残機無限系クソボケ 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
ニア=ヒューストンは憤っていた。
「あの変態殺人鬼め……絶対に私が捕まえてやる……」
彼女は極めて優秀であった。多くの凶悪犯罪者を殺さず生け捕りにする手腕に、大規模な殲滅作戦においても数多くの戦果を上げるなど、現在の動かざる天秤において一番の出世頭であることは周知の事実であった。
そんな彼女がたった一人の男を取り逃がし、あまつさえ逃げた後の痕跡さえ得られなかったというのは実にプライドを傷つけられる出来事であった。
「本当に自爆したわけがない……死ぬ覚悟をした者にしては起爆する判断が余りにも軽すぎた。一番考えられる可能性としては転移能力者。厄介ですね……」
動かざる天秤本部の廊下をキビキビとした姿勢で歩きながらブツブツと小さな声で思考の全てを呟く姿はどこか強迫的なものを感じざるを得ない。実際、すれ違った一般的な構成員は彼女のそんな姿を見てぎょっとした。普段は余裕に溢れている彼女の印象とはかけ離れたものであったからだ。
「また一から捜査をし直さないと……人体の取引記録を漁りますか……っとと、着いてしまいましたか」
彼女の目の前には大きな扉。その側には会議室の札が下がっている。彼女は数回深呼吸をしてからその扉をノックした。すると中からどこか神経質そうに聞こえる男の声が入室の許可をした。
「失礼します」
会議室には二人の人物が座っていた。一人は眼鏡をかけ、髪を後ろに撫でつけた男。もう一人は黒髪を首の辺りで切り揃えた女。両者とも多くの書類を慣れた手つきで捌いている。
ニアが部屋に入ってきたことを認めると、女は書類から顔を上げてニアの方へと視線をやった。その瞳は美しい青色に輝いている。
「アマネ様、キルベス様、定期報告に参りました」
「殲滅者ニア。よく来てくれましたね。では、お願いします」
「はい!」
アマネ様と呼ばれた女性に促されるまま、彼女はスラスラと一ヶ月の間に解決した事件や注目に値する事案について報告していく。定期報告と呼ばれるように、これは毎月行うことであり、殲滅者以上の役職を持つものに義務付けられていることであった。
「――の事案は無事に解決し、現在は執行者達に処理を任せています。定期報告は以上です」
「ありがとう。今月も素晴らしい業績ですね。これからもその調子で励んでください」
「勿論です」
「ところで」
ニアが話している間も書類を睨みつけていた、キルベス様と呼ばれていた男が不意に口を挟んだ。その声にニアは背筋が伸びる。彼がこのように口を挟んでくることは滅多にない。何か過失があっただろうか、と彼女の額に冷や汗が滲む。
「報告にあった人体の売買を行う者についてですが。彼についてはこちらでも以前から把握しています。彼についての調査はしなくても結構です」
「……わかり、ました」
つい先ほど彼を捕まえると決意した彼女の出鼻を挫くような命令だった。困惑と僅かな不満が思わず声色に乗る。キルベスはそれに気づいたが、あえて指摘するようなことでもないと判断して書類へと視線を戻した。しかし。
「失礼ながら、彼のことを把握していながらどうして捕えないのですか?」
「……ふむ」
ニアは我慢ができなかった。口に出した瞬間、まずいと思った。けれども留めることのできない言葉だった。
「彼のことが気になりますか」
「……はい。彼の売買する臓器や肉体の量は異常です。しっかりとした証拠はまだありませんが、彼は潜在的に多くの者を殺している殺人鬼です。彼を一刻も早く捕まえなければどれほどの人々が命を落とすかわかりません」
「そこが問題です。機密に抵触するため詳しくは言えませんが、彼は人を殺していないのです」
そんな筈はない、という言葉が喉までせり上がり、すんでのところでその言葉を彼女は飲み込んだ。
あり得ないことではあるが、そうであるなら辻褄が合う部分もある。どんなに探しても彼が人を殺した証拠が上がってこない、周辺地域の人口が減っていない、などの状況は彼が人を殺していないことが事実であれば納得がいく。その臓器の出所が果たしてどこなのかという問題さえ解決すれば。
なおも納得していない顔のニアをみて、キルベスは小さくため息を吐いた。
「……わかりました。いいでしょう。人体売買を行う彼――仮称としてドナーマンとしましょうか。彼の調査を許可します。ですが、彼を捕えていいのは彼が人を殺したという確たる証拠がある場合だけです。いいですね?」
「ありがとうございます!」
ニアは勢いよく頭を下げて感謝を示し、そのまま機嫌良さげに会議室から出て行った。そして、彼女の去った会議室には微妙な表情をした二人が残された。
「元気と正義感に溢れているのも考えものですね……」
「まあ、いいじゃないですか。そんな彼女ですからここまでの成果を上げているのです」
「はぁ……だからこそですよ。あれほどの人材を、どんなに叩いても埃が出てこないアホ如きに浪費することが我慢なりません」
「ふふ、貴方らしい」
キルベスは深いシワの刻まれた眉間を少しの間揉むと、再び書類仕事へと戻った。そして、彼は一つの書類を摘み上げる。
それはプロフィールであった。様々な功績で埋め尽くされたプロフィール。役職欄にはNo.10と書かれている。その数字は、動かざる天秤のたった10人しかいない最高幹部、
「今年の1番の出世頭が元最高幹部を捕まえようと奔走するだなんて、どんな悪夢だ。……いい加減、あいつを呼び戻してはいかがです? アマネさん。貴方はあいつの姉なんですから」
「無理です。むしろ昔から仲の良かった貴方が声をかければ戻ってくるんじゃないんですか?」
「意地の悪いことを。どんなに私が引き留めてもあいつが話を聞かなかったことを知っているでしょう」
「それは私も同じです」
そんな風に軽口を叩く彼らの胸元には、それぞれNo.1とNo.2という文字が刻まれている。
「いっそのこと本当にニアに捕まえてもらいますか。そして万が一龍が捕まったら、そのままNo.10に復帰してもらいましょう」
「なるほど、いい案ですね。あいつが絶対に捕まらないという事実にさえ目を瞑れば」
悪態を吐きながらキルベスはNo.10という文字を二重線で消し、その下に小さくドナーマンと書いた。今は会えぬ親友への、ささやかな復讐であった。