残機無限系クソボケ 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
時刻は午前1時。多くの者が寝静まった夜の世界。この時間になると街はいつも霧に覆われる。
街灯の光は霧の影響を受けてぼんやりと淡く光るのみで、道を歩くには心許ない。その微かな光は歩く者にとっての導というよりはむしろ、虫を惑わし狂わせる誘虫灯のようであった。事実、その光は呼び寄せる。この街に潜む多くの悪意を。
「情報によると……このマンションの206号室に穢らわしい侵略者がいるそうだな」
「はい。ミ=ゴと思われる個体が出入りしていることが確認されています」
人目を逃れるように移動しながら、体格の良い二人の男が話している。一人は白髪を短く刈り上げており、もう一人は顔にいくつもの傷跡をもつスキンヘッドの男であった。
彼らの身体には物々しい機械仕掛けの外骨格が取り付けられており、彼らの一挙手一投足を補助している。一歩踏み締めるだけで数十メートルを移動する膂力。それが何に対して振るわれる為のものなのか、もはや語るまでもないだろう。
「……! 止まれ!」
クィ=ヌスの住まうマンション。そのエントランスの前に一つの人影が佇んでいる。それに気づいたスキンヘッドの男が相方を制止した。
その場にただ佇んでいたその人影は、実に奇妙であった。確かにそれは人の形をしている。けれども、黒い外套に身を包んでいること以外は全く窺い知ることができない。まるで影を固めて作ったかのような漆黒の外套が生きているかのように蠢き、テレビのスノーノイズのようにその姿をかき消していたからである。
そんな不気味な影がゆっくりと面を上げ、招かれざる二人の客人へと貌を向けた。それを見た二人の背筋に、底知れない怖気が走る。
彼らが見たその貌には、人であるならば当然あるべき顔がどこにも無かった。いや、正しくは、そこには何も無かったのだ。ただ、顔のあるべき場所にぽっかりと闇が、洞が、空いていた。その闇に果てはなく、どこまでも続くその黒からはどうしようもなく死の香りがした。二人は生理的で逃れようのない恐怖に襲われ、声帯が痙攣し、呼吸が浅くなる感覚を覚えた。
「く、黒闇……!? なぜこいつがここに……」
「知っているんですか」
「ああ……噂だけはな。種族不明。目的不明。神出鬼没で、ぽっかりと顔に黒い孔が開いている。特徴が一致している」
「……どうしますか」
スキンヘッドの男は少しの間逡巡した。彼は排外主義者であり、目的の為なら殺人すら厭わないが、冷静でもあった。彼の持つ情報からすると、黒闇はまともに戦って良い存在では無かった。
「黒闇。お前の目的はなんだ」
「…………」
その言葉に、闇を固めたような人影がゆっくりと蠢く。そして気づいた時には、黒闇は二振りの刀を手にしていた。その刀身は黒く、夜に溶け込んでいる。
瞬きする間もなく刀が振るわれ、地面には真っ直ぐな線が刻まれた。それはこの線を越えるなという警告であり、同時にこの線を越えなければ手出しはしないという慈悲でもあった。
「……撤退するぞ」
「ここまで来て、おめおめと逃げ帰るんですか!?」
「そうだ。今は一旦、この場を離れるべきだ。戻るぞ」
白髪の男は、苛立ちを隠せず「クソッ」と悪態を吐き捨てた。それでもスキンヘッドの男の方が立場が上らしく、大人しく撤退した。
そんな彼らの様子を黒闇はただずっと眺めていた。深淵を覗かずとも、深淵はいつまでも覗いていた。
◇◇◇
エントランス前からある程度の距離を取った男達は、いきなり立ち止まった。
「よし。この辺りでいいだろう」
「……? どうしたんですか」
「戻るぞ」
「え?」
「だから、あのマンションのところまで戻ると言っているんだ」
スキンヘッドの男は目を爛々と輝かせながら笑った。その笑みには抑えきれない憎悪が滲み出している。
「おめおめと逃げ帰る? そんなわけがないだろう。俺達がここまで来たことはもう知られてしまった。異種族共がいつ住処を変えるかもわからん。今日、殺す」
「は、はは。なるほど! わざわざ正面から黒闇を相手する必要はないですもんね」
「ああ。その為の装備だ」
二人の外骨格が軋むような音を立てた。次の瞬間、彼らは弾丸のような速度で移動を開始した。
目的地はエントランスの反対側。壁に囲われているが関係はない。そんな壁を薄紙のように破れるほどの力が外骨格には宿っている。
到着まで、残り3秒。速度を維持したまま壁を破壊しマンション内に侵入しようとしたその時。
「――■■■■■」
酷く耳障りで悍ましい音が二人の脳内を侵す。本能がその音を拒んでいた。全身に鳥肌が立つ。
白髪の男は、すぐに自身の身に起きている異常に気がついた。――世界の速度が遅い。何もかもがゆっくりに見える。それは走馬灯の一種であった。
停滞していく世界。その視界の端に、黒い影。こちらへと腕をだらりと伸ばしながら、聞き取ることさえできない悍ましく冒涜的な言葉を吐き出し続ける黒闇の姿を彼は捉えた。そしてそれを最後に、彼の意識は途切れることになる。
「…………助けッ」
空間がぐにゃりと歪む。光は引き延ばされ、それに呼応して世界も形を変える。世界のひずみが、たった一人の肉体へと襲いかかった。それは、ヨグ=ソトースのこぶしと呼ばれる呪文であった。
世界そのものに弾き飛ばされた白髪の男は、一瞬にして十数メートルもの距離を吹き飛ぶことになった。彼は鞠のように何度も地面にぶつかり、弾み、壁に当たってようやく止まった。その姿は悲惨なものだった。命はあるものの、足の関節は曲がってはいけない方向へと曲がり、彼を守り補助する外骨格は見るも無惨に砕け、部品がバラバラと地面に散らばっていた。
「……黒闇ィ!」
スキンヘッドの男が吠える。顔には青筋が浮かび上がり、目は血走っている。
「お前は一体、なんなんだ! 穢らわしい異種族が! 今ここで殺してやる!」
外骨格が音を立てて駆動する。彼は外壁に立って見下ろす黒闇へと肉薄し、その頭を吹き飛ばすため恐ろしい加速度の宿った鉄の拳を振るった。
(獲った!)
それは確信であった。黒闇は身じろぎ一つしない。耳障りな呪文の詠唱も聞こえない。この鉄の拳が防がれる要素はどこにも無かった。だが。
「……ッ!」
鉄の拳が、当たる直前で静止する。黒闇との間に隔てられた数センチの距離が縮まらない。殺人的な威力を持っていたはずのその拳は、今では小鳥すら止まるであろうただの静止物へと成り下がった。
その様子を見て、黒闇の顔に開いた孔がゆっくりと歪む。それは確かに笑っているようだった。人を嘲り、飲み込む、深淵の笑いであった。
人を見下すようなその笑みに、スキンヘッドの男の心の内に溶岩のような怒りが込み上げる。一度の拳で殺せぬのなら、殺せるまで振るう。そう考えて、再び拳を振り上げる。しかしその動きは、黒闇にとってはあまりにも緩慢であった。
黒闇が握りしめていた二振りの刀。光を飲み込む黒き刀身が、流れる水の如く振るわれる。その刃は外骨格に無数に存在する関節部を容易く切り離すと同時に、その腕をあっさりと斬り落とした。男はそれに少しも反応することができなかった。
斬り落とされた腕から血が噴き出す。一瞬で大量の血を失った男は、怒りも虚しく、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏し、黒闇を睨みつけながら気を失った。
後に残ったのは気を失った大男二人と、傷どころか埃ひとつない黒闇と呼ばれるナニカだけだった。
黒闇は二人の男に死なない程度の応急処置を行い、命に危険がないことを確認すると懐から縄を取り出した。その縄を用いて、二人を縛る。最後に白いパネルを取り出し、そこに「私達は人類の隣人を殺そうとした悪い人です」と書いて、そのパネルを彼らの首にかけた。
一仕事終えた黒闇は大きく伸びをすると、その姿を変えた。顔にぽっかりと開いていた孔は一瞬で埋まり、蠢きながらスノーノイズを撒き散らしていた黒い外套は、誰が見てもただの外套に変わる。黒闇という仮初の姿から現れたのは、神谷龍であった。
「はぁ〜めんどくさかった〜」
そう呟く彼の顔には笑顔が張り付いている。
「あ、やべえ。そういえば発狂してるんだった」
ヨグ=ソトースのこぶしによる精神の消耗。それの影響によって彼の表情筋が暴走していた。
彼は拳銃を取り出してこめかみに押し当てると、引き金を引いた。弾丸は容易く彼の命を奪ったが、一秒も経たずに彼は蘇生する。その時には彼の表情は
「さて、これからどうするかね」
そう呟く龍は、自身が気絶させた二人の男を冷たい眼差しで眺める。拘束した二人の男をこのまま放置しておけば、明日の昼までには動かざる天秤が発見して引き取ってくれるだろう。それを確信できるほどに動かざる天秤は信頼のおける治安維持組織であった。
しかしその性質上、動かざる天秤は事後対処には優れているが、未然の予防には弱点があると龍は考えていた。
拘束された男達の頭に手を置く。その状態で、龍は詠唱をし始めた。龍の本来の声とはまるで異なって聞こえる、冒涜的な声が空気を震わせる。
「『記憶を読む』、『記憶を曇らせる』」
龍の使用した二つの呪文は、彼が日頃から愛用している呪文であった。一つは、精神力を代償に対象の記憶を読み取る呪文、もう一つは、対象のある特定の記憶を忘却させる呪文である。
本来、これらの呪文は対象に意識がある状態でなければ扱うことができないが、龍は呪文を改良し、頭に触れるという制約を追加することによって性能を引き上げていた。こうした改造呪文と、姿を隠蔽するための黒い外套を用いて、龍は黒闇という恐るべき存在を作り上げている。
「ほーう。浄化思想戦線のアジトはあそこか。次の集会は……一週間後ね。面倒だな、それなりに期間があるのか」
などと愚痴を呟きながら男達の記憶を読み取っていると、龍は一つ気になる記憶を見つけた。
「……はは。ニアちゃん。凄腕だな」
彼らの記憶の隅に、動かざる天秤の殲滅者であるニア=ヒューストンの姿があった。彼らは視界の端に映る彼女に対して関心を寄せていなかったのだろうが、龍にはピンと来るものがあった。彼らは既にマークされていたのだ。浄化思想戦線という組織は、動かざる天秤によっていつすり潰されてもおかしくはない泥舟だったのだ。
「となると……次の集会に殴り込みに行くのは少し危険か。最悪、かち合うな」
龍の脳内で様々な天秤が揺れ動いた。このまま受動的に護衛を続けるリスク。集会に殴り込みに行くことでクィ=ヌスを危険に晒すリスク。ニア=ヒューストンと鉢合わせになり戦闘となるリスク。自分が捕縛される可能性、彼女が命を落とす可能性……。
「まあ、大丈夫だな」
その逡巡の果てに、龍は浄化思想戦線のアジトに直接殴り込むことに決めた。その判断は彼が楽観的であること以上に、彼の実力を源とする自信によるところが大きい。
「最悪ニアちゃんと鉢合わせになっても、動かざる天秤のOBとして実力を測ってやる、くらいの気持ちでやればいいか。家をぶっ壊された恨みも晴らしたかったしな」
そう言いながら龍は、黒闇とこのマンションに関する情報をある程度取捨選択した上で、あえて少しだけ残して彼らの記憶を消し、その場を後にするのだった。