呪力生命体が現れてから五十年。
エリィが悪霊となってから二百年が経った。
【最近、世の中ってどうなってんのかなー】
ヨツアシ(体長二メートルもある大型草食獣型。樽のように丸々とした胴体と、足のように発達した六本の触手が特徴的な種だ)の上に跨りながら、ふとそんな事を呟くエリィ。彼女を乗せているヨツアシは、エリィの事など気にせず、草のように生えているウミクサを触手状の顎で掻き集めるようにして食べている。
エリィとヨツアシがいるのは、屋敷のダンスホール。
生前のエリィは此処で、週に一度ダンスのレッスンを受けていた。上流階級ともなると大人になれば社交場に出て、好きでもない男性とダンスを踊る事もある……らしい。それをする前にエリィは死んだのでよく知らないが、そういうものだと両親から聞かされたものだ。
ダンスホールには大勢の来客を呼ぶ事もあって、とても広い。平民の家と比べて、広さだけならざっと五〜六倍はありそうだ。ここまで広い部屋が草本型ウミクサに埋め尽くされている光景は、圧巻の一言に尽きる。このウミクサを草食獣型のヨツアシ数体で食んでいた。疎らに樹木型ウミクサも並んでいる。
今では面影すらないが、エリィにとっては思い出の場所。父と母の華麗なダンスを真似しようとして、すってんころりんと転んだのも、今となっては良い思い出だ。
そんな思い出に浸っていたところ、連鎖して今の流行、そして世情へと考えが広がったのだ。エリィが生きていた頃は剣と大砲で戦争していて、近くの村ではたくさんの魚を獲っていた。今でも魚は獲れるのか、銀山はどうなったのか……
見に行きたい、とは思う。
【まぁ、無理なんだけど】
しかし即座に諦める。
長い間悪霊として存在し、増大した呪力によってエリィは生家である屋敷を再現した異界を創り上げた。だがその結果、エリィは異界化した屋敷と強く結び付き、外に出られない。
五十年前のエリィなら、その事実の認識だけで寂しさから狂っただろう。
だが今のエリィは違う。進化繁栄した呪力生命体達が、毎日屋敷の中を賑やかにしてくれるのだから。こうして背中に乗せてくれるどころか、一緒に家の中を歩いてくれる種までいる……言う事は全然聞かないが、些末な問題だ。
人に会えないのは寂しい。だけど呪力生命体達のお陰で、エリィは寂しさに飲まれずに済んでいた。
「ギシャアアッ!」
【きょわーっ!?】
なお、エリィの気持ちなど関係なく肉食獣は草食獣に襲い掛かるのだが。
突如やってきた肉食獣型ヨツアシ(体長二メートル以上。鋭い爪のように尖った前足を持つ種)に襲われ、草食獣型ヨツアシは全速力で走り出す。しがみついていればそのまま一緒の逃避行となったが、享年十歳のエリィにそんな的確な判断など出来る訳もなく。
【うぶぇっ!?】
後頭部から地面に着地する羽目となった。
二体のヨツアシはエリィなど気にも留めず、食う食われるの生存競争を繰り広げながら去っていく。
……こうした粗雑な扱いも、意外とエリィのメンタルによい影響を与えている。適当なところで突き放すので、過度に依存しないで済んでいた。突き放す理由も、大抵が食う食われるの生存競争では非難し辛く、仕方ないかと思わせる。
何より理性を取り戻して早五十年前。人間のような成長はせずとも、ちょっとだけ精神性は大人に近付く。
【全く……はぁ。他にいい感じの奴、また探さなきゃ】
立ち直り、気持ちを切り替える。大人の処世術をエリィは身に着けつつあった。立ち上がるためエリィは両手を床に付ける。
すると、ふにっと、柔らかな感触が伝わってきた。
【ひゃあっ!? え、な、何?】
休憩中のパタパタでも潰してしまっただろうか。そうだとしたら申し訳ないと、慌てて手のあった場所を見遣る。
そこには確かに生き物がいた。
ただし居たのはパタパタではなく、妙な形をしたウミクサだったが。
【……ウミクサ、よね?】
思わず、エリィは首を傾げる。
そのウミクサは、大きさ五センチほどの小さなものだった。形は球体型をしていて、床に接している面に三本の根っこがある。この根っこで床に張り付いているらしい。
運動性がまるでないこの姿は、間違いなくウミクサの一種。しかし球体型なのは珍しい。ウミクサは大気中の呪力を吸収するため、表面積の大きな形に進化するもの。球体型は見た目通り厚みがあるため、体積当たりの表面積が小さい。
ウミクサの生態を考えれば、明らかに不自然な形態だ。
不自然なのだが……エリィはウミクサの詳しい生態なんて知らない。五十年も見てきたので「植物みたいな生き物」というのは分かっているが、体表面から呪力を吸っているとか、そのために表面積を広げているとか、生物学的かつ専門的な事はよく分かっていないのである。エリィに観察出来るとは、あくまでも食う食われるなどの直接的な関係ぐらいだ。
だから変な形態を見ても、変な姿だなぁとしか思わない。
【うん、ちょっと可愛いかも? なんかキノコっぽいし】
何も知らないが故に、さらっと本質を突く事もあるのだが。
エリィが指でつんつんと突いているウミクサは、この衣装部屋で誕生したばかりの新種。
丸くて厚みのある身体は、一般的なウミクサとの生存競争には向いていない。だがこの個体は、別のものを食べる事で生存のための呪力を確保していた。
その別のものとは
まず、この屋敷はエリィの呪力によって生み出された『異界』だ。本物の屋敷は現世にあるが、人間が屋敷を通ればこの異界に入り込んでしまう。屋敷の壁や床は世界そのものであり、これらはエリィの呪力によって形作られている。というより、エリィの呪力の大半はこの屋敷の維持に費やされているのが実情だ。残り僅かな呪力でも、人間をさくっと殺せるぐらいの力はあるが。
つまり此処フィンチ家屋敷は、呪力の塊という事。呪力という事は、呪力生命体にとっては餌。
屋敷を食べようとする種が現れる事は、必然と言えるだろう。確かに異界であるこの屋敷は、呪力生命体にとっては『世界』そのものであるが……この世界はちょこっと齧ったぐらいで滅びるほど軟でもない。だったらとことん齧り、得られた資源で繁殖する方が子孫を残す上では合理的。将来この世界が壊れるかも? なんて事は気にしない。生物進化はランダムな変化であり、将来を見据えてするものではないのだ。短期的に子孫を残せたものが繁栄する。
そんな短絡的な個体の末裔が、この球体型ウミクサである。
球体型ウミクサは床や壁などに根を差し込み、この根から肉眼では見えないぐらい細い根も無数に伸ばす。
重要なのは細い根……細根と呼ぼう……を伸ばす事。屋敷の床や壁を形成する呪力は、極めて頑強だ。エリィが持つ強大な呪力の産物であり、ちょっとやそっとの事では壊れない。呪力生命体が張り付いたところで、床から呪力を吸い取る事は不可能だろう。
しかし細根で奥深くまで入り込むと話は変わる。正確には床を構成する『とても小さな塊』を四方八方から根で包囲し、とことん呪力を吸い上げていく。大きな床という塊だと頑強なため、呪力生命体の力ではそこから呪力を吸収出来ない。だが非常に小さな塊であれば、それを無数の細根で取り囲めば、少しずつだが呪力を吸い取る事が出来た。
得られる呪力はごく僅か。だから身体を大きくする事どころか、活発に動き回る事も出来ない。それどころか根も『身体』に比べて長大なものとなり、例えば今し方エリィが触れた五センチほどの個体も、根は半径三メートルにも渡って伸ばしている。ここまでやっても成長速度が遅く、繁殖速度は非常に緩やか。生き方としてはあまり効率的ではない。
しかし床材などの呪力を食べる種は、今までいなかった。手付かずの、ライバルがいない資源を独占すれば個体数はどんどん増やしていける。
そしてこの球体型ウミクサの繁栄により、屋敷内の環境が大きく変わる。
球体型ウミクサによって柱や床が分解されれば、大きな亀裂や穴が生じる事になるだろう。それらの穴は小動物の隠れ家になったり、産卵場所になったりするかも知れない。時にはエリィの呪力で修復され、塞がった穴に閉じ込められてしまう個体もいるのではないか。環境は更に複雑化し、一層多くの種が生まれる。
それに球体型ウミクサによって、今まで誰も手を付けていなかった床などの『資源』が生態系の循環に加わる。生物はより多く、豊かとなり、もっと多くの生物が生態系を形作るのだ。
より生命が豊かになる循環。それは呪力生命体にとってだけでなく、賑やかな世界を望むエリィにとっても喜ばしい変化である。
強いて問題点を挙げるなら。
【へへ。可愛いなぁ】
暢気に球体型ウミクサを突いているエリィが、あちこち穴だらけになった我が家を前にして悲鳴を上げる事ぐらいだろう……