ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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ちょっと短め


群れの外側Ⅲ

 

 一之瀬から連絡先を受け取ったその日の夜、理央は部屋に戻るなり、夕食の準備を始めた。

 

 これが料理と呼べるかどうかは微妙なところだ。

 

 まず卵を12個、大きなボウルに割り入れて一気に溶く。それを、大きなフライパンで一枚の厚焼きにする。味付けの必要はない。タンパク質と脂質が摂取できれば十分だ。

 玄米の量は茶碗四杯分。本来なら六杯は欲しい所だ。

 サバの水煮缶を三つ、皿に開けてそのまま並べる。納豆を四パック。これは混ぜてそのまま。

 

 理央は次々に食品をテーブルに並べていった。

 

 これは料理というよりも燃料と表現する方が近いだろう。

 

「いただきます」

 

 誰に見せるでもない、簡素な食事風景。刑務所の食事でももっと華があるものだ。

 燃料補給をしつつ、理央は手元の端末を操作していく。

 連絡先を開き、今日手に入れたばかりの少女の名前を選択。そこにメッセージを入力していく。

 

『初めまして。Aクラスの東雲理央です。一之瀬さんから連絡先を教えてもらいました。話は通っていますか?』

 

 返信はすぐに来た。

 

『東雲くんね、聞いてるよ〜! 櫛田桔梗です! よろしく!』

 

 絵文字が並んでいた。テンションが高い。

 

 理央は少し今日のやり取りを思い返す。

 一之瀬から「櫛田さん」と聞いたとき、理央はなんとなく相手が男子だと思っていた。女子だと気付いたのは、連絡先を受け取って、桔梗という名前を見てからだ。

 

 女子の連絡先を、初対面に近い男子に教える。一之瀬帆波という人間が理央をどう見ているかが、その一点に表れていた。たったの一日で、相当に信頼されてしまったようだ。

 

 理央は箸を動かしながら、返信を打った。

 

『よろしくお願いします。一度会って話せればと思っているのですが、都合はどうですか』

『ごめんね、今ちょっとバタバタしてて……また落ち着いたら連絡してもいいかな?』

 

 理央は箸を止めた。

 

「バタバタ、ね」

 

 今は行事もない。定期試験も終わった。それでも忙しいとすれば、何らかのトラブルに巻き込まれているか、あるいは自分から首を突っ込んでいるか。

 

 そういえば、今月はポイントの支給が遅れていた。

 学校側はトラブルと言っていたが、その遅延とDクラスの動きに何らかの関係があるのかもしれない。

 

『何かあったんですか?』

『ちょっとクラスでトラブルがあって……でも東雲くんには関係ないことだから、気にしないで大丈夫だよ』

 

 理央の中で曖昧だった予感が確かなものに変わる。それでも、何か特別なことが起きるという訳ではないが。

 

『もし何か困っていることがあれば力になれるかもしれません。急ぎませんので、いつでも連絡してください』

『ありがとう! そう言ってもらえると助かるな』

 

 さっきまでの絵文字が消えていた。

 

 理央は既読済みの意味を示すスタンプを送ると、端末をしまい、食事に向き直った。

 無理に都合を合わせる必要はない。Dクラスとの接触は、しばらく後回しだ。

 

 

◇◆◇ 

 

 

 ──理央の考えは、翌日の朝に覆された。

 

 Aクラスの教室が生徒で埋まるのは早い。

 比較的優秀な生徒が集められているからか、遅刻をする者を見ることは稀だ。午前7時前の教室は、すでにそれなりの人数が揃っていて、皆が思い思いに過ごしていた。

 話し声、教科書をめくる音、椅子を引く音。いつものクラスの様子だ。

 

 理央は席に座ったまま、窓の外を眺めていた。

 雲の様子から今日の天気を予想する。趣味という程ではないが、習慣だ。

 

「晴れて見えるが、午後からの降水確率は60%だ」

「……君はもうすっかり僕のお天気お兄さんですね、葛城くん」

 

 盛大なネタバレを喰らって、理央は苦笑する。

 本人は悪気なく言ったのだろう。顔に疑問符が浮かんでいる。ここまでが理央のいつも通りの朝。

 

 いつもと違ったのは、この後だ。

 

 ──教室の扉が開いた。

 

「し、失礼しま~す」

 

 入ってきた人物を見て、理央は少し意外に思った。

 

 直接は見たことのない女子生徒だった。顔立ちは整っていて、笑顔が自然だ。男子から自然と視線を集める程度の美貌は備えている。教室に足を踏み入れた瞬間から、周囲の視線を集めることに慣れているような立ち方をしていた。

 少女を確認した途端、Aクラスの空気が、わずかに変わった。他クラスの生徒がホームルーム前の時間に乗り込んでくることは始めてだ。

 

 少女は教室を見渡してから、迷いなく理央の席に向かってきた。その足取りに迷いがない。目当ての人間がどこにいるか、あらかじめ把握していたような動き方だった。

 

「あっ、君が東雲くんだよね? 櫛田桔梗です。昨日はメッセージありがとう」

 

 明るい声だった。教室全体に届く音量だ。

 

 ──この女、見せつける目的で乗り込んできた。

 

 連絡先を知っている以上、会話はメッセージでやり取りすれば済む。放課後に会う約束をしても良かった。しかしこの少女はそうしなかった。わざわざAクラスの生徒が全員揃っている時間帯を選んで、教室に乗り込んできた。

 原動力は、主たる部分が承認欲求だろうか。

 

 自分の存在を周囲に印象付けることで、立場を強化する。Dクラスという底辺の位置から、Aクラスの生徒と繋がりを持つ少女として自分を演出する。それは単純な虚栄ではなく、戦略としての行動だ。実行力もある。

 目的のために周囲を気にせず動ける人間は、性格はどうあれ、それだけで一定の評価に値する。

 

「まあまあ、ですね」

「うん?」

 

 櫛田が首を傾げた。

 

「いえ、独り言です。廊下で話しましょう」

 

 理央は席を立った。

 

 ふと、坂柳有栖がこちらを見ていることに気付いた。

 穏やかな表情だったが、目の奥に何かが灯っていた。面白くない、という感情を、笑顔の下に静かに収めている。

 今にも声をかけられそうな雰囲気を感じて、理央は足早に教室を出た。

 

◇◆◇

 

 廊下に出ると、扉が閉まった。

 教室の中の喧騒が、一枚の扉を隔てて遠くなる。廊下にはまだ人が少ない。ホームルームまで時間がある。

 

「昨日は断ってごめんね。でもやっぱり、東雲くんに相談したくて」

 

 声のトーンが、教室の中とは少し変わっていた。人が少ない分、作り込む必要がなくなったのかもしれない。

 

「クラスのトラブル、という話でしたか」

「うん。いきなりこんな話で、申し訳ないけど」

「構いませんよ。ただ、力になれるかどうかは、内容を聞いてから判断させてください」

 

 櫛田は少し息を吐いてから、話し始めた。

 

「実はうちクラスの須藤くんが、Cクラスの生徒と揉めてさ……暴力沙汰になっちゃったみたいなんだよね」

「ほう」

「相手は三人いたみたいなんだけど、怪我をしたのはCクラス側だけで。須藤くんは先にやられたって言ってて、でも証拠がなくて……」

 

 理央は黙って聞いた。

 

「一週間以内に証拠か証人を見つけないと、須藤くんが一方的に悪いってことになっちゃうんだよね。だから、Aクラスにその現場を目撃した人がいないか、聞いてもらえないかなって思ったの」

「……事情は分かりました」

 

 聞き終えると、理央は事件の構図を整理し始めた。

 

 Cクラスの三人と須藤の一人が揉めた。怪我をしたのはCクラス側だけ。須藤は先にやられたと主張している。証拠はない。

 

 一対三で揉めて、怪我をしたのが三人側だけ、というのは少し引っかかる。単純に考えれば、須藤が一方的に暴力を振るったように見えるが、三人がかりで一人を相手にして全員怪我をした、ということでもある。

 須藤の身体能力が相当高いのでなければ、仕掛けたのがCクラス側である可能性も出てくるだろう。

 

「今月のポイント支給が遅れている原因はこれですか」

「さ、さぁ? それはどうだろ?」

 

 櫛田は誤魔化すような笑みを浮かべた。クラスメイトが学級単位で影響を及ぼしているという事を、多少は後ろめたく思っているのだろうか。

 

「Aクラスへの聞き込みは、あまりお勧めしませんね」

「……どうして?」

「Aクラスがその現場にいた可能性は低い上に、情報が別の方向に流れるリスクもあります。Dクラスが窮地に立っているという情報は、使い方次第で他クラスの利益になりかねません」

「そう、かな……?」

 

 櫛田は旨く反論できないようだったが、理央の話に違和感を感じたようだ。

 当然だ。理央も自分で話していて、矛盾点を自覚している。

 

 そもそもこの事件の当事者はDクラスとCクラス。そして、恐らくは既に、あるいは今後にでも、櫛田は一之瀬を通じてBクラスにも情報提供を呼び掛けるだろう。情報が漏洩してリスクになる相手など、そもそも存在しない。

 

 理央の本心は、別の部分にあった。

 

「ただ、僕個人として、別の方法でお手伝いはできるかもしれません。当事者である、須藤くん本人から直接話を聞かせてもらえますか」

「!」

 

 櫛田の瞳に光が宿った。

 

 もしも彼女の頼みに応じてAクラスで聞き込みをすれば、理央はこの件における「情報提供者」として機能することになるだろう。情報を集めて渡す。それだけの役割として。

 Dクラスとの接触は、その過程で多少生まれるかもしれないが、主導権は常に櫛田の側にある。

 それでは意味がない。

 理央が望むのは、間接的ではなく、直接的なDクラスとの接触だ。行動の主導権を失うわけにはいかない。

 

「どうですか」

「う~ん、そうだね」

 

 悩むふりをする櫛田桔梗。

 その胸中の思惑を、既に理央は見抜いている。

 

 Aクラスの有名人。水泳の授業中に世界記録を出した。イケメンランキング一位。下らない肩書きばかりだが、神輿には十分だろう。

 

 東雲理央を自分の功績として、クラスメイトに見せびらかすチャンス。

 それを櫛田桔梗が手放すだろうか──?

 

「うんっ、それじゃあお願いしようかな! 今日の放課後、Dクラスの教室に来てもらっても良いかな?」

 

 返答を聞き、理央は強い確信を得た。

 この少女はきっと、自分が分析した通りの人物であると。

 

 

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