「ええっと……行くあてがない、の?」
王都の喧騒から少し外れた広場で、エミリアは困ったように眉を下げた。
セリアは俯いたまま、小さく頷く。没落貴族の娘という脳内の設定(記憶)をなぞりながら、少しだけ嘘を交えて現状を説明した。
「はい。遠くの領地から、身寄りをなくして、なんとか王都まで辿り着いたんですけど……お金も、頼れる人もいなくて。さっきの男の人たちに絡まれて、本当にどうしようかと……」
半分は演技だが、半分は本心だった。この見知らぬ世界で、女子高生ほどの身体になってしまった自分が一人で生きていけるわけがない。
エミリアは顎に手を当てて「うーん」としばらく悩んでいたが、やがて何かを決意したように、紫紺の瞳を真っ直ぐにセリアに向けた。
「ねえ、セリア。もしよかったら、私が今お世話になっているお屋敷に来ない? 私の一存じゃ雇ったりはできないけれど、事情を話せば、きっと悪いようにはしないわ」
「えっ……? でも、そんな、見ず知らずの私を……」
「見ず知らずじゃないわ、もうお友達だもの。それに、困っている人を放っておくのはすごーく寝覚めが悪いもの!」
ふんす、と鼻を鳴らして胸を張るエミリア。
そのあまりの無防備さと、お人好しさに、セリアは内心で苦笑した。
(原作通り……いや、それ以上に、この子は危なっかしいくらい優しいんだな)
「本当に……いいんですか?」
「ええ! 決まりね。じゃあ、まずは私の探し物を終わらせちゃいましょう。実はね、大事な徽章を盗まれちゃって……」
やはり、ストーリーの起点となる「徽章盗難事件」は発生しているらしい。
セリアは前世の記憶を総動員する。このままいけば、貧民街の盗品蔵で「腸狩り」エルザとの死闘が待っているはずだ。
それに、先ほどからスバルの姿が見えないのも気になる。
エミリアを危険な目に遭わせたくないという気持ちと、ストーリーを狂わせる恐怖が交錯していた。
だが、セリアが口を開くより先に、エミリアの肩のあたりから、ふわりと小さな毛玉が姿を現した。
「リア、あまりその子を信用しすぎるのも考えものだよ。一見、無害そうに見えるけどねえ」
灰色の毛並みをした、二足歩行の猫の精霊――パックだ。
その愛らしい見た目とは裏腹に、世界を滅ぼしうる力を持つ大精霊。パックの目が、値踏みするようにセリアを射抜く。
「パック、そんなこと言っちゃダメよ。セリアは怯えてるわ」
「はいはい、リアがそう言うならね。初めまして、お嬢さん。僕はパック。リアの保護者みたいなものさ」
「は、初めまして、パックさん……」
セリアは丁寧に一礼した。心臓がバクバクと音を立てている。
パックは感情を読み取る能力に長けているはずだ。自分が「中身が男の転生者」であることや、「未来の知識」を持っていることがバレれば、その場で消されかねない。
セリアは必死に頭の中を「エミリアを助けたい、エミリアが可愛い、怖い」という、純粋な少女としての感情で満たすように努めた。
「ふーん……」
パックはしばらくセリアを見つめていたが、やがてパッと表情を緩めた。
「うん、悪意はなさそうだ。むしろ、リアに対してすごーく好意的な色が見えるね。合格かな」
「もう、パックったら。ほら、行きましょう、セリア」
エミリアに手を引かれ、セリアは歩き出す。
その手のひらは、少しひんやりとしていて、けれど驚くほど柔らかい。
繋がれた手から伝わるほのかな体温に、セリアの胸がドクン、と大きく跳ねた。
ーーーーーーーーーーーー
王都の貧民街へと足を踏み入れる。
饐えた匂いと、荒んだ空気。セリアは自然とエミリアの衣服の裾をギュッと握りしめていた。
エミリアはそんなセリアを安心させるように、時折振り返っては優しく微笑んでくれる。
原作の知識があるセリアは、下手に動き回るよりも、直接「盗品蔵」へ向かうべきだと判断した。
「あの、エミリアさん……」
「エミリアでいいわよ、セリア」
「……エミリア。私、さっき路地裏で男物の人たちが『フェルトが大きな獲物を盗んだ』って話してるのを、小耳に挟んだんです。確か、貧民街の奥にある『盗品蔵』っていう場所に持ち込むって……」
これは賭けだった。だが、エルザが来る前に徽章を回収できれば、誰も傷つかずに済む。
エミリアは目を丸くした。
「本当!? セリア、お手柄だわ! パック、そこへ行きましょう!」
「そうだね。リアの勘も大事だけど、確かな情報があるなら乗るべきだ」
三人は急ぎ、盗品蔵へと向かった。
ギィ、と重い木製の扉が開く。
昼間だというのに薄暗い盗品蔵の内部。カビと埃の匂いが鼻を突く。
「誰だ、お前ら。ここは冷やかしの来るところじゃねえぞ」
カウンターの奥から現れたのは、やはりロム爺だった。そして、その傍らには、金髪の小柄な少女――フェルトが、不機嫌そうに座っている。
その手には、見覚えのある龍の意匠が施された徽章が握られていた。
「それ……! 私の徽章よ、返しなさい!」
エミリアが声を鋭くする。
フェルトはちっと舌打ちをして、徽章を懐に隠した。
「はっ、追っ手が来るのが早すぎるだろ! だけど、これはアタシが命がけで盗み出した獲物だ。タダで返すわけにゃいかねえよ!」
緊迫する空気。
ロム爺が巨大な棍棒を肩に担ぎ、威嚇するように一歩前へ出る。
セリアは恐怖で身体が震えそうだったが、エミリアの背中を見て、必死に勇気を振り絞った。
「待ってください!」
セリアはエミリアの前へと躍り出た。
「私たちは、あなたたちと戦いに来たわけじゃありません。その徽章は、彼女にとって命よりも大切なものなんです。……何か、別のものと交換することはできませんか? お金なら……」
「セリア……」
エミリアが驚いたようにセリアを見る。
フェルトは鼻で笑った。
「交渉なら、先客がいるんだよ。もうすぐ、これを高値で買い取ってくれるっていう上客が来るはずなんだ。あんたたちに、それ以上の額が出せるのかい?」
先客。その言葉に、セリアの背筋に冷たい戦慄が走った。
――エルザ・グランヒルテ。
すでに、彼女はここに向かっている。
「エミリア、ダメです。ここは危険すぎます……! 早く徽章を取り返して、ここを出ないと!」
セリアが焦燥感を露わにした、その瞬間。
パキン、と。
盗品蔵の入り口の扉が、不自然な音を立てて開いた。
「あら……。賑やかね。先客かしら?」
闇の中から現れたのは、妖艶な黒髪を編み込み、露出度の高い黒いドレスを纏った美女。
その手には、不気味に煌めくククリ刀が握られていた。
「――ッ! リア、下がって!」
パックが即座に戦闘態勢に入り、宙に浮き上がる。
エルザの冷徹な、しかし悦楽に満ちた視線が、室内の全員を嘗め回すように動いた。そして、エミリアの銀髪と、フェルトの持つ徽章を見た瞬間、その口元が歪な三日月型に歪んだ。
「なるほど……。依頼主の言っていた通りね。ハーフエルフのお嬢様。あなたの腸はきっと、とっても綺麗でしょうね……!」
戦闘の火蓋が、切って落とされた。
「くっ……あははは! 素晴らしいわ、大精霊!」
エルザの動きは、人間のそれを遥かに超越していた。
パックが放つ無数の氷弾を、紙一重の演舞のような動きで回避し、壁を蹴り、天井を走り、超至近距離からエミリアへと襲いかかる。
「微精霊たち!」
エミリアも自身の魔法で氷の盾を作り出し、エルザの刃を受け止めるが、金属と氷がぶつかり合う激しい火花の中で、エミリアの表情には余裕がない。
何より、パックの現界時間には限りがある。
「お爺さん! フェルトを連れて逃げて!」
エミリアが叫ぶ。
「クソッ、嬢ちゃん、すまねえ!」
ロム爺はフェルトを抱え、裏口へと走ろうとするが、エルザの投擲したナイフがロム爺の脚を正確に貫いた。
「がはっ!?」
「ロム爺!!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。
セリアは、ただ部屋の隅で竦み上がっていた。
(どうする? どうすればいい? 俺には、私には何もできない……! スバルは…!スバルはどこにいるんだ…!)
その時、エルザの視線が、動けないセリアへと向いた。
「まずは、そこの無抵抗な小鳥ちゃんから、優しく開いてあげようかしら」
「しまっ――セリア!!」
エミリアが叫び、セリアの元へと走ろうとする。だが、それはエルザの罠だった。
エルザの本当の狙いは、隙を見せたエミリア。
「隙だらけよ、お嬢様」
「あ――」
エミリアの目の前に、死の刃が迫る。
その瞬間、セリアの脳内で、何かが弾けた。
(動け、動け、動け!!!)
前世が男だとか、今が女だとか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、自分を助けてくれた、あの太陽のような笑顔を守りたい。その一心だけで、セリアの身体は、思考を置き去りにして跳躍していた。
「エミリア――ッ!!」
ドサリ、と激しい衝撃。
セリアはエミリアの身体を横から突き飛ばし、自らがその身を身代わりとして差し出した。
鋭い痛みが、セリアの背中を走る。
「あ、ぐ……ッ!」
肉が裂け、鮮血が舞う。しかし、致命傷は免れた。セリアの必死の体当たりが、エルザの刃の軌道を僅かに狂わせたのだ。
「あら? 邪魔が入っちゃったわね」
エルザが不満そうに目を細める。
「セリア!? 嘘、血が……!」
床に倒れ込んだエミリアが、目を見開いてセリアに駆け寄る。その顔は恐怖と絶望で真っ白に染まっていた。
「エミリア……無事、で……よかっ……」
セリアの視界が急速に狭くなっていく。大量の失血による意識の混濁。
しかし、その時。セリアの胸の奥から、未知の「熱」が湧き上がってきた。
(……死なせない。エミリアを、絶対に死なせない……!)
セリアの身体から、突如として淡い、しかし濃密な『紫色のマナ』が溢れ出した。
それは精霊術でもなく、通常の魔法でもない。セリアという魂が、この世界に転生した際に得た、固有の『陰属性』の適性――重力と時空を歪める、未知の gate の暴走だった。
「――っ!?」
エルザの動きがピタリと止まる。彼女の身体が、まるで目に見えない重圧に押し潰されるように、床へと縫い付けられたのだ。
「何、これ……身体が、重い……?」
「リア! 今だ!」
現界の限界が近づいていたパックが、全魔力を振り絞って、最大級の氷結魔法をエルザに向けて放った。
凄まじい爆音と共に、盗品蔵の半分が吹き飛び、エルザの身体は氷の奔流に飲み込まれて壁の向こうへと弾き飛ばされた。
「……チッ、ここまでね。お腹いっぱいは味わえなかったけれど、楽しかったわ」
満身創痍のはずのエルザは、不気味な笑みを残したまま、王都の闇へと消え去っていった。
静寂が戻った盗品蔵。
セリアの暴走したマナは霧散し、彼女はその場に力なく倒れ込んだ。
「セリア! セリア、しっかりして!」
エミリアがセリアを抱き起こす。エミリアの手は激しく震えており、その目からは大粒の涙が溢れていた。
「どうして……どうして私なんかを庇ったの!? 私はハーフエルフなのに…会ったばかりなのに、お友達になったばかりなのに……!」
エミリアの掌から、緑色の治癒魔法の光が放たれ、セリアの背中の傷を癒していく。
セリアは薄れゆく意識の中で、エミリアの涙を拭うように、小さな手を彼女の頬へと伸ばした。
指先に触れる、エミリアの肌の柔らかさと、涙の温かさ。
「エミリアが……泣いてるの、嫌、だから……。無事で、本当によかった……」
「バカ、バカよ、セリア……っ!」
エミリアはセリアの手を両手でギュッと握りしめ、自分の頬に押し当てた。
その瞬間、セリアの胸を満たしたのは、圧倒的な「幸福感」だった。
男だった頃の自分は、誰かのために命をかけるなんて大それたこと、考えもしなかった。だが今、この世界で、エミリアという少女のためなら、何だってできるような気がしていた。
「リア、その子の傷は塞がったよ。ただのマナの枯渇と疲労だ。死にゃあしないさ」
パックの声に、エミリアは何度も何度も頷きながら、セリアを強く抱きしめた。
エミリアの胸の温もりと、甘い香りがセリアを包み込む。
(ああ……私、本当に、この子のことが……)
言葉にならない想いを抱いたまま、セリアは深い眠りへと落ちていった。