キミだけはいなくならないでくれ   作:みそそ

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聖者の仮面

スプーンが皿を叩く軽快な音。誰かのくだらない冗談に、ドッと沸き起こる温かな笑い声。湯気と共に広がるスープの香りは、ここが戦場ではなく、どこにでもある穏やかな日常の食卓であることを錯覚させる。

 

白く清潔な食堂は、今日も多くの人々で賑わっていた。

かつては世界の命運を賭けて殺し合ったはずの、敵だった者たち。

けれど今の彼らは、同じテーブルを囲み、肩を並べて笑い合っている。

 

「――うん、本当にそうだね。君がいてくれて良かったよ」

 

俺は、目の前で嬉しそうに旅の思い出を語る少女に、いつも通りの微笑みを返した。

悪意のひとかけらも見えない、誰もを安心させる、底なしに明るい光の笑顔。

 

少女は俺の言葉に満足したように、いっそう瞳を輝かせてスープを口に運ぶ。その純粋な横顔を見つめながら、俺の顔に張り付いた笑顔の仮面は、微動だにしない。

 

俺の笑顔は、きっと完璧だ。

相手が俺に求めている「理想の救世主」の形を、寸分の狂いもなくトレースしている。

 

相手の言葉に相槌を打ち、傷ついた心に寄り添い、すべての人間を等しく肯定する。

そうしなければ、この奇跡のような優しい居場所は、一瞬で崩壊してしまうから。

 

だから俺は、誰にでも同じ角度で開く、精密な自動ドアのように笑い続ける。

 

「じゃあ、また後でね」

 

少女が手を振って席を立つ。俺は彼女の背中を見送り、小さくなったその姿が人混みに消えるまで、穏やかな眼差しを向け続けた。

 

周囲の視線から完全に外れた、ほんの一瞬。

 

す、と俺の顔からすべての温度が消えた。

口元の筋肉を緩め、ただの平坦な、無機質な表情に戻る。

 

賑やかな笑い声が飛び交う白い部屋の中で、俺の周りだけが、まるで音の失われた深海の底のように冷たく静まり返っている。

 

誰もがこの場所を「絆の温もり」と呼んで大切に守ろうとする。

けれど、俺の冷めきった瞳には、別の真実が映っていた。

 

かつて憎み合っていたはずの彼らが、なぜ今、ここではこんなにも仲良く手を取り合っているのか。

 

理由は酷くシンプルだ。彼らの外側に、今まさに戦うべき「共通の強大な敵」が存在しているから。

 

人間という生き物は、外側に敵(生贄)がいなければ団結できない。

 

もし今、すべての脅威が消え去れば、彼らは退屈に耐えかねて、また内側でお互いを潰し合い、血を流し始めるだろう。

 

この温かな平和すらも、世界を滅ぼすための巨大な戦いという、歪な大義名分の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎない。

 

そんな本質に気づきながら、俺は今日も彼らの中心で、光の聖者を演じている。

 

(……息が、詰まるな)

 

誰のことも傷つけたくない。みんなが共存できる、優しい世界が良かった。

 

そう願っているはずなのに、俺は、目の前の世界を冷酷に切り捨て、次の目的地へ進むことでしか、快楽を得られない構造になっている。

 

周囲が俺を「正義」として持ち上げるたびに、本当の理想は心の奥深く、誰の手も届かない暗闇へと沈んでいった。

 

賑やかな食堂の隅で、俺は一人、重すぎる意味の過負荷に押し潰されそうになりながら、ただ静かに、冷え切った指先を見つめていた。

 

 

食堂を後にした俺は、冷たい金属の廊下を歩き、静まり返った作戦室へと向かった。

 

先ほどまでの喧騒が嘘のように、ここには機械の駆動音と、冷徹な青い光だけが満ちている。俺は手元にある電子端末を起動し、次なる戦いへと同行させる人員のリストを開いた。

 

画面をスクロールするたびに、眩いほどの勲章や、数々の偉業を成し遂げた傑物たちの名前が次々と目に飛び込んでくる。

 

彼らはみな、強い意志とエゴを持ち、世界を救うという俺の目的に命を捧げてくれている有能な戦力だ。

 

けれど、その名前の列を見つめるだけで、俺の脳はかすかに拒絶反応を起こす。

 

俺は彼らを等しく愛さなければならない。一人の人間として、誰か一人だけを特別に優遇することは、この場所の調和を乱し、システムを崩壊させることを意味する。

 

全員に同じだけの信頼を配り、全員の命の重さを等しく背負う。それは、見えない真綿で首を絞められ続けるような、終わりのない圧迫感だった。

 

息が詰まるほどの輝き。誰もが抱える、熱すぎるほどの生きるための執念。

それらが文字の並びから放たれ、俺の思考をじわじわと焼き焦がしていく。

 

――その時だった。

 

淡々と流れる文字の列の中に、一際異質な、冷え切った名前が網膜に映った。

その瞬間、パチリ、と脳の奥の痛みが弾けて消えた。

 

張り詰めていた神経のすべてが、まるで冷水を浴びせられたかのように、すっと静かに凪いでいく。

 

彼の名前だ。

 

他人の歪んだ欲望によって無理やり鋳造され、中身を完全に空っぽにされた、哀れな殺戮の怪物。

 

カルデアに集う他の連中のように、彼には「誰が好きだ」とか「誰が嫌いだ」といった、人間臭いドロドロとしたエゴが一切ない。命令されたから、ただ目の前の敵を壊す。それだけのために存在する、完璧な虚無の器。

 

周囲の人々が彼を「狂った王」「言葉の通じない獣」と恐れて遠巻きにする中、俺だけは、その名前に救いを見出していた。

 

誰もを等しく愛さなければならないという呪いのような重圧の中、何も求めず、何も与えない彼の虚無だけが、俺の脳に「完璧な休息」をくれる。

 

彼といる時だけは、世界を救う大義名分も、背負わされた救世主という意味の過負荷も、すべて忘れてただの空っぽの人間でいられる。

 

全人類の生存本能という重すぎる期待を背負わされた俺にとって、すべてをリセットしてくれる彼の存在は、システムの中に生じた唯一の、そして最も美しいバグだった。

 

「……よし」

 

画面に表示された彼の名前に、そっと指先で触れる。

周囲に誰もいないことを確認してから、俺は張り付いた笑顔の仮面ではなく、心の底からの本物の安堵の息を、小さく漏らした。

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