ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:どろどろ

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序列

 

 五月の最初の朝、各自の端末にプライベートポイントの振り込み通知が届いた。

 

 九万四千ポイント。

 

 理央は数字を確認して、静かに端末をしまった。先月の十万との差分は六千。誤差とも取れる数字だが、誤差ではない。この学校が意図せず数字を間違えることはない。

 先月の十万は、初回限りの特別支給だった。自分の仮説通りだ。

 では今月の九万四千は何に基づくのか。Aクラスだから、という理由だとすれば、クラスによって支給額が異なるということになるが、他のクラスではどうなっているのだろう。

 

 理央の疑問は、ホームルームでの真嶋が説明が解決した。

 

 まず、クラスポイントという概念が存在すること。

 現時点でのクラスポイントはAクラスが940、Bクラスが650、Cクラスが490、Dクラスが0である。このポイントに百を掛けた数値が毎月プライベートポイントとして支給されるとのことだ。

 そしてこれは、授業態度や生活規律によって減額される場合がある。

 また、クラスポイントが他クラスを上回ればアルファベットが入れ替わるらしい。

 

 さらに、もう一つ。

 この学校が卒業後の進路を約束するのは、Aクラスで卒業した生徒だけだ、ということ。

 

 説明が終わった後、教室は重い空気に包まれていた。 

 クラスポイントを上げる方法は説明されれいない。真嶋は「自分たちで考えろ」とだけ言って、ホームルームを終えた。 

 

 理央は、告げられた事実を静かに整理していく。

 

 入学時の仮説が、ほぼ正確だったことが確認された。

 ポイント制度は条件付きだった。卒業後の約束はAクラス限定だった。

 そして──クラスの逆転が可能ということは、現在Aクラスにいる人間も安泰ではない。

 

 ただ一点、読み切れていなかったことがある。Dクラスのポイントがゼロというのは、想定より苛烈だった。毎月の支給がゼロということは、入学時に支給された十万ポイントを使い果たした時点で、Dクラスの生徒には何も残らない。先月の一ヶ月で、あのクラスがどれだけ散財したかを考えると、相当な人間が、すでに厳しい状況に置かれているはずだ。

 

 加えて、真嶋はもう一つ、重要なことを告げた。

 

 中間テストで赤点を取った生徒は、退学になる。

 しかし理央にとって、それはさほど深刻な情報ではなかった。Aクラスに集められた人間の基礎的な学力は高い。赤点の心配があるような生徒は、このクラスにはいないだろう。問題があるとすれば他のクラスの話だ。

 

 坂柳はどう動くか。葛城はどう動くか。

 

 理央はそこまで考えたところで、クラスの空気が動き始める。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「まず、現状を整理しよう」

 

 葛城が立ち上がった。クラスの中心に向かって、静かに、しかし明確な声で言った。

 

「Aクラスを維持することが最優先だ。そのためには、クラスポイントを下げないこと。できれば上げること。その方法を考えなければならない」

 

 クラスの視線が葛城に集まっていく。

 自然な求心力だ。こういう場面での葛城の立ち方は、迷いがない。声に感情的な昂りがなく、ただ論理として話す。それがかえって信頼を生む。

 

「クラスポイントを上げる方法は説明されなかった。ただ、ポイントが減る条件として授業態度や規律が挙げられていた。逆に考えれば、学業成績が関わっている可能性が高い」

「……中間テストか」

「おそらくはな」

 

 誰か呟きに、葛城は頷いて肯定を示す。

 

「来月の中間テストでクラス全体の成績が良ければ、ポイントが上がるのではないかと思っている。根拠はないが、それ以外に方法が思い当たらない」

「同感です」

 

 口を開いたのは坂柳だ。

 

「クラスポイントの増減に学業成績が連動しているとすれば、クラス全体の底上げが必要になりす。一部の生徒だけが優秀でも、平均が低ければ意味がありません」

 

 理央も同意見だった。

 

「僕も可能性は高いと思います。四月の小テストも、その文脈で考えれば筋が通る。学校側は早い段階から、クラス全体の学力水準を把握しようとしていた」

「一致した、ということだな」

 

 葛城は満足げに頷いて、続ける。

 

「では勉強会をやろう。ある程度自分で勉強できる人間が集まって、互いに教え合いながら苦手な部分を補う。強制ではなく、参加したい人間が自主的に集まる形にしたい」

 

 Aクラスの生徒は基礎的な学力が高い。赤点の心配があるような人間はいないが、クラス全体の平均を引き上げるためには、苦手を持つ生徒が底上げされてこそ意味がある。葛城の判断は理に適っていた。

 賛同の声がいくつか上がった。

 やがて、坂柳が少し間を置いてから言った。

 

「一つ提案があります」

 

 葛城が視線を向ける。

 

「葛城くんの勉強会とは別に、もう一つ形を作りませんか」

「別に、というのは」

「葛城くんの形式は、自分でもある程度勉強できる人間向けです。しかしクラスの中には、そもそも何が分からないかも分からない人間がいる。そういった生徒には、教える側と教わる側がはっきり分かれた勉強会の方が向いている。二つの形式を並行して走らせることで、クラス全体をより広くカバーできます」

 

 葛城は少し考えるような素振りを見せた。否定する理由がない、という顔だった。

 

「……それはそうだな」

「教える側と教わる側が分かれた勉強会には、教える役が必要になります」

 

 坂柳は続けた。

 

「ですが、このクラスで、全教科を横断的に担える人間は限られている」

 

 そこで坂柳の視線が、理央の方に向いた。

 直接的ではない。しかし方向は明らかで、クラスの何人かが同じ方向を向いた。

 少し、意外な流れだ。理央の予想とは違う方向に話が進もうとしている。

 

「──東雲くんに、お願いできませんか」

 

 教室が静まった。

 教える役にはてっきり坂柳が立候補するものだとばかり予測していたが、ここで自分に矢が向くとは。

 理央はすぐには頷かない。

 

「そもそも、Aクラスに勉強会が必要でしょうか?」

 

 坂柳が少し目を細めた。

 

「どういう意味ですか」

「このクラスの基礎的な学力は高い。赤点の心配がある生徒もいない。中間テストで極端に低い点を取る人間は、おそらくいないはずです。であれば、勉強会という形を取らなくても、自然にある程度の結果は出るのではないですか」

「……それは『ある程度』の話ですね」

「ええ、まあ」

「クラスポイントを維持するだけでなく、上げることを目指すなら、ある程度では足りない。クラス全体の平均を、他クラスよりも明確に引き上げる必要がある。その差を生み出すためには、自然に任せるだけでは不十分です」

 

 返す言葉がなかった。論理として、正しい。理央も内心ではそれが分かっていた。ただ認めたくない、というわけでもない。単純に、別の手段があるのではないかと思っただけだ。

 

「坂柳さんの方が、教師役には適任ではないですか?」

 

 坂柳が欲しがっているであろうパスを理央は投げかける。

 しかし今度も予想に反して、坂柳からは意外な反応が返ってきた。

 

「学力の面では申し分ない。それはこのクラスの全員が知っている」

「嬉しい評価ですが──あなたの方が上だということも、このクラスの全員が知っています」

 

 坂柳は静かに続けた。

 

「それに、私が教師役に回ることとあなたが教師役に回ることでは、クラスへの効果が違う。あなたが教えることそのものに、意味がある」

 

 理央は少し考えた。反論しようとして、言葉が見つからなかった。坂柳の言っていることは感情論ではなく事実だ。理央がこのクラスに与えている印象を、坂柳は正確に把握して使っている。

 ならば、と。

 理央は角度を変えた。

 

「それとは別に、僕は他者に物を教えた経験に乏しい。理解していることと、教えられることは別の能力です。その点では……」

「では、私が補佐に回りましょう」

 

 坂柳は間を置かなかった。

 まるでその言葉を待っていたかのように。

 

「東雲くんが教師役、私がサポート。進行の補助、生徒の理解度の確認、教材の選定──経験が必要な部分は私が担います。経験に乏しいという問題は、それで解決しませんか」

 

 理央は黙った。

 返す言葉が完全になかった。経験に乏しいという抵抗を、補佐という形で一手で封じた。断るための根拠が、また一つ消えた。

 次の言葉を探しているとき、葛城が口を開く。

 

「賛成だ」

 

 やや早いタイミングだった。坂柳が補佐に回るという提案に、何かが反応したのだろう。対抗心、とまでは言えないかもしれない。しかし葛城の中で何かが動いたのは明らかだった。

 

「彼女が補佐につくなら、俺も全力でサポートする。教材の準備でも、日程の調整でも、できることは何でもやる」

 

 葛城がそう言った瞬間、教室の空気が決まった。

 

「それなら安心だね」

「東雲くんと坂柳さんが両方いるなら」

「葛城くんもサポートするって言ってるし」

 

 声があちこちから上がる。理央、坂柳、葛城──三人が揃った体制に、クラス全体が乗った。

 理央は教室を見渡してみる。

 断れる空気ではない、という次元ではなかった。坂柳に論理で根拠を一つずつ潰され、葛城がサポートを宣言し、クラス全員が期待を向けている。

 この構図の中で理央だけが首を縦に振らないことは、もはや個人の問題ではない。断ることが、クラス全体への非協力として映る。入学して一ヶ月、理央はこのクラスで特定の派閥に属さず、それなりに中立な立場を保ってきた。その立場を、ここで崩すのは得策ではない。悪目立ちは避けたい。

 

 逃げ場が、ない。

 

「確かに良いアイデアですね。僕も協力します」

 

 賛同の声が、今度はさっきより大きく広がった。

 坂柳は何も言わなかった。ただ、静かに前を向いた。その横顔に、薄く何かが宿っていた。

 してやられた、と思うほど悔しいわけではない。しかし──うまい手だ、とは思った。

 

 

 放課後、理央は一人で廊下を歩いていた。

 そこで改めて考える。

 

「……少々、参ったな」

 

 教えることそのものは難しくない。やろうと思えば、完璧にできる。問題は時間だ。

 この学校に来た目的は配偶者の選定である。Aクラスの女子は先月の水泳の授業で骨格を確認した。特筆すべき人間はいなかった。ならば次は他クラスとの接触を増やすタイミングを探るはずだった。しかし勉強会に時間を取られれば、その余裕が削られる。

 

 こんなことなら、小テストで手を抜けばよかっただろうか。

 あの最後の問題を解かなければ、坂柳に目をつけられることもなかっただろう。わざわざ自分から情報を流しておいて、その結果がこれだ。計算違い、とまでは言わないが、少し迂闊だった。

 

「まあいい。何事も楽しんでこそだ」

 

 どうせしばらくはここにいる。

 時間は、また作ればいい。

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