瞼を開くと、木目調の天井が視界に入ったのでまさかここは現実世界か、と疑ったところでそれは淡い夢である事を突きつけられる。
「おぅ、目覚めたか。レイジ」
「……ここ、は……」
「ギルドの集会所の裏手にある医療施設だ。ポケモンセンターと併設している」
その声の主へと、レイジは向き直る。
「……テツ、だったか」
「もう忘れちまったのかと思ったが、記憶は大丈夫そうだな?」
テツはこちらへと手を振り向けて、額を確かめる。
「……馬鹿馬鹿しい、な。ZORA内なんだろう? 熱も出ないよ」
「それはそうかもしれんが、一応はだろ。それに、最近のアップデートでZORA内でも身体の異常を感じたら、それは現実と直結しているって言うじゃないか」
レイジは簡素なベッドに寝かされており、周りにはテツ以外の人間は居ない。
「……シズクは? 他の二人も見当たらないが……」
「シズクちゃんのトレーナーライセンスが有効化するのは今日からだ。だから、諸々の手続きに行ってもらっている。……聞いてもいいか?」
どこから話すべきなのだろうかと戸惑いもあったが、これも何度目か分からないのだとレイジは嘆息をついて憂いを打ち消す。
「……ああ。何が聞きたい」
「……シズクちゃん、怖がっているようだった。だが、お前を引きずっておれ達のところまで来たのも彼女自身。涙ながらに訴えていたよ。“レイジを助けて!”ってな。昨晩、何かがあった、その結果としてお前は……何かが生じ、そしてシズクちゃんの目の前で……」
「俺が悪いんだ。他に何もない」
余分な事を話す気にはなれない。それでも踏み入ってくる相手には敬意はあるが、どうせ話したところで解決もしないのだ。レイジは網膜の裏で焼き付く、異形の姿へと変じた己の姿を回顧する。
左胸で脈打つ、張り裂けそうな灼熱の鼓動を有する異形の鎧戦士。
ZORAで酷似した存在を呼ぶのならば、その名は――。
「……これはお前が所属していたギルドからの情報だったんだが、前にも似たような事があったらしいな。その度に……ギルドを転々としている、と。訳アリなのは窺えたが、経歴を見て驚いたよ。半年以内に十個以上のギルドが壊滅、あるいは自然消滅している、と。なるほど、初心者トレーナーの請負人、と言う職業に落ち着いたのもそれか」
テツは多少ばかり事象に精通しているようであったが、それでも自分が本心からの言葉を打ち明ける気にはなれない。どうあっても、この不明瞭な現象を解明する術などない。
「……だとして、俺とギルドを解消するか。だがそうなったとしても、シズクの身元だけは頼みたい。あいつは……まだトレーナーになったばかりだ。俺の存在で足を竦ませるのはもったいない」
今言えるだけの本心があるとすればそれだけだ。シズクが自分の事象に踏み込んで、その結果としてトレーナーである事をやめるのはあってはならないだろう。異形の戦士に成り果てるのも、その結果として謎のポケモンと戦う羽目になるのも自分の業に過ぎない。シズクには無関係のはずであった。
テツはため息をつく。呆れられたのだろうか。無理もない。請負人としての職務も果たせず、身勝手な言動で振り回しているのだ。当然、ここでギルド関係の解消に至ってもおかしくはない――そう思っていただけに、直後の行動に目を瞠る。
テツは、歩み寄るなりベッドに横たわっていたレイジの胸倉を掴み上げる。
その激情の宿った眼差しに、レイジの側が圧倒される思いであった。
「お前……! 舐めるな! おれ達は確かにただのZORAでヨロシクやってる木っ端トレーナーだがよ……それでもお前らを放ってなんて行けるかよ! 何より、ギルドを組むって言うのは、ただ単に安全のためだとかリスク分散じゃないんだ! ギルドって言うのは、家族同然だろうが! だってのに……おれ達を一番に軽んじているのはお前自身だ!」
「……だが、俺は迷惑をかける……」
「だとして! それも込みで、おれらはギルメンだろうが! それを一晩の事とは言え、なかったとは言わせない……!」
「……ギルメン……か」
久方振りに聞いた言葉だった。否、テツの人格を見誤っていたのだろう。ここまで熱くなれる人間ならば、自分の特殊な事情を話してもいいのかもしれない、と。
「……お前が何であろうと、一度結んだ契約を反故にするほど、おれらは腐っちゃいない。いや、腐ってはいたんだ。それでもよ……! コノヨザルを扱う、お前の実力は本物だった! それを嘘とまでは言わせない……!」
「……離せよ。まだ痛むんだ」
「あっ……悪い……つい、アツく……」
ベッドに腰を下ろし、レイジはどこから話すべきか迷っていたがシズクがここに居ないのならば好都合だと、この局面の一番の問題点から切り出していた。
「……ZORAネットワーク……世界規模で張られたインフラ、ZORAがなかった頃には、人類史は戻れないとまで言われている」
「……それがどうかしたのか?」
「……テツ。お前達は任意のタイミングで、どのような状況下であろうともログアウトが出来るはずだな? 現実世界に戻るのには、確かに色々とタイミングはあるだろうが、それだけは自由のはずだ」
テツはこちらの物言いの論点が不明とでも言うように目を丸くさせる。
「……それは……当たり前だろ? どこでもログイン出来るのと同じくらい、ログアウトも自由。それがZORAの美点だ。確かに、位置情報に関してはある程度絞られてはしまうが、それ以外は……」
「俺にはその自由はない」
言い切ると、テツは理解が出来ないとでも言うように首を傾げる。
「……自由って……?」
「ログアウト出来ないんだ。俺は、二度とな」
あまりにも簡潔に告げたせいであろうか。あるいは意味不明に聞こえたのかもしれない。テツは戸惑いの後に、これまで幾度となく投げられた言葉を発する。
「……冗談だろ?」
「……冗談ならいいんだがな。俺は、ZORAからログアウト出来ない。これももう、半年以上経っている」
嘘の論調ではないと悟ったのか、あるいはこのような嘘をつくメリットがないと判じたのか、テツの顔からさぁっと血の気が引いていく。
「……冗談だろ?」
先ほどと同じ言葉であったが、今度は嘘であって欲しいと言う願いが込められていた。だが、レイジは頭を振る。
「冗談なら、どれほどよかったんだろうかな。……もう一年ほどになるか。ZORAへの最終ログイン履歴は。そこから俺は二度とログアウト出来ないでいる」
「で、でもよ……! それこそZORAの管理者にアクセスするとか、強制ログアウトだとかも……!」
「どれも試したさ。だが、どれも無駄だった。……それこそ、死ねばログアウト出来るのかと言う、いわゆる“禁じ手”もな。……まぁ、死んだ感覚を味わっただけに過ぎなかったが」
レイジは片手に視線を落とす。アバターの過度の破損、あるいはデータ情報上での維持不可能状態にまで持っていった事もある。それでも、ログアウトは不可能であった。まるで、この世界に呪縛そのもののように囚われて。
「……だ、だが! ログアウト出来ないなんて……物理的に……!」
「不可能だろう。だからこそ、俺はずっと……解せないでいる。現実世界で俺を生かしてくれている人が居るのもそうだが、ログアウト出来ない状況下に至った俺を、どうにかして助けようとしてくれる人も居る……はずなんだがな」
しかし、その結実がこの一年間あまりの絶望であった。
何度も死のうとして、その度に目覚めた意識が捉えるのはこの電脳世界だ。いつまでもこの場所に縛り付けられている。
「……待て。ちょっと現実認識が……ああ、いや。ZORAで現実だの何だのって言うつもりもなくって……」
よろめいたテツは恐らくは真面目なのだろう。自分に降りかかった不幸でしかないこの状況に肩入れしているのが窺えた。
「……別に、信じても信じなくってもいい。ただ、ログアウト出来ないと言うのは、想定以上に参るものなんだ」
「……家族は? それか、知り合いだとかは……!」
「分からない。現実の俺の肉体がどのような扱いを受けているのかは不明なままなんだ。もしかしたら実験動物なのかもしれないし、ともすれば現実の俺はとっくに死んでいるから、ログアウト出来ないのも当然なのかもな」
どこか自嘲気味に語るとテツはばつが悪そうに視線を逸らす。
「……そんな寂しい事……いや、お前の事情に首を突っ込んだおれもそうなんだな。……軽率だった、すまん!」
馬鹿正直に謝られるとこちらも多少なりとも意地が悪かったかと思わせられるが、レイジは自身の掌へと目線を移す。
この手は確かに、電子とプログラムの生み出す虚構なのかもしれないが、それでもほとんどリアルだ。だからこそ、言える事の一つもある。
「……俺は、あくまで請負人。この仕事が気に入らなかったら、今頃世捨て人だろうな。だからこそ、だ。テツ、これは他のメンツには喋らないでもらえるか?」
「そんな事……! そんなつらい事……!」
「頼む。……シズクや他の二人に、気を遣って欲しくないんだ。お前には結果的に喋ってしまって、苦しませてしまっているとは思う。だが……傷の舐め合いがギルメンの正しい姿でもないだろ?」
先刻、ギルメンだから、と言う言葉を放った以上はテツも気持ちの落ち付け所を見失っているようであった。家族同然だと言うのならば、見ないフリも一つの対処だ。
「……分かった。だが、苦しかったら……しんどかったらいつでも言ってくれ。おれだけでもいい。お前の心がこれ以上……軋みを上げるのを見てられないからな」
「……おいおい。まだ一夜明けたところだろうに。そこまで俺に入れ込んだっていい事なんて一個もないだろう」
「いや! これは、おれなりのケジメ……だ。ちゃんと距離を取る事も出来ただろうに、お前は喋ってくれた。それは信頼だと思っていいんだろう。……まぁ、それに。シズクちゃんには言い出せないよな、こんな事……」
「シズクには……か」
だが、昨夜の事情を鑑みるに恐らくは異形の戦士に変身した姿をシズクは目の当たりにしたはずだ。怖いと思うのか、あるいはもう二度と近づきたくないと感じるのかもしれない。
「テツ、帰って来たぞ」
病室の扉を開けたサイにテツが僅かに躊躇するが、いつも通りに対応しようとしてその視線がシズクに据えられる。
「……あ、ああ。シズクちゃんも手続きが終わったのか?」
シズクはこちらを認めるなり、僅かに恐れを宿す。それも当たり前かと思いながらも、レイジは覚えず視線を逸らす。如何に慣れたとは言え、恐怖心と畏怖に沈んだ眼差しはいつだって思ったよりも心にささくれを残すものだ。
「……シズク、終わったのか?」
「……別に。あんたに言われるまでもないし」
「こら。レイジは心配してくれているんだ、そんな言い草はないだろう。テツ、とりあえずニューキンセツ近辺でレベル上げに有効な道具は買い揃えてきた」
サイが袋に詰め込んだのは傷薬やPPリカバーなどの新人トレーナーならば必須と言えるアイテムであった。テツはそれを受け取り、少しだけうろたえを見せる。
「お、おお……。それで、シズクちゃんは……登録名は“ミニスカート”でいいんだよな?」
「……他に思い浮かばないし。それに、その辺慣れているのが請負人なんでしょ」
そう言われてしまえば、請負人としての仕事をほとんど放棄している自分への糾弾に思えてくる。
「……そうだな。早速ニューキンセツ近辺を探ろう」
ベッドから起き上がるとやはり眩暈が襲って来るが、それでもシズクに妙な心配をさせるわけにもいかない。
「……レイジ、大丈夫なのか?」
「……何の懸念もない。請負人としての仕事をするまでだ」
テツには目線で頷くが、シズクは昨晩の戦闘の余韻が抜けていないのか、歩み寄ろうとするとサイの後ろに隠れる。
「シズクちゃん?」
「あ……違って。……レイジ、あのさ、聞きたい事が……いや、やっぱいい」
「やっぱいいって……レイジと何かあったの?」
サイは話を聞き及んでいないのだろう。テツがその間ににこやかに割って入る。
「まぁまぁ。レイジだって疲れもあるんだろうさ。それに、シズクちゃんはまだまだ新参者! ギルメンである以上、おれ達が導いてあげないとな!」
わざと言葉尻を上げるのは多少の違和感が拭えなかったが、それでも今はそのほうがきっといいはずなのだ。レイジはポケモンセンターでコノヨザルを受け取ってから、そういえばと受付嬢に尋ねる。
「この近辺で……昨晩、何か、事件が起こらなかったですか?」
「事件……ですか。いえ、何も……」
他の受付嬢と顔を見合わせ合うところを見るに、本当に事件など何一つ起こっていないのか、あるいは完璧な情報封鎖が施されているのかまでは分からない。だが、自分の正体が割れていないのならばそれは前向きに思うべきだろう。
「さて! 早速だが、基本的なスキルを見せてもらうよ! まずは野生ポケモンとの戦闘、とは言ってもZORA内で再現されている野生ポケモンのレベルは均一化されていて、負ける事なんてまずないだろうけれど」
サイのレクチャーに対し、ちらちらとシズクはこちらを気に留めているようであったがレイジは一歩引いて見守る。
「えっと……じゃあ、行って!」
シズクの放ったモンスターボールから出現したのはピンク色のぷくぷくとしたポケモンであった。四肢は短く、戦闘に向いているとは思えない愛玩ポケモンである。
実際、様々な媒体で人気の根強いポケモンであるそれは――。
「……プリン、か。シズクちゃん、これを選んだ理由を話してもらえるかな?」
「えっ、だってプリンって……確か空を飛ぶを覚えるんですよね?」
その返答に三人のギルメンがめいめいに困り顔になる。シズクはと言うと、何か可笑しな事を言っただろうかと戸惑いがちだ。
「……シズクちゃん。プリンは空を飛ぶを覚えないよ。まぁ、たまに変わったトレーナーがプリンの膨張率や空気を充分に吸い込める特性を利用して使う事もあるけれど……それは空を飛ぶ、と言う技には分類されないし、ほとんど浮遊状態だね」
「えっ……! えっ……! でも昔のドラマで、鳥ポケモンが怖いって言っていた女の子主人公がプリンで空を……!」
「あれはフィクションだからねぇ……。有名な話と言えばその通りだが」
「じ、じゃあ! この子も……?」
次いで繰り出されたのは赤と水色の色彩が眩しい鳥ポケモンであった。先ほどのプリンよりかはまだ可能性がありそうではあったが。
「デリバード、か……。空を飛ぶは覚えるけれど、あまりパワーのあるタイプのポケモンじゃないから、一回の膂力も限られるね」
「な、何で! 何でこんなに覚えないの!」
シズクが地団駄を踏んで悔しそうにするのでレイジは一歩引いたスタンスからフォローする。
「プリンは論外だが、デリバードなら技マシンでいくらでも豊富な技候補がある。だからこそ、問題ないと判断したんだが」
「……レイジさぁ! 最初から、この二体じゃ問題があるって分かっていて、あたしにこの子達を選ばせたでしょ!」
「まさか。新米トレーナーなら、確実に勝てる編成よりも好きなポケモンで勝てたほうがいい。一時の四天王も言っていただろう? “強いポケモン弱いポケモン、そんなの人の勝手”ってな」
「だからって、この編成じゃ取れる手数も限られてくる。おれ達も技マシンをたくさん保有しているわけじゃない。やはり……早い話があるとすれば、ポケモンジムを制覇していく、となるが……」
そこでテツが言い辛そうに呻いた事でシズクはより怪訝顔になる。
「……何か問題でもあるの?」
「いや、直近のジムリーダーに挑むとすれば、ニューキンセツのジムリーダー、テッセン。しかし、彼の得意タイプは……」
そこまで言われてシズクもハッと気づいたのだろう。ばつが悪そうにその先を口にする。
「……テッセンの二つ名は、確か“あっかるい電撃オヤジ”……。使ってくるタイプは電気タイプのはず……だけれど」
「そう、ここはZORAだ。当然、現実世界と同じ属性を使うとも限らない。それに、テッセン本人ともな。見てみろ」
レイジが端末を開き、そこに映し出されている人物を晒す。そこに居るのは、見知った中年男性のテッセンではなく――。
『皆の者ー! あなたの瞳をエレキネット! どんなもんじゃTVの時っ間だぞぉー!』
「……これ、どう見てもテッセンじゃ……」
「ああ、パルデア地方からの出征……と言うか、コラボらしい。同じタイプだからちょうどいいとの事でな。今のニューキンセツのジムリーダーはこいつ――ジムリーダーかつ人気配信者のストリーマー、ナンジャモだ」
『それにしても、テッセン氏ぃ! ボクとコラボしてくれるなんてめっちゃ感謝! 何でそんな気になってくれたのー?』
『いや何、むさいオヤジがZORAの中までえばっていても誰も嬉しくないじゃろう! わしはZORAではしばらくジムリーダー活動を休止し、代わりにナンジャモちゃんに頑張ってもらおうと思ってのう!』
『にしし! なら不承このナンジャモ、がんばっちゃおうかなー! チャレンジャーのみんなー! 今のニューキンセツのジムリーダーはこのナンジャモなのだー!』
そこで配信を区切り、レイジは嘆息をつく。
「……まぁ、いずれにせよ相手は電気タイプのジムリーダーだ。なら、自ずとどう戦うのかは絞られてくる。加えて、プリンとデリバードでは戦い方も限られてくるだろうしな」
「ど、どうすればいいの……かな、レイジ……」
不安げな面持ちのシズクにレイジはベッドから腰を上げる。
「安心しろ。こういう時のための、請負人だ。新人のトレーナーを少しばかり戦えるようにする責務がある。俺はお前の編成を尊重し、戦えるように組み直す。それが俺の……そうだな。仕事、なのだろう」
テツが申し訳なさそうに目を逸らすのが視界に入る。そもそも、シズク相手にどこまで入れ込むのかも話が変わってくるところだろう。しかし、あくまでも自分は請負人としての責務を果たすまで。そう決断した事で、シズクも頷きやすくなったようだ。
「……分かった。レイジ、あたしを勝たせて……」
恐らくは昨晩の不明瞭な姿に関しても言及したいところだろうが、彼女は自分の目的を見据えている。ならば、自分の存在がその邪魔になってはいけない。
「……ああ。俺はお前を……ジムで勝たせてやる」
今は、自分の中に浮かんだ懸念よりも、ハッキリしたものとしてシズクを勝利させる。そのための存在意義だ。
それしかないのだと、思い切る事でしか胸を占める不安を断ち切れそうにはなかった。