を残し続けるのだった。