ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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埋火の余熱

 

 中間テスト当日の朝、まだ人の少ない廊下を歩いていると、橋本に声をかけられた。

 

「よ、東雲」

 

 振り返ると、橋本が軽い足取りで近づいてくる。

 偶然とは思えない邂逅。この時間に廊下で待ち構えていたとすれば、意図的だ。話している所をあまり周囲に見られたくない、という打算を感じる。

 

「聞いたぞ、そっちの勉強会。更にグループを分けたそうだな」

「ええ。僕の望んだ流れではありませんでしたが」

「はは、姫さんに引っ搔き回されたか」

 

 橋本は少し笑った。

 

「で、今日のテストで姫さんのグループとお前のグループで総合点を競うんだっけ」

「そういうことになります」

「ふーん、どっちが勝つかねぇ」

 

 他人事のような口調だったが、その目は理央をまっすぐに見ていた。どっちが、と言いながら、答えを決めている目だ。関心の向きが、言葉よりも正直に出ている。

 

「君は坂柳さんを応援する立場なのでは?」

「え、いやいや両方とも応援してるって」

 

 橋本はばつが悪そうに軽く頭を掻いた。

 理央もそれ以上は聞かなかった。

 

「ところで……姫さん、というのは」

 

 理央は少し間を置いてからそう切り出す。

 

「坂柳さんのことですよね。本人は許容しているんですか」

「ああ、なんとなくそう呼び始めたら、別に何も言われなかったし……まあいいのかなって」

 

 橋本は特に何も気にする様子もなく、あっさりと答えた。

 

 意外だ、と理央は思った。

 彼女ならばむしろ女王と呼称されることを望みそうなものだが。

 

 姫、という言葉は女王と似ているようで、含む意味がまるで違う。女王は君臨する者だ。しかし姫は、どこか庇護される側の響きがある。支配者というより、守られる対象。坂柳有栖という人間の像と、その言葉はあまり一致しない。本人がそれを聞いて何も言わなかったとすれば、気にしていないのか、あるいは気づいていないのか。

 どちらにしても──坂柳有栖の本性は、外に見せている像より少し年相応なのかもしれない。あの鋭さと冷静さの奥に、十六歳らしい何かが残っている。そういう可能性を、理央は初めて考えた。

 

「存外、可愛い所もあるのかもしれませんね」

「え、まさかのお姫様願望的な!? 流石にウケるぜ、それ……」

 

 橋本は笑いを堪えながら言った。

 しばらくすると、廊下の奥から人の気配が近づいてくる。それを確認すると、橋本は調子を戻すように咳払いをした。

 

「君は葛城グループで勉強していたそうですね」

「あーそれな。拷問の極みだったわ、マジで」

「彼の方針が合わなかった?」

「方針とかじゃなくて、雰囲気。ちゃんとしなきゃいけない空気あるじゃん、アイツの周りって」

 

 息が詰まるんだよな、と橋本は肩をすくめる。

 

「まあ葛城は普通に良いヤツではあるよ。でも気が合わん」

 

 理央は橋本の言葉を聞きながら、その含意を整理した。

 

 橋本が葛城グループに入ったのは偵察のためだろう。しかし拷問の極み、という言葉は本音だと思った。橋本正義という人間は、窮屈な場所に長くいられない。普段は坂柳の側にいながら葛城の勉強会に顔を出し、今こうして早朝の廊下で理央に話しかけてくる。どこにでも自然に溶け込めるはずの人間が、それでも居心地を探し続けている。

 

「じゃ、俺姫さんと話すことあっから」

 

 言うと、橋本は教室の方に走っていった。

 その背中を見送りながら、理央は一つだけ確かな予感を感じる。

 

 橋本は坂柳のことを姫と呼ぶ。坂柳はそれを咎めない。二人の間にある、その微妙な均衡が──今後どこかで崩れるかもしれない。

 そしてその動線が向く先は、おそらく──。

 

 

 ◇◆◇

 

 一時間目のチャイムが鳴ると同時に、真嶋が教壇に立った。

 

「今から中間テストを実施する。カンニング等の不正行為は即座に処罰の対象となる。途中退出は認めない」

 

 淡々とした口調だった。それだけ言って、真嶋は問題用紙を配り始める。

 

「よし──始めろ」

 

 号令を聞き、理央は表紙をめくった。

 

 前半は予想通りの構成だ。用語の確認、公式の適用、教科書の内容を押さえていれば解ける問題が並んでいる。適切に暗記しさえすれば大半の生徒は点を落とさない、そういう問題群だ。

 

 理央はペンを走らせながら、細かい問題の傾向を確認していく。

 各教科の担当教師の授業中の言葉の選び方、板書の構成、試験前の何気ない一言。そういったものから、理央はある程度問題の傾向を読んでいた。その予測が、まさに今目の前の問題用紙と一致している。

 

 しかし理央はその読みを、勉強会では一切口にしなかった。

 

 傾向を教えることは、その傾向に依存する力しか育てない。参加者に必要なのは、どんな問題が来ても自分の頭で対応できる地力だ。理央がやってきたのは、そこだけだった。

 

 視野の端で勉強会参加者たちを確認した。

 

 前半は手が動いている。顔つきも落ち着いていた。基礎を地力として積み上げてきた成果が、そこに出ていた。

 

 ページをめくると、問題の性質が変わった。

 

 理央はそこで、わずかに手を止めた。

 

 後半の構成が、想定と微妙にずれている。出題の角度、問いの組み立て方。教師の癖から導いた自分の予測と、目の前の問題の間に、小さな乖離がある。意図的なものとは少し違う。まるで、別の誰かが作った問題をそのまま流用したような──。

 

 理央はすぐに思考を切り替えた。

 

 自分の読みが外れたとすれば、それだけのことだ。問題そのものは解ける。後半の構成が想定と違っても、地力があれば対応できる。

 

 何人かが手を止めていた。解き方は頭にある。しかし自信のなさが、手を止めさせている。思考が固まる前に迷いが入り込んで、余計な時間を食う。

 

 そこまでは、理央にはどうにもできない領域だ。

 

 教えることができるのは、知識と理解だけだった。試験という場で自信を持てるかどうかは、最終的にはその人間自身の問題となる。

 

 坂柳との勝負がどう転ぼうと、自分の流儀を歪めない範囲で、出来る限りのことは尽くしたつもりだ。

 あとは出来るのは祈ることだけだが──理央は、祈ることすらしない。

 

 ただ、結果を待つだけだ。

 

 理央は静かにペンを置いた。

 

◇◆◇

 

 

 結果が出たのは翌週の月曜日だった。

 

 理央グループの平均点は95点。対する坂柳グループは100点──全員が全科目で、満点を取っている。この時点で、総合点での理央の敗北が確定した。

 結果が張り出されると、理央のグループの参加者から声が上がる。

 

「東雲くん、私やった! 九十八点!」

「俺なんて数学で満点だぞ! こんな点数取ったことねぇよ!」

「おめでとうございます」

 

 口々に声をかけてくる。その顔に、本物の手応えがあった。自分の力で解けた、という実感が滲み出ていた。

 

 数字として見れば、敗北ではある。

 

 坂柳グループの構成を、理央は改めて整理した。坂柳が集めたのは自分の周囲にいる人間たちばかりだ。そこに何らかの奇策を加えれて、百点という結果を確実なものとしたのだろう。

 

 対して理央のグループは、正真正銘、自分の学力に不安を抱えている生徒たちだった。前半の基礎問題は地力で取れたことだろう。しかし後半の応用問題で、自信のなさが予測不能な変数として現れた。解けるはずの問題に余計な時間をかけ、解けるはずの手順に迷いが生じた。そういった部分だけは、最後まで完全にはコントロールできなかった。

 

 95点という数字は、理央が全力を投じた結果だ。

 

 葛城グループの平均は85点だった。Aクラス全体の平均が80点程度であることを考えれば、葛城の勉強会も十分な成果を出している。

 勝負を抜きにして考えれば、このテストは満足のいく結果だったと言えた。

 

 

 

 ──生徒たちが帰り、教室に人気がなくなった頃、理央はまだ席に座っていた。

 特に理由があったわけではない。ただ、すぐに立ち上がる気にもなれなかった。95点という数字を、頭の中で反芻していた。

 

 扉が開く。

 

 坂柳だった。

 

 待ち合わせをしていたわけではない。しかし坂柳も、特に驚いた様子はなかった。まるで、ここにいることが分かっていたように、杖をつきながら教室に入ってきた。夕暮れの光が窓から斜めに差し込んでいる。

 二人以外、誰もいない。

 

「……予想よりも低かったですね」

 

 坂柳は理央の席の近くに立ち、静かに言った。勝者の傲慢さはない。むしろ、何かを確かめたがっているような様子だった。

 

「もしかすると、そちらも全員満点を取ってくるかと思っていました。杞憂でしたね」

「そうですか」

「ええ。少し、警戒していたので」

 

 警戒していた──つまり、理央が何らかの手を使ってくる可能性を考えていた。坂柳らしい物言いだ、と理央は思った。勝ちながら、相手の出方を測り続けている。

 

「過去問を使いましたね」

 

 坂柳の目が、わずかに動いた。

 

「……どうしてそう思うのか、お聞きしても?」

「積極的に根拠を集めたわけではありません。憶測にはなりますが──」

 

 理央は続けた。

 

「まず、君は試験範囲が変更されたタイミングでグループを分ける提案をした。変更後の範囲を事前に知っていなければ、あのタイミングで仕掛けてくる必然性がない。次に、坂柳グループの全員が全科目で満点を取っている。全員が全科目で満点というのは、単純な努力だけでは説明がつきません。

 そして──今回の問題は、過去問と完全に一致していたはずです」

 

 その先を問う眼差しを受けて、理央は更に続ける。

 

「問題の構成が、教師の傾向から外れていた部分がありました。出題者が作った問題ではなく、既存の問題をそのまま流用した場合に起こりうるずれです。僅かなものですが、気になっていた」

 

 テスト中に気付いた情報ではある。が、過去問が有効であると確かめる機会は、これまでにいくらでもあった。

 坂柳はしばらく理央を見ていた。

 その口から否定の言葉は出てこない。その沈黙が、答えだった。

 

「なぜ同じ手を使わなかったんですか」

 

 吐き出すような声だった。

 

「二つ理由があります」

 

 理央は窓の外に目を向けた。

 

「一つは、そこまでする必要がなかったから。わざわざ奇策に頼らなければ勝てないほど、追い詰められてはいなかった。正攻法で、真正面から挑みたかった」

「もう一つは?」

「過去問で100点を取ることと、自力で高得点を取ることは、違う意味を持ちます。テストとは本来、その人間の実力を測るものです。その趣旨を歪めない形で、今回は勝ちたかった」

 

 別に参加者のためを思ったわけではない。ただ、そういう勝ち方を、今回は選びたかった。それだけの話だった。

 

 坂柳は黙って聞いていた。

 

「……なるほど」

 

 やがて坂柳は言った。声のトーンが、少し変わった。

 

「最初は、些細なお願いを一つ聞いてもらう程度で、この貸しを解消するつもりでした」

「気が変わりましたか」

「ええ」

 

 坂柳は理央を真っすぐに見た。

 

「テストの本質を優先したこと自体は、あなたらしいと思います。しかし──」

 

 続く言葉には、刺々しさが宿っていた。

 

「私との勝負において、最初から奇策を使うつもりがなかったということは、自力で勝てると確信していたということでもある。余裕があった、ということです」

「そうとも言えますね」

「その結果負けてしまったのでは、話にならない。無様でかつ滑稽──そうとしか言いようがない」

 

 坂柳の言葉は正しかった。自力で勝つつもりだった。最初から。その余裕が、この勝負への本気度を如実に示していた。

 東雲理央は勝負に対して本気で挑んではいたが、勝利に対して全力で歩んではいなかった。

 

「一度や二度、私のお願いを聞く程度で、この貸しが解消されるとは思わないでくださいね」

 

 坂柳は静かに、しかし確かな熱を帯びた声で言った。

 

「あなたはもう、私のものです。私の気が済むまで」

「そこまでの借りを作ったつもりはありませんが」

「逃げるのですか? 情けない」

「……まあ筋は通しますよ。出来る限り」

「よろしい」

 

 坂柳は頷いた。それから踵を返し、教室の扉へと向かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 勝ったはずだった。

 

 数字の上では、完勝だ。平均点で言えば、坂柳グループは100点、理央グループは95点。葛城グループは85点。誰がどう見ても、坂柳の勝利だ。

 目的は、二つとも達成された。

 

 一つは葛城との差を広げること。100点と85点──その開きは、クラスの人間の目にはっきりと映った。勉強会という場で、葛城ではなく坂柳が結果を出したという事実は、静かに、しかし確実にクラスの空気に染み込んでいた。

 廊下でも、教室でも、彼女の耳にはそんな声が届いていた。

 

 ──坂柳さん、やっぱり凄いな。

 ──全員満点って、どういう指導したんだろ。

 ──葛城のグループも頑張ってたけど、坂柳の方が上手だね。

 

 坂柳有栖という人間への評価が、また一段、上がっていた。

 

 もう一つの目的──理央に勝利することも、数字の上では果たされた。

 

 しかし。

 扉に手をかけたとき、坂柳は気づいた。

 

 杖の握り手が、知らぬ間に強くなっている。

 

 なぜ、と自問した。

 勝ったのは自分だ。

 貸しを作ったのも、次の一手を持っているのも、自分だ。

 目的は達成された。それなのに……。

 

 ただ一つだけ分かることがあった。

 

 あの夜、施設棟のカフェで初めて灯ったこの熱は──まだ、燃え切っていない。

 

 不完全燃焼。

 その感覚だけが、夕暮れの教室に静かに残っていた。




ピキってる坂柳たん可愛いンゴねぇ~~^^

あ、次話より2巻の内容に入ります

感想・高評価もらえると絶頂するのでよろしくお願いします。
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