残機無限系クソボケ 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
黒い外套に身を包んだ男が路地裏に佇んでいる。神谷龍である。
彼の背には二振りの刀が、腰には一丁の拳銃が携えられている。怪物がたむろしていることもあるこの混沌都市において、護身用としては少々過剰であり、戦うことを専門とするものにとっては心許ない装備であった。
「……上よし、右よし、左よし。行くか」
危険な人物や生物(主に動かざる天秤)がいないことを確認した後、彼は気配を消して移動し始めた。誠に遺憾ながら、彼は無実の罪で追われる身となってしまった為である。
「あのチンチクリンめ……俺の家が無くなったこの恨み、いつかは晴らしてやるからな」
悲しきかな、相手はこの都市の自治を守る公的組織。そしてそもそも家を爆破したのは自分の判断である。恨みを晴らせる機会はまずないだろう。しかし妄想するだけなら自由なのであった。
ひび割れ、鋭い傷跡、弾痕に謎の極彩色の粘液。それらが壁や床の至る所に見受けられる路地裏を龍は進んでいく。このような様子は変わったことではなく、この辺りではどこでも見られるような風景だった。
「この辺りかな」
彼はふと立ち止まり、壁に手を当てる。そして壁を何度か撫でた後に、独特なリズムで数回ノックをした。その瞬間、無機質な壁が唐突に姿を変える。
豪華な意匠と美しいステンドグラスによって彩られた木の扉。それが先ほどまで壁であった場所に現れた。これこそが彼の目的地であった。
「おーいナイア爺さーん。いるんだろ〜?」
しばしの沈黙。その後に扉が僅かに開いた。
「……その名前で呼ぶな、小僧。張り倒すぞ」
僅かに開いた扉からは浅黒い肌を持つしわがれた、けれど不思議と美しさと威厳を感じさせる老人が顔を覗かせていた。その表情は不愉快そうに歪んでいる。
老人は、名前をナイアーラトテップと言う。そしてその名前は、最も悪辣で醜悪な邪神の一柱から取られたものであった。曰く、とある狂信者の親が産まれてきた我が子の美貌を見てその悍ましき邪神の名を与えたらしいが、真偽は不明である。
龍は以前から彼を自覚なき邪神の化身なのではないかと疑っている。しかし、どちらにせよ龍にとっては関係のないことである。死なない彼からすれば利益を与えてくれるのならばどんな存在であろうとさして違いはない。
「その名前は悍ましきものだ。下手に呼ぶと何が起こるかわからん。私のことは権兵衛と呼べと、何度そう言えばいい?」
「でも今まで何かが起きたことはないだろ?」
「結果論だな。不用意なリスクを冒す必要はないという話をしているのだ。……まあいい。どうせ今回も碌でもない事が起きたのだろう。中に入れ」
呆れながらも老人は、龍に扉の中に入るよう促した。それに従って彼は素直に扉をくぐる。そして扉が閉じる。その瞬間、その扉は霞のように消えた。まるで最初から存在していなかったように。
扉をくぐった先は木造建築の古風な屋敷であった。窓からは暖かな陽射しが差し込んでおり、青々とした木々が生い茂っているのが中から窺える。その景色から今いる場所が明らかに路地裏とは別の場所である事がわかる。扉を介した空間移動。ナイアという老人が実に卓越した魔術師であることの証左であった。
客間に通され座っていると、急須と茶器を盆に乗せたナイアがやって来る。彼は来客が来るといつもこうして緑茶を振る舞う。
「さて、今回はどんな用だ」
「まずは感謝からさせていただこう。いつもありがとう、ナイア爺」
「はぁ……まあいい。さっさと本題に入れ」
「まあ用件としては二つだな。まず、俺の家がなくなった」
「またか。いや、今回は比較的長く持った方か。ちなみに理由はなんだ?」
「動かざる天秤のやつが来てな。やむを得ず家ごと爆破して逃げてきた」
「…………」
ナイアは静かに茶を啜った。黄金に煌めく彼の虹彩が茶に反射する。
「私は今、酷く失望した。お前は悪事だけは働かん。そう思っていた。そこだけは高く評価していたというのに……」
「いやいや誤解だって!」
わざとらしく肩を落とし、手で目を覆って落胆の意を示すナイアに向かって龍は手を大袈裟に振って慌てた。
「俺が臓器を売り捌いているのを嗅ぎつけて沢山の人を殺しているんじゃないかって疑って俺の家に侵入してきたのさ。んでその時丁度俺の死体が床に転がってたもんだから余計に拗れちまって……」
「……ハハ。お前さんもつくづく運がないな。動かざる天秤といえど、そこまで捜査する勤勉な奴も今時珍しいだろうに。しかしそうか。そういうことならいいだろう。家を提供してやる。ただし……」
ナイアがすっと人差し指を立てる。
「一つだけ条件がある。それを呑んでくれるならタダで住処を提供してやる」
「お、マジか。なんだなんだ? なんでも聞かせていただきますけど」
「お前に貸そうと思っているのはとあるマンションの一室だ。その隣の部屋には私の知り合いが住んでいる。彼女の護衛を頼みたい」
「護衛を? 俺に? 意外だな」
ナイアは卓越した魔術師である。彼が本気で何かを守ろうとしたならば、その守りを突破することは至難を極める。にも関わらず、敢えて龍に護衛を依頼するというのは少し奇妙な話であった。
「本来なら私自ら彼女を守ってやりたいところだが、あいにく私はしばらくの間多忙でね。彼女の側に居続けてはやれんのだ。流石の私といえど側に居ない状態でしっかりと守れる自信はない。それに……」
「それに?」
「お前さん、単純に強いじゃないか。最近はどうかは知らんが、昔はかなりの手練れだっただろう?」
「…………」
事実、龍は強者である。光線銃や魔道具、パワードスーツに戦闘用ロボットなどが普及する中、彼の装備は二振りの刀と一丁の拳銃のみ。家が爆破したことによって装備が破損したせい、ではない。元々彼はこの程度の装備しか持っていなかったのだ。それは本人の強さに裏打ちされた自信の現れであった。
「まあ、お前さんは死なんしな。最悪どんな事が起きても大丈夫だという安心感もある」
「おい。俺の扱いが雑だろ」
「一番扱いが雑なのは自分自身だろうに」
なお、ナイアは龍が死なないことを知っている数少ない人物の一人である。
「で、二つ目の用件なんだけど。肺の納品をする予定日って確か今日だったよな」
「ん? そうか、もうそんな日か」
「でもさっきも言ったけど家がなくなったせいで用意してた俺の体も吹っ飛んじまってな。しゃあないから今ここで提供させてもらうぜ」
「は?」
背負っていた刀の一振りを抜く。その刀身は闇に紛れるためだろうか、黒く染まっていた。そして暖かな陽射しを受けてその鈍く淡く光を反射する刀身が龍の首元へとあてがわれる。
「血飛沫にご注意!」
一刀両断。自分で自身の首を断ち斬るという常識はずれの行為。それは刀を扱う技量の最悪な証明方法であった。容易く宙へと舞う首と血。それらが唐突に空中で静止する。
「小僧……いくらなんでも酷いとは思わんか?」
ナイアが右手を挙げると、今もなお吹き出し続ける血液が自然と彼の掌へと集まっていく。それと同時に龍の生首からは赤い煙が噴き出し、瞬く間に元の姿へと再生した。
「爺さんならそうやって血飛沫も集められるし大丈夫だろ? まあでもお詫びとして、肺だけじゃなくてこの首から下の全身をやるよ」
「私が言っているのは気持ちの問題なんだが。……貰えるものは貰っておこう」
新鮮な人間の血液、骨、臓器。全てが良質な触媒、あるいは贄となる。生粋の魔術師であるナイアがそれらをみすみす見逃すわけがなかった。
「それよりも、とりあえず服を着てもらえるか?」
「あ」
再生するのは残念ながら肉体だけである。そのため龍が元々着ていた服と装備は死体が着ており、今の龍は全裸であった。
「失敬失敬」
「はぁ……」
こんなやつに本当に護衛を任せていいのか。少し不安になってナイアはため息を吐くのだった。