最近、眠れているかい? と口火を切られてアキヒロは戸惑いつつも応じる。
「えっと……一応、お店のほうは十一時まで開店なので。その後になりますけれど。でも、寝れてます! ぐっすりですよ!」
サムズアップを寄越すと、医師は戸惑いの笑みを浮かべながら電子カルテに書きつける。
「そうか。さかもとのほうでは随分と頑張っていると、兄からは聞いているよ。頑張り過ぎなくらいだってね」
「何を言ってるんですか! オレ、創作料理とか案外向いているのかも! やっぱり、お客さんの笑顔が一番ですし!」
快活に告げると医師は微笑んでから聞く調子に入っていた。
「……それはよかった。それで、記憶のほうはどうかな?」
重々しく口火を切られたが、アキヒロは首をひねる。
「……分かんないんですよね。まだ、全然。けれど悲観とかはないって言うか! ほら! オレってば、よくサナちゃんからも楽観主義だって言われがちですし!」
「……サナがそんな事を。だが、君が底抜けに明るいのは事実だろう。アキヒロ君、どうか兄の店とサナを見てやってくれないか。それに……サナも辛いはずだからね」
「……サナちゃんもかなり頑張ってくれてますし、オレだけが不幸だなんて言えませんよ!」
「……まぁ、そういう意味ではないのだが、いいだろう。いつも通り、問診は一週間後に。では」
お互いに頭を下げ、本日の問診が終わる。待合所で端末をじっと睨んでいるサナを発見し、先ほどの医師の言葉が蘇ってくる。
「……サナちゃん。どうしたの」
「わっ……! ちょっと、アキヒロ君。いきなり端末覗き込まないで! 常識でしょ!」
「声おっきいってば! ……病院では静かに!」
「……そう言うアキヒロ君も声デカいんだからなぁ。とにかく、端末覗くなんてサイテー」
へそを曲げてしまったサナに、アキヒロは平謝りするしかない。
「ごめんってば! ……もうしません……」
「本当? ……ま、そこまで怒っているわけでもないんだけれどねー。ちょっと気になる情報を精査していたところだから」
「……情報? 精査?」
「……呆れた。アキヒロ君、忘れたの? ほら、連続怪死事件。また被害者が出たった噂なんだって」
「……噂でしょ? それ、まだ気にしてるんだ」
「当たり前。アタシだって、それなりのゴシップには精通していないと。今どきの女子高生だし」
「……うぅーん、今どきの女子高生って、そういうのにどっぷりなわけ?」
どうにも承服出来ないでいると、サナはため息交じりに後頭部を掻く。
「ま、アタシがとびきり気にかかっているのもあるけれどね。けれど、不可思議なのはこの一件に噛んでいるであろう、円卓騎士団なの。ほら、これ! やっぱり、声明は封じられているって情報通の友達が!」
サナの端末を覗き込もうとして今しがた叱られたばかりだ、と首を引っ込めると、今はいいからと促される。
「……じゃあ……。へぇ、掲示板かぁ。何だかこういうのも昔はよく見たような……気がする?」
「何で疑問形……って思ったけれど、アキヒロ君記憶喪失なんだもんね。そりゃ疑問になるか。けれど、掲示板は知ってるんだ?」
「うん。ZORAネットワークとは違うんだよね。オレ、ZORAはてんでだけれど、ネットは見る時はあるから。ほら、美味しい下処理とか調べるのにZORAだと大げさだし、AIが勝手な検索結果を出すけれど昔ながらの掲示板だとZORAでもさらい切れなかった情報とか転がってるんだ。意外と便利だよ?」
「……なるほど、そういう関係か。ま、言ってしまうとZORAネットワークだと検閲が入るけれど、そこいらの野良掲示板なら検閲から逃れる事も出来るから、こうして噂話だとかあるいは円卓騎士団の黒い噂が上ってくる事もあるの」
「……あのさ、サナちゃん。円卓騎士団ってサナちゃんの話にもよく出るけれど、そんなに偉いのかな? だっていざ遭遇した事もないし……」
「それも当然。円卓騎士団って御大層な呼び名だけれど、言っちゃうとZORAにおける自警団。なかなか遭遇するなんてないよ。それに、その姿は秘匿されているって言うか……。これ掲示板に上がっていた画像のコピーだけれど……」
そこに映されていたのは粗い画素であったが、どっしりとした佇まいの鎧騎士だ。重装甲に身を纏い、犯人と思しきブロックノイズのアバターと交戦している。
「……これ、なに? ヒーローショー?」
「馬鹿。これが噂の“電脳戦士”なんだってさ」
「……電脳戦士ってこんなヘンテコな姿なんだ。見た目が大事なのかな? かなり……レトロって言うか……」
「言わんとしている事は分かるけれどね。大げさ過ぎって言うか、こんなの……そう。こんなのが実際に……居るわけないし」
何故なのだかサナの論調には戸惑いと、そして不安が宿っているように窺えた。まるでその件の電脳戦士を庇っているような。
「……でも、サナちゃん。電脳戦士なんて、こんなのこそでっち上げの可能性も高いんじゃない? 世の中、こんなヒーローみたいな……」
「あら? 懐疑的なのね、アキヒロ君は。ZORA内ならどんなアバターも取得し放題なんだし、何にだって成れるって言うのが強みなのに」
「それは分かるけれどさ。オレ、信じられないんだよね。こういう、損得勘定なしで誰でも助けますみたいなのって。……だってさ、そういう人が居るんなら、さ」
「……それは……」
自ずと口が重くなる。
記憶喪失の自分に、サナの事情もある。だからこそ、そこまでやってのける分かりやすい英雄を信じられないのだ。本当の英雄が居るのならば、困っている人間を見過ごせない、そういうヒーローなら、どうして手を差し伸べてくれないのか、と僅かながら考えてしまう。
やはり、誰にでも平等で誰にでも都合のいい存在など居ないのではないか。
「……やめやめ。何だってアタシはそうじゃなくっても滅入りやすい病院にまで付き添っているのに、アキヒロ君のテンションで気落ちしないといけないのよ」
「……ごめん。ちょっとデリカシーなかったかも」
「かも、じゃなくってなかったの! ……もう! 帰りにスイーツ奢り!」
「ええ……。オレ、叔父さんから給料もらったばっかりだよ? それなのに、女子高生のスイーツ代は重たいなぁ……」
「それくらいするのがアキヒロ君の努めでしょ! ……ほら、代金はちゃんと叔父さんから貰っているから払っておきます! アキヒロ君は、ちゃんとアタシに奢る事! いい?」
「……はい、分かりました……」
どうにもサナに強気に出られると何も言えなくなってしまう。ため息を漏らしていると、ふと視界に入ったのは見知った人影であった。
「……あ、その……!」
思わず呼び止める。艶のある長い黒髪の女性は振り向くなり微笑んでいた。
「あ……この間の」
「すいません、ついつい……。この病院にご用で?」
「え、ええ……」
「……あの、お節介かもですけれど叔父さん……こほん。いいお医者さんなら知っていますので、そちらの病棟に……」
「ちょっと! 何人の事放っておいてナンパしてるのよ! ……って、この間の?」
支払いを済ませてきたところのサナが合流し、病院内とは思えない声を発するのでアキヒロは困惑する。
「ちょっ……! サナちゃん! 声デカいってば……!」
「あの、この間の……大丈夫でしたか?」
サナも大声で糾弾するのは憚られたのか、声を潜める。
「ええ。お陰様で」
「怪我とかもなく?」
「怪我はなかったんですけれど……お見舞いの品が駄目になってしまったので、買い直しですかね……」
どうしてなのだろう。アキヒロは個人的には滅多な事では他人に見惚れるなどないはずなのだが、この女性から視線を外せずにいた。
「お名前……確か黄昏ミレイさん、でしたよね? もしかしてこの病院に、誰かのお見舞いに?」
「……はい。実はそうなんです。……あの、これから行かないといけないので……」
「あ、あの……!」
呼び止めたアキヒロ自身、何故なのかは分からない。だが、ここで彼女を――黄昏ミレイを一人にしてはいけないのだと言う直観が働いていた。
「……はい……?」
「その、ちょっと付き添いしてもいいですか? ほら、病院ってただでさえ滅入るって言うか……!」
「……それ、アタシが言ったんだけれど」
不満そうなサナの声を聞き留めつつ、アキヒロは可能な限り笑顔で応じる。するとミレイも多少なりとも警戒を解いたのか、ではとエレベーターに入る。
「……その、さ。アタシ達、どう考えでもお邪魔でしょ」
声を潜めたサナにアキヒロも返す。
「でもさ、せっかくの縁って言うか……ひったくりから助けたわけだし……」
「……呆れた。トーヘンボクのクセに、変な下心があるなんて」
「それは違うよ。違うけれど……」
どうしてなのだか、ミレイを放ってはおけない気がしたのだ。自分でも不思議な感情なので、アキヒロも戸惑いがあった。誰彼構わずナンパするような人格ではないつもりなのだが、如何せん記憶喪失なのでその確証も薄い。
「……こちらです」
促された先には病室があり、そこには生命維持装置に繋がれた青年がベッドに横たわっている。随分と痩せたその姿と医療機器に包まれた痛ましい姿にアキヒロは絶句する。サナも同じようで、言葉もないと言った様子であった。
「……その、この人は……」
「フィアンセなんです。結婚も視野に入れて……きちんと付き合っていたんですけれど……」
「ご病気なんですか?」
サナが肘で小突く。そこまで聞くか、と言った様子の諫めるような眼差しを受けてアキヒロは言葉を仕舞う。
「……すいません。デリカシーとかなくって……」
「いえ。彼は……レイジはとある出来事があってから、昏睡状態で……」
その出来事を軽々に話すのは憚られたのであろう。もちろんアキヒロとてそれくらいの常識はあるつもりであったが、ふとサナが気付く。
「……ZORAのログインマシンに……接続されているんですね。何か……ZORAと関係が?」
「……ちょっ、サナちゃん……」
今度はアキヒロがサナを肘で小突く番であったが、構うものかとサナは続ける。
「ZORAネットワーク関連の事件なら、あまり公に出来ないのも分かります。けれど……」
濁した言葉の先を、ミレイは花瓶の花を変えながら応じる。
「……そうですね。せっかくの恩人のお二人なんですから、それくらいは……。レイジは、一年ほど前にZORAから……ログアウト出来なくなったんです」
「ログアウト……出来ない?」
「それってZORA内で死亡したとかじゃ……」
サナはそこまで言って完全な失言であると感じたのだろう。口を噤んで顔を伏せるが、ミレイは頭を振る。
「いえ、それなら強制ログアウト権限……? とかが生きているはずなのですが……レイジはアカウント共々、ZORAに……そうですね。呑まれた、と言ってもいいのでしょう。色んな人がレイジの症例を見てくれましたが、ハッキリしないそうなんです。彼の意識が今もZORA内にあるのか、それとも……と言うのは……」
「あ、あの! フィアンセの方……のポケモンはログインし続けているんですよね。モンスターボールが……」
ログイン専用のマシンにはモンスターボールが埋め込まれている。
「……公安、とかの人が。レイジの身分でもし、何もない状態でZORAに取り残されれば狙われる可能性があるとの事で、手持ちのコノヨザルには定期的にご飯もあげていて。けれど、彼の反応だけがないんです。ZORAの偉い人からは、違約金と言いますか、そういうものはいただきましたけれど……使い切れないお金があったところで……」
アキヒロもサナも、二人して押し黙る。まさかここまでの事態になるとは思いも寄らなかったのだ。レイジ、と呼ばれている男性に視線を振り向ける。瞼を閉ざしたまま、ヘッドセットに固定され、自らのポケモンでさえも縛られた状態はまるで鋼鉄の牢獄に囚われているかのようであった。実際、どのような心地なのだろう。ZORAからログアウト出来ず、現実ではミレイに世話をされ続けるなど。
否、それも知らない可能性があるのだ。
伸び切った茶髪に近い髪に、痩せこけたその姿に痛切なものを感じつつ、アキヒロは口を開いていた。
「……黄昏さんは、今もZORAに?」
「……分かりません。レイジがどうしているのか、何が……あったのかも……」
「あの! それなら……円卓騎士団に依頼とかは……? だってZORA内の揉め事なら……!」
サナなりの一生懸命な提案であったのだろうが、ミレイは瞑目する。
「……円卓騎士団には依頼しましたが……結果は出ず。聞いた話では、ZORAの中での秩序を守るためには、一人一人の不幸に眼を向けている場合ではない、と……」
「そんなの……! そんなのってないじゃないですか! だって黄昏……さんは、困っているんでしょう? それを解決しないなんて、それこそ……!」
「アキヒロ君!」
サナに制され、アキヒロはそこで言葉を切る。ミレイはその麗しい頬を濡らしていた。涙が顎から伝い落ちる。
「……そうですよね。変なのは……分かっているんです。けれど……けれどレイジには……生きていて欲しい。まだ……諦めたくないって。それは私が……弱いからなんでしょうね」
アキヒロは黙り込むしかない。所詮、他人が口出しをするのは自由だ。だが、結局のところ、他者のものでしかない不幸は介在する余地のない代物であるのは記憶喪失である自分が一番よく分かっているだろうに。
「……すいません。オレ……」
「アキヒロ君に、悪気はないんです。その、ちょっと手伝わせてください! ミレイさんだけだと、大変でしょうし!」
サナの底抜けの明るさが今はありがたい。ミレイの手伝いをしながら、アキヒロへと目配せする。アキヒロもそれに応じて出来る限りの手伝いをする。
しかし――とアキヒロはミレイを垣間見る。
艶のある黒髪、潤いのあるぷっくりとした唇、漂う色香――どうしてなのだろうか。ミレイとこうして同じ空間に居るだけで自分でもどうかしてしまいそうになるような気がしてしまう。
心臓が早鐘を打つので、それを誤魔化すためにわざと大きめな声になってしまう。
「あっ、これ……! こっちでいいですか? レイジさん、たくさんお見舞いの品を貰っているんですね……!」
「アキヒロ君、声大きいってば!」
「あ、それは置いてください。……レイジは元々エリートトレーナーだったんです。その時に……同僚さんとかOBさんとかから可愛がられていて……。その辺は私もよく分からないので」
「……へぇ、エリートトレーナー……」
茫漠とした役職に戸惑っているとサナが助け舟を出す。
「……もう、アキヒロ君、よく分かんないままに言っちゃって。なかなか成れないですよね? エリートトレーナーをちゃんと、仕事としてやっていたって事ですか?」
「ええ。……元々、ポケモンの扱いには長けていたので。ZORAに着目したのも早かったんです。これから先はZORA内だけでもエリートトレーナーとしての職業は充分に成り立つんだって……よく話してもらったっけな……」
ミレイは長髪をかき上げ、微かに笑う。その微笑みがどうしてなのだか、アキヒロの心の奥底に焼き付いていた。
「……あ、えっと……。じゃあ凄いんですね! レイジさんって!」
「……分かってるんだかいないんだか」
サナの呆れ声を聞いてから、ある程度の手伝いが終わったので病室を立ち去ろうとしていた。ここに長居しても邪魔であろうし、それに自分達は踏み込み過ぎたのかもしれない。
「その……ありがとうございます。ひったくりから助けてもらっただけではなく、ここまで……」
「いえいえ! ミレイさんも困ったら言ってください! アタシ、力になりますから!」
快活なサナの声はミレイに活力を取り戻させたのだろうか。先ほどまでよりも、憔悴し切ったような笑顔には血潮が混じっているような気がする。
「では……私はこれで……」
身を翻しかけたミレイへと、アキヒロは思わず呼び止めていた。
「あ、あの! 黄昏さん……って呼びづらいんで。サナちゃんと同じように、ミレイさんって呼んでいいですかね?」
「……私を、ですか? あなたは……」
「アキヒロって言います! 真宵、アキヒロ……」
自分でもどうしてこんな出過ぎた真似をしたのかは分からない。ただ、ミレイを放ってはおけなかったのだ。
「……ではその……サナさん、でしたか? そちらから連絡先を聞いていただければ」
一礼してミレイは病室に取り残される。エレベーターの扉が閉じた瞬間、サナがローキックを見舞ってきていた。
「痛った! 何すんのさ……!」
「何も何もない! ……ミレイさん、困っていたでしょ! 何だってそんな事を聞いちゃったのよ!」
「……何でって……何でだろ。力になりたかったのかな?」
「疑問形で聞き返されたって何にも分かんないってば。……ま、アキヒロ君みたいなタイプが好きそうな女の人ではあったけれどね。普通に美人だし」
「……何だよ。オレがなびきやすいって?」
「実際そうじゃないの。……って言うか、アキヒロ君! ミレイさんの連絡先、教えないから」
「は、はぁ……? それってないだろ! 本人の前で言ったのに……!」
「だからこそじゃない。女子の個人情報を横流しなんて出来ません!」
つーんと澄ましたサナはどこかで嫉妬でもしているのだろうか。アキヒロはその起源に振り回されながらも、今一度、ミレイが居たであろう病室へと振り向いていた。
「……けれど、ミレイさん。どっかで……見たような気がするんだよな……。何でだろ」