あ、危ない。間違って苗木くんの部屋のインターホンを鳴らすところだった。他の人の部屋の場所なんて興味無いから、記憶だよりだったよ。
部屋の前にネームプレートがあって助かった。感度こそ間違わなずに、舞園さんの部屋のインターホンを鳴らす。鍵を開ける音がした。
「あれ?開けてくれないの?」
遠隔で鍵を開けてるわけでもないのに、普通ドアを開けて招き入れてくれない?それか、部屋の前で香水を渡して終わりでも全然いいんだけど。
とりあえずドアを開けようか。
ドアノブを捻って、そのまま部屋の中にゆっくりと少しだけ足を進めた。
ん?あれ、おかしい。
「──舞園さん?」
少なくともドアを開けてすぐ視界に入る範囲に舞園さんは見えない。あんまり、了承なく部屋の中に入りたくないんだけど。
部屋にいないってことは考えられない。だって、部屋の中に舞園さんがいるからこそ、鍵を開けてもらえたんだから。
完全に部屋の中へと足を踏み入れ、ドアノブから手を離しゆっくりとドアが閉まる音が聞こえた。
なに、イタズラ?かくれんぼ?こう見えて、結構疲れてるんだけど。
「とりあえず、部屋の中に入るからねー」
ガチャっと、鍵が閉まる小さな音が耳に届いた。その音につられ後ろを振り向くと、舞園さやかが──僕に刀を振りかぶっていた。
「........は?」
反射的に庇うように左腕を迫り来る刀に向け、恐怖から目を閉じてしまった。
っぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっっっ!!痛いっっっっっっっっ!!なんだそれ.....!!
「ちょっ、待っ....!」
続けて刀を振りかぶってくる舞園さんに、右手に持っていた香水を投げつける。それが偶然にも刀にあたり、瓶が割れて香水の爽やかな香りが広がった。
香水の液体は舞園さんの顔に命中し、動きが止まる。今のうちに何か僕も自分を守れるようなもの──あれだっ....!
目に入った、刀が入っていたでえろう鞘を手に取って構える。っくそ、なんで僕がこんな目に。
「.....会話をしよう、舞園さん」
目が開くようになった舞園さんが、少し息を荒くし、興奮した表情で僕を見つめてる。
「私は.........外に出ないといけないんですっっ!!!!みんなが──待ってるっ!!」
「ああ、わかるよ。外に出たい気持ちは」
落ち着く香りの香水を持ってきてよかった。効果があったかどうかは分からないけど、あったと思うことにしよう。腕が痛い。
どうする。もしまた襲ってきたら、勝てるか?普通に考えれば、男女で力の差がある。でも、今の僕は昼間の運動で疲れてる。更に左腕を動かすと酷く痛む。
なにより、死に物狂いで刀を振り回してくるような人間を相手にしたことはない。唯一の救いは、あれが本物ではなく模造刀であること。
本物だったら左腕はもっと酷い状況だろうからね。
「分かるわけないじゃないですかっ!だって、動機を見せられたあとも、神崎くんは冷静だって聞きました!私の気持ちがわかるなら、私と同じ気持ちなら──すぐに人をまとめて、体育館で気を紛らわせてあげるなんてできませんっ!」
やばい。ボルテージが上がってきた。舞園さんの気持ちなんて分かるわけないだろ。国民的アイドルの重圧とか、そんなの知らない。
「理解できるけど、同じ気持ちだなんて僕は言ってない。君はさっき、みんなが君を待ってるって言ったよね」
言葉を続けろ。話している間に、舞園さんの熱量が収まることを願え。僕はこんなところで、死にたくない。
「僕には待ってくれてる人なんていない」
言葉を途切れさせるな。話を続けろ。何がなんでも間を作るな。
「友人なんていないし、家族が求めてるのは僕が生みだした金であって、僕自身がいなくても心配さえしないだろうね」
「君には待ってくれている大勢の人間がいて、僕にはいない。それが、君と僕の違いだ。君が、僕が余裕そうに見える秘密だよ」
待っている人がいなくても、僕は自由のために外に出たい。利己的か利他的な考え方、その違いだ。
──時間を稼ぐことができた。舞園さんの手が震えてるように見える。でも、それでも刀を手放さないってことは.....
まだ、僕に襲いかかってくる可能性がある。時間を稼いで、冷静になってもらうつもりだったけど.....これは失敗だったかもしれない。
時間が経てば経つほど、僕の左腕の痛みが増してくるし、この状態で勝てる気がしなくて不安な気持ちが押し寄せてくる。
もう話せることはない。突拍子もないことを話せば、気持ちを刺激してまた攻撃が始まるかもしれない。
最後だ、これが僕のできる最後の手段だ。
手に持っていた鞘を、僕は.......放り投げた。僕の手が届かない場所に。舞園さんが緊張から唾を飲んだのがわかる。ああ、大したことじゃない。
「【超高校級のアイドル】舞園さやかの、唯一無二の男として記憶に残れるなら──殺されても本望だよ」
頼む。頼むから、冷静になってくれ。全然本望なんかじゃない。殺されたくない。死にたくない。嫌だ。
「.....目が、死にたくないって言ってます」
舞園さんはその言葉と共に、手に持っていた模造刀を床に落とし──服の下から包丁を取り出した。
「は、ハハッ....流石だね、エスパーさん」
包丁なんて、本命の凶器まで隠し持っていたのか。嘘だろ。僕はこのまま刺し殺されるのか。
今からでも反撃するべきか。いや、無理。今の身体状態で勝てる気がしない。
包丁が、床の上に跳ねた。舞園さんは、包丁も手放した。
これは───助かった、のか?
「.......どうすれば、よかったんでしょうか」
「わからない。でも、誰かを殺して外に出るのが間違っていることだけは確かだよ」
足を前に勧め、舞園さんの正面で止まる。その表情には、恐怖と不安が浮かんでいた。
「言葉にすれば....誰かに話せば、少しだけかもしれないけど、気が楽になるかもしれない。教えてよ、君のことを」
舞園さんは、ぽつりぽつりと少しずつ話し始めた。どうやら、僕の命の危機も完全に脱したみたいだ。良かった。本当に良かった。
気づけば彼女は僕の胸にしがみつくようにして子供のように謝りながら泣き崩れ、僕は左腕の激しい痛みと極度の疲労。
そして死の恐怖から解放された安心感によって──いつの間にか、暗い意識の底へと沈んでいった。
朝、硬い床の上で目を覚ますと、すぐ目の前に舞園さんの顔があった。なんだろうか、僕が目を覚ますまでずっと見ていたんだろうか。
「おはようございます」
「ああ、うん。おはよう──っ......!」
「大丈夫ですか!?」
起き上がろうと左腕を床につき、体重をかけた瞬間、鋭い痛みが走った。
「......うん。多分、数日で治るんじゃないかな」
だといいんだけど。よく見ると、左腕には包帯のようなものが巻かれている。舞園さんが手当てをしてくれたんだろうか。
「ああ、そうだ。昨日のことは、誰にも言わないようにね。今の状態で、みんなを無駄に不安にさせるのはよくないから」
「え、ですが......」
「昨日は何もなかった。これは決定事項だから」
これが引き金となって連鎖的に本当に殺人が起きたら、目も当てられない。なかったことにするのが一番いい。
「じゃあ、僕は自分の部屋に戻るから。朝食の時間までに気持ちを整えておくんだよ」
今度こそ立ち上がってドアの方へ向かおうとすると──舞園さんが目の前に立ちふさがった。
そしてそのまま、強く僕に抱きついてきた。え、なんで。
「......少しだけ、こうさせてください」
「それで落ち着くなら、好きにするといい」
どちらかと言うと、僕の方が全く落ち着かないのだけれど。
前世で一体どんな徳と業を積めば、前日に殺されかけて、その翌朝に抱きつかれるなんてことになるんだろうか。
......10分ほど拘束された後、ようやく解放された僕は、舞園さんに見送られながら部屋を出た。
時刻は6時30分。7時近くになると、他の誰かにこの部屋から出るところを見られかねない。
「......ん?僕の部屋の前で、何をしてるの──セレスさん?」
幸いにも、僕が舞園さんの部屋......いや、部屋割りとしては苗木くんの部屋か。とにかく、そこから出るところは見られていなかったみたいだ。
それはそれとして、こんな時間に僕の部屋の前で何をしてるんだろう。
「──どちらで夜を過ごしていたのですか?」
「え、普通に自分の部屋だけど。部屋の中にいたらなんだか落ち着かなくて、少し出歩いてたんだ」
「そうですか。何時頃からですの?」
「えっと、確か6時頃からかな」
いつからそこにいたのかは知らないけど、流石に朝の6時から僕の部屋の前に張り付いている理由はないよね。
いや、そもそも何時だとしても、僕の部屋の前に居座る理由なんてないはずなんだけど。
それで、肝心の僕の質問に対する回答がまだ一切返ってきていないんだけど。
「ダウトですわ。嘘をつくなんて、何かやましい事でもおありですか?」
「嘘じゃないよ」
「【超高校級のギャンブラー】の前で、嘘が通じるとでも?」
......確かに。ぐうの音も出ない。セレスさん相手に下手な嘘を押し通そうなんて、土台無理な話だった。
「それで、セレスさんはどうして僕の部屋の前に?」
こういう時は、まともに答えないに限る。
「秘密ですわ。それにしても、神崎くん。珍しいですね。香水をつける量を間違えましたか?」
「あー、匂いキツいよね。ちょっとした手違いでね」
「でしたら、これからシャワーを浴びるでしょうし、今は一旦引きますわ。また後ほど」
「え、うん」
結局、僕の部屋の前にいた理由は本当に教えてくれなかった。
『──くっ、偶然出会って一緒に食堂に行く計画が......!』
優雅な足取りで廊下を歩き去る彼女の胸の内が、そんな可愛らしい苛立ちにがあったなんて、僕が知る由はなかった。
神崎冬
ツウシンボ
好きなことでお金を稼ぎ、好きなことをして暮らしていきたい。
両親からは幼少期に『穀潰し』『無駄飯喰らい』などといった言葉を日常的にかけられ、香水作りを始めたタイミングで擦り寄ってきたため『金に集る虫』だと思っている。
両親に愛情はなく、かといって強い恨みがあるわけでもない。その結果がビジネスパートナーとしての関係である。
両親が過去の行いを反省して歩み寄ってきていたことを知ることはないだろう。
部屋から居なくなったあとに涙ぐむ舞園さん