「香水を渡しに行くのは、22時10分くらいでいいかな」
夜ご飯をみんなで食べ終え、部屋でゆっくりと休んでいると、部屋のインターホンが鳴った。
夜ご飯から1時間くらい経過してるから、大体20時くらいだろうか。とりあえず部屋のドアを開けると、来訪者は微笑みながら部屋の中に侵入してきた。
ねぇ、勝手に僕の部屋に入るのやめてくれないかな?
「マッサージをしてくださいます?」
「全然嫌だけど」
勝手に僕のベッドの上に座って、まるで自分の部屋のように来訪者──セレスさんは振舞っていた。
「まぁ、外にいる時は服を剥ぎ取って、ヌルヌルとした液体をかけ、私の身体をまさぐるように触っておきながら.....」
「アロママッサージね。随分と人聞きが悪い言い方をするじゃないか」
ここはマッサージする環境じゃないし、無償奉仕なんて御免こうむる。マッサージは疲れるからね。
「でしたら、私の騎士になるなら今日は勘弁して差し上げますわ」
「いや、うん。だから、その専属とか騎士とか下僕とか、そういうのはお断りしてるんだって」
「ちっ.....」
「いやいやいや、色々反応がおかしくない?」
強引なんてものじゃない。外にいる時よりもパワープレイが過ぎる。まさか、勝手に部屋に来て、勝手に入って、身勝手にマッサージをせがんで、断ったら舌打ちって....
「私の玉体に触れられるというのに。普通なら、跪いて感謝すべきなのですが....」
「自分で玉体とか言う人を初めて見たよ。まあ、綺麗なのは否定しないけど」
透き通るように白く綺麗な肌であるかとは否定しない。それは紛れもない事実だから。セレスさん以上に肌が綺麗な人を、僕は知らない。
「...............そうですか」
「うん。そろそろ帰る?帰ってくれる?」
「はい。神崎くんのマッサージを受けた後に帰ります」
「ん?」
「どうされました?」
会話が噛み合っていない。というよりも、最初から僕と対等に会話をする気がないのだろう。完全に自分の要望だけをゴリ押そうとしている。
......このまま彼女を追い返すまで押し問答を続けるのも面倒だ。ここは軽くマッサージして、さっさと帰ってもらおうか。
本格的なものでない普通のマッサージなら、そこまで時間もかからないし。
「モノモノマシーンでアロマオイルを当てましたの。どうぞ、使ってくださいな」
「悪いけど、質の悪いアロマオイルを使う気は........ん?」
「どうされましたか?」
あれ。おかしい。このオイルのパッケージと、この香り──僕が調合したものだ。間違いない。僕のお店で使っているのと全く同じだ。
僕はアロマオイルを販売してない。それなのにどうして、モノモノマシーンから出てくるんだ。
「....いや、なんでもないよ。このオイルなら使ってもいい」
考えても仕方ないか。アロママッサージだと、時間がかかる。シャワーを浴びてもらって、サウナを....ああ、サウナはないから無理か。できる範囲でやろう。
「紙パンツと紙ブラはないけど、水着とか着てるのかな?」
「ええ、問題ありませんわ」
僕が最終的に断らないことを前提として、既に全ての準備を終わらせているらしい。え、なんで?僕って、傍から見てそんなに都合のいいイエスマンに見える?
......おかしい。おかしいですわ。
先程『綺麗な人』と呼ばれた時、心臓が早鐘を打ったのが自分でもわかりました。
これはおかしいことです。私は彼を、これまでに誰にも与えたことのない『C+』ランクである彼を、私の忠実な騎士にして仕えさせたいだけですの。
だから、彼の何気ない言葉に動揺する理由なんてありませんわ。
私は彼が調合する完璧な香水と、魔法のようなマッサージの腕と、極上のロイヤルミルクティーを淹れる技術を見込んで騎士にしたいだけであって、そこにその他の不要な感情は介在しないはずです。
「んっ......」
鉄板で完全に塞がれた窓と、常にこちらを監視している監視カメラ。
この息が詰まるほど無機質で冷たい学園の寮部屋。その備え付けのベッドの上にうつ伏せになり、無防備な背中の上に冷たいアロマオイルが垂らされましたわ。
考え事をしていたせいか、それとも彼の指先の温度のせいか、ついあられもない声が漏れてしまいました。
「力抜いて。リラックスしてね」
なぜ、あなたはいつも通りですの?
私はあなたを少しでも動揺させるために、水着ではなく、あえてかなり際どいデザインの下着姿で横たわっているというのに。
普通の男子高校生であれば、直視することすらためらうはずですわ。
それなのに、彼はためらいもなく私の肌に触れ、淡々と施術を進めてますわ。
「......それにしても、最近の水着って随分とお洒落なんだね。海外のブランドとかかな」
「......は?」
「いや、別に悪く言ってるわけじゃないよ。ただ、プールとか海で泳ぐには少し心許ないデザインだなと思ってさ。まあ、ここはプールじゃないし関係ないか」
......この男は、本気で言っているのでしょうか。
私がわざわざ勝負下着に近いものを選んで身につけているというのに、彼はそれを『布面積の少ない海外製の水着』だと完全に勘違いしているのです。
先程の『水着とか着てるのかな?』という彼の問いかけに対し、私が「えぇ、問題ありませんわ」と答えたせいで、彼は私が着ているこの下着をそのまま水着だと脳内で処理してしまったのでしょう。
呆れて言葉も出ませんわ。彼が私の姿を見ても顔色一つ変えず、微塵も動揺していなかったのは、そもそもこれが下着であるという認識すら持っていなかったから。
彼にとって今の私は、ただ『少し変わった水着を着てマッサージを受けに来た客』でしかないというわけです。
マッサージを断られないようについた嘘だというのに。普通、見たら分かりますでしょう....!
......私は、彼のことを本当はどのように思っているのでしょうか。
今までは、優秀な従者の一員として私の足元に傅かせたい、そう思っていると自分自身で認識しておりました。
ですが、もしかするとそれは大きな誤りだったのでは──
「じゃあ、本格的にいくよ」
私の呆れと混乱をよそに、彼の手が背中へと滑り込んできました。
肩甲骨の周りから腰へと、オイルをじっくりと馴染ませながら的確にツボを捉える彼の指先。
その絶妙な力加減と、掌からじんわりと伝わってくる心地よい体温に、強張っていた筋肉が強制的に解れていくのを感じますわ。
天井の白々しい蛍光灯の光が、オイルを纏った私の肌を淡く照らしている。
彼が滑らかなグラデーションを描くように手を這わせるたび、私の極端に明るい肌には強いハイライトが走り、艶やかな質感が浮かび上がっているはずです。
それなのに、背後にいる彼はただの一度も呼吸を乱しません。
彼はまるで繊細な芸術品でも扱うかのように、この上なく丁寧に私の身体を解きほぐしていきます。
「少し、力が入りすぎてるね。ここ、かなり凝ってるよ」
「あっ......ふぅ......」
彼の手が腰のくびれを滑り、背骨に沿ってゆっくりと押し上げるように移動します。
あまりの心地よさに、【超高校級のギャンブラー】としてのポーカーフェイスを保つことすら困難になってきましたわ。
悔しい。悔しいですわ。
私の下着姿を水着だと勘違いしているその鈍感さがひどく憎たらしい反面、私を変にいやらしい目で見るのではなく....
ただ『自分の技術を施す対象』として真摯に扱うその職人気質に、得体の知れない安心感を抱いてしまう自分がいる。
「......これで最後。少し深呼吸して」
肩から首筋にかけて、一気に流すような柔らかなストローク。
言われるがままにゆっくりと息を吐き出すと、私の身体からすべての毒素と、コロシアイの学園で張り詰めていた見えない不安が、嘘のように抜け落ちていきました。
.....本当に、不安が少しだけ抜け落ちましたわ。
「はい、お疲れ様。オイル拭き取るから、そのままにしてて」
温かい蒸しタオルが背中を覆い、丁寧にオイルが拭き取られていきます。
その手つきの優しさに、私はそっと目を閉じました。
マッサージが終わって欲しくない。この心地よい香りと、彼の手の温もりをもう少しだけ感じていたい。
......ああ、認めたくはありませんが、私は。
私はきっと、彼をただの『騎士』として手に入れたいわけではないのですね。
「終わったよ。ゆっくり起きて」
「......ええ。素晴らしい腕前でしたわ」
タオルが外され、私は気怠い身体を起こしました。彼は見ないように後ろを向きました。あら、紳士的ですわね。
ベッドの傍らで、テキパキと片付けをしている彼。その横顔を見つめながら、私は密かに決意を固めましたわ。
どのような手を使っても構いません。
この狂った学園から生きて出られたその時には、必ず彼を──私だけのものにしてみせますわ。
「......神崎くん。次は、足のマッサージもお願いしてもよろしくて?」
「だから、今日はこれで終わりだってば。シャワーを浴びて、自分の部屋に帰りなよ」
やれやれと面倒くさそうに肩をすくめる彼に、私は今日一番の優雅な微笑みを向けて差し上げました。
「──えぇ、また明日」
神崎冬。感謝なさい。私はあなたに──『Bランク』を与えることに決めましたわ。つまり、私はあなたを逃すことは、億が一にもありません。
「ああ、うん。朝食は全員一緒だもんね」
鈍感なのかわざとなのかわかりませんが、今はそれでいいですわ。
マッサージ、セレスさん