ZORAにログインするのは正直、好きではないなとアキヒロは何度目か感じてから今日もサナからの「鍛錬」と称したイジメのような戦いにもつれ込む。
「遅い! ぬるい!」
「そんな事言ったって……」
サナのガラガラによる一撃が食い込み、またしても敗北を重ねてしまう。アキヒロは涙目のコソクムシを労わりながら、傷薬で癒していく。
「アキヒロ……いいえ、[マヨイ]君! そんなんじゃ、トレーナーとしてやってけないよ! やっぱり、コソクムシだけじゃ……」
「とは言っても、相棒だしなぁ。ねぇ、コソクムシ!」
冷たい表皮を撫でてやるとコソクムシは気持ちがいいのか、尻尾をふりふりと振る。それを目にしてサナはパチンと指を鳴らしてトレーニングルームにベンチを呼び出していた。
「……もう。そういうところ、全然変わんないよね。コソクムシにしてみればいいトレーナーなんだろうけれど、アタシはもっといいポケモンを使うべきだと思うなぁ」
「もっといいって、コソクムシ以上にいいポケモンなんて居ないよ。それはオレが一番よく分かってるんだしさ!」
ベンチに腰掛けたままサナが嘆息を漏らす。そこまで呆れられる事だろうか、とアキヒロは戸惑う。
「……でも、コソクムシは逃げ足にだけ特化した、ポケモン勝負じゃまるで役立たないポケモンって言われているし。堂々と出来る部分と言えば、色違いな事くらいだよね?」
コソクムシが赤色のひげをぴくぴくとさせる。本来ならば紫色の部位である。
「でも、コソクムシみたいな生き方、オレは好きだなぁ。だってさ、どうしようもない時にまで無謀に立ち向かったってしょうがないじゃん! オレ、座右の銘って程じゃないけれど、“逃げるが勝ち!” だとか“三十六計逃げるに如かず!”とか、結構信じているんだよね。だから、コソクムシの戦法だとかその強みって悪くないと思ってるんだ」
こちらの物言いにサナはとことんまで呆れ返ったようである。
「……そんなんじゃ、トレーナーカードの情報も本物か怪しいなぁ。でもさ、[マヨイ]君、記憶はないけれどポケモンは操れるんだから、案外、凄腕のトレーナーだったりして」
「オレは多分、平凡だとは思っているけれどね。それに、凄いトレーナーだったとしてオレの意思だとか、そういうのって捻じ曲げられないところにありそうな気もしてくるんだ。記憶が戻ったからって……真宵アキヒロが死ぬわけじゃないだろうし!」
こちらのどこまでもポジティブな言葉にサナも感化されたのか、ふぅんと訳知り顔になる。
「そーいうところ、アタシは嫌いじゃないよ。……けれどさ、お昼のは酷かったよね! [マヨイ]君、だってあのミレイさんにデレデレで!」
「あっ、その事だけれど、何とか連絡先を……」
「知りませんっ! そういう軽薄な男の下心とかは応援しないから!」
ぷいっと視線を逸らしたサナに、アキヒロもなかなかに難しい恋愛に手を伸ばしたものだと考えてから、はて、これは恋愛感情なのだろうかときょとんとする。ともすれば、まるで別の意味合いでミレイに惹かれているのかもしれない。
「……あのさ、これサナちゃん怒るかもしれないけれど……オレ、あの人と初めて会った気がしないんだよな……」
「何それ。よくあるナンパの口上じゃない。[マヨイ]君には呆れちゃう。そうやって人畜無害を装うのが一番女子からしてみれば危険なんだからね!」
ずびしと指差されアキヒロは困惑する。
「危険って……オレ、そんなにかなぁ……」
「そんなにです! 第一、[マヨイ]君だって元々は正義感でミレイさんを助けたんでしょ? それをこれ幸いと着々と近づくなんて……ストーカーって言うんだよ? それ」
「す、ストーカーなんて大それているなぁ……。けれど、不思議なんだよね。オレ、何かの間違いであの人と会っているような……」
「まだ言う……。けれど、案外分からないのかも。だって[マヨイ]君、記憶喪失だし。どこかでお互いに会っていて、忘れているものなのかもね」
だとすれば薄情なのは自分のほうなのだろうか。ミレイほどの麗しい女性の事を忘れ、今ではのうのうと生きている。
いや、そもそも恋人や友人と言う特別な関係であったのだろうか。
「……ただの知り合いかもしれないし……」
「なら余計に連絡先は渡せないよ。……けれどさ、今SNSで躍起になっているのってそういうのとはまるで違うんだよね。これ」
どこかサナが戸惑いがちに差し出した端末の画面には、粗い画素ではあるが特徴的な白亜の鎧姿が撮影されている。その左胸から生じる眩い輝きのせいで、ほとんどハレーションを起こしている形だ。
「……なにこれ?」
「分からない? ……アタシにも詳しい事は分からないんだけれど、情報提供を募ってるんだ。これ、知らないかって」
「さっきの円卓騎士団の電脳戦士……とはちょっと違うかな……」
「偶然に撮れたの。……でも、情報はてんで。一体何なんだろう……?」
アキヒロの眼には、それがどのような意味を持っているのかはまるで不明なままであったが、少なくともZORA内で日々観測される都市伝説の類ではありそうだと感じる。
「……でもさ、ZORAって慣れないんだよねぇ……。何度もトレーニングはしたし、それにニューキンセツだとか、ZORAの中でしか享受出来ない娯楽もあるけれど……オレは現実のほうがいいかも」
「……これだけ世界をZORAが覆っていて……それでいくらでも財を成す手段もあるいは人気者になれるチャンスがあっても? それでも[マヨイ]君は、ZORAが嫌なの?」
その問いかけには多少呻ってしまうが、それでもアキヒロの答えは変わらない。
「……うん。オレ、合ってないのかも。ZORAってすごいのは分かるんだけれどさ。やっぱり、なんて言うの。馴染んでいないんだよ、こういう自由って」
「……自由が馴染んでいない、ねぇ。何だかそれは、傲慢って言うか、求め過ぎな気もするけれど」
「あっ! もちろん! ZORAでも働くのは好きだよ? ほら、オレせっかくの創作料理を現実だけじゃなくってZORAでも振る舞えるってのはさ! やっぱり、冥利に尽きるって言うか!」
わざと言葉尻を上げてサナに心配させないようにするが、彼女はそんな事は分かっているとでも言うように腕を組む。
「……分かってるってば。[マヨイ]君がそういう人なんだって事は。……あーあ、白けちゃった。ログアウトするね」
「あっ……もう、勝手だなぁ……」
サナがいち早くログアウトしたので、自分もそろそろログアウトして就寝するかと思った矢先、首裏を粟立たせる感覚にアキヒロは硬直する。
振り向かずとも分かる。
突然に吹き込んでくる、爽やかな風。
「……アキヒロ、仕事よ」
アキヒロが視線を振り向けると、そこに佇んでいたのは燐光を纏う青い髪を二つ結びにした少女であった。ちぐはぐな衣装に身を包んだ少女の瞳が、こちらを見据える。
どこまでも青く、どこまでも自由なように映るその瞳孔が収縮する。
「はい、[ユア]さん」
これまでの迷いやあるいは脳内を掠めた徒然の数々は消し去られ、脳内は冴え渡っている。クリアで明瞭な意識の中でアキヒロは少女――[ユア]の名を呼んだ途端、不意にすとんと実感していた。
「……そうか」
「どうかしたの」
「……いや、[ユア]さん。そうだ……ミレイさんに、似てるんだ……」
ぷっくりとした唇に、透明度の高い白磁の肌。そしてどこか浮世離れした美貌の数々も、まるでミレイをそのまま少女の年かさまで下げれば合致する。
「……下らない事を言わないで。アキヒロ、今度の敵は厄介よ」
[ユア]が中空に手を翳すと、そこから精製されたのは一冊の書物であった。手を振れずにそれを捲り、そのページをアキヒロに見せる。
モノクロで画素も粗いが、それでも確認出来るその姿にアキヒロは応じる。
「……厄介ですね。テツノワダチ、ですか」
「パラドックスポケモンをナハトは送り込んでくるわ。ZORAの秩序が崩壊する前に、私達で排除するわよ」
「はい、[ユア]さん」
迷いはない。逡巡でさえも。
それどころか、この命令系統に心地よいものでさえも感じている。[ユア]からもたらされる情報は簡潔であり明瞭だ。記憶喪失である自分の功罪やあるいは面倒な部分を考えずに済む。現実逃避、と言えなくもなかったが、それも希薄な意識である。
何故ならば――自分の本当の姿は。
「行くわよ」
[ユア]に導かれ、アキヒロは踏み出していた。