残機無限系クソボケ 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
現在多忙でして、大変お待たせいたしました……なお、今回の話は非常に残酷な描写が含まれる為、気分を害した場合は読むのをやめることをお勧めします。
一人の女が廊下を延々と走っている。彼女の腕の中には、少年の姿がある。その少年は、痛々しい傷を足に負っていた。
またこの夢か。龍はただそう思い、全てを諦めた。
そう、これは夢だ。龍が死ぬ度に見ることになる夢。見るたびに思い出し、生き返る度に忘れる悪夢だ。
ここでは目を閉じることは許されない。耳を塞ぐことは許されない。口を開くことに意味はない。所詮不死身の男も夢の中ではただの傍観者だった。
女は走る。ただただ走る。息は絶え絶えで、足をもつれさせながらもただ走る。そんな彼女を、腕の中の少年は泣きながら見つめていた。
少年の足から流れる血が、点々と地面に跡を残していく。その光景には誰もが切迫したものを感じるだろうが、龍の目にはその血の跡がまるで導火線のように見えた。
「お母さん……」
少年の消え入るようなか細い声。その声には怯えと恐怖、そして余りにも大きな不安が含まれていた。
母親は、その声に返事をする程の余裕がなかった。走りながら声を出せるような体力はなかった。だから、返事の代わりにただ優しく少年の頭を撫でた。
頭を撫でる手。その手が震えていたことに少年は気づいた。そこで初めて少年は、自身を庇護し、慈しみ、時には厳しく叱責する、親という存在であっても怖いと思うのだと知った。
だから、少年は笑った。泣きながらも笑った。自分は大丈夫なんだと示すために。その笑顔は、少年が人生で初めてした作り笑いだった。
龍はその無様な笑顔が嫌いだった。その笑顔を見るたびに、どうしようもない怒りが込み上げる。それでも、彼にできることは何もない。彼はただの観測者だ。
風を切る音。その音と共に、女の身体が崩れ落ちる。
彼女の左足には親指ほどの穴が空いていた。血がとめどなく溢れ出す。走るどころか、もはや歩くことさえできない傷だった。
女は、腕の中にいる少年を強く抱きしめた。
「……龍。今から大切な話をするから、聞いてくれる?」
そう言う彼女の顔と声は、状況にそぐわず、とても優しげなものだった。そんな彼女の様子を見て、少年はただ頷いた。
「次の分かれ道で右に行った後、ひたすら歩いて。そうすれば助けてくれる大人がいるから。とっても痛いだろうけど、頑張って歩ける?」
コクコクと頷く。少年の視界は涙で歪み、母親の顔も碌にわからない。
「いい子ね……お母さんもすぐに追いかけるから。だから、早く行って」
その言葉の通りに、少年は一人で歩き始めた。痛む足を引き摺りながら。
「生きて」
しばらく歩いてから、そんな声が聞こえた気がした。けれど、少年は振り返らなかった。振り返れなかった。その声のすぐ後に、重く鈍い音が聞こえた気がした。それを確かめることが、どんなことよりも恐ろしかった。だから、少年は振り返ることなく、ただ前へと進んだ。
咽び泣きながらも壁を支えに歩く。一歩踏み締めるたびに足の傷から血が滲む。激痛が走る。それでも彼は母親の言葉を頼りに足を動かした。
何分、いや、何十分歩いただろうか。気づけば目の前には眩い光が差し込んでいた。それは出口だった。
歯を食いしばり、最後の数歩を歩み始める。一歩。二歩。三歩。しかし、それで終わりだった。
四歩目を踏み出そうとしたその時。彼は踏み出すための足が
体勢を崩し、そのまま地面へと倒れる。痛みはなかった。地面に倒れた痛みも、足を失った痛みもなかった。彼の脳みそは何一つ自分の状況を理解できていなかった。
足を失った理由を探し、彼はようやく初めて後ろを振り向いた。
そこには、巨大で黒く、ネバネバとした原形質の塊が蠢いていた。不愉快な水音と共にその物体は形を変え、表面は絶え間なく姿を変えていく。
目。口。鼻。手。足。ありとあらゆる生命体のありとあらゆる器官が生み出されては消えていき、それと共に不気味な笛のような音が聞こえた。
「テケリ・リ」
悍ましき黒い粘液が少年を囲う。粘液から生み出させる目が彼を物珍しげに眺め、口は愉快そうに笑っていた。
「テケリ・リ!」
黒い粘液が少年へと襲いかかる。その光景から逃れるように彼は目をギュッと瞑った。
(お母さん……ごめんなさい……)
彼は死の直前にただそう思い、何一つ抵抗できずに黒い粘液に押し潰された。
◇◇◇
目を覚ます。黒い粘液に押し潰されて死んだはずの少年は、確かに目を覚ました。
彼は真っ先に自分の左足を見た。無傷の子どもらしい小さな足が確かについている。
自身の身体を隅々まで見る。どこにも傷はない。怪我の全てが夢のように消えていた。
周囲を見渡すと、そこは彼が意識を失う直前にいた場所のままだった。その光景は今も前も夢ではないことを切に示していた。
「そうだ……」
少年は今までとは逆の方向へと歩き始める。逃げていた時に感じていた、悍ましい雰囲気は無くなっていた。あの怪物はもういない。その確信が彼にはあった。
彼の胸の中にあるのは、母親への心配だけだった。それを確かめるために、彼は道を逆走していく。
最初はゆっくりだった足取りが段々と早くなっていく。ゆっくりとした歩みは早歩きとなり、早歩きからやがては走り出し、遂には彼は全力で走っていた。
早く戻りたい、という気持ちがそうさせたわけではない。嫌な予感が彼にはずっと付き纏っていた。彼はただそれを、自分の体から引き剥がすために走り出した。それでも彼は信じていた。彼の母親は一度も嘘をついたことがない。だから、今回もまだ追いつけていないだけで、母親はしっかりと自分を追いかけてくれていると。
でなければ彼は耐えられなかった。そう思わなければ耐えられなかった。最悪の予想と、何故か無傷な姿へと戻った自身の体を必死に考えないようにしながら彼は走った。
そして、視界の端に、赤い何かが映った。それを見た瞬間、悪寒が背筋を走った。彼の体が抑えきれずに震え出す。
少年はその赤い何かにゆっくりと近づいていく。視界のピントが合わない。世界の全てを直視できない感覚。それでも、それは確かにそこにある。
赤い何かは、肉片であった。凄まじい力で上から押し潰された結果出来た肉片だった。肉も内臓も区別ができない。元の姿がどうだったかすら、誰にもわからないだろう。
しかし、少年にはわかってしまった。その場に残された肉以外のもの。ブラウンの美しかった髪。そして母親が常につけていた銀色の指輪。それが肉片と共にあった。
彼は堪えきれず、その場で嘔吐した。気づいてしまった。彼の母親はもうこの世にいない。残されたのは自分だけだった。
そこでようやく、考えないようにしていた思考が彼の脳へと入り込む。
「僕は死んでも生き返るんだなのにお母さんは僕を庇って死んだ庇う必要なんてなかったお母さんだけなら逃げられたんだお母さんは死なない僕を庇って死んだんだ僕が死ねばよかったんだ死ねないくせにいやお母さんもきっとすぐに生き返るはずだって僕が生き返ったんだからねえそうだよねお母さん」
そう呟きながら彼は肉片を集める。震える小さな手でひたすら集め続ける。もはや動かず、冷たくなったただの肉を、それでもまた動き出すと信じて彼は必死に集め続けた。そしてその肉片に、少年は泣きながら縋り付いた。肉は動かない。
少年は発狂していた。それと共に、頭の片隅に冷静な思考が走っていた。
命。命。命。その場には命が溢れていた。死なない自分。死んだ母親。死なない彼が朝に食べた卵。肉。魚。野菜。
死ぬことのない自分が、命を食べて消費する。死なない自分を庇って、死ぬ命がある。これは一体果たして、どういうことなのだろう。
じっと手のひらを眺めて、彼はようやく悟った。命の価値を。
「「死なない自分の命に価値はない。価値があるのは死ぬ命だけ」」
少年だった龍と、傍観していた龍の声が重なる。龍は自嘲した。
彼の原点。不死身の龍が生まれた日。そして龍という少年が死んだ日。彼の命から価値の消えた日。すなわち、それは彼という"人"が死んだ日であった。
龍は死ぬたびにこの夢を眺め、脳へと刻み込む。自身の原点を。己の罪深さを。
そして、夢から醒めた。