ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ 作:さんぱうろ
一之瀬から連絡先を受け取ったその日の夜、理央は部屋に戻るなり、夕食の準備を始めた。
これが料理と呼べるかどうかは微妙なところだ。
まず卵を12個、大きなボウルに割り入れて一気に溶く。それを、大きなフライパンで一枚の厚焼きにする。味付けの必要はない。タンパク質と脂質が摂取できれば十分だ。
玄米の量は茶碗四杯分。本来なら六杯は欲しい所だ。
サバの水煮缶を三つ、皿に開けてそのまま並べる。納豆を四パック。これは混ぜてそのまま。
理央は次々に食品をテーブルに並べていった。
これは料理というよりも燃料と表現する方が近いだろう。
「いただきます」
誰に見せるでもない、簡素な食事風景。刑務所の食事でももっと華があるものだ。
燃料補給をしつつ、理央は手元の端末を操作していく。
連絡先を開き、今日手に入れたばかりの少女の名前を選択。そこにメッセージを入力していく。
『初めまして。Aクラスの東雲理央です。一之瀬さんから連絡先を教えてもらいました。話は通っていますか?』
返信はすぐに来た。
『東雲くんね、聞いてるよ〜! 櫛田桔梗です! よろしく!』
絵文字が並んでいた。テンションが高い。
理央は少し今日のやり取りを思い返す。
一之瀬から「櫛田さん」と聞いたとき、理央はなんとなく相手が男子だと思っていた。女子だと気付いたのは、連絡先を受け取って、桔梗という名前を見てからだ。
女子の連絡先を、初対面に近い男子に教える。一之瀬帆波という人間が理央をどう見ているかが、その一点に表れていた。たったの一日で、相当に信頼されてしまったようだ。
理央は箸を動かしながら、返信を打った。
『よろしくお願いします。一度会って話せればと思っているのですが、都合はどうですか』
『ごめんね、今ちょっとバタバタしてて……また落ち着いたら連絡してもいいかな?』
理央は箸を止めた。
「バタバタ、ね」
今は行事もない。定期試験も終わった。それでも忙しいとすれば、何らかのトラブルに巻き込まれているか、あるいは自分から首を突っ込んでいるか。
そういえば、今月はポイントの支給が遅れていた。
学校側はトラブルと言っていたが、その遅延とDクラスの動きに何らかの関係があるのかもしれない。
『何かあったんですか?』
『ちょっとクラスでトラブルがあって……でも東雲くんには関係ないことだから、気にしないで大丈夫だよ』
理央の中で曖昧だった予感が確かなものに変わる。それでも、何か特別なことが起きるという訳ではないが。
『もし何か困っていることがあれば力になれるかもしれません。急ぎませんので、いつでも連絡してください』
『ありがとう! そう言ってもらえると助かるな』
さっきまでの絵文字が消えていた。
理央は既読済みの意味を示すスタンプを送ると、端末をしまい、食事に向き直った。
無理に都合を合わせる必要はない。Dクラスとの接触は、しばらく後回しだ。
◇◆◇
──理央の考えは、翌日の朝に覆された。
Aクラスの教室が生徒で埋まるのは早い。
比較的優秀な生徒が集められているからか、遅刻をする者を見ることは稀だ。午前7時前の教室は、すでにそれなりの人数が揃っていて、皆が思い思いに過ごしていた。
話し声、教科書をめくる音、椅子を引く音。いつものクラスの様子だ。
理央は席に座ったまま、窓の外を眺めていた。
雲の様子から今日の天気を予想する。趣味という程ではないが、習慣だ。
「晴れて見えるが、午後からの降水確率は60%だ」
「……君はもうすっかり僕のお天気お兄さんですね、葛城くん」
盛大なネタバレを喰らって、理央は苦笑する。
本人は悪気なく言ったのだろう。顔に疑問符が浮かんでいる。ここまでが理央のいつも通りの朝。
いつもと違ったのは、この後だ。
──教室の扉が開いた。
「し、失礼しま~す」
入ってきた人物を見て、理央は少し意外に思った。
直接は見たことのない女子生徒だった。顔立ちは整っていて、笑顔が自然だ。男子から自然と視線を集める程度の美貌は備えている。教室に足を踏み入れた瞬間から、周囲の視線を集めることに慣れているような立ち方をしていた。
少女を確認した途端、Aクラスの空気が、わずかに変わった。他クラスの生徒がホームルーム前の時間に乗り込んでくることは始めてだ。
少女は教室を見渡してから、迷いなく理央の席に向かってきた。その足取りに迷いがない。目当ての人間がどこにいるか、あらかじめ把握していたような動き方だった。
「あっ、君が東雲くんだよね? 櫛田桔梗です。昨日はメッセージありがとう」
明るい声だった。教室全体に届く音量だ。
──この女、見せつける目的で乗り込んできた。
連絡先を知っている以上、会話はメッセージでやり取りすれば済む。放課後に会う約束をしても良かった。しかしこの少女はそうしなかった。わざわざAクラスの生徒が全員揃っている時間帯を選んで、教室に乗り込んできた。
原動力は、主たる部分が承認欲求だろうか。
自分の存在を周囲に印象付けることで、立場を強化する。Dクラスという底辺の位置から、Aクラスの生徒と繋がりを持つ少女として自分を演出する。それは単純な虚栄ではなく、戦略としての行動だ。実行力もある。
目的のために周囲を気にせず動ける人間は、性格はどうあれ、それだけで一定の評価に値する。
「まあまあ、ですね」
「うん?」
櫛田が首を傾げた。
「いえ、独り言です。廊下で話しましょう」
理央は席を立った。
ふと、坂柳有栖がこちらを見ていることに気付いた。
穏やかな表情だったが、目の奥に何かが灯っていた。面白くない、という感情を、笑顔の下に静かに収めている。
今にも声をかけられそうな雰囲気を感じて、理央は足早に教室を出た。
◇◆◇
廊下に出ると、扉が閉まった。
教室の中の喧騒が、一枚の扉を隔てて遠くなる。廊下にはまだ人が少ない。ホームルームまで時間がある。
「昨日は断ってごめんね。でもやっぱり、東雲くんに相談したくて」
声のトーンが、教室の中とは少し変わっていた。人が少ない分、作り込む必要がなくなったのかもしれない。
「クラスのトラブル、という話でしたか」
「うん。いきなりこんな話で、申し訳ないけど」
「構いませんよ。ただ、力になれるかどうかは、内容を聞いてから判断させてください」
櫛田は少し息を吐いてから、話し始めた。
「実はうちクラスの須藤くんが、Cクラスの生徒と揉めてさ……暴力沙汰になっちゃったみたいなんだよね」
「ほう」
「相手は三人いたみたいなんだけど、怪我をしたのはCクラス側だけで。須藤くんは先にやられたって言ってて、でも証拠がなくて……」
理央は黙って聞いた。
「一週間以内に証拠か証人を見つけないと、須藤くんが一方的に悪いってことになっちゃうんだよね。だから、Aクラスにその現場を目撃した人がいないか、聞いてもらえないかなって思ったの」
「……事情は分かりました」
聞き終えると、理央は事件の構図を整理し始めた。
Cクラスの三人と須藤の一人が揉めた。怪我をしたのはCクラス側だけ。須藤は先にやられたと主張している。証拠はない。
一対三で揉めて、怪我をしたのが三人側だけ、というのは少し引っかかる。単純に考えれば、須藤が一方的に暴力を振るったように見えるが、三人がかりで一人を相手にして全員怪我をした、ということでもある。
須藤の身体能力が相当高いのでなければ、仕掛けたのがCクラス側である可能性も出てくるだろう。
「今月のポイント支給が遅れている原因はこれですか」
「さ、さぁ? それはどうだろ?」
櫛田は誤魔化すような笑みを浮かべた。クラスメイトが学級単位で影響を及ぼしているという事を、多少は後ろめたく思っているのだろうか。
「Aクラスへの聞き込みは、あまりお勧めしませんね」
「……どうして?」
「Aクラスがその現場にいた可能性は低い上に、情報が別の方向に流れるリスクもあります。Dクラスが窮地に立っているという情報は、使い方次第で他クラスの利益になりかねません」
「そう、かな……?」
櫛田は旨く反論できないようだったが、理央の話に違和感を感じたようだ。
当然だ。理央も自分で話していて、矛盾点を自覚している。
そもそもこの事件の当事者はDクラスとCクラス。そして、恐らくは既に、あるいは今後にでも、櫛田は一之瀬を通じてBクラスにも情報提供を呼び掛けるだろう。情報が漏洩してリスクになる相手など、そもそも存在しない。
理央の本心は、別の部分にあった。
「ただ、僕個人として、別の方法でお手伝いはできるかもしれません。当事者である、須藤くん本人から直接話を聞かせてもらえますか」
「!」
櫛田の瞳に光が宿った。
もしも彼女の頼みに応じてAクラスで聞き込みをすれば、理央はこの件における「情報提供者」として機能することになるだろう。情報を集めて渡す。それだけの役割として。
Dクラスとの接触は、その過程で多少生まれるかもしれないが、主導権は常に櫛田の側にある。
それでは意味がない。
理央が望むのは、間接的ではなく、直接的なDクラスとの接触だ。行動の主導権を失うわけにはいかない。
「どうですか」
「う~ん、そうだね」
悩むふりをする櫛田桔梗。
その胸中の思惑を、既に理央は見抜いている。
Aクラスの有名人。水泳の授業中に世界記録を出した。イケメンランキング一位。下らない肩書きばかりだが、神輿には十分だろう。
東雲理央を自分の功績として、クラスメイトに見せびらかすチャンス。
それを櫛田桔梗が手放すだろうか──?
「うんっ、それじゃあお願いしようかな! 今日の放課後、Dクラスの教室に来てもらっても良いかな?」
返答を聞き、理央は強い確信を得た。
この少女はきっと、自分が分析した通りの人物であると。