ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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二極点

 

 坂柳有栖は、人間の能力は才能で決まると信じている。

 

 努力は才能を引き出す手段に過ぎない。土台となる才能がなければ、どれだけ努力を重ねても届かない天井がある。

 そして自分は、才能がある側の人間だと確信していた。

 

 仮に自分より優れた人間がいるとすれば、それは大人の世界の話である。同じ十六歳の中に、自分を超える人間はいない。

 少なくともこれまでの人生では、そうだった。

 

 

 彼女の対抗馬である葛城康平は、優秀な男だった。統率力があり、誠実で、判断が速い。しかしそれは才能ではなく、積み上げた努力と鍛えた人格の産物だ。葛城は努力で上位に来た人間なのだろう。脅威ではある。しかし、自分とは種類が違う。

 

 東雲理央については──入学初日の印象は、それほど深くなかった。

 随分な美形だな、くらいには思った。

 座っているだけで視線を集める造形をしている。しかしそれ以上でも以下でもなかった。葛城とは別の意味で目立つ生徒、という程度の認識だった。

 

 彼への印象が決定的に変わったのは、やはりカフェでの時間が過ぎてからだ。

 

 理央が自分を食事に誘ってきたとき、坂柳は内心で好都合だと思っていた。自分の側に引き込めれば、葛城への対抗軸としても使える。そういう打算があった。

 ──が、カフェでの会話は、坂柳の予想を超えていた。

 

 

「君は優秀な人だと思います。本当に。

 ただ……」

 

 

 ──僕が探しているものとは、少し違った。

 

 

 その瞬間、坂柳は理解した。

 試されていたのは、私の方だった。

 最初から、ずっと。食事の誘いも、学校の仕組みをめぐる対話も、知的な応酬も、すべての下に、別の採点が流れていた。そして彼の採点は、終わった。

 

 ──坂柳有栖は、除外された。

 

 それが何を意味するのかは、今も分からない。理央が何を探していて、自分の何が条件を満たさなかったのか。足のことを聞かれた。そこで何かが変わった。それだけは分かった。

 分かった上で坂柳有栖は、生まれて初めて屈辱というものを知った。

 

 自分が誰かに値踏みされる側に立つとは、思ったこともなかった。ましてや除外されるとは。

 

 それからだ。坂柳有栖の心に奇妙な温度が灯ったのは。

 決して不快ではない熱量。

 もちろん恋慕なんて呼べる代物ではないし、憎悪や嫉妬とも違う。

 

 ただ、この熱で自分を燃やし尽くさない限り、この先どこへも進めないであろう確信が、あった。

 

 

◇◆◇

 

 

 理央&坂柳チームの勉強会は施設棟の一室を借りて行われることになった。

 部屋を借りるためのポイントはそれなりの額だったが、必要経費と割り切る。学習環境は重要だ。

 

 勉強会は曜日ごとに科目を変える形式にした。今日は数学だ。参加者全員が同じ科目を、同じペースで進める。個別対応より効率は下がるが、全体の底上げという目的には合っている。

 

 理央は教科書を持って部屋の前方に立つ。

 坂柳がその横に座り、自分の教科書を開いた。補佐として動く準備をしている。理央はそれを視野の端で確認してから、参加者を一度見渡した。

 

 十二名の顔を順番に確認する。その中で、女子の参加者に自然に目が止まってしまう。

 

 期待は、していなかった。

 

 勉強会に参加するということは、自分の学力に不安を抱えているということだ。基礎的な学力に自信が欠けている者が集まっている以上、理央が期待するような知性を見せてくれる人間がいないのは、当然といえば当然だった。しかし可能性がゼロとは言い切れない。

 

 

「今日は数学です。まず基礎から確認します。どこで詰まっているかを把握したいので、最初にいくつか問題を出します」

 

 

 参加者が教科書を開く。鉛筆を走らせる音が部屋に広がった。

 理央は問題を出しながら、参加者の手の動きを見ていた。どこで止まるか。どこで迷うか。それが分かれば、どこから説明すればいいかが分かる。

 

 かり。

 かりかり。

 かり。

 

「ふむ」

 

 五分も経たないうちに、理央は全体の傾向を掴んだ。

 計算そのものは問題ない。しかし概念の理解が曖昧な生徒が多い。公式を暗記しているが、なぜその公式が成り立つのかを理解していない。だから応用問題に入った途端に手が止まる。

 

 理央が問題文の解説を始める。

 公式の成り立ちから入り、具体的な例を挟みながら、応用への橋渡しをする。

 参加者の顔を見ながら、理解が追いついていない生徒のペースに合わせて、言葉を選び直す。

 

 こうして勉強会は、淀みなく進んでいった──。

 

 

◇◆◇

 

 

 一時間が経った頃、坂柳は静かに状況を整理していた。

 

 補佐として割って入る余地が、まるでない。

 

 生徒の理解度の確認も、進行も、理央が自然にこなしている。質問が出れば即座に、しかも相手の理解の速度に合わせた言葉で返す。速い生徒には簡潔に、遅い生徒には別の角度から。

 

「はい。では10分の小休憩としましょう」

 

 理央の呼びかけで、参加者の腕が一斉に止まる。

 トイレの為に何人かが部屋を出ていった。その流れに乗じて、神室が坂柳の隣に近づく。

 

「……まずくない?」

 

 小声だった。

 

「東雲が全部やってる。あんたの出番が全然ない。このままだと……」

「分かっています。予定通りです」

 

 神室は何か言いたそうだったが、それ以上は口を開かなかった。

 坂柳は立ち上がり、窓際で教科書を眺めている理央の隣に移動した。

 

「少し、よろしいですか」

「何ですか?」

「経験に乏しいとおっしゃっていましたね」

「ええ、言いました」

「それは嘘ではなかったのだと思います」

 

 坂柳は静かに続けた。

 

「ただ……経験がなくても、才能でそれを補える人間がいる。あなたはそういう人間のようです」

「まあ飲み込みは早い方ですので。やってみれば、うまく行くものですね」

 

 少し間があった。

 

「参加者の中に、気になる方はいましたか」

 

 唐突な問いだった。しかし理央には、その意図がすぐに分かった。

 

「いいえ、全く」

「……そうですか」

 

 坂柳はそれだけ言って、視線を窓の外に向けた。

 しばらく間があってから、坂柳は続けた。

 

「あなたから見て、私に足りないものは何だったのでしょう」

 

 遠回しな問いだった。

 しかし、その問いが何を指しているのは分かる。夕方のカフェでの話だ。

 理央は少し考えた。

 参加者がいる。この場で答えることは、坂柳に対して不必要な憐憫を集めることになる。それは、坂柳が望む状況ではないはずだ。

 

「……今は、答えにくいですね。こういう場では」

 

 それだけ、だった。

 答えを拒まれた、というわけではない。それは分かった。この場で答えることへの、配慮だ。

 

 それが──なぜか、坂柳には堪えた。

 拒絶なら、まだよかった。気遣われた。そのことが、何より惨めだった。坂柳有栖の人生において、他者から惨めさを感じたことは一度もなかった。しかし今、その感覚が静かに、確実に、胸の奥に広がっていた。

 

「そうですね。失礼しました」

 

 坂柳は静かに言って、元の席に戻っていく。

 その声に灯っていた熱は、理央にも感じ取れた。

 

 

◇◆◇

 

 

 ──勉強会が始まって約一週間、試験範囲の変更が告知された。

 

 変更後の範囲は、当初より広く、難易度も上がっている。

 急な知らせだったが、勉強会の参加者たちは落ち着いていた。既に範囲が変わってもある程度対応できる下地ができていたためだ。

 

 坂柳にとってこれは完全に想定内の出来事である。

 

 その日の勉強会が始まってしばらくした頃、坂柳が口を開く。

 

「せっかくですから、少し遊び心を加えませんか」

 

 理央が説明の手を止める。参加者の視線が坂柳に集まった。

 

「ここの勉強会のグループを、東雲くんのグループと私のグループの二つに分けましょう。私たちが別々に指導し、中間テストの当日、どちらのグループの総合点が高いか勝負する。負けた方が勝った方に対して、借りを一つ作る──というのはどうでしょう」

「……勝負、ですか」

 

 咀嚼するように繰り返す。

 

「多少の競争があった方が、モチベーションも上がります。丁度試験範囲が変更されたばかりですし、公平な勝負にもなると思いますよ」

 

 それが目的か、と理央は内心結論付ける。

 万全を期す目的で坂柳が強く立案した勉強会。そこに遊び心を持ちだすというのは矛盾している。最初からこの流れを予想していたと考えるのが自然だろう。

 しかし、そうなると彼女は試験範囲の変更を事前に知っていたということに──。

 

「ふーん、面白いじゃん」

「ぶっちゃけどっちの方が賢いか気になってた」

「それやろうよ」

 

 賛同の声が広がる中、理央は坂柳を見た。

 

「一つ聞いてもいいですか」

 

 坂柳が視線で応じる。

 

「試験範囲の変更を、事前に予想してたんですか」

 

 坂柳の表情は変わらない。

 

「さあ、どうでしょう」

「否定はしないんですね」

「肯定もしていません」

 

 坂柳は薄く微笑んだ。それ以上は答えなかった。

 理央は少し考える。

 坂柳が範囲変更を予想できていたとすれば、何らかの情報源がある。上級生との繋がりか、教師との関係か。あるいはこの学校の仕組みから論理的に導いたか。どれが正解かは分からない。しかしいずれにしても、坂柳はこの勝負に何らかのアドバンテージを持っている可能性が高い。

 

 ……分かった上で、対策をする気にはならない。

 

 学力は自力で向上させないと実にならない。坂柳がどんな手を持っていようと、それは変わらない。小細工を労することはかえって参加者から成長の機会を奪うことになる。

 

「まさか東雲、坂柳に負けるのが怖いとか?」

「──はい?」

 

 見え透いた挑発を飛ばしたのは神室真澄だった。

 

「別にいいと思うよ。いつもみたいな調子で、勝ち負けに興味はない的な言い訳したってさ」

「……いや、僕は言い訳なんて」

「私は本番で良い点取れればそれでいいし」

「……」

 

 本当に、理央はこの手の勝ち負けに興味がないのだが。

 とは言え、この流れで断るのはあまりにも逃げ腰に映る。

 それに、競争心を加えることで勉強のモチベーションを維持させることも重要かもしれない。

 

 後々振り返ってみても、この時の理央の返答はあまり合理的ではなかったと言えるだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ──理央の安請け合いにより、坂柳との勝負は成立した。

 

 この手の勝負で本質から外れたことをするのは、理央の流儀ではない。奇策を弄することなく、全力で理央グループの学力を高めていくだけだ。

 

 やがて勉強会が終わり、理央は一人で外に出る。

 夕方の空気が静かに広がっていた。施設棟の出口から中庭を抜けて寮に向かう道は、この時間になると人が少ない。

 

 角を曲がったところで、人と鉢合わせる。

 男子生徒だった。理央より少し背が高く、飄々とした立ち姿をしている。制服の着崩し方が独特で、それが奇妙なほど様になっていた。

 男は理央を見た。

 上から下まで、一度だけ視線を走らせた。それから口元に薄い笑みを浮かべた。何かを確信したような笑みだった。

 

「その肉体から発せられる圧力──やはりそうか」

 

 独り言のような、しかし明確に理央に向けられた言葉だった。

 

「水泳で世界記録を出した一年生がいると聞いてね。運命の赴くままに探していたが、随分と時間がかかったものだ。しかし、着衣の上からでも分かるとも。君で間違いないだろう」

「どちら様ですか?」

 

 男は高らかに笑う。

 

「高円寺六助」

 

 高円寺は涼しい顔で言った。

 

「ボーイ、君の名は?」

「東雲理央です」

 

 間を置かずに答える。

 高円寺はその名を聞いて、わずかに目を窄める。

 

「ふっ。東雲、か」

 

 感動のような、戸惑いのような、少しの間があった。

 

「その姓が意味するところを知らぬ私ではないが──」

 

 高円寺は続けた。

 

「それ自体は評価に値しない。私の興味関心は、君個人に向いているものなのだから」

 




ここまで書いて思ったけど、女探し以外は基本巻き込まれ系だな、この主人公
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