冷たい金属の駆動音が、耳の奥に頭痛のように響いていた。
作戦室の照明は、どこまでも冷徹な青い光を部屋の隅々にまで落としている。俺は手元にある電子端末を見つめたまま、ただ立ち尽くしていた。
画面の向こう、つい先ほどまで確かにそこに並んでいたはずの、一際冷え切った名前。他人の欲望によって無理やり鋳造され、中身を完全に空っぽにされた、哀れな殺戮の怪物。
――その名前が、いま、光の粒子となってリストの底へと消え去っていく。
データ上の存在へと還り、もう一度、あの途方もない確率の召喚をやり直すしかなくなったその現実を、冷たい数字の明滅だけが告げていた。
彼という、唯一の安全装置を失った。
世界を救うという重すぎる責任。未来の戦略を組み立て、次の目的地へ進むために、優しい理想を自分の手で冷酷に切り捨て、前進し続けるしかない俺の性サガ。
その過負荷を、何も求めず、何も与えない完璧な虚無の器である彼だけが、隣にいるだけで静かに匿ってくれていた。彼といる時だけは、大義名分を忘れて、ただの空っぽの人間として息を吸うことができたのに。
その聖域が、消えた。
途端に、せき止められていた重圧が、濁流となって俺の思考へと流れ込んでくる。
全員の命の重さを等しく背負い、全員に同じだけの信頼を配り続けなければならないという、見えない真綿で首を絞められるような、終わりのない圧迫感。四六時中、俺の神経を焼き焦がし続ける生存の執念。
喉の奥が引き締まるように、呼吸が上手くできなくなる。
俺の脳は再び、容赦のない現実の計算と、止まることの許されない渇きのなかで、急速に摩耗を始めていた。
しんと静まり返った部屋の中で、俺は一人、重すぎる意味の過負荷に押し潰されそうになりながら、ただ静かに、冷え切った指先を見つめていた。
誰もいない冷たい廊下を、俺はあてもなく歩いていた。
胸の奥で燻り続ける息苦しさから逃れたくて、無意識のうちに、俺はカルデアの薄暗い一角に佇む「あの男」の隣へと足を向けていた。
煤けたような、冷え切った硝子の瞳を持つ男。
彼もまた、中身を失った空っぽの「虚無」をその身に宿している存在だった。
だから俺は、縋るような気持ちで彼の隣に身を置いた。キミが消えてしまったこの胸の空白を、同じ暗闇を持つこの男なら、ほんの少しでも埋めてくれるのではないかと期待して。
――けれど、それは決定的な間違いだった。
男の隣に立って息を吸おうとした瞬間、胸の過負荷は軽くなるどころか、むしろ喉の奥が凍りつくように、呼吸が苦しくなった。
キミの虚無は違った。中身が空だからこそ、ただ目の前の戦いそのものに肉体ごと没頭する、誰にも汚されていない純粋な野生の輝きがあった。だからこそ、俺の焼き切れそうな脳を優しく包み込んで、リセットしてくれた。
だが、この男の虚無は、そんな温かいオアシスではなかった。
この男の瞳の奥にあるのは、かつて俺と同じように「正しい目的」のために合理的に他者を切り捨て、殺戮を重ねすぎた結果、心も感情もすべて焼き切れ、灰になってしまった「燃え尽きた残骸」だ。そこに生きるスリルを愛するような生の熱は、1ミリも残っていなかった。
男は俺を励ましもしないし、哀れみもしない。ただ、死んだ魚のような目で、じっと俺を見つめている。
その冷たい視線が、言葉もなく俺に現実を突きつけてくる。
(お前もいずれ、俺のようになる。目的のために心を殺し続ければ、次はお前の番だ)
彼とすれ違うたびに、俺は「自分のあり得るかもしれない、最も最悪な未来の死体」を見せつけられることになる。俺の隣に立つ彼は、俺に終わりを告げにくる、歩く黒い墓標(メメント・モリ)そのものだった。
キミの代わりなんか、どこにもいない。同じ「空っぽ」であっても、この男では、俺の脳の渇きを1ミリも癒せはしないのだ。
俺は男の視線から逃れるように、再び冷たい廊下へと歩き出した。
背中に突き刺さる死のような静寂に、俺は自分の精神の檻が、また一段と強固に閉ざされていくのを確かに感じていた。