ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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群れの外側Ⅳ

 

 Dクラスの教室の前に着くと、櫛田がすでに待っていた。理央の姿を確認した途端、表情が明るくなる。

 

「来てくれた! ありがとう、東雲くん」

「約束しましたから」

 

 屈託のない笑みからは、二面性など疑わせない。この強化外骨格には理央でさえ感心を禁じ得ない。

 

 扉を開けて、二人でDクラスの教室に入った。

 

 途端に、空気が変わるのを肌で感じた。

 

 見慣れない顔が教室に入ってくる──何てことのない出来事に聞こえるが、学校のような閉鎖空間では、教室全体の温度を変えるほどの衝撃を秘めている。

 話していた生徒が口を閉じる。教科書を読んでいた生徒が顔を上げる。廊下に出ようとしていた生徒が足を止めた。誰かが誰かの腕を叩いて、視線の方向を示す。そういう反応が、波紋のように教室全体に広がっていった。

 

「ねえ、あれってAクラスの……?」

 

 理央は特に気にしなかった。視線を受けることには慣れている。

 

 教室の奥では、高円寺六助が手鏡を持って自分の髪の毛を整えていた。

 

「あ」

「?」

 

 手鏡越しに理央を一瞥する。

 

「……」

「フッ」

「!?」

 

 高円寺は一瞬だけ薄く微笑んだが、それだけでまた自分の髪の毛を弄るのに戻る。

 唯一、Dクラスの中で親交に近い関係性を築けた相手のつもりだった。自分でも意外なほど、理央は無関心な反応にショックを受けてしまう。

 

 隣で、櫛田が教室全体に響くような声で言った。

 

「須藤くん! ちょっといいかな。例の件なんだけどね、東雲理央くんに協力してもらえることになったの!」

 

 わざとらしいほど明るい声だった。教室の端まで届く音量だ。

 須藤が立ち上がった。理央を一瞥して、眉を寄せる。クラスまでは分からないのだろう、ただ見慣れない顔の人間が来たという顔だ。

 

「なんで他クラスの奴を連れてくんだよ?」

「いいからいいから。ちょっと来てもらえるかな」

「あぁん? べ、別にいいけどよ……」

 

 須藤は立ち上がりながら、理央をちらちらと見た。警戒や、敵意とは違う。どちらかと言えば、緊張と困惑と入り混じっている反応だ。

 

 理央は須藤をさらりと一瞥して、視線を外した。

 

「…………ん?」

 

 そのとき、視界の端に何かが引っかかった。

 優雅に空を泳ぐ鳥の中を、何の前兆もなくミサイルが通過したかのような、強烈な違和感。

 

 

 ──何だ、あの動物は。

 

 

 教室の一角に座っている、同じ制服を着た生命体だ。

 

「じゃ、移動しようか東雲く──」

 

 櫛田の声が途中で止まった。

 理央がすでに歩き出していたからだ。

 須藤でも櫛田でもなく、教室の奥に向かって、迷いのない足取りで。

 

「ちょっとあなた、何も言わずにずけずけと……」

 

 美しい純黒の花がひらりと理央の前に躍り出る。

 花といっても、まだ開ききっていない蕾の状態に近い。美しさを評価できる段階ではないが、きっと良い種から育てたのであろうことは想像できた。

 

 さらりと避け、目的の場所へと。

 

「────」

 

 理央は、その生命体の前で立ち止まった。

 

 人間だ、とは分かる。顔も手足も、制服も、すべて人間のそれだ。

 

 しかし、胸の奥で何かがざわつく。

 

 思考ではない。理屈でもない。種として刻まれた、識別のための本能が、目の前にいるものに対して異を唱えていた。

 捕食動物が、腐肉を前にしたときの感覚に近いだろうか。危険だから避けるのではない。強いから逃げるのでもない。ただ純粋に、正常ではない。生き物として、あってはならない何かがそこにある。その一点だけが、本能の深いところから告げられていた。

 

 恐怖ではない。

 興奮でもない。

 この感情は、きっと憐れみと言うのだ。

 理央は自分の心理を、静かにそう結論付けた。

 

「……えっと?」

 

 対象から困惑した声が出た。

 理央は数秒で思考を切り替える。

 地球の裏側で今この瞬間にも起きているであろう悲劇に、理央が関心を向けないのと同じように、この存在──名も知らない男子生徒の抱える何かは、理央の人生に何も関係がない。

 

「可哀想に」

 

 そっと呟いた。

 それだけで、理央は踵を返した。

 

「行きましょう、櫛田さん」

「あれっ、綾小路くんとも知り合いだった?」

「…………いえ、別に」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 誰かに聞かれる可能性さえなければ、どこでも良かった。

 階段を上り、施錠されていない扉を開けると、六月の風が吹き込んでくる。

 

 見渡す限り、屋上に生徒の姿はなかった。

 

 理央は手すりの近くに立ち、須藤から話を聞いていく。

 

 おおむね、櫛田から聞いたのと同じ内容だ。

 Cクラスの三人から先に仕掛けられた。身の危険を感じて反撃したら、結果的に怪我をしたのは向こうだけだった。証人はいない──ただ、その場に誰かの気配を感じた気はする、と須藤は言った。

 それから、一週間後に生徒会を交えてCクラスとの審議があるらしい。

 

「正当防衛は成立しうると思いますが、証拠がなければ難しいですね」

「やっぱり、目撃者を探すしかないのかな?」

 

 櫛田の言う通り、それが最も確実な手だ。しかし一週間という時間制限の中で、見つかる保証はない。成功確率を考えると最善手とは思えなかった。

 須藤は話しながら、ちらちらと理央を見ていた。

 

「なんか、見下してる目しやがって。腹立つな、お前」

「ちょっと、須藤くん」

「どうせお前だって、俺のこと自業自得とか思ってやがんだろ」

「思っていません。君の被害者性は僕が認めましょう」

 

 理央は静かに答えた。嘘ではない。

 須藤の言動に思うところがないわけではない。しかし自業自得、とまでは思っていない。先に仕掛けられて反撃した。それだけの話だ。問題があるとすれば、須藤の日頃の素行が心証を悪くしているという点だけだ。

 

「はっ、賢ぶって喋りやがって。鼻につくぜ」

 

 そのとき、屋上の扉が開いた。

 現れた少女の冷たい目が、まず理央を捉えた。

 

「──ここにいたのね」

 

 いつぞやの、純黒の蕾だった。

 人間。女子生徒だ。当たり前のことだが、改めてそう認識した。

 

 極めて整った顔立ち。冷たい眼差し。背筋が伸びている。立ち方に、武道の素地が滲んでいた。しかし出身は一般家庭だろう。上流階級にありがちな独特の気品が欠けている。

 外見の可愛らしさだけなら、櫛田桔梗や一之瀬帆波と同じ程度のレベルだろう。

 

 しかし──何故だろう、瞳の奥から強い可能性を感じさせた。 

 

「Aクラスの人間が関与する必要はないわ。今すぐ帰ってちょうだい」

 

 温度のない声だった。理央を排除することだけを目的とした、余分なものが何もない言葉だ。

 

「堀北さん……」

「……堀北、それが君の名前ですか」

 

 理央は確かにその名前を記憶する。 

 

「そんなに怖い顔しなくたって、東雲くんは敵じゃないよ。だって──」

「櫛田さん」

 

 堀北が視線を移した。

 

「あなたが誰を連れてこようと自由よ。でも私はこの人間を信用していないし、する気もない。もしも証言や証拠を集めてくれるなら、その分の情報だけ受け取ってもいいけれど、それ以外で助けを受けるべきじゃないわ」

「でも、私は東雲くんを信用してる」

「あなたの感想が、欠片でも根拠としての機能を持つと思っているの?」

 

 好感を持てる言動だった。

 

 感情ではなく、信念で動いている。群れに頼らない。助けを拒む。自分の流儀を曲げない。反骨の気質をこれほど体現している女子に、理央はこの学校でまだ出会ったことがなかった。

 

「僕ならば、証言集めには注力しません」

 

 理央は静かに言った。

 

「……何ですって?」

「アリバイのための証拠集め。基本的で確実な方法ではあります。しかし、あまりに非効率的だ。僕ならもっと確率の高い方法を選びます」

「口だけなら何とでも言えるわ」

「まあそう思いますよね。何にせよ、君たちには実践できない方法です」

 

 堀北の目が細くなった。

 

「あなたにできて、私たちにできない、ですって?」

 

 静かな怒りが、その言葉の奥に滲んでいた。

 

「部外者が随分な大言壮語を吐くのね」

「ここで虚勢を張っても仕方ありませんよ」

「……そこまで言うなら聞いてあげるわ。どんな方法なの?」

 

 堀北の声から、わずかに棘が抜けた。完全にではない。しかし物を聞く姿勢に変わったのは事実だ。それだけで、この少女が感情より合理性を優先できる人間だということが分かる。

 

「試合で最も勝率を上げるには、審判を買収することです」

 

 堀北が眉を寄せた。

 

「何が言いたいの」

「買収が無理なら、自分がいっそ審判になってしまうとか」

「……は?」

 

 理央は続けた。

 

「僕ならば、一週間以内に裁定者である生徒会に加入します」

「…………生徒会、に」

 

 堀北は、それだけ呟く。

 表情は変えなかった。

 変えなかった、というのは正確ではないかもしれない。を変えまいとしている、という方が近い。瞳の奥で、受け取った言葉と格闘している。

 

「無理よ」

「それを決めるのは君ではありません」

「いいえ、無理に決まってる……」

 

 呟くような声だった。

 必要以上に否定から入っている。生徒会、という言葉に拒絶反応を示しているようにも思えた。

 

「つーかよ、手伝うってんなら普通にAクラスで聞き込みしてくれる方が助かるんだが……」

 

 場の空気が、少し緩んだ。

 聞き込み自体は間違っていない。目撃者を探すという手段は、今も有効だ。ただ、より効果的な方法を理央なら実現できるというだけで。

 

「まあそうですね。証人探しについては、こちらでも当たってみますよ」

 

 理央は静かに言った。

 

「……本当に?」

 

 櫛田が少し身を乗り出した。

 

「保証はできません。ただ、やれることはやります」

「あっ、あと生徒会の件は……」

「結構よ」

 

 ここで堀北が口を開いた。冷たい声だったが、先ほどより少しだけ温度が違った。

 

「あなたに生徒会へ入ってもらう必要はない」

「君がそう言うのであれば」

 

 理央は特に食い下がらなかった。この少女が首を縦に振らないことは、もう分かっている。

 堀北はまだ理央を見ていた。何かを言いたそうな顔だったが、結局何も言わなかった。

 

「あまり長居しても怪しまれるので、僕はこの辺で」

「あっ、うん」

 

 理央は扉に向かって歩き出した。

 背後で、須藤が何か言いかけて、やめた。櫛田が「ありがとう」と小さく言う。堀北は何も言わなかった。

 扉の前で、理央は少しだけ立ち止まる。

 振り返りはしない。

 

「またお会いしましょうね」

 

 堀北に向けた言葉だった。

 

 扉が閉まる。

 屋上の音が、遠くなった。

 

 

◇◆◇

 

 

 階段を降りながら、理央は今日得たものを振り返っていた。

 

 堀北、と呼ばれていたか、あの少女は。

 容姿の対称性、骨格、武道の素地──知性を除くすべての指標において、合格点に達している。加えて、あの気質だ。群れに頼らず、信念で動き、助けを拒む。精神的な強度が、外見のそれと釣り合っている。

 彼女を形作る要素が生来のものなのか、後天的な環境によるものか、完全に断言できる段階ではない。

 しかし、坂柳有栖を除外してから、久々に感じる感覚がある。

 達成感と呼ぶには少し早いが、手応え、と言っても良い。

 

 ──現状の最有力候補が見つかったかもしれない。

 

 理央の足取りは、自然と早くなっていた。

 




理央・櫛田・須藤が去った後の教室にて

「聞き間違いだよな。今、『可哀想』と言われた気がしたが」
「いいえ、間違いじゃないわ。私にもそう聞こえたもの」
「……なぜ俺は憐れまれたんだ?」
「愚問ね。あなたの存在自体が可哀想だからでしょう」
「この学校に入って今ほど傷ついた瞬間はないかもしれない……」

そんな会話が、あったそうな
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