ACT18「騎士の責務」
緑色の電脳ノイズを迸らせ、それとは相反するような青い髪を二つ結びにした少女の色調が網膜に焼き付く。
白亜の鉄拳が装甲を打ち据え、鎧を伝導するのは激痛の嵐だ。
呻き声を上げながら、鋭い痛みが全身を駆け巡る。何度も何度も水を纏った爪が鎧の合間に差し込まれ、[ランスロット]は膝を折る。
『日神クン! 日神クン、応答しなさい! ログアウトするのよ!』
小田巻の絶叫のようなオペレーター音声が耳朶を打つ。それを掻き消すかのように、眼前で水流の連撃が突き刺さっていた。
脳髄を痺れさせる一撃。
[ランスロット]として纏っていたソウブレイズの同調が剥離する。
『[ランスロット]! 同調を保てません! シンクロ率低下! このままでは! 小田巻さん!』
『分かっているわよ! 日神クン! すぐにログアウトを!』
蜷川と小田巻の言葉が残響する中で、グソクムシャを纏った無貌の電脳戦士が構える。
恐らくは最後の一撃を叩き込むための布石。[ランスロット]は緑色の電脳の血潮を撒き散らしながら、それから逃れる事さえも叶わない。
「……お前は……」
「[ウィズ]、躊躇うな。――討て」
青髪の少女の声が断頭台の刃のように差し込まれる。水流が一点に凝縮し、それが放たれる寸前で、小田巻の声が弾ける。
『離脱しなさい! 日神クン!』
ハッと、目を開く。
等間隔の心拍を刻む機械と、そして滅菌されたような白い天井が視界いっぱいに広がっている。
何が起こったのか、まるで分からないまま己の腕を引き寄せていた。
両腕には包帯が巻かれているが、それでも指先は動かせる。その手を天井に向けて伸ばしたところで、不意に痛みが襲ってきて手を下ろしていた。
心拍を刻む音程だけが、この空間における唯一性を保っている。
肉体はまさにがらんどうそのもので、ベッドに縛り付けられている身体に実感は伴わない。ただただ横たわっているだけだ。
「……生きて……いる。僕は……」
その声を放った瞬間に病室になだれ込んできたのは白衣を纏った医者達で、自分の生命反応を確かめる。まるで機械の動向を見るかのように、彼らの行動は均一化されていた。
「院長、患者のバイタルは安定しています。分かりますか? 日神ワタルさん。あなた、死にかけていたんですよ」
「死にかけて……」
「正確にゃ、殺されかけてと言うべきところなんだろうがな」
院長と呼ばれた老練の男性の言葉にワタルは絶句する。
「殺されかけ……」
「……もういい。全員下がれ。ワシだけ聞かされた確認事項がある。円卓騎士団の秘匿事項のうちの一つだ」
その言葉が紡がれるなり、他の医療従事者は潮が引いたように下がり、後に残されたのはベッドから一歩も動けない自分と院長と呼ばれた老人だけであった。
「……あ、あの……」
「小田巻ミナミ。……あの娘っ子とは腐れ縁って言う奴でな。叔父であるオダマキ博士とは同期に当たる。カヤノと言う。よろしく頼む、日神ワタルよ」
カヤノと名乗った医者は病室だと言うのに懐から煙草を取り出し、それに火を点ける。メンソールの甘い匂いが漂い、ワタルは覚えず眉根を寄せていた。
「……何だい。煙草はニガテかい? 日神ワタル」
「……と言うよりも、ここ病室ですよね? 僕は……」
「ZORA、ってのは相変わらず馴染まねぇんだよな。電脳世界で撃たれれば、現実でも似たような怪我を負う。いや、悪けりゃ死んじまう。……まったく、五年前にはほとんど夢想の域であった領分にまで踏み込む、それこそ人間が想像し得る全ては実現する、とでも言うべきか」
カヤノ医師はそうぼやきながら煙草の火を明滅させる。まるでそれ自体が命の灯火のように、ワタルの眼にはちらついて見えた。
「……僕は、殺されかけた、と仰いましたね……。それはあの……」
どこまでの情報権限だ? と疑問に躓いたワタルへとカヤノは紫煙をたゆたわせて断言する。
「最初から最後まで、だな。無貌の電脳戦士、404だったか。小田巻の嬢ちゃんが言っていた通りになったな。あれがもし……電脳戦士[ランスロット]を凌駕したその時には、医療の面ではよろしく頼むって言われていたのが、まさかこんなにも早く現実になっちまうとは」
そうなると、カヤノは円卓騎士団の機密に触れている事になる――その帰結にワタルは僅かながら身体に宿していた強張りを解いていた。
「……すみません。力及ばず……」
「別にそこを恥じる事はねぇだろ。お前さんらはよくやった……と、小田巻の嬢ちゃんからは聞いているよ。それにしても、ZORAってもんはよく分からん。ワシみたいなロートルには電脳世界に入ってそこで戦うってのもそうなら、このホウエンがいつからそんな危なっかしいもんになっちまったのかもな。……ま、ここだけじゃないんだろ。もう七割以上だったか、ZORAネットワークがこの世界を覆ってからと言うもの。若いもんはどいつもこいつも端末中毒だ。そういうのを専門的に診る時もあるがな」
カヤノは丸椅子を引き寄せ、それからよっこいしょと腰を下ろしてじっとワタルを見据えている。何だか居心地の悪さを感じて、ワタルは別の話題を探っていた。
「……あの、カヤノ……さんは円卓騎士団直属のお医者様なんですか」
「いいや、ワシは円卓騎士団とは関係がない。嬢ちゃんが個人的に持っていた伝手だな」
「……じゃあ! さっきまでの事は……!」
思わず身を起こしかけて鋭い痛みが全身を貫く。カヤノはゆっくりと、ワタルの身体へと手を添える。
「寝とけ。まったく……鋼鉄の波導使いってわけでもねぇだろうに。よくもまぁ、普通の人間よりかは多少頑丈なくらいでやるもんだ。電脳戦士だとか言う役職がどれほど偉いもんかは知らんが、入れ込むもんでもねぇ。一つずつ解きほぐしていこうじゃねぇか」
カヤノの言葉振りに、今さら隠し立ても意味を持たないのだろうと察知してワタルは力を抜いて長く呼気を吐く。何よりもここは病院だ。騒いだところで、誰かが救援に来てくれるわけでもない。
「……カヤノ……さんは」
「先生と呼べ。さすがにお前さんみたいな性質よりかは長く生きてるよ」
「……じゃあ、先生は……。どこまで知って、僕達に協力してくれているんですか」
「どこまで、か。それ次第で言動を変えようとまで思っている。なるほど、飼い犬根性が染み付いてやがるな。……ったく、組織にいいように使われてそれが幸福かねぇ。まぁ、いい。お前さん、思っているよりも随分と踏み入っちゃいけない部分にまで踏み込んでいるらしい。そうだな、全て、と言っておこうか」
そう断じられれば、こちらの情報提供レベルは自ずと何もかも洗いざらい喋らなければいけなくなる。それを小田巻が許すのか、いや、円卓騎士団にとって悪く転がるのではないかと懸念が掠めるが、それも無為な考えに近いのだとは分かる。
どうせ、ここで生かすも殺すもカヤノ次第。ならば、せめて自分にとってだけは有益に動いたほうがいい。
「……無貌の電脳戦士、404は……」
「嬢ちゃん達が全力で調べを尽くしているとの事だ。今は、心配はするな。どうせ、お前さん、現実じゃちょっと強いくらいの凡人だろ?」
その言葉に沈黙を返す。事実であったので、何も言い返せなかったからだ。
「……カヤノ先生。他の被害は……」
「ああ、今回は出ちゃいねぇよ。一回目のケースの時のように、403、だったか。被害者が出たんだと踏んだんだろうが、今回は居ねぇ。お前さんらの動きが迅速だったのかもしれんし、あるいはそういうものでもないのかもしれん」
「……そう、ですか……。でもそうなら、何故403は……あの場所に……」
「ワシが聞いた範囲だけでいいのなら、404はあの場で403を討伐。その後、[ランスロット]へと襲い掛かった。電脳戦士としての戦闘能力を喪失し、今に殺されるかに思われたその瞬間、相手は躊躇った、との事だ。その一瞬の隙を突いて、無事にログアウト。いや、これは無事とは言えねぇな。全身に裂傷、それに生命維持に必要な部分でのロスト。救命が一秒でも遅れていればお前さん、命はなかったところだ」
「……ロストって……ソウブレイズ……いえ、カルボウは……?」
「カルボウは無事にサルベージ。体力はレッドゾーンであったが、適切な処置をポケモンセンターで受けている。安心しろ、お前さんよりかは軽傷だ」
それをよかったと見るべきなのだろうか。それとも、主が無茶をしたのをポケモンに被せてしまった、トレーナー失格だと落胆すべきか。
「……カルボウ……だけじゃない。蜷川さんや、小田巻さんは……」
「お偉いさんと会うんだと。今回の報告書をまとめて、円卓騎士団とやらの上役にな。さすがに二回も負けたんじゃ、組織の沽券に係わるってところなんだろうさ。だが、分からんのはこいつだ」
カヤノが端末を取り出し、表示しているのはブロックノイズとエラーに反証されていたがそれでも前回よりも明瞭に映し出された無貌の電脳戦士のスクリーンショットだ。恐らくは小田巻の手腕であろう。
解析すれば読み取り不可能になるが、スクリーンショットならばその干渉をほとんど無効化出来る事に気づいたに違いない。
「……その電脳戦士……何者か、とかは」
「分からんらしい。小田巻の嬢ちゃん曰く、あり得ない存在である事だけは確かなようだが。円卓騎士団以外で、シンクロ進化を使える人間は居ないとの事だが二度も目の前でそれを覆されれば親分だって心穏やかってわけでもないんだろうさ」
小田巻も蜷川も責任追及からは逃れられない。いや、それならばまだいいほうだ。実際には、電脳戦士[ランスロット]の存在意義でさえも揺さぶられかねない。
「……僕が、弱かったから……」
「そう思い詰めるなよ。って、言っても無駄か。どっちにしたって、こんなもんイレギュラーなんだろうさ。ポケモンとのシンクロによる進化、そしてその性質を纏う、か。いや何、ここ五年くらいで進歩したもんだよなぁ。昔……っつっても十年ほど前だが同調現象にだって懐疑的な連中が多かったってのに、今はそれ前提で喋りやがる。ワシから言わせれば、後から来たくせに敬意も何もねぇ。同調は眉唾だって言われていた頃のほうがマシだったくらいだよ」
「……同調現象は、もう今となってはシンクロ進化の第一歩目として認識されています。そもそも、アローラで観測されたZ技の時点で、トレーナー側に大きなデメリットを――」
「よせよ、医者相手に説法なんて。お前さんらがそれを言い出すよっぽど前に、学会じゃ持ち上げられていたんだ。ま、議題に上げる奴はイカレの烙印を押されちゃいたが」
カヤノが携帯灰皿を持ち出し、一本目の煙草を揉み消しながらどこかやけっぱちに言い捨てる。彼の言う通り、自分のような若造が意見するのは気に入らなかったのだろう。カヤノは点滴の落ち具合を確かめつつ、二本目の煙草をくるりと指先で弄ぶ。
「……先生。僕は……命を賭してでも、あの電脳戦士と戦うべきであったのでしょうか。あの電脳戦士は……」
「404、いや、お前さんがギリギリまで奮闘してくれたお陰で、その名前も割れたらしい。どうにも……最新の端末って言うのは慣れないもんだが……ほれ」
投げられた端末をワタルは受け取り、[ランスロット]の視線から望めた無貌の電脳戦士と、そしてその傍に居たはずの青い髪の少女を探そうとするが、案の定、ブロックノイズに阻まれる。
「……小田巻さんからの解析……これか」
スクリーンショットならば、イレギュラーの影響を受けずに映像を解読出来る、その手腕もあってか白亜の電脳戦士の姿はクリアになっていたが、青い髪の少女に関してはフィルター越しのように姿がぼやけている。
それでも、放たれた冷徹な声だけは明瞭だ。
『[ウィズ]、躊躇うな。――討て』
「……[ウィズ]……?」
「それが大方の名称として、一般化されたらしい。円卓騎士団では無貌の電脳戦士、404と呼ぶよりかは分かりやすいとのこった」
「……[ウィズ]……。無貌の電脳戦士の、名前……」
しかし異常事態であるのは疑いようもない。[ウィズ]なる電脳戦士はグソクムシャを纏い、一方的にソウブレイズと[ランスロット]を蹂躙してみせた。あれほどまでの強靭なトレーナーとしての練度は、一朝一夕では身につかないだろう。
「一応は、その周りで聞き込みなりZORAのネットワーク網を活かした探査はしたらしい。だが、[ウィズ]なる存在はまるで見つからず、その上、そこに映っている青い髪のガキも見当たらない。これは……ワシは妙を通り越して、何か出来過ぎているような気さえしてくる」
「出来過ぎている……ですか」
二本目の煙草に火を点けたカヤノは深い呼吸で紫煙を纏わせる。
「……どこかでこういうのはぷっつりと途切れる、そうなればそれを布石にして次の捜査をするのが鉄則のはずだろうに。だってのに、そこに居た証明は[ランスロット]の映像データと、そして謎のポケモンである403の排除のみ。これだけじゃ、[ウィズ]なる存在が確固たる意味を持っているかどうかは分からん」
「……ですけれど、僕は……」
「救われた、か? しかし、ボコられたんじゃ話にならんだろうが」
にべもない。実際、[ウィズ]の戦闘能力は圧倒的であった。こちらがどうにかして策を巡らせえるような暇など与えられなかったほどだ。
「……[ウィズ]がどれほど強大な……電脳戦士であろうとも、403を倒したのは事実。味方……だと思っていいのでしょうか?」
「さぁなぁ。どう捉えようともこっち次第と言われているような気もするが、少なくともお前さんの一意見としちゃ敵対したくない、というのはあるんじゃないか?」
「……小田巻さんには甘いと言われるかもしれませんが、僕には[ウィズ]がただ闇雲に……403を倒しているとは思えないんです」
むしろ、その目的の途上で現れた自分のほうが邪魔者であったと見るべきだろう。[ウィズ]の行動原理、そして未だハッキリとしない403の出現法則を見出さねば今の自分の実力では遠く及ばない。
「……ケッ、若い奴は向こう見ずでいいねぇ。だが、それもこれも小田巻の嬢ちゃんの判断を待っての事だ。言っとくが、ワシは一応、貸しがあるからな。嬢ちゃんの許しが出るまで、お前さんは外出禁止」
「でもそれは……! 小田巻さんや蜷川さんだけに……責任を――!」
言いかけたワタルの眼前に、今も燃ゆる煙草が突き付けられる。それが刃のように鋭く、ワタルの言葉を制する。
「黙っていろ。病院じゃ、医者が正義で法律だ。それくらいは分かれよ。あとだな、お前さんのダメージフィードバック、とでも呼ぶべきものなのか知らんが、それもこれから先学会では取り上げやすいデータとなる。要は嬢ちゃんの目論見と、ワシの目論見の範疇外で動く事は許さん」
「そんな……。けれど僕は……!」
「電脳戦士、[ランスロット]、か? それはZORAの中だけの話だろうに。現実世界でまで超人だと思って欲しくはないねぇ。お前さんは打てば砕ける骨と肉を持っただけの、ただの人間、日神ワタルだ。それを忘れるな」
その言葉を潮にしてカヤノが立ち去ろうとする。ワタルは滅菌された白の天井を仰ぎ見て、それから呟く。
「……あの、カヤノ先生……。けれど、僕は……僕一人で傷つく人間が留まるのならば、それでいいと、思っているんです。これは変でしょうか」
「さぁな。ただ、自分一人で戦っているわけじゃねぇって事は覚えておくこった。それこそ小田巻の嬢ちゃんの逆鱗に触れかねねぇよ」
唇をへの字に曲げて、カヤノは片手を上げて病室を出る。
一人取り残されて、ワタルは力なくベッドに横たわっていた。
「……けれど、僕一人が傷ついて、それで終わりなら、それでいいだろうに」