歩く墓標のような男の視線から逃れた俺は、カルデアのさらに薄暗い一角へと逃げ込んでいた。
そこで、また別の、絶対的な闇を背負わされた男と視線が交わった。
すべてを諦めきったような、底の知れない邪悪な虚無を湛えた男。
その瞬間、俺の精神の防衛本能が、最悪な逃げ道を差し出してきた。
いっそ、この男のように、世界の理不尽も、自分が意味の過負荷で破滅していく未来すらも、すべて「ただのくだらないギャグ」として笑い飛ばせてしまえたら、どれだけ楽だろうか。
真面目に考えるのをやめて、すべてを不真面目なおちょくりに変えてしまえば、この焼き切れそうな脳の痛みから解放されるのではないか、と。
――けれど、その男の目は、俺の浅はかな期待を嘲笑うように細められた。
男の瞳の奥にあったのは、俺の崩壊を「へえ、お前もそうやって壊れるんだ? 面白いじゃん」と、特等席からポップコーンでも食べながら面白がっているような、冷酷なエンタメの視線だった。
救いなんかじゃない。俺が本当に壊れていくのを、ただの娯楽として消費しようとする底なしの悪意。俺はその視線の気配に、魂の芯が凍りつくような根源的な恐怖を抱き、一歩、後ずさった。
真面目に絶望することすら許されず、ギャグに逃げることすら拒絶される。
そんな歪な恐怖に怯え、精神がトびかけたその直後だった。
「――マスター。次なる戦いの準備はいつでも整っております」
凛とした、真っ直ぐな声が暗闇を切り裂いた。
振り返ると、そこには曇りのない清廉な瞳をした、俺に絶対の忠誠を誓う騎士たちが立っていた。彼らは己の命のすべてを賭けて、俺のために、世界を取り戻すために戦うと、あまりにも純粋な「正義(忠義)」の光を向けてくる。
その眩しすぎる光を見た瞬間、俺はハッと我に返った。
冷や汗が背中を伝う。なんて不謹慎で、不真面目なことを考えていたんだ。彼らがこんなにも俺を信じて命を燃やしているのに。
俺は完璧な救世主でいなければならない。誰のことも傷つけず、みんなの世界を救う、絶対的なマスターでいなければならないんだ。
俺は自分自身の両手で、本当の理想を隠した心の檻に、さらに重く、強固な鍵をガチリとかけ直した。
「ああ……頼むよ。みんながいてくれて心強い」
俺は、いつもの完璧な笑顔の仮面を張り付け、優しい主君の声を絞り出した。
そうして騎士たちを見送った後、俺は自分の脳内で、完璧に状況を分析し終えたつもりになっていた。
意味の過負荷に苦しんだエミヤオルタ、すべてを笑い飛ばすアンリマユ、命令を遂行してくれるアルトリアたち。
彼らがいれば、カルデアのシステムは問題ない。クー・フーリン・オルタの要素はみんなの中に分割して存在している。だから、あいつがいなくても俺は大丈夫だ。世界は救える。俺は冷静に、合理的に判断できている。
――そんな風に、自分を騙し込もうとしていた。
俺は気づけていなかったのだ。自分がどれほどみっともなく、滑稽な姿をさらしているか。
「俺は冷静だ」と思い込みながら、その行動の本質は、ただ、今ここにいないキミの幻影を、必死になって他人の顔の中に探して彷徨っているだけだということに。
自分自身の最大の故障に、当の本人が1ミリも気づけないまま、俺という精密な機械の歯車は、取り返しのつかない「狂気」の深淵へと、音を立てて加速し始めていた。