ZORA内でのハンドルネームである[マヨイ]と呼ばれ、アキヒロは呼気を詰める。不思議な事に、ZORAの中でも現実とほとんど差異は感じない呼吸と脈動を実感する。
戦いの前の昂揚感めいたものも、どこから湧いているのだろうと疑問でさえもあるのに。
「……やるっきゃないかぁ。コソクムシ!」
アキヒロがコソクムシを繰り出すと、それに呼応してサナがモンスターボールを大上段から投擲する。
「行け! ガラガラ!」
サナの相棒であるのは頭蓋骨を被った姿が特徴的なガラガラと言う名のポケモンだが、その姿は一般に知られているシルエットではない。携えた長い一本の棍棒めいた骨の両端にはぼやぼやとした篝火めいた緑色の炎が揺らめく。
確かアローラ地方と呼ばれる常夏の島国地方で観測される、ガラガラの特殊個体――リージョンフォームだ。
アローラの姿を持つガラガラが軽やかに骨の棍棒を振るう。それだけで、眼前にしたコソクムシが怯み、逃げ出そうとするのをアキヒロは何とか宥める。
「コソクムシ! ……ごめんだけれど頑張ってくれ!」
コソクムシはその特徴的な大きな両目を許しを乞うように垂れさせて、身体をぎこちなく震えさせる。
「明らかにビビってる……なら! 先手必勝!」
ガラガラが勇猛果敢に雄叫びを上げて即座にコソクムシの眼前にまで駆けてくる。その速力にコソクムシへとアキヒロは迷う暇さえもない。
「輪唱で遠ざけて!」
コソクムシの放った「りんしょう」の音響攻撃であったが、その音楽に乗ったガラガラはむしろ放たれた音階を味方につけて舞い上がる。元々、アローラのガラガラはカントーなどで観測される個体に比べて地鎮祭などにも参加するために、音楽攻撃はほとんど通用しないとされている。
「ぬるい! 火炎車!」
ガラガラが棍棒を回転させて振るい、コソクムシへと大上段から打ち下ろそうとして、アキヒロは咄嗟に声にする。
「何とか逃げ切って!」
コソクムシは全てのステータスが低い代わりに、逃げ足とでも呼べるべき素早さだけが異常に高い。そのため、ガラガラの振るい上げた火炎の棒術から逃れるも、それでもコソクムシ本体に対抗策はほとんどない。
「逃がすかぁーっ! シャドーボーン!」
ガラガラが炎の骨を唐突に透けさせ、その瞬間的な間合いを伸長させる。コソクムシはぴょこぴょこと逃げながらアリーナの中で外周を回るほかないのに、サナの使うガラガラは跳躍してコソクムシの頭部を叩き伏せる。
「コソクムシ! 転がる!」
コソクムシが涙目になりながら、何とか反転して躯体を折り曲げて「ころがる」も、それは対人戦で鍛え上げられたサナのガラガラの瞬発力を前に霧散する。
「遅いっ!」
軽やかにかわしたガラガラが返す刀の「シャドーボーン」を打ち込み、コソクムシは成す術もなく無効化されていた。
「あっちゃー……! コソクムシ、よく頑張ったよ!」
「[マヨイ]君! こんなんじゃ、自衛も出来やしない! やっぱりコソクムシなんて手持ちから変更すべきだよ!」
糾弾の物言いになっているせいか、コソクムシがボールの中から潤んだ目でアキヒロのほうを見返す。アキヒロはボールを優しく撫でてやりながらそっと諭す。
「大丈夫だから。オレはお前を捨てたりはしないよ。……酷いじゃないか、サナちゃん! コソクムシだって一生懸命なのに!」
「酷いのは[マヨイ]君の戦歴! ……転がるを使ったのだけは褒めてあげるけれど、トレーナーとしての反射神経も、ましてや応用性も皆無! そもそも、コソクムシの特性は“にげごし”、つまり逃げる事にばっかり特化しちゃってる! こんなの、トレーナー失格だよ!」
「……失礼だなぁ。オレもコソクムシもしっかりと戦ったのに」
サナは嘆息一つで憂いを打ち消し、それからアリーナから出る。
「……もういい。[マヨイ]君、相変わらず弱っちいんだからさ」
「どこ行くのさ。もう夜も遅いんだし、そろそろログアウトしないと叔父さんに怒られちゃうよー」
「……関係ないでしょ。アタシはこれでも女子高生なんだし、[マヨイ]君にとやかく言われる筋合いはないもん」
つんと澄ました様子のサナにアキヒロは呆れ返って帰路につこうとする。
「……困ったもんだなぁ。サナちゃんも。ねぇ、コソクムシ」
きゅぅきゅぅと返事が返って来るのを聞いて、アキヒロは上機嫌でログアウトすべく首筋に手を伸ばした、その時であった。
「――まだ、終わっていないでしょう?」
唐突に差し込まれる、冷たく凛とした声。
アキヒロが振り返った先に居たのは、青い髪色の少女であった。どこからか吹き込んでくる風にその黒と赤のチェックの軽い服装をなびかせている。
ゴーグルをかけ、二つ結びにした青い髪が燐光を帯び、まるで世界そのものから祝福されているかのようにスポットライトの光を浴びている。
肌は恐ろしいほどの白磁。
そしてこちらを見据える瞳は、電磁のノイズじみた緑色の光が宿っている。電光の眼差しがアキヒロを捉え、そのぷっくりとした唇が、言葉を紡ぎ出す。
「……仕事よ。準備はいいわね? アキヒロ」
その言葉に、今の今までの自我は漂白されていた。むしろやるべき事が明瞭になったかのように、脳内は澄み渡り、冴えている。
――ああ、こうも容易く。
「はい。[ユア]さん」
そこから先の意識は夢の皮膜の向こう側に溶け、アキヒロは静かに頷いていた。