ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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虚ろなる美

 

 ニ、三言葉を交わして、思考を整理する。

 興味深い人間だ、と思った。

 

 高円寺六助。同じ一年生。そしてDクラス。

 

 同級生と知って、少しだけ驚いた。

 この物腰、この存在感、この目──どれをとっても、同級生の風采ではない。入学したばかりの十六歳が纏う空気ではなかった。しかしそれは、高円寺側も同じことだろう。彼が着衣の上から理央の肉体を確信した目に宿しているのは、ただの好奇心だけではない。互いに、相手が普通ではないことを知っている。

 

 更にもう一つ。Dクラス、というのも腑に落ちない点ではある。

 学力の問題なのか、あるいは別の何かが影響しているのか。しかしそれを今考える必要もない。

 

「用がないなら僕はこれで」

 

 歩き去ろうとしたとき、高円寺が行く手を塞いだ。

 

「今夜付き合いたまえ」

「……今から、ですか?」

「ショッピングモールの端にスポーツジムがある。知っているかね」

 

 知ってはいた。確かグレード別に何件か分かれていたはずだ。ただし会員費は相当高い。高円寺のDクラスは支給額ゼロのはずだが──理央はその疑問を頭の隅に置いた。

 

「何のために?」

「君を見たい」

 

 高円寺はそれだけ言うと、既に了承を得ているかのように理央に背を向け、歩み出した。有無を言わさぬといった様子だ。

 理央は少し考えた。

 考えた、が、断る理由が特に見つからないことに気付く。

 この誘いに応じるメリットも感じはしないが、この程度の手間を負担に感じることもない。

 数泊遅れて、理央も高円寺の後に続いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 施設棟のショッピングモールの端にあるスポーツジムは、夜になっても開いていた。

 

 入口の扉を開けると、それなりの設備が整っている。

 バーベルラック、ダンベル各種、ベンチプレス台、ケーブルマシン、レッグプレス──本格的なフリーウェイトエリアと、マシンエリアが分かれていた。会員費も相当だろう。同じ一年でありながら、高円寺はどこからそのポイントを捻出しているのだろうか。

 

「ようこそ我が城へ。歓迎しよう」

「ただのスポーツジムですよね」

「場所に意味を与えるのは、そこに集う人間だよ」

 

 高円寺は終始涼しい顔だ。

 二人は着替えを済ませてフロアに出た。高円寺はまずバーベルラックに向かい、プレートを慣れた手つきで装着した。その重量を見て、理央は少し目を細めた。高校生の扱う重量ではない。

 

 高円寺はバーを握り、静かにスクワットを始める。

 一瞥しただけで理央は高円寺の動きに無駄があると見抜いた。背筋の角度、膝の軌道、呼吸のタイミング──すべてに改良の余地がある。しかし肉体に負荷をかけるという観点では無意味ではない。このスタイルは彼の我流だろう。

 しかし、高円寺の純粋な筋力は相当なものではある。見るからに自分よりも上だ。

 

「君はこの学校に何を求める?」

 

 高円寺が聞いた。動きを止めずに、自然な流れで。

 

「強いて言うなら、可能性ですね」

「可能性。漠然とした答えだ」

「漠然とした問いへの答えとしては、適切だと思います」

 

 高円寺は少し笑った。

 セットを終えた高円寺が、理央に顎をしゃくった。

 

「君もやってみたまえ」

「では」

 

 理央はバーを握った。高円寺と同じ重量だ。

 フォームを一瞬で組み立てた。重心の位置、股関節の角度、バーを担ぐ位置。純粋な筋力では高円寺に劣る。しかし力の流れを最適化すれば、同じ重量を同じ回数こなすことはできる。

 ゆっくりと、しかし確実に動作を完遂した。

 高円寺が腕を組んで見ていた。

 

「筋力は私の方が上だ。しかし君は同じ重量をこなしてみせている」

「姿勢と力の制御です。筋力の絶対値ではなく、使い方の問題なので」

「……まるで学者のような物言いだ」

 

 高円寺は笑いながら、退屈とは違う溜息を吐く。

 

 次にベンチプレス台に移った。高円寺がプレートを追加する。またしても理央の想定を超える重量だった。

 滑らかにバーを下ろし、押し上げる。その繰り返し、胸筋の収縮が、薄いシャツの上からでも見て取れる。純粋な出力だけなら、このクラスの人間をそうは見ないだろう。

 

 理央は同じ重量でバーを握った。

 今度は少し考える時間が必要だ。これはスクワットより難しい。純粋な上半身の押す力に依存する割合が高く、姿勢の最適化だけではカバーしきれない部分がある。

 

 それでも、こなした。

 バーを戻したとき、高円寺がはじめて少し表情を変えた。

 

「水泳で私以上のタイムを記録した傑物。どの程度かと思っていたが」

 

 高円寺は理央を見た。

 

「なるほど、完成されている。それに美しい──しかし何故だろうな。私の魂は君の存在を美しいと認めていないのだよ」

 

 理央はケーブルマシンに移りながら答えた。

 

「どういう意味ですか」

「君は美しい。しかし、美しく在ろうとしていない」

「それなりに外見には気を配っていますが」

「そういう意味ではないな」

 

 高円寺は言葉を選ぶように少し間を置いた。

 

「君は自分を研ぐことをどこか諦めている。だからこその虚。質量のない存在圧。これはこれで、愛でようもあるとは思うが──」

 

 抽象的な言葉だった。しかし理央の何かに触れていた。決定的な反論を組み立てることができない。

 図星を突かれた、のだろうか。

 何度思考を巡らせても、答えは出ない。

 高円寺の方も、イメージの言語化に苦慮しているようだった。

 

「……そろそろ寮の門限ですね」

「安心したまえ。あの建物の窓に、センサーの類はない」

「窓から入れと? 僕の部屋何階か知ってます?」

 

 高円寺は答えなかった。ただ澄ました顔で、話を続けた。

 

「君はこの学校に何を求めると言ったか。──確か、可能性、だったな」

「ええ」

「もう少し正直に話したまえ」

 

 理央は少し悩んだが、多少は本音を漏らしても良いとこの時間と空間を評価した。

 根拠はない。ただ直感で、そう思っただけだ。

 

「──女性を探しています」

「ほう、それは興味深い」

 

 高円寺は動きを止めずに言った。特に驚いた様子もない。

 

「Dクラスに良い女子はいますか?」

「プリティなガールばかりだよ。しかし今の私は、上級生との相手が性に合っていてね。あいにく詳しい品評はできかねる」

「そうですか」

「とはいえ君も、外見だけ美しい女性を探している、というわけではないだろう」

 

 断言だった。問いではない。

 

「なぜそう思いますか」

「君の目は、美しさだけを追っていない。別の何かを計測する目だ」

 

 理央は少し考えた。この人間には、隠す意味がない気がした。

 

「君は最初から──自分に相応しい、配偶相手を探している。そんな所か」

「ええ。ですがこの話は……」

「安心したまえ。分かっている」

 

 高円寺はグリップを離し、タオルで手を拭いながら言った。

 

「私は他人の秘め事を流布するほど、下品な男ではない」

 

 理央はその言葉を聞いて、少し考えた。

 信用できるかどうかは、まだ分からない。しかし高円寺六助という人間が、情報を安売りする類の人間でないことは、この短い時間で分かっていた。

 

「しかしそうなると──全生徒から遺伝子情報の一部を奪い、持ち帰り、解析すればいいではないか。自分の観察眼に頼ろうとする理由は何なのかな?」

「……。」

 

 ──正直に言おう。

 はっと、した。

 言われてみれば、その通りだ。技術的に不可能ではない。東雲家の繋がりを使えば、相応の解析環境は整えられる。なぜそれを考えなかったのか。

 自分の観察眼を信頼しすぎていたのか。しかしそれだけではない気がした。観察すること自体に、何かを求めていたのかもしれない。直接見て、直接測って、直接判断する。その過程に、理央は何らかの意味を見出していた。しかしそれが何なのかを、今この瞬間に言語化することはできなかった。

 

「完全な存在とは、不完全性を内包して初めて完成する。私はこういった予測不能な要素を心から愛し、楽しんでいる」

 

 高円寺の視線が突き刺さる。

 

「君はどうだ?」

 

 ニュートン一族の人間として産まれた理央は、常に最適解を求めるように育てられた。感情は制御するもので、予測不能な要素は排除するものだ。しかし高円寺はそれを「愛し、楽しんでいる」と言った。

 愛する。楽しむ。

 その言葉が、理央の中でうまく着地しない。

 

「東雲ファミリー」

 

 唐突に、高円寺は言った。

 

「さる高名な一族から派生した、数百年の歴史を持つ日本の名門。私の父も、君の一家には世話になったと聞いている」

 

 理央は高円寺を見た。

 この学校で東雲家の名を知っている人間に、初めて会った。しかしその反応は、これまでとは違った。坂柳の分析的な目でもなく、葛城の無知でもない。ただ事実として知っている、という自然な口調だった。

 

「身内の話はやめましょう」

 

 理央はの声はどこか冷徹だった。

 

「趣味ではない」

 

 高円寺はしばらく理央を見た。それから、小さく笑った。今度の笑いは、いつものものより少し違う質を持っている。

 

「……失敬。私もだ」

 

 短い沈黙があった。

 二人の間に、奇妙な共通項が生まれた気がした。一族の名を背負うことの重さを、互いに知っている。言葉にする必要もなく、それだけで十分だった。

 時計を見た。門限をとっくに過ぎていた。

 理央は高円寺を見た。

 この人間は異質だ。知識でも論理でもなく、別の何かで世界を測っている。そしてその何かが、理央の想定の外から核心を突いてくる。

 遺伝子情報の解析という指摘もそうだ。高円寺六助の遺伝子そのものも、相当に優秀だろう。この肉体、この思考の質、この異質な感性。性別さえ違えば、配偶者候補として真剣に検討していた。

 

「もし仮に、僕が。

 ……今すぐ君を犯したいと言えば──君はどう反応しますか?」

 

 試す、というより半分本気の問いだった。

 高円寺に驚いた様子はない。ただ、その目が少し柔らかくなった。

 

「気持ち悪いとは思わないよ。好意的に受け取ろう。しかし、私は異性愛者なものでね」

「残念です」

「君は本気で言っているのか」

「半分は」

 

 高円寺はそれを聞いて、今夜初めて声を上げて笑った。

 

「面白い男だ」

 

 それだけ言って、高円寺はタオルを肩にかけた。

 

「アディオス、リトルボーイ。君との時間は悪くなかった」

 

 

 数分後、理央はジムを出た。

 門限はとっくに過ぎていた。窓から入るしかない。自分の部屋が何階かを思い出して、理央は小さく息を吐いた。

 

 

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