世界の崩壊は、あまりにも静かに、そして容赦なく始まった。
天才たちが弾き出したはずの『完璧な布陣』をあざ笑うかのように、大地が裂け、空が割れ、予想を超えた異形の濁流が、最前線のキミを目がけて一気に押し寄せていく。
「――おい、マスター! ぼさっとするな、走れ!」
返り血で真っ赤に染まったあいつが、巨大な槍を振り回して敵の肉を粉砕しながら、振り返らずに叫んだ。
キミは、薄々気がついていたのだと思う。この凡人のマスターが、自分という殺戮の怪物に、割に合わないほど特別な視線を向けていることに。
けれど、キミの背中は、頑なに俺の深入りを拒絶していた。
かつて自分を形作った者の期待にすら応えられず、最悪なバッドエンドの形に固定された自分なんかに深入りすれば、このガキが後悔することになる。キミはそう、不器用に、冷徹に諦めていた。
「俺は使い捨ての駒だ。それ以上でも、それ以下でもねえ。だから、気にするな!」
キミは不敵に笑い、俺を逃すために、その巨大な身体を盾にして敵の群れへと自ら飛び込んでいった。
それは、キミなりの、命を賭けたぶっきらぼうな『善意』だった。
けれど、キミは何も知らなかった。俺が人類救済という重すぎる大義名分の過負荷に、どれほど脳を焼き切られそうになっていたかを。
心の底でどれだけ血を流していたかを。そして、何も求めず、何も考えずに暴れるキミの存在だけが、俺の精神をこの地獄から匿ってくれる唯一の『救い』だったということを、キミは最後まで、何一つ知らなかったのだ。
キミの「気にするな」という優しい善意の言葉は、俺の本当の気持ちを完璧に圧殺する、世界で一番残酷な悪意となって、俺の胸に深く突き刺さった。
「嫌だ……、オルタ、戻れ……!」
強制的な帰還の光が俺の身体を包み込み、視界が白く反転していく。引きちぎられるように戦場から引き剥がされる瞬間、俺の耳の奥に、ノイズを突き抜けて、あいつの最後の、地を這うような掠れた呟きが、なぜか鮮明に響き渡った。
(――エメル。)『お前との宇宙に、今帰るよ』
それが、他人の欲望に心を上書きされていたはずの怪物が、その存在のすべてを完全に焼き切らす最期の瞬間に、誰が打ち込んだプログラムでもない『自分自身の本当の意志』を取り戻して口にした、愛しい名前だった。
視界が完全に白濁し、冷たい作戦室の金属の床に、俺は一人で投げ出されていた。
システムは、世界を救うための『最適解』を導き出し、俺は生き残った。作戦は成功だ。
けれど、俺の耳の奥には、キミが最期に残したあの掠れた響きだけが、呪いのようにべたりと張り付いて離れなかった。
(お前との宇宙.....お前って……誰のことだ?)
俺の知らない、キミが本当に還りたかった、俺の用意した戦場なんて最初から必要のなかった、キミだけの本物の光。
俺がキミを救おうとしていたすべてのロジックが、キミの最後の一言で、あまりにも無様に、滑稽に粉々に砕け散っていく。
キミの神話には、最初から俺の入る隙間なんてどこにもなかったんだ。俺は、一人で何を必死に計算していたんだろう。
「……マスター? 無事ですか、マスター!」
駆け寄ってくる仲間の、心配そうな声が遠く聞こえる。
俺は床に座り込んだまま、いつもなら一瞬で張り付くはずの「底なしの光の笑顔」の仮面を、どうしても見つけることができなかった。
口元の筋肉は完全に凍りつき、瞳の奥からはすべてのハイライトが消え失せている。
ただの、中身を完全にブラックホールに食い尽くされたような、生きた屍のような、圧倒的な【虚無の表情】。
世界の温かい光のなかで、俺という壊れた人形は、キミの幻影を他人の顔の中に探して彷徨うという、本当の狂気の深淵へと、ゆっくりと堕ちていった。