「アキヒロ君! 今日の分の!」
「あっ、すいません。……何かミスりましたかね?」
「いや、そうじゃなく。今日の分のお金。ほら給料日でしょ」
小料理屋さかもとの店主である男性から差し出された給料袋にアキヒロは微笑んで受け取る。
「ありがとうございます! ……これ、大事に使いますね!」
「……なぁ、アキヒロ君。弟に診てもらっているとは思うが……どうだね?」
給料袋を手にしながら、隣に座り込んだ相手にアキヒロは目を向ける。
「……それって、快方に向かっているだとか、そう言う事ですか?」
「……簡単じゃないとは思うんだがね。記憶喪失って言うのは」
「……うーん、オレは悲壮感だとかそういうのって分かんないですけれど、でも、オレだけが不幸なわけじゃないですし。それに! サナちゃんも叔父さんも居るし! モンスターボールには相棒も居ますし!」
アキヒロが取り出したモンスターボールを店主は困ったように微笑む。
「君の自慢の……コソクムシだね?」
「ええ! ……不思議なもんですよね。オレ、こいつとトレーナーカードだけで見つかっただなんて」
コソクムシの入ったモンスターボールを光に透かす。今も自分を保てているのはサナやさかもとの店主、それに周りの人間達が良好な関係を保ってくれているからだけではない。ただの記号でしかない「真宵アキヒロ」という名称と、そしてそれ以前から自分を見知ってくれたコソクムシの存在ありきだ。
「……君の境遇には、まだ私達も断言し切れないものもある。だが、忘れないで欲しい。私達も、サナも君の味方だ。何があったって裏切りはしない。それだけは……」
「叔父さん……。ええ! それにオレ、別に不幸だとか思った事もないんです! だって、叔父さんもサナちゃんも、みんな居てくれるじゃないですか! それって、全然寂しいとか感じる暇もないって言うか!」
「……呆れた。アキヒロ君、本当に楽観主義だよね」
そう言って会話に割って入ったのはサナで、今しがた今日のレジ打ちを終えた様子で店主へと視線を振る。
「ああ、終わったんだね。サナもありがとう。……でも、アキヒロ君。辛い時は素直になったっていいんだから」
「ええ! だってオレ、逃げるのが勝ちだって思ってるんで!」
あまりにも快活に返したせいで店主は戸惑いを浮かべる。サナは腰に手を当ててその返答には憮然としていた。
「……アキヒロ君、男の子が逃げるなんて大っぴらに言うなんてカッコ悪いとは思わないの?」
「思わないよ。もしもの時には逃げるが勝ち! それに、逃げれば拾える命だってあるんだからさ! コソクムシもそう思うだろ?」
ボールを光に透かすと、相棒のコソクムシが同意の鳴き声を上げる。はぁ、とサナが嘆かわしいとでも言うように口にしていた。
「……コソクムシなんて、逃げる事ばっかり考えているポケモンを使うくらいなんだもん。アキヒロ君って、根っこからそうなんだよね。記憶喪失でそんな主義主張じゃ、戦いとか全然向いてなさそう」
「うーん……オレ、バトルは得意じゃないんですよね。だってほら! ポケモンバトルって目と目が合ったらバトルじゃないですか! それに、相手には背中を見せられない! なんて、みんなカッコつけなんですよ」
「……それはポケモントレーナーにはみんなプライドがあるから。カッコつけとかじゃないってば。……ねぇ、叔父さん。今から潜ってもいい?」
「今からか? ……うぅーん、しかし。もう夜も遅いからなぁ。サナは学校もあるし、アキヒロ君だって疲れているだろう?」
「いえ、オレ、まだやれます! やれますけれど……」
そこで憔悴したように言葉尻を下げたところで、サナがニヤニヤと笑みを浮かべて顔を覗き込んでくる。
「アキヒロ君、本当にZORAで戦うの苦手だもんね。今日はアタシが特訓付けたげる!」
「うへぇ……サナちゃんの特訓、きついんだよなぁ……」
その模様を眺めていた店主は微笑んで腰を上げる。
「……いや、それならいいんじゃないか? アキヒロ君も一端にポケモントレーナーなんだ。自分の身は自分で、と言う身分なのなら、コソクムシでも勝てたほうがいい。奥のサーバールームを使っていいよ」
片手を振って立ち去っていく店主の背中を視野に入れ、アキヒロは嘆息をつく。
「……ねぇ、サナちゃん。オレ、やっぱバトルはちょっと……」
「何言ってるの! 今、ZORA内は大変なんだよ! ……連続怪死事件とかあって、治安維持局がてんてこ舞い! それに、ZORAでの事件を解決するって言う、円卓騎士団だってお手上げ状態だって言うんだから!」
「言うんだからって……誰が言ってるのさ……」
「それは……ネットのみんなだよ!」
端末を掲げられアキヒロが思わず眉根を寄せる。
「……知っている人の情報ならともかく、不特定多数を信じるなんて馬鹿馬鹿しいよ。顔の見えない人間の話なんて聞くまでもないってば」
そう言うとサナはたちまち不機嫌になる。
「……アキヒロ君、本当にZORAには消極的って言うか、どっちかって言うと苦手だよね? そんなに? 今じゃ、ZORAさえあれば何でも出来るんだよ? ポケモンのアバターを使えば、自分の好きな姿になれるし、課金すれば射幸心を満足させてくれるスロットマシーンもある。わざわざ、都会だったり遥かに遠いタマムシシティまで行かなくっていいの。距離も時間も、価値観も言語も無視して世界中の人間が繋がっているんだから、この時代は凄いんだから!」
「……何それ。サナちゃん、ZORAの広報担当?」
「馬鹿。……そんなじゃ、今日の鍛錬はキツめに行くよ!」
「待って! それは勘弁! オレだって多少は疲れてるし、サナちゃんもでしょ?」
アキヒロが仁王立ちするサナへと懇願するが、それも論外だとでも言うようにサナは店の奥にあるサーバールームまで自分を引っ張っていく。
「言い訳しない! 男らしくないよ! ……あと、アタシ相手に負けるんじゃ、トレーナーライセンスも怪しいもんだよ? それももしかしたら、まったくの他人の物かもねー」
「ええ? 冗談はよし子ちゃんにしてよ……。オレの手がかり、一個もない事になるじゃんか」
改めて財布に入れてあるトレーナーズカードを取り出して、その登録年月日と所持視しているバッジ数、そして記されている「真宵アキヒロ」と言う名の自分の名前。
それこそが、この世に自分が存在する理由そのものだ。
「……まぁ、いいからさ。スパーリング、ちょっとは出来るでしょ。自衛くらいは出来ないと、本当に負けちゃうよ?」
「……オレは負けてもいいんだけれどなぁ……」
サーバールームには二人分のヘッドセットが用意されており、それらを被った瞬間、首裏に電磁が宿ったヒリッとした痛みともくすぐったさともつかない感覚が纏いつく。そこから三秒以内でアキヒロはZORAのローカルネットワークにログインしていた。
円形のアリーナが広がっており、向こう側では様々な装飾に身を固めたギャルファッションの少女――サナが佇んでいる。
正直に言えば、ZORAでのサナの姿かたちは多少過剰にすら映るが、それは自分自身――ZORA内での自己投影先のアバターがほとんど初期状態である事からしても、単に若者の流行りについていけないのもある。
「アキヒロ君……いいえ、[マヨイ]君! 今日も特訓、頑張りますか!」